地学。
奥深く面白いが、高校では比較的マイナーな教科だ。
実際、地学をやっているか聞いて、好きでやっている人とはこれまで会ったことがない。
「地原、地学が趣味なんだ。さすがって感じするね!」
クラスの中心的存在、髪こそ染めていないが、空気感から明るいクラスメイトが俺に声をかけた。
さすがとはいったいどういうことか、俺はどんなイメージを抱かれているのか。
疑問に思ったところはあるが、言われて嫌な言葉じゃない。
「まあ趣味っていうか好きなだけだけど。それに、天体以外はそんなにやってないし」
「いやいや、うちの高校地学ないのに好きなんだったらそれは趣味でしょ」
確かにうちの高校には地学の授業がないし、地学を教えられる先生もいるのかわからない。
しかし、地学の魅力から逃れることはできず、俺は独学で地学と向き合っていた。
「あ、あとついでなんだけど数学教えてくれない?」
悪意があるわけではないだろう。ただ、勉強を教えてほしいがために話しかけられたのだろうと思うと少し気分が沈む。
だが、勉強を教えてほしいと言われて渋るほど俺は面倒なやつではない。
「どこの範囲? 俺がわかるとこなら教える」
時計を確認しようと視線を上げると、時計の下からこちらを見てる女子の姿が目に入る。声が大きいから会話が聞こえていたのかもしれない。
まだ時間があることを確認して視線を自分の机の方に戻すと、陽キャクラスメイトがノートを開いていた。
「じゃあ解説始めるね」
「おう、よろしく」
勉強を教わりにクラスメイトがやってくることもあるが、昼休みはほとんどそれがない。
よって、俺は必然的に一人で昼食を食べることになる。
しかし、今日はそうでないようだった。
先ほどこちらを見ていた女子が、俺の机の前に立っている。
「地原くん、教えてほしいところがあるんだけど……」
「ああ、どの教科? 数学?」
昼休み、教わりに来るクラスメイトは珍しいが、いないわけではない。
俺は手慣れた調子で教科を確認する。それによって使う教科書が違うから。
「えっと、その、地学……」
俺は目を見開く。
「地学って、geoscienceの地学?」
「じお……? たぶん、そう、理科の」
そこでようやく目の前のクラスメイトに興味を持って、よく観察する。
彼女は、女子の中でも特に小柄で、童顔にロングヘアの少女だった。さっきの陽キャよりスカートが長い。
「で、地学のどこを教えればいい? 俺は地質のほうはそれほど得意じゃないんだけど」
「天体のところ、です……。ここ」
彼女が取り出した参考書を開き、該当のページを指さす。幸いなことにそこは俺が既に解いたところだった。
解法を解説する。
「ああ、そっか、そうだよね、ありがとう。ごめんなさい、その、迷惑かけて」
「いや、別に迷惑じゃない。ほら、人に教えると知識が定着するって言うじゃん」
「うん、えっと、ありがとう」
彼女は軽く一礼してその場を去ろうと踵を返す。
「あ、待って。君、名前は?」
「わたし、は……。えっと、星野天です」
「星野さん、もしよかったら、たまに一緒に地学やろうよ」
俺の提案に、彼女は少しだけ視線を落とす。怖がらせてしまったかもしれない。
「えっと、嬉しい、です……!」
想像とは違う方向性の言葉に、思わず彼女の顔を覗きこむ。
彼女は顔をくしゃくしゃにして笑っていた。その笑みがリスやウサギみたいに可愛らしく見えて、俺は直視できない。
「今週末、空いてる?」
「はい」
「それなら、図書館集合で早速一緒に地学やらない?」
「やりたいです……!」
かくして、俺と星野さんは一緒に地学をやる仲になると同時に、今週末に図書館で一緒に地学をやることとなった。
俺は、それがかなり嬉しかった。
これまで地学が趣味と伝えても、変わり者だと思われるか、せいぜい持ち上げられて終わるかくらいで、一緒にやってくれる人は一人もいなかった。だから、地学が趣味だということはあまり言っていなかった。
でも、今日は地学について話し合える人ができて、しかも一緒に地学をやる予定まで入れられた。大収穫だ。
明日は普通に学校があるのでそれほど長い時間を割けるわけではないが、せっかく他人と一緒に地学をやるならさらう程度に復習をしておこう。
