鬼の軍人と稀血の花嫁二

 「お嬢さま、こちらの野菜もお願いします」

 「はい、角切りですね」

 「お嬢さま、こちらの膳をお願いできますか」

 「はい、すぐに運びます」

 深月が本邸女中の手伝いを始めて数日、最初は冷やかしだの馬鹿にしているだの影で言われていたものの、女中たちが考えを改めるのは早かった。

 「おおかたの洗い物は済みましたので、お洗濯を干して来ますね」

 「え、もう洗い終わったんですか⁉」

 「はい。お皿の置き場所は問題ないでしょうか」

 「……か、完璧です」

 あまりの仕事ぶりに、女中が抱いていた深月の印象はすっかりひっくり返っていた。なによりも丁寧で正確、早いとなれば文句を入れる隙もない。五人の女中が抜けた穴をひとりでまかないつつある深月は、彼女たちにとって救いの手だった。

 洗濯を干し終え、深月の手には可愛らしいお饅頭があった。

 女中のひとりから「ちょっとは休憩してきてください!」と説得され、そのお供にと渡されたのである。

 (よかった。少しずつだけど、打ち解けてきて)
 初日は深月と関わることを避けていた女中たちが、いまでは世間話も交えてくれるようになった。あくまで分家筋のお嬢さまという認識なので敬いは常に感じるけれど、それでも深月は嬉しかった。

 そんな矢先のこと。

 「――失礼。君が、白夜深月さんかい」

 別邸に戻り、建物の中に入ろうとしたところで、ふと呼び止められる。

 振り返ると、そこには軍服を身に包み、短く整えられた美髯が印象的な壮年の男性が立っていた。

 「あなたは……?」

 深月は軍人の階級に詳しいわけではないけれど、その他大勢とは違った格好といい、装飾といい、あきらかに偉い立場だというのがわかる。

 「どうもはじめまして、私は――」

 「参謀総長!」

 そのとき、少し声を荒げた暁が血相を変えて現れ、男を呼び止めた。

 「早かったな、暁」

 参謀総長と呼ばれたその男は、暁の名を親しげに呼び、口元に笑みを作った。

 男の正体が明かされ、深月は目を見開く。

 彼は、帝国軍参謀本部の長、最高指揮官にして最高権力者。

 朱凰公爵家当主、またの呼び名は、朱凰参謀総長。

 暁の養父だ。
 「あらためて名乗らせてもらおう。私は帝国軍参謀総長の朱凰秀慈郎、暁の養父だ」

 「……深月と申します」

 「おや、白夜とは名乗らないのか」

 秀慈郎は意外そうに顎を撫で、深月と、暁を交互に見やった。

 場所を移動し、いつもの執務室にやってきた深月は、目の前の威圧ある御仁に緊張していた。軍の最高司令であり、暁の養父ともなれば緊張しないほうがおかしい。

 「ふたりしてそう身構えるな。とって食おうとしているわけではない」

 「では知らせもなく、一体どのような要件で?」

 暁と秀慈郎は養子縁組を結んだ親子関係にある。だというのに、暁の話し方はいつにも増して堅苦しい。

 「彼女とは、まだ挨拶をしたことがなかったろう。それと私から一言詫びを入れるべきことがあったからな」

 「詫びとは……」

 暁が問いかけるよりも早く、秀慈郎は開いた両膝に手を置き、深々と頭を下げた。

 「華明館の一件、君には申し訳なかった」

 「え、あの……っ」

 偉い立場の人間からこうも深く頭を下げられ、深月は瞠目する。

 呆気にとられるふたりをよそに、秀慈郎はさらに言い重ねた。

 「君も知っているだろうが。血を摂取させることで暴走を促し、白夜家当主に始末するよう指示を出したのは私だ。だが、君は暴走に打ち勝ち、こうして正常を保っている。私の判断はすべて間違っていた。君に危害を及ぼしてしまい、本当に申し訳ない」

 聞くと、それがどれだけ恐ろしいことだったのか、深月は内心震えた。

 苦しくて、恐怖でどうにかなりそうだった。

 もしかしたらここに自分がいない未来もあったのかもしれない。

 それを考えると、指示を出した秀慈郎本人を恐ろしくも思う。

 だが、こうしてわざわざ訪問し深く頭を下げてくれた人に、これ以上の要求はいらないと、深月は考える。

 「どうか頭をあげてください。あのときは驚きましたが、結果としてわたしは自分を保つことができました。もちろんわたしだけの力ではなく、暁さまの声が引き戻してくれたのだと思っています」

