大商人になっているというニナが来訪したのは五日後だった。
 聖紀元暦一七七一年五月十九日。日曜日の昼過ぎに、ニナは俺が滞在する聖母大聖堂に隣接した屋敷を訪れた。

「ニナ・エベールです。創造神様の応現に際し、馳せ参じました」

 応接間で待っていた俺を見るや、ニナは深々と頭を下げた。

「ユーゴです。どうか頭を上げてください」
「はい」

 ニナが顔を上げる。クロエと同様に長身なニナは、身長百七十二センチの俺よりもわずかに背が高かった。

「お疲れ様です。どうぞお掛けください」
「では失礼いたします」

 ニナがソファに腰掛ける。その身のこなしは超一流のシーフであった女性らしく軽やかだった。
 三十五歳になるはずのニナは、瑞々しい魅力を放っていた。
 褐色の肌と長い銀髪に琥珀色の瞳。長身でグラマラス。
 俺の好みがそのまま反映されているのはクロエと同じで、そんな女性が目の前に二人いる状況に、俺は落ち着かなかった。
 俺はソファにゆっくりと腰掛けた。俺の隣に立っていたクロエも静かに腰掛ける。

「早かったね」

 クロエが打ち解けた口調でニナに話しかけた。

「そりゃそうさ。創造神様となれば、あたしたちにとっては生みの親に等しい。まあ、正直に言ってしまえば、その一報を見たときには半信半疑だったが、クロエとギュスターブが揃ってあたしを騙す必要はないだろうからな。信じるしかない」

 ニナが快活な笑みを浮かべる。俺が思い浮かべていた通りの女性だと思った。

「仕事は大丈夫ですか? 急に俺が現れたことで支障があっては申し訳ないですし」

 俺が訊くとニナが一瞬だけキョトンとした表情を浮かべて、すぐに笑顔に戻った。

「仕事に関しては問題ありません。頼りになる部下もいますので。しかし、創造神様はあたしの想像とは違う御方のようですね」

 ニナの言葉に反応したのはクロエだった。

「どんな想像だった?」
「なんて言うかこう、神様って感じ? もっとこう威圧的というか」
「わたしもそう覚悟してた。実際は違ったけど」
「みたいだな」
「ユーゴ様は気さくな御方だよ。ちょっと腰が低すぎるけど」
「そのようだ」

 首肯したニナは、俺に視線を移した。

「創造神様。ひとつよろしいでしょうか」
「ユーゴで構いませんよ。なんでしょうか」
「では、ユーゴ様。あたしたちに敬語など使う必要はありません。創造神として振る舞っていただきたく思います。たとえそれが演技であっても」
「演技、ですか……」
「はい。あたしたちが仕えるべき創造神たるユーゴ様には、創造神然とした振る舞いも必要かと」
「なるほど……」

 ニナの言葉には説得力があった。確かにそうかもしれない。
 この世界での俺は、創造神であり異物でもある。特異な存在である俺が、この世界で生きていくには演技も必要なのかもしれない。
 俺がニナの提案に賛成しようとした時だった。

「ユーゴ様! 伏せてください!」

 隣に座っていたクロエが俺に覆い被さった。
 俺が驚いている間に、ニナは跳躍していた。
 ガシャン! という大きな音を立てて窓を突き破り、全身黒ずくめの男が応接間に侵入してきた。

「クッレレ・ウェンティー!」

 ニナが風属性魔法を詠唱しながら男に飛び掛かった。その両手には既にダガーを握っている。

「プ……プグヌス・フラ……」

 男の魔法詠唱が途切れる。
 凄まじい速さで接近したニナが、ダガーで男の首を掻き切ったからだった。
 風属性魔法で強化されたニナの速さたるや、俺の目では姿を追うのが精一杯だった。
 首から鮮血を吹き出しながらドサリと倒れる男。

「一人か……」

 ニナがつぶやく。

「ええ、もう周囲に不審な魔力反応は無い」

 クロエがニナに答えるように言った。
 俺は呆気にとられていた。

「単独の刺客……火属性魔法を使うアサシン……狙いはおそらくユーゴ様……どこからか情報が漏れたか、あるいは……」

 ニナが倒れた男を見下ろしながらつぶやく。

「失礼しました。咄嗟のことでしたので……」

 クロエが俺に詫びながら上体を起こした。

「いえ、二人のおかげで助かりました。刺客ですか……人族ですよね?」
「はい。ツノはありません」

 ニナは端的に答えた。人族と魔族の外見上の違いは頭部に角があるかどうかだけ。

「人族のアサシンに狙われるとは……人族の中に、俺の存在を消したいヤツが既にいるんですね」
「そのようです。今後はあたしとクロエが護衛として付きます」
「……お願いします」

 俺は甘かった。創造神として穏やかな異世界生活を送れるのかと、どこかで期待していた。
 この異世界で死亡したらどうなるのか分からない状況で、命を狙われた。
 俺は異物……排除しようとする者が現れることを覚悟しておくべきだった。

「ご安心ください」

 クロエが両手で俺の右手を握った。温かな手。俺は自分が震えていないかを気にする程度には落ち着きを取り戻した。

「わたしとニナが常におそばにおります。魔王を倒したパーティーのメンバーが二人です。何があっても対処できます」
「ありがとうございます」

 俺には心強い仲間がいる。そう思うことで、命を狙われたというショックはやわらいだ。

「それにしても、あたしの魔法詠唱時間が半分ほどになった上に、速度向上の度合いも倍近くになっていたのは……?」

 ニナが疑問を口にする。それに答えたのはクロエだった。

「ユーゴ様の加護でしょう」
「やはりそうか。すごいバフだ。今までに経験したことがない感覚だった」
「わたしの探知による索敵の範囲も、倍近くに膨れ上がっているの」
「おそらく全ての能力に作用する上に、その度合が倍? そりゃあとんでないな」
「ええ、わたしたちが知っている支援系魔法のバフとは桁違いな上に万能なバフだと思う」
「創造神の加護か……ユーゴ様と一緒にいれば、あたしたちは無敵なんじゃないか?」
「加護の効果が及ぶ能力の領域と、その有効範囲を確かめる必要はあるけどね」

 創造神の加護? 俺はそんな隠れたスキルを持っていたのか?

「俺はバフを付与するような隠れたスキルを持っているってことですか?」

 思わず出た俺の質問に答えたのもクロエだった。

「はい。そのようです。支援系などの魔法ではないことは確かです。先ほどの短い戦闘に際しても、ユーゴ様から魔力は探知できませんでした。近いもので言えば、教会で蘇生や解呪を行う際に用いられる神威(しんい)だと思われます」
「神の御力(みちから)ですか……」
「まさに加護です。アサシンが強化された様子はなかったので、ユーゴ様が味方と判断している者の能力や魔法に限ってバフを付与するようです。創造神たるユーゴ様に相応しいユニークスキルだと思います」

 俺にも力があった。一人では何もできないことに変わりはないが、それでも仲間さえいてくれるなら存在価値のある力を持っていた。それが単純に嬉しかった。