「ごめんなさい、地原くん」
開口一番、星野さんは俺に謝った。
星野さんが俺の気分を害したような記憶はないので、もしかして俺知らない間に告白してたのか、と記憶を探る。
しかし、答えはすぐに星野さんの口から出た。
「わたし、ファッションセンスないから、服ださくて迷惑かけちゃうかも。それに、コミュ力もないから、地原くんを置いて突っ走っちゃうかも……しれないです」
星野さんは、俺が気にもしていないようなことを心配していた。
「全然気にしてないし、今日俺も服超ダサい」
今日の俺は、I♡地学Tシャツを着てきた。ダサい。
対して星野さんは、可愛い英語の文字が書かれた白Tシャツと、黒のミニスカートで、俺からしてみればおしゃれに見える。でも春にミニスカートはつらくないか。
「確かに、地原くんは……面白い服装してますね」
かなりオブラートに包まれた。自分でもダサいと自覚しているので、下手に気を使われた方が傷つく。
「じゃあ、図書館入ろうか」
「は、はい」
俺が堂々と図書館に入り、怯えながら星野さんが後をついて歩く。
「ここ、個室あるらしいよ。どうする?」
「個室で、お願いします……」
星野さんは他人の視線とか気になるタイプみたいなので、ちょうどよかった。
受付の人に尋ねて、個室の利用カードを受け取る。
「あんまり広くないけど、十分使えそうだな」
「そう、ですね」
俺が椅子に腰掛けるのを待って、座る。
「星野さん、なんで敬語なの?」
「え、それは……。地原くんの方が、すごいから」
「クラスメイトなんだから、敬語を使う必要はないと思う。というか、俺の方が心苦しいから、やめてほしい」
敬語を使われているからといってこちらからも敬語を使うというのは少しよそよそしいし、かといって敬語を使われているのにタメ口というのも違和感があった。
「じゃあ、地原、くん、よろしく」
「ああ、よろしく、星野さん」
そう言って各々持ってきた参考書を開く。
「じゃあ、どこからやろうか」
それから、俺の日々は劇的に変わった。かなり劇的に変わった。
まず、休み時間はたいてい星野さんと地学談義に熱を入れることとなった。
おかげさまで勉強を教えてもらうためだけに俺に寄り付く人は減った。嫌いだったというわけではないが、時折鬱陶しく感じていたのでありがたい。
そしてなにより、自分の趣味を受け入れて一緒にやってくれる人が増えたことで、心が楽になった。
自分一人じゃないから、堂々と自分らしくやっていける。
「わたし、なんで地学なんかやってるんだろうって思い始めてたんだよね」
ある日、星野さんは伏せたる思いを俺に語ってくれた。
「周りは趣味で勉強してる人なんて一人もいないし、そもそも地学をやったことがある人もほとんどいなかった」
だから、自信を失くして、後ろ向きになってしまって、あんなに人が怖くなってしまったという。
「でも、地原くんと出会ってそれは変わった」
それからの星野さんの言葉は、嬉しいものだった。
「地原くんが地学を教えてくれて、わからなかったところがわかるようになった」
俺はうなずく。
「それだけじゃなくて、わたしがこれまで勉強してきたことも認めてくれて」
感動しそうだ。
「おかげでわたしは、自分らしく生きてもいいんだって思えて、前を向けるようになった」
嬉しい気持ちも感じながら、どこかで寂しい。
きっとこの役割は俺じゃなくても果たせていた。ただ、地学が好きで、他人に頼まれたら教える程度には優しくて、他人の努力を認められる程度に謙虚な人であれば誰でも。
でも、星野さんと出会えたのが俺でよかった。
「実のところ、俺も同じようなことを思ってた」
星野さんは目を見開く。
「地学を趣味にしてる人なんてこれまで会ったこともなかった。ネット上ではたまに見かけたけど、それだけの架空の存在かなにかなのかもしれないって本気で思い始めてた」
まだ衝撃から立ち直れていないみたいだった。
「俺も、星野さんと出会えてよかった」
これもきっと、星野さんじゃなくてもよかったのかもしれないけど。
でも、今の俺たちの組み合わせはきっと紛れもなく特別な関係。他の人たちじゃありえなかった。
今は素直にその奇跡を享受しておこうと思った。
