祭事の気配にあてられ一層にぎわう中央区画。
老舗から新店まで多く立ち並ぶ大通りの一角には、流行りの洋菓子や紅茶を売りにした喫茶『ぼんじゅーる』が居を構えている。
女給目当てに紳士が通い詰めるカフェーと違い、渡来品に囲まれたほどよく明るいハイカラな内装の店内は、流行に敏感な女学生の憩いの場として重宝されていた。
蓄音機の音色に混じって聞こえる雑音すら洒落た喫茶店ならではの一興として楽しまれている。そして今日もこの場所では、近くの東桜女学校に通う少女たちが楽しい午後のひとときを過ごしている最中だった。
「知っているわ、私の家でもその話で持ちきりよ」
甲高い声が聞こえてきたのは、奥に設置された席からだ。
丸い卓子を囲むように座しているのは、少々顔にあどけなさが残る少女たち。高揚した様子で熱のこもった会話を繰り広げている。
「噂ではなく本当なのね。あの朱凰家の、暁さまに婚約者が現れたって!」
ひとりが声に出すと、各々が落胆の色を隠すことなくため息をこぼした。
少女たちの実家は、それぞれが名を連ねる華族家門。良妻賢母となるため名門女学校の生徒として日々教育を受けている。そんな花盛り真っ只中の年頃である少女たちの座談には、毎回と言っていいほど話題にあがる人物がいた。
その人物こそ、帝国軍特命部隊隊長の朱凰暁だ。
家柄は天子一族の守護番と誉れ高い公爵位の朱凰家。家格だけでも凄まじい影響力。加えて当の本人は容姿を売りにする花形役者も泣かせる風采のよい青年ということで、恋心や憧れを抱く華族令嬢は多くいた。
だからこそ、耳に届いた知らせにこうも一憂しているのである。
「昔ながらの許嫁というわけではないでしょう? これまでそういった話を耳にしたことはないもの」
「政略的なものかしら。でも、肝心な相手の詳細はいまだにわからないことだらけよね。どこの家のご令嬢なのかもわからないし、名前も聞かないわ」
「華明館で開かれた夜会に一度出席したことがあるみたいよ。朱凰家に釣り合うお家柄なんて限られるけど、一体どんな人なのかしら」
「うちの使用人が街で一度見かけたことがあると言っていたの。じっくり確認できたわけではないみたいだけど、身なりもしっかりしていてとても綺麗な人だったそうよ。なにより仲睦まじくて、お似合いだったって」
少女たちは再び深いため息を落とした。
「わたくしたちはまだ憧れで済んでいたからいいわ。でも上のおねえさま方は面白くなさそうよね」
「最近まで積極的に縁談状を送っていた方だっているはずだし、次の東桜会を考えると少し気が重いかも」
東桜会とは、東桜女学校の卒業生と在学生の交流を目的とした集いの場であり、月に一度の頻度で行われていた。
基本的には和気あいあいとした集まりである。ただ、次回参加予定の卒業生の割合が二十歳未満と比較的年若く、朱凰暁にお熱なおねえさまが少なくないということを彼女たちは事前に把握済みだった。
「婚姻を先送りしているおねえさま方にとっては、暁さまが一番の優良株だったでしょうしね」
女学校は良き妻、良き母となるための教育を施し、縁談や見合い、婚姻の泊付けとして必要とされる一方、文明開化により広まった様々な西洋式は、新たな自立促進の概念を定着させる場としても注目されていた。
女性の自立と一括りに謳えば大層なものだと思われがちだが、要は女学校卒業後に家業の手伝いや就職をし、未来の夫のさらなる支えとなる経験を積み、婚姻を遅らせるという行為が一定数増えてきたということ。
そのような目新しい価値観が回り始めたからこそ、婚約者の影がない暁の隣に立つ栄誉を誰が手にするのか、いないならいっそ自分が支えて差し上げたい、と考える華族令嬢が今までそれなりの数いたのである。
「永桜祭の特別稽古だけでも忙しいのに、嫌な時期に幹事役を任されてしまったわね、わたくしたち」
冗談めかした発言に、ひとりを除いて一同はくすっと笑いながら同意した。
「ひとまず当日は話題に気をつけるようにしましょう。ねえ、雛さん。あら――雛さん?」
一旦話に区切りをつけた少女が、隣に座る少女に声をかける。
彼女はこの卓子でただひとり、暁の話題に参加せず聞き専に徹していた人物だ。
「朱凰、暁……」
「え? なあに、雛さん。なんだか顔色が悪いわ」
気遣う声は少女に届いていなかった。
髪の上半分をまとめてリボンで結い上げ、愛くるしい面立ちを険しく歪めた少女は、両手を強く握り締める。
「そんなの、許せない」
激情を押し込めた細い声音は、すぐさま蓄音機の音にかき消されていた。
