黎明舞の特訓を開始してすでに半月、永桜祭当日がやってきた。
忙しさにかまけて夜空の月の形も気にする余裕がなかった深月は、ぽっかりと浮かんだものに今日は満月だったのかと驚く。
帝都桜は徐々に緑色の葉を茂らせ、季節の終わりを告げようとしている。
暁には言い出しずらく朋代にお願いして舞を覚えていることは秘密にしてもらっていた深月だが、当日までにはなんとか形になり、達成感に包まれていた。
もちろん天子が参席する催事の催しに自分が代わって舞うとは考えておらず、ただ頑張って覚えただけになってしまったが、深月はそれでもよかった。
ひとつなにかを覚えたという事実が単純に嬉しかったのだ。
黎明舞は黄昏時に披露される。昼間はいつも通り本邸女中の勤めをしていた深月は、夕方頃に璃莉と帝都神宮に出向いていた。
特命部隊員は事前に計画した警備位置についており、朝の物々しい雰囲気からまさに本日が忙しさの絶頂であるのだというのがわかった。
璃莉が護衛としていてくれるため永桜祭の見物が叶った深月は、それほど遠くない場所にある帝都神宮までの距離を歩幅を狭めて歩いた。人が多くて前に進むのもやっとである。
「ねえ深月さま。あれだけ練習してたのに、本当に代理で舞わないの?」
境内へ繋がる石段を上りながら、璃莉が不思議そうに尋ねた。さすが護衛、こんなに長い段差なのに息がまったく切れていない。
「雛さんも、本気でわたしに舞人をさせるつもりはないと思いますよ」
いくら代理可能とはいえ、見ず知らずの人間に舞わせるほど気軽な祭事ではない。むしろ天子が関わるのだから重要度は高いだろう。
なのに、選出外の人間に舞わせたら絶対に大変は事態になる。
だからあれは雛の当てこすりだったのだろうと思う。
「残念。深月さまの黎明舞見たかったなぁ。すごく綺麗だったのに」
「素人が付け焼き刃に覚えた舞ですよ……?」
「そうは見えないよ。ずっと見てはいたんでしょ。動きと流れは頭に入っていたのが大きかったよね。仕草がひとつひとつ丁寧で、素人とは思えない! ……って、朋代さんも言ってたよ」
それは朋代が意力を保たせるために言っていた励ましの言葉だろう。教え方の上手な朋代に習うと、少しの期間でもうまくなったような気になるが、それはおごりである。
「わたしの舞よりも、今日は舞人の方の舞が見られることが楽しみです。こうやって実際に見物するのは初めてなので」
柄にもなくわくわくしているのは、朋代に黎明舞の基礎や意味を教えられ、より深い解釈ができるようになったからかもしれない。
黎明舞には、冴え渡った夜明けの空の如く、光を浴びて心の憂いを晴らせるように、という願いが込められている。
そして、空に通ずるは天。舞始めは黄昏時であることから、夜を掌握し、陰を祓い天から注ぐ陽を湛えよ、という経巻に記される陰陽説の意味づけもあった。
ゆえに永桜祭、黎明舞、天子が繋がり深くあるのだ。
「見つかったか⁉」
「こっちにはいなかった。一体どこに……」
「俺はあっちを見てきます」
石段を登りきり、混雑する境内を一方通行に進んでいく。
生温い気配が肌に張りつく。人が密集しているせいかと考える深月の横を通り過ぎて行ったのは、帝都神宮関係者と、付き人の晋助だった。
「……晋助さん、でしたよね。一体どうされたんですか?」
呼び止めてから、自信なく尋ねる深月に、顔色を悪くさせた晋助が振り返った。二度顔を合わせたときに感じていた気だるげかつ適当さは一切なく、真剣な様子で口を開いた。
「雛お嬢さんが、見当たらないんです」
「どういうこと、本当に舞わないつもりだったってこと!?」
璃莉はさらに問うと、初対面ではあるがそれどころではないと判断した晋助が首を横に振った。
「いや、ちゃんと舞人の役目を果たすつもりでしたよ。舞衣裳だって控え室で着てましたし。急にいなくなってしまって」
すでに透き通った満月は顔を出し、日は沈み始めている。黄昏時に舞い始めるのが通例ならば、そろそろ待機場所にいなければならない時間だ。
「変ですね。うちのお嬢さん、言い草は高慢そのものですけど、本気で責任から逃げるような人ではないんですが」
「よければ、わたしにも探させてください。すみません璃莉さん、いいでしょうか」
「あたしは大丈夫だよ! それで、雛ちゃんってどんな顔をしてるの?」
「いやあの、よろしいんですか? 散々お嬢さんにやっかみをつけられていたのに」
戸惑う晋助に、深月はこくりとうなずいた。
「はい。なんだか心配なので」
胸がざわざわと先ほどから落ち着きなく動いている。今日は満月だから影響されているのだろうかと考えるが、それなら街を歩いているときも感じていたはず。
この違和を覚えたのは、石段を登りきり、境内に足を踏み入れたあとからだ。
(聞こえたり、しない? 雛さんの声)
いくら人より耳がいいとはいえ、こんなの馬鹿げている。
でも、焦る気持ちが前に出て、いつの間にか深月は耳を済ませていた。
――こないで!
