最初このケーキを作るのにお母さんやお姉ちゃんは難色を示したけれど、私の気持ちを汲んで手伝ってくれている。
私を手伝いながらお姉ちゃんは宏樹くんに生チョコを作るらしく、一緒に試作している。
お姉ちゃんと宏樹くんはお付き合いから七年程になるけれど、毎年手作りのお菓子をプレゼントと共に渡しているらしい。
宏樹くんとお姉ちゃんは本当に仲がいい。
でも、宏樹くんが独立するまでは結婚はしないって言っていた。
ふたりのゴールはまだまだ先そうねと、お父さんとお母さんはのんびり仲良しのふたりを見守っている。
私と要くんに関しても、要くんが日々言葉を尽くし、態度でも私を大切にしているのを見て安心してくれたらしく、今ではいつ来るの? と確認があるくらい。
自由登校になり、学校に行かない間に要くんはアルバイトに励んでいて、バイト終わりに我が家に顔を出している。
すっかり我が家に溶け込んでいるし、最近は家で夕飯も一緒に食べたりしている。
そして、私もたまに要くんのお家にお邪魔している。
要くんの家にお邪魔した時、新年に会った時より進んでしまった私の症状は会えば直ぐに分かったようだ。
視線を合わせて、話せなくなってしまったから。
なんとなく声とぼやけた姿から人のいる場所は分かるけれど、しっかりと姿や顔を見て話すことは出来なくなってしまったから。
そんな私でも、要くんの御両親は温かく迎えてくれる。
寒い時期だけれど、火傷したりしないように少しぬるめに調節してくれたお茶や、お菓子は手に持たせてくれたり。
私はたくさんの優しさに触れながら、日々穏やかに過ごしている。
穏やかに迎えたバレンタイン当日は、日菜子と蒼くんの本命の受験当日でもあった。
私は最近スマホで音声入力を使いメールやメッセージを送っている。
そのおかげか、とっても滑舌が良くなったと思う。
受験の当日は珍しく快晴で、日菜子と蒼くんはしっかりと受験会場に辿り着いたみたい。
グループメッセージで私もひとこと送った。
「日菜子、蒼くん! 頑張ってね! 次に会うのを楽しみにしているね」
次に会った時はきっと、ふたりを驚かせてしまうと思うけれど。
私は受験を終えて肩の力を抜けた、元気なふたりに会うのを本当に楽しみにしているのだ。
そして、午後お母さんと一緒に少し手伝ってもらいながら、私は何度も練習したガトーショコラをなんとか焼き上げた。
ケーキに顔近づければ、とってもいい匂いがする。
どうやら上手くいったようでホッとした。
夜にお父さんお姉ちゃんや要くんが来た時に食べられるように、しっかり冷蔵庫で冷やすために綺麗にしまった。
それを終えると、ダイニングのテーブルまで家具を伝いながら歩いて椅子に座る。
私が椅子に座ると、お母さんが台所でカチャカチャと音を出している。
「お疲れ様。綺麗に焼けてよかったわね。おやつの時間だし頂き物だけれど、これ食べましょう」
お母さんが持ち出してきたのは、クレームブリュレバウムクーヘン。
有名なやつだ。
昔テレビで見て食べてみたいと思っていたもの。
「どこから頂いたの?これ有名なやつだよね?」
不思議に思って聞けば、なんとこれお姉ちゃんの頂き物らしい。
顧客のマダムから差し入れで頂いたんだと言う。
しかもこれの話をした時に私の事を話していたらしく、差し入れてもらった時に私にも食べさせてあげてと言われたのだという。
「ちなみに貰ってきたのは昨日よ。今日のお茶の時間に先に食べていいってお姉ちゃんから言われたから。食べましょう!」
お母さんの声が弾んでいる。
そう、うちのお母さんは我が家で誰よりも甘い物が大好物の甘党なのだ。
そんなお母さんが昨日これを見てから、かなり楽しみにしていたのが声からわかって、私は思わず笑ってしまうのだった。
夕方、今日は人数が多いのでお母さんはカレーにしたらしい。
お母さんはちょこちょこと色んなカレーを作る。
オーソドックスなのからシーフードカレー、チキンカレーにキーマカレー。
どれでも美味しく作ってくれる。
今日はチキンカレーらしい。
要くんが来るからいつもより量多めで、それは楽しそうに作っている。