老舗から新店まで多く立ち並ぶ大通りの一角には、流行りの洋菓子や紅茶を売りにした喫茶『ぼんじゅーる』が居を構えている。
女給目当てに紳士が通い詰めるカフェーと違い、渡来品に囲まれたほどよく明るいハイカラな内装の店内は、流行に敏感な女学生の憩いの場として重宝されていた。
蓄音機の音色に混じって聞こえる雑音すら洒落た喫茶店ならではの一興として楽しまれている。そして今日もこの場所では、近くの東桜女学校に通う少女たちが楽しい午後のひとときを過ごしている最中だった。
「知っているわ、私の家でもその話で持ちきりよ」
甲高い声が聞こえてきたのは、奥に設置された席からだ。
丸い卓子を囲むように座しているのは、少々顔にあどけなさが残る少女たち。高揚した様子で熱のこもった会話を繰り広げている。
「噂ではなく本当なのね。あの朱凰家の、暁さまに婚約者が現れたって!」
ひとりが声に出すと、各々が落胆の色を隠すことなくため息をこぼした。
少女たちの実家は、それぞれが名を連ねる華族家門。良妻賢母となるため名門女学校の生徒として日々教育を受けている。そんな花盛り真っ只中の年頃である少女たちの座談には、毎回と言っていいほど話題にあがる人物がいた。
その人物こそ、帝国軍特命部隊隊長の朱凰暁だ。
家柄は天子一族の守護番と誉れ高い公爵位の朱凰家。家格だけでも凄まじい影響力。加えて当の本人は容姿を売りにする花形役者も泣かせる風采のよい青年ということで、恋心や憧れを抱く華族令嬢は多くいた。
だからこそ、耳に届いた知らせにこうも一憂しているのである。
「昔ながらの許嫁というわけではないでしょう? これまでそういった話を耳にしたことはないもの」
「政略的なものかしら。でも、肝心な相手の詳細はいまだにわからないことだらけよね。どこの家のご令嬢なのかもわからないし、名前も聞かないわ」
「華明館で開かれた夜会に一度出席したことがあるみたいよ。朱凰家に釣り合うお家柄なんて限られるけど、一体どんな人なのかしら」
「うちの使用人が街で一度見かけたことがあると言っていたの。じっくり確認できたわけではないみたいだけど、身なりもしっかりしていてとても綺麗な人だったそうよ。なにより仲睦まじくて、お似合いだったって」
少女たちは再び深いため息を落とした。
「わたくしたちはまだ憧れで済んでいたからいいわ。でも上のおねえさま方は面白くなさそうよね」
「最近まで積極的に縁談状を送っていた方だっているはずだし、次の東桜会を考えると少し気が重いかも」
東桜会とは、東桜女学校の卒業生と在学生の交流を目的とした集いの場であり、月に一度の頻度で行われていた。
基本的には和気あいあいとした集まりである。ただ、次回参加予定の卒業生の割合が二十歳未満と比較的年若く、朱凰暁にお熱なおねえさまが少なくないということを彼女たちは事前に把握済みだった。
「婚姻を先送りしているおねえさま方にとっては、暁さまが一番の優良株だったでしょうしね」
女学校は良き妻、良き母となるための教育を施し、縁談や見合い、婚姻の泊付けとして必要とされる一方、文明開化により広まった様々な西洋式は、新たな自立促進の概念を定着させる場としても注目されていた。
女性の自立と一括りに謳えば大層なものだと思われがちだが、要は女学校卒業後に家業の手伝いや就職をし、未来の夫のさらなる支えとなる経験を積み、婚姻を遅らせるという行為が一定数増えてきたということ。
そのような目新しい価値観が回り始めたからこそ、婚約者の影がない暁の隣に立つ栄誉を誰が手にするのか、いないならいっそ自分が支えて差し上げたい、と考える華族令嬢が今までそれなりの数いたのである。
「永桜祭の特別稽古だけでも忙しいのに、嫌な時期に幹事役を任されてしまったわね、わたくしたち」
冗談めかした発言に、ひとりを除いて一同はくすっと笑いながら同意した。
「ひとまず当日は話題に気をつけるようにしましょう。ねえ、雛さん。あら――雛さん?」
一旦話に区切りをつけた少女が、隣に座る少女に声をかける。
彼女はこの卓子でただひとり、暁の話題に参加せず聞き専に徹していた人物だ。
「朱凰、暁……」
「え? なあに、雛さん。なんだか顔色が悪いわ」
気遣う声は少女に届いていなかった。
髪の上半分をまとめてリボンで結い上げ、愛くるしい面立ちを険しく歪めた少女は、両手を強く握り締める。
「そんなの、許せない」
激情を押し込めた細い声音は、すぐさま蓄音機の音にかき消されていた。