皆が寝静まった深夜、家を抜け出して漁港の波止場に腰を下ろした。北一硝子のぐい呑みに、千歳鶴を注ぐ。空には宵待ち月が昇り、波間にその影を揺らめかせている。森を抱いた小さな島が黒々とした影となり、星空をくりぬいていた。

 何故だ。その言葉ばかりが頭をぐるぐると駆け回っていた。

 修はどう見ても日本人だ。平凡な顔立ちが鈴江によく似ている。祥子もオカメ顔とからかいたくなるほど典型的な日本人の顔だ。なのに何故、二人の孫は混血児のような顔をしているのだ。

 ぐい呑みの酒を空け、コンクリートに杯を置きまた満たす。グラスを持ち上げようとして、掴み損ねてしまった。切子のグラスは真っ直ぐに黒い水面に吸い込まれ、波紋を作った。何故か、無いはずの指でグラスを持とうとしたのである。

 波紋はすぐに波に消された。その辺りをぼんやりと眺める。

 小島から、カッコウの鳴き声が聞こえた。こんな夜にと不思議に思い、顔を挙げた。

 カッコウは、托卵するのだったな。断続的に鳴くカッコウの声を聞きながら思った。カッコウはホオジロの巣に卵を産む。ホオジロの卵を一つ巣の外に落とし、自分の卵を一つ産む。カッコウの雛はホオジロよりも先に孵り、他の卵を巣の外に落とす。我が子を殺されたとは知らぬホオジロは、カッコウの雛にせっせと餌を運んで育てるのだ。

 修は、カッコウの子供なのだろうか。

 日本人の姿をしたソ連兵の子は、妹を殺して元あった血を絶った。受け継がれたソ連人の血が、三代目になり姿を現した。そういう事なのだろうか。

 カッコウの鳴き声が増す。複数のカッコウが、黒々とした闇から絶え間なく鳴き声を水面に響かせる。その水面から、ゆらりと人の姿が現われた。勇は思わず、喉の奥で悲鳴を挙げた。

 カーキ色の軍服、金色の髪、青い瞳。自分が殺したソ連兵が、墨のような水面に立っている。

『お前は妻を別の男に差し出し、隙を突いて殺した。その罪はもう、償ったのか』

 淀んだ瞳でこちらを見つめ、ソ連兵がそう言った。勇は波止場に降ろしていた足を上げ、身体を後方へ反らせた。

「あれは、戦争中の事だ。生きるために仕方が無かったんだ」
『戦争中でも、命は命だ。お前はそれを、怒りにまかせて奪ったろう』
「お前もだろう! お前も民間人の女子供を殺しただろう! 面白半分に! 女を犯して殺しただろう!」
『殺したぞ。大勢殺した。女も犯した。だからお前に殺された。無残な姿で殺され、死体を獣に食い荒らされた』

 兵士の姿が揺れている。勇が激しく呼吸をしているからだ。逃げようとするが足に力が入らず、いたずらにコンクリートを足底で擦っている。

『お前は殺した。無残に痛めつけて殺した。それを悔やむどころか、自慢話にしていたな』

 兵士がゆっくりと右手をあげた。人差し指を、勇に向ける。

『お前の血は絶え、俺の血が一族に広がっていく。それを見ろ。自分の罪の形を、見つめるのだ』

 勇の唇から、呻き声が漏れた。
 カッコウが鳴いている。あの日森で鳴いたカッコウだと、勇は思った。

 始まったぞ。
 贖罪の時が、始まったぞ。

 空の洞穴のような島影から、無数のカッコウの鳴き声湧きあがり、月夜を揺らしている。