感情の 高ぶるままに 怒鳴りしが
柔かき人 いとつらからむ。

今日は、我が家の田植え機が壊れてしまいました。今まで何度も修理に出していますが、とうとう壊れてしまったのです。具体的には、植えようとした稲が倒れてしまって、植えることができなくなりました。それではいけないから、急遽新しい田植え機をということになりましたが、買う場所や機能などを巡って父と祖父が大喧嘩。まあ、男の人だから譲れないってことはあるんだと思うけど、久々に派手にやらかして私も母もオロオロするばかりでした。
父も父で、田植え機を新しくしようと日頃から公言していましたが、祖父のほうが機能的に優れていないと主張して新しい田植え機の購入を許さなかったのです。それで父も今回ばかりはということで、お互い怒鳴り合いになり、ああなんでこんなに派手な喧嘩をしなければならないんだろうというくらい派手に喧嘩しました。
結局、田植え機のことについては今日は結論は出ませんでした。多分、父のことですから、すぐに新しくしてしまうでしょう。決断が早い人なので、勝手にしてしまうんです。そして、また祖父が俺の許可なくこんな大金を、みたいなこと言ってまた大喧嘩するんだろうなと言うことは見えていますが、止めることがどうしてもできません。私自身は足が悪く田植えの作業には参加できないので、本当にもどかしいというか、生きてるのって嫌だなと思ってしまいたくなる瞬間です。
いつも、田植えのシーズンや稲刈りのシーズンは、トラブルが起きてしまうことが多いのですが、今回も予想通り大喧嘩がおきたなということになりました。
相田みつをさんの書に、こんな物がありました。私は引用するのはあまり好きではないですけど、今回は特に思ったので出してみます。
瀬戸物と瀬戸物とぶつかりっこするとすぐこわれちゃう。
どっちかが柔らかければ大丈夫。
柔らかい心を持ちましょう。
そういう私はいつも瀬戸物。
きちんと引用できるか不安ですが、こんな内容だったような。
まさしく父と祖父は今回は瀬戸物でしたね。ほんと、ぶつかりっこだったわけです。
だから柔らかい心を持つっていうことは、難しいことなんだなと、今回よくわかりました。
母も私も、間に入ることはできませんでしたが、なんとか喧嘩を止められるように慣れたらいいなと思いました。本当に、田植えのときや稲刈りのときは、トラブルが多い時期なんですけれども、瀬戸物ではなくて柔らかい心で二人の主張を柔らかくできるような、そんな人間で有りたいと思います。
でも、柔らかい心を持つ人というのは本当は辛いのでしょう。決して人の主張を聞くというのは楽ではないのです。だからどうしても瀬戸物になってしまう。それで今回歌の下の句にいとつらからむと書きました。本当に柔らかい心を持つというのは辛いこと。それを知っているのと知らないのとでは人の扱い方も変わってくるでしょう。だから人間、表だけではダメなんですよね。