午後を回ったカフェは、主婦層を中心に休憩中のサラリーマンや、参考書を開いて忙しく指を動かしている学生で賑わっていた。店員はあまり余裕のない表情をし、貼り付けたような笑顔で接客に追われている。
 店内に入り、一番奥の隅の席に紗希は座っていた。隣の席では黒縁眼鏡を掛けた気難しそうな男がパソコンと睨めっこをしている。
 紗希の周りの空間だけは、切り抜いたように輪郭がはっきりしている。
「お待たせ」
 僕は快活な振りをして声を出した。
「私、カフェで人を観察するのが好きなの」
 紗希は目を細めながら言った。
「どうして?」
「カフェの中って、世界を表している気がするからよ」
 紗希は子供でも見るような目で遠くを見つめて微笑みながら言った。
 僕は軽く頷き、
「この間のことなんだけど……」
 と言った。
「向き合ってみた?」
「まだ答えは出てない」
 とくぐもった声で答えた。
「そっか。焦らなくてもいいのよ」
「紗希はどんな気持ちで描いてるの?」
「私はありのままを描いてる。難しい理屈は分からないわ。息を吸うように描けるようになりたいの。そうやって絵を描いて生きていきたい。プロじゃなくてもいいの」
 僕の瞳には、沙希があまりにも眩しく映った。同じ表現者として、心の持ち様が違いすぎる。僕は涙絵を描くことで、他人と違う自分をどこかで誇らしく思っていたのかもしれない。そんなの単なる驕りだ。他人より色彩豊かな表現、極限まで不要なものを削ぎ落とした流線。そんなことばかりに気をとられてしまい、本来の表現を見失っていた。
 今なら描ける気がする。早く筆を持って絵を描きたい。涙絵は感情が高ぶった時にしか描けない。限定的な能力だ。