俺の言葉を聞いたクロエは安堵の表情を浮かべ、ギュスターヴは微笑のままに口を開いた。

「この聖母大聖堂は、私が大司教として管理を任されております。ひとまずは、この大聖堂を拠点となさるのがよろしいかと存じます」
「大司教、ですか」
「はい。創造神様の恩恵により出世いたしました。今は枢機卿も務めております」
「それはすごい……クロエさんは?」

 俺はクロエに視線を移した。

「今は魔道士学院の教頭を務めています」
「教職ですか」

 クロエを孤高の天才キャラとして描いた俺としては、教師をしているクロエは少し意外だった。
 そんな俺の驚きが顔に出ていたのか、クロエはくすりと笑った。

「意外でしたか?」
「あ、いえ……そうですね、少し」
「わたしも成長しました」

 クロエがやわらかく微笑む。
 俺の好みを凝縮したような女性として描いたクロエの微笑は、俺にとって魅力的に過ぎるものだった。赤面していないか不安になってしまう。

「ミシェルとルドヴィク、ニナは? どうしてますか?」

 俺が訊くと、クロエはわずかに表情を曇らせた。
 質問に答えたのはギュスターヴだった。

「ミシェルはブレイス公爵となっています」
「ブレイス公爵? 四大公爵の?」
「はい。西のブレイス公です。魔王エンリル直属の四元帥アダドの手から救った前ブレイス公の息女セリーヌ嬢と結婚したミシェルは、つい先日ブレイス公爵位を継ぎました」
「……そうですか」

 ミシェルは物語の主人公で、ヒロインであるクロエとの恋愛模様を描いた俺としては、受け入れづらい事実だった。
 俺が描いたセリーヌ奪還劇がこんな形になるとは思いもしなかった。物語の結末から十年、俺がこの世界にもたらしたものとは一体……。
 俺の表情から察したのか、ギュスターブが口調を明るいものに変えた。

「ルドヴィクは南のアクィタニア公の剣術指南役を務めています」
「剣術指南役ですか。ルドヴィクが……」

 剣の腕は剣聖と並ぶほどだが、酒と女をこよなく愛する無頼漢として描いた剣士ルドヴィクが剣術指南役というのも意外だった。

「ルドヴィクも丸くなりました。伝書鳩を手配しますが、アクィタニア公爵領は遠いためルドヴィクが駆けつけるのは半月ほど先になるかと存じます」
「ニナは?」
「彼女は北のノルマン公御用達の商人として商人ギルドのマスターを務めています」
「商人? ニナがですか?」
「はい。オレイカルコスクラスの商人です」

 腕は超一流だが奔放なシーフだったニナが、商人になっているというのはさらに意外だった。しかもオレイカルコスクラスということは大商人だ。

「十年は人を変えるのに充分な時間ということですか……」
「そうかもしれません。魔王を討伐して全てが終わる訳ではないのが世界と言えるのやも……話は変わりますが創造神様。その左手に持たれているのは……」
「ああ、これは俺が書いた小説です。ミシェルのパーティーが魔王エンリルを討伐するまでの五年間を描いた物語です」
「おお、それは……拝見してもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」

 俺は同人誌をギュスターヴに手渡した。

「では、失礼いたします」

 同人誌の表紙を捲り、何ページかに目を通したギュスターヴの表情が一瞬だけ真剣なものになる。

「この書物は聖典というより禁書に近いものやもしれません」

 ギュスターブはつぶやくように言うと本を閉じた。顔を上げたギュスターブの表情は微笑に戻っていた。

「禁書? ですか……?」
「この世界は魔王の出現と七人の勇者による魔王討伐が特異点となっていると見るのが、歴史を研究する者の中で通説となっております。魔法とその根源となる魔力の爆発的な発展。人族と袂を分かつに至った魔族の興隆。そして国や種族を越えた世界共通言語の定着……他にも現在の世界を形成している多くの要素が特異点の前後で大きく変化しております」
「……それらが俺の創作によってもたらされたということですか?」
「まさに創造です。世界共通言語となった現代根本語で記されたこの書物が証左となりましょう」
「……この世界は俺が描いた物語の設定によって変化した……俺が世界の全てを創ったわけではないんですね?」
「この書物の文量では世界の全てを構築するのは不可能かと存じます」

 ギュスターヴが同人誌を両手で持ち、俺に向けて差し出した。

「この書物は創造神様がお持ちください。肌身離さずお持ちくださいますようお願い致します」
「……分かりました」

 俺は同人誌を受け取った。なにか重みが増したようにも感じる。

「さて、これからのことですが」
「はい」
「私は教会と国への報告と様々な手配を済ませます。創造神様のおそばにはクロエが付きます」

 俺はクロエに視線を移した。クロエがうなずく。

「仕事は大丈夫なんですか?」
「大丈夫です。休職します」クロエが端的に答える。
「それは申し訳ないような……」
「創造神様が気になさる必要はありません。わたしが望んだことです。五人が集結するには時間がかかります。それまでは、わたしがおそばに」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「創造神様。ひとつよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「わたしに対して敬語は不要です」
「うーん……俺にとっては、この方が自然といいますか……年下ですし」
「そうなのですか?」
「二十五歳です」
「……ヴァンサンカンですか。どうかわたしには平たく話しかけていただけませんか」
「クロエさんも平たく話してくれるのであれば」
「それは無理です」
「ならせめて創造神様って呼び方は無しにできませんか」
「それでしたら……ユーゴ様と」
「様も無しにできませんか?」
「それは無理です」
「では、それで」

 クロエが笑顔で断定したので、俺はユーゴ様という呼ばれ方で納得することにした。

「ユーゴ様。もうひとつお伺いしても、よろしいでしょうか」
「なんでしょうか」
「元の世界に戻りたいという気持ちはございませんか?」

 クロエの問いかけに俺はドキリとしたが、この異世界での寄る辺となる二人の前では正直に答えることにした。

「正直に言ってしまえば、すぐに戻りたいと思っていない自分に戸惑っています。どうも俺は、元の世界に未練がないようなんです。仕事を楽しいと思ったことはないし、家族を愛しているわけでもなく、今は恋人もいません。唯一の楽しみが小説を書くことだった。その小説の世界に来たことに驚いたと同時に、なにかを期待している自分がいるんです」

 俺はここまで正直に打ち明けてしまっていいのか不安になった。俺の答えを聞いたクロエは微笑んでいた。

「ありがとうございます。正直にお答えいただいたおかげで、わたしの決心も固まりました。ユーゴ様がこの世界で創造神として何を成されるのかを見届けるためにも、わたしはユーゴ様をお護りします」

 心強い。そう思った。それと同時に安堵している自分もいた。この世界で生きていけるような気がした。

「よろしくお願いします」

 俺が頭を下げると、クロエも頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 顔を上げたクロエはやわらかな微笑を浮かべていた。俺は思わず見惚れてしまった。
 クロエ・カミナード。俺が思い浮かべたヒロインは今、目の前にいた。