声は聞こえた。きっと、雛のものだ。
忙しさにかまけて夜空の月の形も気にする余裕がなかった深月は、ぽっかりと浮かんだものに今日は満月だったのかと驚く。
帝都桜は徐々に緑色の葉を茂らせ、季節の終わりを告げようとしている。
暁には言い出しずらく朋代にお願いして舞を覚えていることは秘密にしてもらっていた深月だが、当日までにはなんとか形になり、達成感に包まれていた。
もちろん天子が参席する催事の催しに自分が代わって舞うとは考えておらず、ただ頑張って覚えただけになってしまったが、深月はそれでもよかった。
ひとつなにかを覚えたという事実が単純に嬉しかったのだ。
黎明舞は黄昏時に披露される。昼間はいつも通り本邸女中の勤めをしていた深月は、夕方頃に璃莉と帝都神宮に出向いていた。
特命部隊員は事前に計画した警備位置についており、朝の物々しい雰囲気からまさに本日が忙しさの絶頂であるのだというのがわかった。
璃莉が護衛としていてくれるため永桜祭の見物が叶った深月は、それほど遠くない場所にある帝都神宮までの距離を歩幅を狭めて歩いた。人が多くて前に進むのもやっとである。
「ねえ深月さま。あれだけ練習してたのに、本当に代理で舞わないの?」
境内へ繋がる石段を上りながら、璃莉が不思議そうに尋ねた。さすが護衛、こんなに長い段差なのに息がまったく切れていない。
「雛さんも、本気でわたしに舞人をさせるつもりはないと思いますよ」
いくら代理可能とはいえ、見ず知らずの人間に舞わせるほど気軽な祭事ではない。むしろ天子が関わるのだから重要度は高いだろう。
なのに、選出外の人間に舞わせたら絶対に大変は事態になる。
だからあれは雛の当てこすりだったのだろうと思う。
「残念。深月さまの黎明舞見たかったなぁ。すごく綺麗だったのに」
「素人が付け焼き刃に覚えた舞ですよ……?」
「そうは見えないよ。ずっと見てはいたんでしょ。動きと流れは頭に入っていたのが大きかったよね。仕草がひとつひとつ丁寧で、素人とは思えない! ……って、朋代さんも言ってたよ」
それは朋代が意力を保たせるために言っていた励ましの言葉だろう。教え方の上手な朋代に習うと、少しの期間でもうまくなったような気になるが、それはおごりである。
「わたしの舞よりも、今日は舞人の方の舞が見られることが楽しみです。こうやって実際に見物するのは初めてなので」
柄にもなくわくわくしているのは、朋代に黎明舞の基礎や意味を教えられ、より深い解釈ができるようになったからかもしれない。
黎明舞には、冴え渡った夜明けの空の如く、光を浴びて心の憂いを晴らせるように、という願いが込められている。
そして、空に通ずるは天。舞始めは黄昏時であることから、夜を掌握し、陰を祓い天から注ぐ陽を湛えよ、という経巻に記される陰陽説の意味づけもあった。
ゆえに永桜祭、黎明舞、天子が繋がり深くあるのだ。
「見つかったか⁉」
「こっちにはいなかった。一体どこに……」
「俺はあっちを見てきます」
石段を登りきり、混雑する境内を一方通行に進んでいく。
生温い気配が肌に張りつく。人が密集しているせいかと考える深月の横を通り過ぎて行ったのは、帝都神宮関係者と、付き人の晋助だった。
「……晋助さん、でしたよね。一体どうされたんですか?」
呼び止めてから、自信なく尋ねる深月に、顔色を悪くさせた晋助が振り返った。二度顔を合わせたときに感じていた気だるげかつ適当さは一切なく、真剣な様子で口を開いた。
「雛お嬢さんが、見当たらないんです」
「どういうこと、本当に舞わないつもりだったってこと!?」
璃莉はさらに問うと、初対面ではあるがそれどころではないと判断した晋助が首を横に振った。
「いや、ちゃんと舞人の役目を果たすつもりでしたよ。舞衣裳だって控え室で着てましたし。急にいなくなってしまって」
すでに透き通った満月は顔を出し、日は沈み始めている。黄昏時に舞い始めるのが通例ならば、そろそろ待機場所にいなければならない時間だ。
「変ですね。うちのお嬢さん、言い草は高慢そのものですけど、本気で責任から逃げるような人ではないんですが」
「よければ、わたしにも探させてください。すみません璃莉さん、いいでしょうか」
「あたしは大丈夫だよ! それで、雛ちゃんってどんな顔をしてるの?」
「いやあの、よろしいんですか? 散々お嬢さんにやっかみをつけられていたのに」
戸惑う晋助に、深月はこくりとうなずいた。
「はい。なんだか心配なので」
胸がざわざわと先ほどから落ち着きなく動いている。今日は満月だから影響されているのだろうかと考えるが、それなら街を歩いているときも感じていたはず。
この違和を覚えたのは、石段を登りきり、境内に足を踏み入れたあとからだ。
(聞こえたり、しない? 雛さんの声)
いくら人より耳がいいとはいえ、こんなの馬鹿げている。
でも、焦る気持ちが前に出て、いつの間にか深月は耳を済ませていた。
――こないで!
声は聞こえた。きっと、雛のものだ。