 無事であった以上、秀慈郎を非難するのも違うような気がして、深月はすんなりと謝罪を受け入れる。

 「……君の慈悲深さに、感謝する」

 秀慈郎はそんな深月をじっと見ていたが、感謝の意を込めてふたたび頭を下げるのだった。
 その後、深月はふたりに遠慮して先に執務室を出ていく。

 彼女が完全にいなくなったのを見計らい、秀慈郎は優しげな笑みを暁に向け、そして言い放った。

 「よく、稀血を手懐けた」

 深月の前で見せていた穏やかさは消え、怜悧な面持ちの秀慈郎に暁は苦言を呈した。

 「そのような言葉は控えてください」

 しかし、いまの言葉のどこで暁がむきになったのか気づいていない秀慈郎は、構わず言い連ねた。

 「所詮、稀血も女なのだな。おまえの気遣いを純粋な好意だと信じ、信頼しきっているようじゃないか。なによりも使命や責務を尊重するおまえに懐柔されているのにも気づかないとは」

 「……」

 「よいな、暁。引き続き稀血の手綱はしっかり握っておけ」

 暁は堪えるようにしばし黙り込む。

 こういう人だということは、わかっている。

 彼は禾月に憎悪の念を抱き、半分はその血が流れている深月のことも同じような対象として見ている。

 その理由を知る暁は、秀慈郎にも同情する余地はあると思いながらも、聞き捨てならなかった。

 「それは彼女に対する侮辱です。どうぞ取り消しください」

 暁は冷静な声音のなかに譲れない熱いものを秘めながら、秀慈郎を見据える。しかし秀慈郎には届いていなかった。

 「おまえは少々潔癖すぎるな。見た目は普通の人間とはいえ、中身は得たいのしれない化け物と変わらないだろう。おまえに限ってほだされることはないだろうが、いくら娘とはいえ油断するな」

 それだけを告げ、秀慈郎は早くも別邸を去っていった。

 深月へ謝罪を入れるのが一番の目的だと話した秀慈郎だが、実際のところは暁がしっかりやれているかの確認をしたかったのである。

 正直、我が息子は表情の起伏は乏しい。

 考えが読めないときもあるが、非情に禾月や悪鬼を討伐する姿勢は褒められたものだと常々評価している。

 ゆえに稀血が仇である暁が深月に惹かれており、まさか自分の言葉に怒りを露わにしていたとは、秀慈郎もまったく考えていなかった。
 ――低い靴音が遠ざかってゆき、深月はそっと息をついた。

 もっと長居するものだと思っていて、女中の手伝いも始めた影響なのか、気配りに敏感になっていた。

 お茶でもお持ちしますか、なんて余計なことを言うために引き返してしまったのが、いけなかったのだ。

 『――所詮、稀血も女なのだな。おまえの気遣いを純粋な好意だと信じ、信頼しきっているようじゃないか。なによりも使命や責務を尊重するおまえに懐柔されているのにも気づかないとは』

 『……』

 『よいな、暁。引き続き稀血の手綱はしっかり握っておけ』

 反論の声は聞こえてこなかった。

 深月は耳が良い。だから、聞き逃したということはない。

 気がついたら物陰に隠れて、別邸をあとにする秀慈郎の足音を耳にしていた。

 (璃莉さんの予想は、違ったわね)

 暁への恋を自覚して、優しい彼の仕草に、もしかして同じ気持ちなのだろうかと疑問を抱いてしまった。

 璃莉は、暁を絶対に深月を好いていると言っていたが、とんだ思い上がりだ。

 罰が当たったのかもしれない。

 ここにきてから楽しいこと、恵まれたことばかりで、欲深くなっていたのだ。この関係はやはり命令によるもので、監視するための気遣いによって懐柔されていた。

 ……そういう、ことだろうか。

 なによりも確かなのは、暁は自分に色恋感情があることは絶対にない。それだけは言える。むしろそれが当たり前だ。彼はとても親切で、誠実で、その人間性に偽りはなかったとして、彼は軍人だ。

 深月には言えない職務内容があるのは当然なんだ。

 そう、だから。

 (恋って、胸が苦しくなることばかりなのね)