「お母さん、なんか楽しそうだね?」
そう聞いた私にお母さんは言った。
「要くん、あんなにほっそりしているのによく食べるでしょ? ご飯の作りがいがあるのよ! 男の子はやっぱり食べる量が違うわね」
娘がふたりの我が家は確かにそんなに一人ひとりが量を食べない。
そんな中で、元気にたくさん美味しそうに食べてくれる要くんにご飯を作るのが最近すっかり楽しくなってしまったらしい。
要くんはアルバイト先の引越し屋さんで体力を使っているからか、元からよく食べていたけれど、最近はさらに多く食べている。
その食べっぷりの良さがまさか、お母さんをこんなに喜ばせるとは。
「宏樹くんもよく食べるけど、やっぱり高校生男子は違うわね! 男の子のお母さんが大変って言っていたのが分かったけれど、お母さんからしたら楽しいわ」
料理が好きなお母さんは、美味しいとたくさん食べてくれる要くんや宏樹くんが来る時はとっても張り切ってご飯を作っているのは、そんな理由からみたいだ。
お母さんが楽しそうに夕飯を作り終わる頃、お父さんが帰宅して部屋着に着替えてリビングで寛ぎだすと、お姉ちゃんと宏樹くん、駅で会ったらしい要くんも一緒に帰宅した。
「ただいま!」
「お邪魔します!」
声が三人分聞こえて、私はビックリしつつリビングの入口からワイワイと入ってくる三人を迎えた。
「お姉ちゃん、おかえりなさい! 宏樹くん、要くんいらっしゃい。お仕事とバイトお疲れさま」
私がニッコリ出迎えると、三人も柔らかな声で答えてくれる。
「ただいま、有紗! 今日は有紗がケーキ作っているって言ったら宏樹まで来るって言い出したのよ。とりあえず着替えてくるから話し相手をしてあげて! 要くんもごめんね!」
そう言うとお姉ちゃんはパタパタとリビングを出て部屋に向かったようだ。
「要くん、宏樹くん外寒かった?」
ふたりはコートを脱ぐと我が家のポールにかけて戻ってきたのか、リビングのソファーに座る。
要くんはダイニングの椅子に座っていた私の前に来て手を引いてくれて、もう一つのソファーの方に連れていってくれたので私と要くんふたりで座った。
「寒かったよ! 夕方からはここいらはみぞれが降ってきたよ」
「そうだったの! それじゃあ寒かったね。ふたりともお疲れさま」
「宏樹くん、要くんいらっしゃい! もうすぐ夕ご飯にするからね」
キッチンからお母さんが声を掛けてくる。
それに、宏樹くんが答える。
「要くんは頭数に入っていただろうけど、俺は急に来たのに大丈夫ですか?」
「ふふ、和紗が昨日のうちに有紗のケーキに釣られて宏樹くんも来るからって言っていたから、ちゃんと宏樹くんの分もあるのよ」
「さすが、和紗。俺の事よくわかっている」
そんな会話でリビングは笑いに包まれつつ、和やかな雰囲気だ。
そこに着替えたお姉ちゃんが戻ってきた。
「あら、なに? 宏樹がなにかしたんでしょ?」
笑っていた私たちに、その場にいなかったのにも関わらずお姉ちゃんは的確に指摘してくる。
「宏樹さんが突然来たのにご飯を頂いて大丈夫か聞いたら、お母さん、お姉さんが宏樹さんも来るって昨日から言っていたと聞いて。やっぱり仲が良いですよね」
要くんは羨ましそうにお姉ちゃん達ふたりのことを言った。
「私たちからすると、要くんと有紗も初々しくて可愛いわよ」
その言葉に隣の要くんがピシッと固まった。
なので、私はすかさず聞いてみた。
「要くん。照れている?」
その私の問いに、はぁぁぁと長く息を吐き出すと要くん答えてくれた。
「お姉さんやお父さん達もいるところでこんなふうに言われたら照れるだろ、普通!」
少し語気が強めなのも、照れからきているのだろう。
リビングの雰囲気はいつも以上に和やかで、楽しい雰囲気に包まれていた。
それは食事中も変わらなくて、私はずっと笑っていた。
みんなでカレーとサラダを食べ終わると、お姉ちゃんとお母さんがお茶を入れてくれて、私の焼いたケーキも切り分けて出してくれた。
「これ、有紗が作ったの?!」
かなり目が見えにくくなっているのを知っている要くんは、ケーキを見てとても驚いた声を上げる。