「第666代聖女ソーニャ! お前は追放だ!」
「えっ、そんないきなり」

 派手に鼻血を()き出しわめく、でっぷり太った司祭を見下ろしながら、ソーニャは困惑の表情で(つぶや)いた。拳は血で汚れている。

「やっぱりグーはマズかったかも……」

        §

 アスタリア王国西方都市トラーシャ。
 誇るべき聖女認定式の場で追放宣告を受けてしまったソーニャだったが、彼女にも言い分はある。

 西方地区を取り仕切るベゼル司祭は、聖女の証しであるロザリオを授ける際、当たり前のようにソーニャの胸を()んだのだ。
 自分の胸の大きさが、男性の視線だけでなく手指をも誘うものであることを、ソーニャは嫌というほど理解している。
 そこまでは慈愛(じあい)の笑みで見逃すことができた。

 だが、第667代聖女に認定されたシリルが、司祭にお尻をまさぐられ恥辱(ちじょく)に震えてるのを目にした瞬間、考えるより先に手が出てしまったのだ。

「なんかさ、自分がされるより、他人がやられてる場面を見せれらるほうが、ずっと頭にこない?」
『ひゃははははッ! 知らねーよ。ソーニャがお人好しってだけで、普通は逆なんじゃないか?』

 純白の衣服に白い翼。
 ソーニャの頭上に浮かんでいる、堕落(だらく)(つかさど)る天使フテネルは、目尻に涙を浮かべ笑い転げている。

 フテネルの姿は祝福され、奇跡を起こせる者にしか見ることができない。
 胸を()まれるソーニャに対し『やれ! やっちまえ!』とそそのかし、司祭に振るう拳には祝福を与えた。教会西方地区の重鎮(じゅうちん)居並(いなら)ぶなか、フテネルを認識していたのはソーニャとシリルのみだった。

『そんなお前だからあたしは()()ってるんだけどね』
「うん?」

 地上で繰り広げられた聖魔大戦終結から100年。
 女神フェルシアの教団は、アスタリアの国教と認められ勢力を広げた反面、組織として硬直化し腐敗(ふはい)様相(ようそう)(てい)している。

 落ちこぼれ天界での役職を与えられず、地上の観察任務に()いているフテネルが見ても、(なげ)かわしい限りだ。
 女神フェルシアの慈愛(じあい)も、声を聞こうとしない者達には(およ)ぶはずがない。

 激昂(げっこう)したベゼル司祭は「破門だ!」と叫んでいたが、聖女を破門する権限を持つのは、司教か大聖女に限られる。
 結果、ソーニャは王都の大聖堂に仕える出世コースから外れ、聖女の称号(しょうごう)を得たまま辺境の教区に追いやられることとなった。

「王都で堅苦(かたくる)しいお(つと)めこなせるか不安だったし、ちょうどいいか」
『ちょ、お前何やって――』

 ソーニャは複雑に()まれた長い銀髪を()き、(ふところ)から取り出したナイフで惜しげもなく切り落とした。

「毎朝()わうの大変だったしね。田舎に戻るならこっちのが楽でしょ?」
『前髪面白いことになってんぞ? せめて後で床屋(とこや)いけよ』

 ぷククと笑いをこらえながらフテネル。

 トラーシャの修道院に(つと)める前、孤児(こじ)であるソーニャは牧場で牛を追い羊の世話をして過ごしていた。
 育ち過ぎた胸をのぞけば、その頃の少年めいた姿に戻ったようだ。