 あの沈黙が、彼の答えだった。
 「あなたは姉さまを見殺しにした薄情者のくせに、ひとり幸せになるだなんて絶対に許さないんだから!」

 春荒は、なにも気候に限ったことではない。

 激情を吐き出す少女の姿を、彼はなにも言わずに見つめていた。

 その隠れた憂いをまざまざと目にした。

 すべての非難を受け入れるつもりでいる面差しに。忘れられない悲しい過去を静かに背負う姿に。深月は、自分の欲深さを思い知った。

 ああ、どうか。この人が――。
 深月の日々に本邸女中の手伝いが加わって十日ほど経過した。

 起床時間は変わらず日が昇る前。やるべき目的が明確にあって起きる夜明けは、より意識が冴えて動けている気がした。

 「おはよう、鈴」

 寝台を下り、深月は床に置かれた鈴の寝床に声をかける。

 器用に身体を丸くしている鈴は、まだすやすやと寝息を立てて起きる気配がなかった。

 (今日はお寝坊ね)

 だいたいこの時間から鈴は深月より先に置き、扉の前で外に出たいと催促してくる。深月が扉を開けて見送り、それから朝支度に取り掛かるというのが一日の始まりだった。

 だが、たまに鈴は日中遊びすぎて起床時刻が遅れることもある。どうやら今日がその日のようだ。

 深月は柔らかい鈴の毛並みをそっと撫で、いつも通り支度を始めた。

 近頃は炊事場に立つことが多く忙しなく動き回るので、華美になりすぎない無地の半襟や、控えめな柄の長着を選ぶように心がけた。

 髪もひと纏めにくくり、邪魔にならないようしっかり結んだ。

 この簡素な長着は、女中の手伝いをすることが決まった深月に、朋代があつらえてくれたものだ。朋代は暁からの指示で準備したと言っていたが、もともと衣食住のすべてを十分すぎるくらい与えられている深月には、この配慮が心苦しくもあった。

 深月の保護には、安全確保のほかに生活面の援助も含まれている。乃蒼が現れてからは、白夜家からも補助金が送られていると知り、立場上の扱いとわかっていても余計に居た堪れなくもなっていた。

 だから、こうして少しでも働いていたほうが気は楽だった。

 ……余計なことを考える暇も、少しは減るから。

 「あっ、いけない」

 姿見で格好を確かめていると、気を取られて文机に腕が当たる。脚の長い洋製の机には、数冊の本が積まれている。その一冊が、振動で崩れてしまった。

 (璃莉さんが渡してくれていた西洋の書物。まだすべて読み終えたわけではないけど、いろんな物語があるのね)

 それは白夜家本宅に訪れた日、母の部屋に保管されていた西洋の書物である。すべて色恋中心で、深月にとっては初めて触れる類のものだ。

 恋を自覚した深月に対し、璃莉は嬉々としてこれらを見繕ってくれた。

 二冊ほど読み終えてまだ次の物語には手を出せていないけれど、読み終えた話はどちらも男女が結ばれる幸せな結末で心がほっとするものだった。

 結ばれることが約束されている恋愛譚に、巷の女子の間で流行っている理由もわかると、深月は納得していた。

 それから深月は崩れた本を積み直し、鈴を起こさないように気をつけながら部屋を出た。

 すぐ目の前には吹き抜けの階段が現れる。それを間に挟んだ先にある扉を深月は目で追った。

 (暁さま、しっかり休めているといいけれど……)

 永桜祭当日まで約ひと月を切り、一般隊員を含め、暁はさらに忙しくしているようだった。昼間は報告書の確認や書類整理をこなし、夜間もよく帝都の各区画を巡回していることが多いと耳にしている。

 「……本当にお早いですね、深月さん」

 階段を下りたところで、書類の束を抱えた羽鳥と鉢合わせた。

 「羽鳥さん、おはようございます」

 「おはようございます。本邸女中の勤めにしては少し早くはありませんか?」

 羽鳥の問いに、深月は控えめに首を横にした。

 「いえ、先にお庭のほうを掃除してしまおうかと」

 手伝いにはまだ時間がある。それまでに別邸の庭を掃いておこうと思っていた深月だが、羽鳥の表情はあまりすぐれない。

 「手伝いとはいえ、業務内容は通常の女中と変わりないと聞いています。加えて早朝から別邸の庭掃除だなんて詰め込みすぎではありませんか?」

 「え……そう、でしょうか?」
 正直これまでが優しすぎたぐらいで、深月には今の状態でもまだ余裕があると思っている。なんならもっと仕事を与えてくれても、とぼんやり考えていれば。

