「たくま遅いなー。コーラぬるくなっちゃうじゃん」

おれが信号待ちをしていると、向こう側の自動販売機の前でけんが待ちくたびれたような様子でビルの壁にもたれかかっていた。

どうやら早々とジュースを買って、ずっとおれのことを待っていてくれたらしい。

こんなに暑い日なのだから、そんなに早く買わなくても良かっただろうに、だなんて思ったりしたけれど、おれは信号が青に変わると急いでけんの元へと自転車を漕いだ。


「ありがと。てか、おれのこと待っててくれたの?」

「当たり前じゃん。コーラ奢るっていう約束だったから。おれ、約束事はきちんと守る人なんで」


けんが得意げな顔をして言い張るので、思わず鼻で笑ってしまった。

けんといるのは楽しい。

気が合うというか、気を遣わないで済むというか、とにかく楽というか。

遠慮しないで話せる関係が好きだったし、雰囲気が似ている気がして一緒にいて居心地が良かった。


「あのさ、けん。変なこと聞いてもいい?」

「ん?どうした、そんなにかしこまったりして?」

「その香水どこで買った? 甘い香りのやつ」


たかが香水かもしれない。

だけど、おれにとってはされど香水だ。

最近の中で1番勇気を振り絞って聞いた質問かもしれない。

だって、おれは本当は女の子の香りが好きなんだ。

そもそも毎日「おれ」って言うことにも抵抗があるし、真っ黒な学ランだって、サッカー部に所属していることだって、全てにおいて違和感しかない。

だからせめて甘い香りの香水くらい身にまとい、女の子に少しでも近づきたかった。


「あぁ、これ? 駅前のショッピングモール。雑貨屋さんが入っているだろ? そこで買った。あ、でもそこ基本女子向けの雑貨しか置いてないから、けんの興味があるものはないかも......」


けんは少し言葉を濁しながら、小さくて今にも消えかかりそうな声で答えた。

おれは何かけんにとって気まずい質問でもしただろうか?

むしろ、気まずいのは女子向けの香水に興味を持っているおれの方じゃないだろうか?

そんなことを頭の中で考えていると、けんが突然立ち止まり、おれのリュックをギュッと掴んだ。


「あのさ、たくま。変なこと聞いてもいい?」


けんはおれの目を見ていてけれど、その目は泳いでいて焦点があっていない。

明らかに動揺しているのが一瞬で分かった。

いつもはふざけてばかりいるけんがこんなに深刻そうな声で話しかけてくるのは初めてのことだ。

おれは一体なにを聞かれるのだろうかと、急に怖くなってしまった。


「たくま、あのさ。もしおれが女子の小物が好きだって言ったらどう思う?」


けんの質問の意味がよくわからなかったけれど、でもその質問はおれが今までけんに話してみたかった質問と同じ。

言いたくても、聞きたくても、話してみたくても、どうしても言えなかった言葉。

どのように答えればいいのかわからなくて、でも急に心臓がうるさく鳴り響き出して静かにしてくれない。


「おれさ、たくまにずっと隠していたことがあるんだよね。たくまになら言えるって思っていたけれど、たくまだからこそ言えなかった。実はおれ......。おれ、性自認が女なんだよね。こんなこと言われても引くよな。てか反応に困るよな、ごめん......」


性自認が女。


おれがずっとひとりで悩み続けていた悩みを、けんも同じように抱えていた。

おれは何か言葉を言わなきゃと思ったけれど、何をけんにかけてあげればいいのかわからなくてギュッと唇を噛み締めることしかできない。


「おれね、小さい頃から自分に対しておかしいなって思っていたんだよね。おままごとしたいし、人形遊びしたいし、サッカーはやりたくないし、野球もやりたくない。だからたくまがおれと部屋の中でみんなと違う遊びをしてくれていたこと、すごく嬉しかったし、居心地が良かった。本当の友達だって思っていたからこそ、なんでも話したかった。でも、このことだけはどうしても言い出せなかった......」


けんの声は震えていて、緊張しているのがひしひしと伝わってきて胸が苦しくなる。

だってその言葉はおれだってけんに何年も伝えたくても、言い出せなかったことだから。

でも、今なら......。


「けん。あのさ、実はおれも......。おれも自分のこと女だと思って生きている。そのことをひとりでずっと悩んでた。誰にも言い出せなくて苦しくて、どうしようもなく生きづらかった。だからけんが話してくれておれ、すごく救われた。なんか仲間がいるんだって思えて心が楽になった」


気がつくといつの間にかおれの視界がぐにゃりと歪み、目の前がゆっくりと霞んでいってけんの顔がはっきりと見えない。

この言葉を、おれは言いたかった。

けんに本当のおれの姿を知って欲しかった。

やっと今、言うことができたんだ。

たった数口話しただけなのに、とてつもなく長い時間が流れていったように感じられた。

右手に持ったコーラをしっかりと握りしめて、おれは大きく息を吐いて言った。


「けん。おれたちなら大丈夫。男でも女でも関係ない。これからは人目を気にしないで一緒に買い物も行こう。可愛い雑貨屋さん巡りもしよう」


おれはゆっくりとけんの肩に手をのせて、空を見上げた。

飛行機雲がゆっくりと大きな雲を描き、空いっぱいに広がっている。

おれは男だけど、女。

男として生きているけれど、今のおれには誰よりもの理解者であるけんがいる。

もうひとりぼっちで悩む必要もないし、コソコソと生きていく必要もないんだ。

みんなとはちょっと違う「普通」をこれから生きていくのかもしれないけれど、それは恥ずかしいことでもないし、悪いことをしているわけでもない。

おれの目をしっかりと見るけんの目も、うっすらと涙が浮かんでいた。