「ソーニャ、貴女その髪」

 式典後の(うたげ)を抜け出し追ってきたシリルが、変わり果てたソーニャの姿に絶句する。

「シリル。だいじょうぶだった?」
「な……?」

 掛けるつもりの台詞を先んじて掛けられ、再び言葉を無くすシリルだったが、すぐに司祭から受けたセクハラを思い出し、首筋まで真っ赤になった。

「わ、私は! あんな事ぐらいで動じたりはしません! 全くもって余計なお世話です!!」
「そうだねぇ。ごめんね」

 シリルの剣幕(けんまく)に驚いたソーニャだったが、すぐに微笑(ほほえ)み謝ってみせる。
 修道院で過ごした6年間、繰り返してきたお決まりのルーチンだ。

「いつもシリルの言ってたとおり、田舎者のわたしに大聖堂でのお(つと)めは無理だよねぇ」
「貴女はッ――」

 さらに怒りを募らせて何かを言い掛けたシリルだったが、うつむき大きく一つ息を吐いて気を落ち着かせると、ソーニャの瞳を真っ直ぐ見つめ宣言した。

「私も一緒に行きます。今のままでは、貴女に勝ち逃げされるようなものですから!」

 貴族の家柄(いえがら)品行方正(ひんこうほうせい)、成績も常にトップのシリルだったが、奇跡を起こす力だけは、ソーニャのほうが桁違(けたちが)いに優れていた。
 教会の重鎮(じゅうちん)も無視できず、2代(そろ)ってという異例の聖女認定式の運びとなった。シリルはずっとそのことを気にしていたのだ。

(そもそも奇跡の力以外で聖女を決めるってことのほうが茶番だけどな)
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべたフテネルが見下ろすなか、ソーニャは困った表情で首を(かし)げた。

「でも、辺境は危険だよ?」
有事(ゆうじ)となれば戦場にも立つ。それが聖女の(つと)めでしょ!」
「ベッドに虫が出るよ?」
「む、虫ッ!?」
「草むらにはカエルとかヘビとかいるし」
「ヘッ……!?」

 足が無いのも多いのも。シリルはとにかく虫のたぐいが大の苦手だ。
 ソーニャの言葉から想像しただけで、青ざめ脂汗(あぶらあせ)を流しフリーズしている。

「でっ、でも! それでも! それでは貴女だけが!」
「シリルは大聖堂でお(つと)めしたほうが(みんな)のためになるよ」
「そ、それは――」

 泣き出しそうな表情で言葉を探すシリルだったが、ソーニャの言葉に(きょ)を突かれ口を閉ざす。

「しかるべき発言力を持つまで時を待ち、教団の腐敗(ふはい)(ただ)せ。そういうことですのね?」
「うん?」

 ソーニャはそこまで考えてはいない。
 虫に(おび)えたシリルがギャン泣きし、ソーニャが捕まえて窓の外に逃がすまでの大騒ぎを避けたかっただけだ。

『ま、適材適所(てきざいてきしょ)だな。ソーニャがやらかさないよう、あたしがよーく見張っとくから』
「貴女はけしかける(がわ)ではなくて?」

 へらへらと笑うフテネルに、シリルは疑惑(ぎわく)のまなざしを向ける。
 それでも、ソーニャが本当の意味で危険な目には合わないのは事実だろう。
 なんせ、(くさ)っても女神の使いであるのは事実なのだから。

「それじゃあシリルも元気でね。落ち着いたらお手紙書くね」

 聖女であるにもかかわらず、放逐(ほうちく)されるソーニャを見送る者はいない。
 わずかな荷物を手に去り行くソーニャを、シリルは泣き出すのを必死にこらえた表情のまま、見えなくなるまでずっと見送った。

        §

 切りすぎた前髪(まえがみ)を気にしながら、修道服(しゅうどうふく)姿のソーニャは、西へ向かう馬車の荷台でゆられていた。
 ひとりてくてく田園沿(でんえんぞ)いの街道を歩いているところを、トラーシャに作物(さくもつ)(おろ)した帰りの農夫に拾ってもらったのだ。
 追放(ついほう)された身とはいえ、やはり教団関係者というだけで扱いが違う。