 「……あなた方は揃いも揃って」

 無自覚な深月の様子に、羽鳥はうんざりとため息を落とす。

 深月がなんのことかと首をかしげれば、足音が近づいてきてふたりに声をかけた。

 「あれ、深月さま。おはよう〜」

 「なっ⁉」

 赤面する羽鳥の横で、深月も目を見開いた。

 「……璃莉さん?」

 見慣れない衣を着て現れたのは、ついこのあいだ深月の護衛に決まった白夜璃莉である。

 護衛とはいえ深月は頻繁に街に出向くことがないため、璃莉もそれに合わせて本拠地内に待機していることが多い。そんな彼女の主な仕事は夜半であり、敷地外に現れた悪鬼の一掃を請け負っていた。暴走から立ち直った深月の精神力と、暁の結界によって稀血の気配がほぼ消えているとはいえ、それでも無条件に引き寄せられる悪鬼を消す必要があるからだ。

 とくに本拠地が手薄になりがちな日には、必ず璃莉が見張り役としてやってきて深月の近辺を警戒し、あやかしものの活動が鈍くなる昼間のあいだに別邸の一室を借りて体を休めるという流れがいまのところ多かった。

 そして昨夜の見張り番を終え、すでに就寝に入っていたはずの彼女だが、その寝間着らしき衣服の過激さにふたりは揃って驚愕していた。

 「な、ななななな、なんなんですか、あなたのその格好は!」

 「え、なに? 副隊長さん、うるさい」

 通常時より覇気がないのは、眠くて仕方がないからだろうか。羽鳥がなぜ狼狽えているのかもまったく理解していないようである。
 「あの、璃莉さん。その格好はもしかして西洋のものですか?」

 いまだ口をぱくぱくとさせて冷静さに欠ける羽鳥の代わりに、深月が言葉を添える。

 少しだけ目が冴えた様子の璃莉は、くるりとその場で回ってみせた。

 「そうそう、寝間着(ネグリジェ)だよ。手触りがつるつるしていて寝心地がいいの。和製ともまた違って可愛いでしょ」

 璃莉は西欧諸国から帰ってきたばかりなので、持ち物や私物に向こうのものが多くあるのもうなずけるが。透けたような生地や、脚が丸出しの作りの寝間着は、さすがに同性の深月が見ても驚く代物であった。

 ほどかれた髪が妙にみだらで、躍然たる印象が強い璃莉がこの瞬間は艷やかに見えた。

 隣の羽鳥は、耳まで真っ赤に染まっている。

 「そのような破廉恥な真似はよしてください‼」

 「あ、羽鳥さんっ」

 羽鳥は言い残して逃げるように階段を駆け上がっていった。まだ話の途中だったのだが、それどころではなかったようである。

 「深月さま、はれんちってどういう意味だったっけ」

 「は、恥ずかしいこと、というか、なんというか」

 羽鳥を不憫に思いながらやんわりと説明すると、ようやく言葉の意味を思い出した璃莉は納得してうなずいた。

 「そうだ、乃蒼兄さんにも言われていたの忘れてた。こんな格好で平然と出歩くなって。あっちの屋敷では女の人しかいなかったから、このまま出てきちゃったよ」

 あっち、というのは英国で生活していたときのことなのだろう。すっかり頭から抜けていた様子の璃莉に、深月は苦笑した。

 「それにしても副隊長さんはさすがだね。疲れてはいるんだろうけど、ほかの隊員さんたちと違って見ただけじゃわからないよ」
 「……皆さん、日増しに忙しくなっていますよね」

 「本当に大変そうだよ。あたしが外で見張りしているときも、怪我して帰ってくる隊員さんたちが結構いてね。悪鬼と野良禾月が増えてきてるみたい。って、だからあたしが深月さまの護衛になるよう言われていたんだけど」

 永桜祭によって増えるのは、なにも人だけではない。あやかしものも例外ではなかった。

 帝都神宮に植えられた永桜が最も狂い咲く季節が春。また、永桜の妖気に触発されたあやかしものが、意気盛んに動き回る時期でもあった。

 「乃蒼兄さんから話は聞いていたけど、今年はとくに妖気が濃いらしいの。だから隊長さんもやることがたくさんだって」

 「そ、そうですよね」

 会話に暁の話題が出て、どきりとする。

 口ごもった深月をどのように解釈したのか、璃莉はにんまりとした。

 「隊長さん、自分が動きにくくなるってわかっていたから、白夜家のあたしを護衛にすることにもすんなり許可してくれたのかな。深月さまが心配だから。それってつまり、大切ってことっ⁉」