奥深く面白いが、高校では比較的マイナーな教科だ。
実際、地学をやっているか聞いて、好きでやっている人とはこれまで会ったことがない。
「地原、地学が趣味なんだ。さすがって感じするね!」
クラスの中心的存在、髪こそ染めていないが、空気感から明るいクラスメイトが俺に声をかけた。
さすがとはいったいどういうことか、俺はどんなイメージを抱かれているのか。
疑問に思ったところはあるが、言われて嫌な言葉じゃない。
「まあ趣味っていうか好きなだけだけど。それに、天体以外はそんなにやってないし」
「いやいや、うちの高校地学ないのに好きなんだったらそれは趣味でしょ」
確かにうちの高校には地学の授業がないし、地学を教えられる先生もいるのかわからない。
しかし、地学の魅力から逃れることはできず、俺は独学で地学と向き合っていた。
「あ、あとついでなんだけど数学教えてくれない?」
悪意があるわけではないだろう。ただ、勉強を教えてほしいがために話しかけられたのだろうと思うと少し気分が沈む。
だが、勉強を教えてほしいと言われて渋るほど俺は面倒なやつではない。
「どこの範囲? 俺がわかるとこなら教える」
時計を確認しようと視線を上げると、時計の下からこちらを見てる女子の姿が目に入る。声が大きいから会話が聞こえていたのかもしれない。
まだ時間があることを確認して視線を自分の机の方に戻すと、陽キャクラスメイトがノートを開いていた。
「じゃあ解説始めるね」
「おう、よろしく」
勉強を教わりにクラスメイトがやってくることもあるが、昼休みはほとんどそれがない。
よって、俺は必然的に一人で昼食を食べることになる。
しかし、今日はそうでないようだった。
先ほどこちらを見ていた女子が、俺の机の前に立っている。
「地原くん、教えてほしいところがあるんだけど……」
「ああ、どの教科? 数学?」
昼休み、教わりに来るクラスメイトは珍しいが、いないわけではない。
俺は手慣れた調子で教科を確認する。それによって使う教科書が違うから。
「えっと、その、地学……」
俺は目を見開く。
「地学って、geoscienceの地学?」
「じお……? たぶん、そう、理科の」
そこでようやく目の前のクラスメイトに興味を持って、よく観察する。
彼女は、女子の中でも特に小柄で、童顔にロングヘアの少女だった。さっきの陽キャよりスカートが長い。
「で、地学のどこを教えればいい? 俺は地質のほうはそれほど得意じゃないんだけど」
「天体のところ、です……。ここ」
彼女が取り出した参考書を開き、該当のページを指さす。幸いなことにそこは俺が既に解いたところだった。
解法を解説する。
「ああ、そっか、そうだよね、ありがとう。ごめんなさい、その、迷惑かけて」
「いや、別に迷惑じゃない。ほら、人に教えると知識が定着するって言うじゃん」
「うん、えっと、ありがとう」
彼女は軽く一礼してその場を去ろうと踵を返す。
「あ、待って。君、名前は?」
「わたし、は……。えっと、星野天です」
「星野さん、もしよかったら、たまに一緒に地学やろうよ」
俺の提案に、彼女は少しだけ視線を落とす。怖がらせてしまったかもしれない。
「えっと、嬉しい、です……!」
想像とは違う方向性の言葉に、思わず彼女の顔を覗きこむ。
彼女は顔をくしゃくしゃにして笑っていた。その笑みがリスやウサギみたいに可愛らしく見えて、俺は直視できない。
「今週末、空いてる?」
「はい」
「それなら、図書館集合で早速一緒に地学やらない?」
「やりたいです……!」
かくして、俺と星野さんは一緒に地学をやる仲になると同時に、今週末に図書館で一緒に地学をやることとなった。
俺は、それがかなり嬉しかった。
これまで地学が趣味と伝えても、変わり者だと思われるか、せいぜい持ち上げられて終わるかくらいで、一緒にやってくれる人は一人もいなかった。だから、地学が趣味だということはあまり言っていなかった。
でも、今日は地学について話し合える人ができて、しかも一緒に地学をやる予定まで入れられた。大収穫だ。
明日は普通に学校があるのでそれほど長い時間を割けるわけではないが、せっかく他人と一緒に地学をやるならさらう程度に復習をしておこう。