「街の近くはこの格好が便利だけど、辺境(へんきょう)では男装(だんそう)のほうが安全だよねぇ」
『そのおっぱいで男装(だんそう)は無理があるだろ』
「おっ!?」

 フテネルは笑いながら、ふわふわとソーニャの拳を()ける。

 生まれつき女神の強い加護を受けているソーニャの身体(からだ)は、自然に周囲のマナを取り込み常に体内に巡らせている。
 魔族か妖精の血が流れているのかもしれない。
 おかげでこの(とし)になるまで病気知らず。フテネルに言わせれば、風邪(かぜ)をひかない馬鹿のたぐいなのだが。

 多少のケガなら、ソーニャが手をかざすだけであっという間に治ってしまう。
 ベゼル司祭に()るったのも、自らの筋力を増強し、同時に(いや)しの効果を乗せた祝福された拳だ。
 おかげでベゼル司祭は顔の形が変わるほどの衝撃を受けながら、同時に治癒(ちゆ)され()れさえ残っていない。
 ソーニャがどこまで自覚しているのかは分からないが、ただ強化した拳で殴っていただけなら、追放(ついほう)どころでは済まない惨事(さんじ)になっていたはずだ。

『馬鹿は馬鹿なりに考えてるんだろうね』
「馬鹿っていうな!」

 フテネルが見えない農夫にとって、ソーニャはひとりごとを(つぶや)きながら拳を振り回す(あぶ)ない娘でしかない。

「あちゃー、失敗した……」

 わずかな距離で馬車を下ろされたソーニャはぼやきつつ、ふたたびてくてくと街道(かいどう)を行く。

 田園(でんえん)の景色は途切(とぎ)れ、あたりは岩と低木の目立つ荒野(こうや)に変わっていた。
 辺境では知らぬ間に、魔族の領地(りょうち)や妖精の森に()()んでしまうこともある。
 怖い目に合う旅人の話は、幼いころ幾つも聞かされた覚えがある。

『橋や四辻(よつつじ)、妖精の輪なんかには気を付けろよ。人間とは違って、修道女(しゅうどうじょ)だからって見逃してはくれないからな』
修道女(しゅうどうじょ)じゃなくて聖女(せいじょ)だよう」
追放聖女(ついほうせいじょ)だろ』

 (さいわ)い日が完全に落ち切る前に、ソーニャは小さな村に辿(たど)()くことができた。

「宿がないねぇ」
『教会もな』

 村で一番大きな家に見当(けんとう)を付け(たず)ねると、村長は(こころよ)(むか)()れてくれた。
 これも修道服が効果を発揮(はっき)した形だ。
修道女(しゅうどうじょ)じゃなく追放された聖女(せいじょ)です」と言い張ろうとするのを、フテネルに止められたのは不本意だったが。

 質素(しっそ)だが量は充分(じゅうぶん)な、固いパンと豆のスープで食事を済ませ人心地付(ひとごこちつ)くと、ソーニャは部屋の中を見渡した。
 暖炉(だんろ)からは(まき)がはぜる心地良(ここちよ)い音が(ひび)き、室内を照らすのはろうそくではなくランプの明かり。
 初老の村長とその妻の身に付けている衣装は辺境に似合わぬ仕立ての良いもので、街の商人のように見える。

裕福(ゆうふく)な村なんですねぇ」

 歩いてきた荒地(こうや)の景色にそぐわない室内を見渡し、ソーニャが(つぶや)く。

「おかげさまで。女神さまの恩恵にあずかっております」
空々(そらぞら)しいな。そう思うなら教会建てろよ』
「なにか困りごとはありませんか?」

 フテネルの言葉を聞き流しながら、この村に新たに建てられる教会に(つと)めるなら司祭も文句はないかなと、ソーニャは頭の片隅(かたすみ)で考える。

「そう、困りごとといえば」

 村長はもったいぶるような間を取り、

「吸血鬼が出るのでございます」

 そう切り出した。

        §

 100年前に起きた聖魔大戦は、天界魔界、妖精界などの幽世(かくりよ)(あらそ)いの余波(よは)が、現世(うつしよ)である地上にもたらされた結果だ。
 魔族の住まう西果(にしは)ての地ルシフェニアを統治する魔王(まおう)ルキウスと、人類の旗頭(はたがしら)であった賢王(けんおう)アルナス、双方の死をもって戦は終わりを告げた。