 璃莉は話を色恋に絡めると、こうして盛り上がってひとり暴走することがある。

 「暁さまは、きっとご自分の役割を果たされているだけです」

 きっと、ではなく。

 じつのところそうだとわかっているから、深月は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 「深月さま、なにかあったの?」

   どこか冷静な様子の深月にふと違和を感じ、璃莉はにやけ顔をやめて聞いてくる。

 「い、いえ。なにもないです。それより璃莉さん、ずっとその格好でいると、また羽鳥さんに怒られてしまいますよ」

 深月は悟られないようにしながら、話題を大胆な夜着に戻した。

 「そうだった。ちょっと喉が渇いたから水をもらいたくて。あ、いま血じゃないんだって思った?」

 「思ってはいなかったですけど。そういえば普通のお水でもいいんですね」

 「血は禾月にとって重要な糧だけど、体に必要な摂取量さえ計算していれば、あとは人と同じような食事も楽しめちゃうし」

 「そういえば璃莉さん、甘いものがお好きだと言っていましたよね」

 深月はそのような話をしながら、璃莉を連れて別邸の炊事場に向かった。喉が渇いた彼女に水を用意するためだ。

 一瞬、態度に出てしまったことにヒヤリとしながら、深月は胸を撫で下ろす。……さすがに、璃莉にあの話をすることはできなかった。
 「お嬢さま。少しお時間いただいてもよろしいですか?」

 「え? は、はい」

 午前の手伝いがおおかた終了し、別邸に引き返そうとしていた深月に声をかけたのは、女中の園子だった。

 そのまま彼女の後ろをついて歩いていくと、炊事場横の小上がりまで来る。

 ここは主に女中がお茶や菓子を持ち寄り、休憩時間を楽しく過ごしている場所であり、深月もちらっと見たことならあった。

 「足元にお気をつけください」

 「あ、あの……わたしが入ってもよろしいのですか?」

 園子は敷居扉を開けて入れるようにしてくれている。

 しかし自分が憩いの場に踏み入れても良いのか戸惑っていると、

 「どうぞお入りくださいお嬢さま! そして申し訳ございませんでした!」

 「……⁉」

 深月は小上がりのなかを覗いて驚いた。

 どういうわけか、女中たちが頭を畳に擦りつける勢いで深々と下げていたからである。

 「み、皆さん、一体どうされたんですか?」

 目の前の光景に思わず近寄ると、あとに続いて入ってきた園子が気まずそうに声をかけた。

 「わたしを含め、ここにいる者全員、お嬢さまに謝りたくお呼びしました」

 「あやま、る?」

 重々しく唇を開くと、女中たちは肩をびくりと震わせる。

 「あの、なにをでしょうか?」

 当惑顔を浮かべ、深月はまじまじと園子や女中らを見つめ返す。

 少し面食らいながらも、一同は各々口を動かした。

 「わたしたち、お嬢さまのいないところでずっと陰口を言っておりました!」

 「猫のことも本当は触りたいほど好きなのに邪険に言ったりもして、おそらく態度も悪く不快にさせていたのではと!」

 「まるでお嬢さまがいままでの奉公先で仕えてきた性悪金持ち娘と同じだと決めつけて勝手な罵詈雑言を……!」

 という懺悔が彼女たちからいくつも上がった。

 女中たちから邪険に思われていることなら、前に炊事場を立ち去る際に耳にしていたので把握済みである。

 しかし、あれは本人のいないところで口にしていた文句であって、直接なにか嫌がらせを受けたわけではない。

 深月に聞かれていたと知らない女中たちは、このまま黙っていれば自分たちの陰口を深月に知られることもなかったはずだというのに。

 (打ち明けてまで謝ってくれるだなんて)

 こなした仕事の手柄を奪われたわけでも、自分だけ食事を捨てられたわけでも、引っ叩かれたわけでもない。ただ、本人がいないところで言った文句だ。

 この女中たちの思い切りが深月には衝撃的だった。

 聞けば彼女らは、熱心に手伝いをしてくれる深月に後ろめたさを感じており、そのことを朋代に相談したのだそうだ。

 すると朋代は、謝罪を受け入れてもらえるかは別としても誠意を伝えることは間違いではない、と助言してくれたという。

 それと「深月さまはキャラメルがお好きよ」と教えたようで、皆で金を持ち寄ってわざわざ買ってきたらしい。

 「お許しくださいとはいいませんが、どうかこの詫びキャラメルを受け取ってくださいっ」