「ごめんなさい、地原くん」
開口一番、星野さんは俺に謝った。
星野さんが俺の気分を害したような記憶はないので、もしかして俺知らない間に告白してたのか、と記憶を探る。
しかし、答えはすぐに星野さんの口から出た。
「わたし、ファッションセンスないから、服ださくて迷惑かけちゃうかも。それに、コミュ力もないから、地原くんを置いて突っ走っちゃうかも……しれないです」
星野さんは、俺が気にもしていないようなことを心配していた。
「全然気にしてないし、今日俺も服超ダサい」
今日の俺は、I♡地学Tシャツを着てきた。ダサい。
対して星野さんは、可愛い英語の文字が書かれた白Tシャツと、黒のミニスカートで、俺からしてみればおしゃれに見える。でも春にミニスカートはつらくないか。
「確かに、地原くんは……面白い服装してますね」
かなりオブラートに包まれた。自分でもダサいと自覚しているので、下手に気を使われた方が傷つく。
「じゃあ、図書館入ろうか」
「は、はい」
俺が堂々と図書館に入り、怯えながら星野さんが後をついて歩く。
「ここ、個室あるらしいよ。どうする?」
「個室で、お願いします……」
星野さんは他人の視線とか気になるタイプみたいなので、ちょうどよかった。
受付の人に尋ねて、個室の利用カードを受け取る。
「あんまり広くないけど、十分使えそうだな」
「そう、ですね」
俺が椅子に腰掛けるのを待って、座る。
「星野さん、なんで敬語なの?」
「え、それは……。地原くんの方が、すごいから」
「クラスメイトなんだから、敬語を使う必要はないと思う。というか、俺の方が心苦しいから、やめてほしい」
敬語を使われているからといってこちらからも敬語を使うというのは少しよそよそしいし、かといって敬語を使われているのにタメ口というのも違和感があった。
「じゃあ、地原、くん、よろしく」
「ああ、よろしく、星野さん」
そう言って各々持ってきた参考書を開く。
「じゃあ、どこからやろうか」
それから、俺の日々は劇的に変わった。かなり劇的に変わった。
まず、休み時間はたいてい星野さんと地学談義に熱を入れることとなった。
おかげさまで勉強を教えてもらうためだけに俺に寄り付く人は減った。嫌いだったというわけではないが、時折鬱陶しく感じていたのでありがたい。
そしてなにより、自分の趣味を受け入れて一緒にやってくれる人が増えたことで、心が楽になった。
自分一人じゃないから、堂々と自分らしくやっていける。
「わたし、なんで地学なんかやってるんだろうって思い始めてたんだよね」
ある日、星野さんは伏せたる思いを俺に語ってくれた。
「周りは趣味で勉強してる人なんて一人もいないし、そもそも地学をやったことがある人もほとんどいなかった」
だから、自信を失くして、後ろ向きになってしまって、あんなに人が怖くなってしまったという。
「でも、地原くんと出会ってそれは変わった」
それからの星野さんの言葉は、嬉しいものだった。
「地原くんが地学を教えてくれて、わからなかったところがわかるようになった」
俺はうなずく。
「それだけじゃなくて、わたしがこれまで勉強してきたことも認めてくれて」
感動しそうだ。
「おかげでわたしは、自分らしく生きてもいいんだって思えて、前を向けるようになった」
嬉しい気持ちも感じながら、どこかで寂しい。
きっとこの役割は俺じゃなくても果たせていた。ただ、地学が好きで、他人に頼まれたら教える程度には優しくて、他人の努力を認められる程度に謙虚な人であれば誰でも。
でも、星野さんと出会えたのが俺でよかった。
「実のところ、俺も同じようなことを思ってた」
星野さんは目を見開く。
「地学を趣味にしてる人なんてこれまで会ったこともなかった。ネット上ではたまに見かけたけど、それだけの架空の存在かなにかなのかもしれないって本気で思い始めてた」
まだ衝撃から立ち直れていないみたいだった。
「俺も、星野さんと出会えてよかった」
これもきっと、星野さんじゃなくてもよかったのかもしれないけど。
でも、今の俺たちの組み合わせはきっと紛れもなく特別な関係。他の人たちじゃありえなかった。
今は素直にその奇跡を享受しておこうと思った。