 人間から血を――正確には、血液(けつえき)(ふく)まれるマナを(うば)い生きる吸血鬼は、聖魔大戦以前から地上に()みついていた。
 ()()墓所(ぼしょ)(ひそ)み、夜ごと人を襲う吸血鬼は、大戦の(おり)にそのほとんどが駆逐(くちく)されたが、城を(かま)え、年貢(ねんぐ)の一部として血を求める高位(こうい)の吸血鬼のなかには、(いま)だに戦前と変わらぬ暮らしを続けている者も存在する。

「いまさらなんで? 聖魔大戦時にも討伐(とうばつ)されず、いままで受け入れられる領主(りょうしゅ)だったんでしょ?」
「さて。マナの不足が原因か、あるいはフェルシア様の教団の伸展(しんてん)(そな)えてか」
『おぉん? 引っ掛かる言いかただな。イヤミか!?』

 大規模魔法(だいきぼまほう)()()う大戦の結果、地上のマナは枯渇(こかつ)した。
 妖精の寿命(じゅみょう)は縮まり、魔法を(あつか)えない魔族も増えているという。
 魔法を使える人間に(いた)っては、女神フェルシア教団聖女を含め、全て国に把握(はあく)され管理下(かんりか)に置かれている。

 マナの収穫(しゅうかく)が減れば取り立ては(きび)しくなる。100年も()てば状況は変わる。村長はそう語った。

「なるほど。それはなんとかしなきゃだよねぇ」
『城を(かま)える吸血鬼は簡単な相手じゃないぞ? 魔族を()る気満々の100年前の連中でさえ、(たたか)うのを()けたんだからな!』
「だからこそだよ。そのための聖女でしょ?」
『ああもうこの能天気娘(のうてんきむすめ)は!』

 (あき)れてみせるフテネルだったが、その表情は騒動(そうどう)への期待に満ちていた。

        §

 この村を含む領地(りょうち)(おさ)めるのは、エルンスト・アメルハウザー伯爵(はくしゃく)
 魔族としては極東(きょくとう)名家(めいか)で、聖魔大戦時には人間を含めた領民(りょうみん)領地(りょうち)(まも)ることを最優先し、早々(そうそう)賢王(けんおう)講和(こうわ)の呼び掛けに応じたという。

『墓ならどこでもいい食屍鬼(しょくしき)や、人や家系に()吸精種(きゅうせいしゅ)と違って、吸血鬼は土地に執着(しゅうちゃく)するからな。不死性(ふしせい)も土地に結びついてるからこそって奴も多いし』
「ふうん」

 アメルハウザーの居城は森を越えた峻険(しゅんけん)な岩山の上にあるのだという。
 とてもじゃないが夜更(よふ)けに向かえる場所ではない。

「わたし寝てていいの? 見回りしたほうが良くない?」

 ソーニャは使用人部屋の寝床(ねどこ)を借りるのを断り、家畜小屋(かちくごや)に積まれた(わら)をベッド代わりにしている。
 フテネルの指示だ。修道院(しゅうどういん)で初めてベッドを使ったソーニャとしては、特に不満はないのだが。

『これでいい。いや、これが良いんだよ』

 途中で荷馬車にも乗れたとはいえ、聖女認定式典(せいじょにんていしきてん)気疲(きづか)れや旅の(つか)れは()まっていたらしい。
 ソーニャは(なつ)かしい家畜と(わら)の匂いに包まれ、いつの間にか眠りに落ちた。

        §

『起きろ、馬鹿!』
「……馬鹿っていうな!」

 フテネルの罵声(ばせい)に寝ぼけながら言い返すソーニャの目の前には、(あか)い目が光っていた。
 蒼白(あおじろ)(はだ)でビスクドールのように美しい少女のものだ。
 (わら)の上にあお向けで眠っていたソーニャに、(はい)の髪が掛かるほど近く(おおい)(かぶ)さっている。

「ひッ」

 (あか)()(おび)えを浮かべ、少女は(あわ)てて身を(はな)そうとするが、ソーニャは反射的(はんしゃてき)に少女の細い手首を(つか)んでいた。

「痛い! はなして!」
「あ、ごめん」
『おい!?』

 か(ぼそ)い悲鳴に手を(はな)すと、少女はひと()びで壁際(かべぎわ)まで(はな)れ、(くら)がりに身を(ひそ)めた。

『素直に(はな)す馬鹿がいるか!』
「でも、なんか思ってたのとちがうし」

 (とお)(いく)つか出たくらいだろう。
 (おび)()った少女は壁に張り付き、闇の中ソーニャたちを(うかが)(あか)い目だけが光っている。

『思った通りだ。マナが欲しいならまずソーニャに()()せられるだろうからな』
「え、なに? わたし(えさ)だったの?」
『いや、(おとり)だ』
「どっちも変わんないよ! それならそうと言っておいてよ」
 
 相手がアメルハウザー伯爵(はくしゃく)ならどうなっていたか分からないが、この少女吸血鬼なら聖女(せいじょ)であるソーニャの敵ではない。
 フテネルに起こされなくとも、胸元に押し込んでいたロザリオの加護(かご)だけで、手出しすることも(かな)わなかっただろう。

「……うっ、うーっ」
「うん?」

 威嚇(いかく)(うな)り声かと思われたが、少女は涙目(なみだめ)で、必死に泣くのをこらえている様子。
 ソーニャが(やみ)になれた目でよく見ると、闇色(やみいろ)のドレスは(よご)れ、肩までで(そろ)えた灰の髪は乱れている。
 頭に結ばれた赤いリボンすら、力なくくたっとして見える。

「何もしない。なにもしないよ、ほら」
『ソーニャ!?』

 ソーニャは微笑(ほほえ)みながらロザリオを(はず)すと、両手を広げ敵意(てきい)のないことを(しめ)した。

『馬鹿、いくらなんでも油断(ゆだん)しすぎだぞって、あれ?』
「うっ……うわあ~ぁぁぁん!!」

 緊張の糸が切れたのか、少女はへたり()手放(てばな)しで泣き始めた。

         §

「わたしはアリーセ。アリーセ・アメルハウザー」

 泣きやむのを辛抱強(しんぼうづよ)く待ち話を聞くと、アリーセは聖魔大戦終結後、伯爵(はくしゃく)(めと)った村娘との間に()まれた一人娘(ひとりむすめ)だという。
 眷属(けんぞく)になることを望まなかった母は、アリーセを産み落とし(ほど)なく病死したのだと。

「あれ、じゃあわたしより歳上(としうえ)? 子供あつかいしていいの? なんかやりにくいな」
『そこはいいから』
伯爵(はくしゃく)は? お父さんはどうしたの?」
「お父さん……起きないの」
『ああ、あれか。マナ不足で』

 得心(とくしん)したフテネルの言葉でソーニャも理解した。
 人を(めと)り人との間に子をなしたアメルハウザー伯爵(はくしゃく)は、マナが枯渇(こかつ)しようと、領民(りょうみん)からより多くの血を(しぼ)()ることを良しとしなかったのだろう。

「アリーセはハーフだから、人間の食べ物でも大丈夫だった、そうなの?」
「うん……」

 (おおむ)ね事情を把握(はあく)したソーニャは、しばし考えるそぶりを見せると、

「よし、おいで!」
「キャ!?」

 大きく広げた手でアリーセを(つか)まえ()()せた。

『なんのつもりだ馬鹿ソーニャ、お前まさか』
「わたしはマナがあり余ってるからねぇ。こんな時のための聖女(せいじょ)でしょ?」

 ソーニャの胸に()もれたアリーセは、困惑(こんわく)した表情でふたりのやり取りを聞いている。

「血を吸われるだけで眷属(けんぞく)になるわけじゃあないんでしょ?」
『そりゃまあそうだけど……』

 吸血鬼が眷属(けんぞく)を作るには、吸血側の意志と吸血される側の同意が必要になる。
 ベースが恐怖であれ信頼であれ、(あるじ)生殺与奪(せいさつよだつ)(すべ)てをゆだねる意思がなければ、たとえ一滴残らず血を()(つく)されたとしても、眷属(けんぞく)にされることはない。

『あーもういいよ! 勝手にしろ!』

 やけくそ気味のフテネルの返事ににんまり笑みを返すと、ソーニャは胸元(むなもと)をはだけ、首筋(くびすじ)(さら)した。

「これでいい? おっぱいにする?」
『ソーニャ!!』

 突然のことに目を白黒させていたアリーセだったが、あらわになった白い肌から(ただよ)濃厚(のうこう)なマナの気配には(あらが)えず、ソーニャの首筋(くびすじ)に口づけた。

「傷、()けないから」

 血液からではなく、直接マナだけを()るつもりらしい。
 くすぐったさと共に、確かに命の(みなもと)が吸い出される感覚。
 (のど)()らし無心(むしん)にマナを吸うアリーセを見下ろしながら、ソーニャは胸に(あたた)かなものを感じていた。

「お母さんって、こんな感じなのかな?」
『知らん!』

 フテネルとしても、アリーセを(がい)する気持ちはこれっぽっちもなかった。
 けれど、どこか荘厳(そうごん)ささえ感じさせる二人の姿に、奇妙(きみょう)苛立(いらだ)ちを(いだ)いていた。

『ちぇッ、ソーニャのくせに!』

 いいかんじにマナが()かれたソーニャと、いいかんじにお(なか)がふくれたアリーセは、抱き合ったままうとうとしている。
 ひとりふて(くさ)れていたフテネルは、不意に嫌な推測(すいそく)に思い当たり大声を上げた。

「寝るなソーニャ! すぐに伯爵(はくしゃく)居城(きょじょう)に向かうぞ!」

         §

「うえぇぇ……夜に森を()くのは危ないって言ったの、フテネルじゃない」
『それは敵が伯爵(はくしゃく)だった場合の話だ!』

 おでこに張り付く蜘蛛(くも)の巣を払いつつ、ソーニャはぼやいた。夜目(よめ)()くアリーセの先導(せんどう)で、ソーニャたちは(やぶ)()ぎ夜の森を急いでいる。
 祝福(しゅくふく)で身体を強化できるとはいえ、ふわふわと()くフテネルや、(おのれ)領地(りょうち)で力を発揮(はっき)する吸血鬼ハーフのアリーセと比べると、どうしても自分ひとり無茶をさせられている気分になる。

「敵じゃなかったんなら、それでいいじゃん」
『村長は伯爵(はくしゃく)年貢(ねんぐ)(おさ)めることもせず、村に()りてくる吸血鬼が伯爵(はくしゃく)でないと知っていて、あたしらに(うそ)を教えたわけだよな?』
「うーん?」

 (にぶ)いソーニャにも、フテネルの言わんとすることがじわじわ理解できてきた。

「あそこ!」

 下弦(かげん)の月に照らされて、木立の奥にそびえる岩壁(がんぺき)が浮かび上がる。
 ソーニャには見えないが、アリーセの目にはその上に建つ古城(こじょう)まではっきりと(うつ)っているのだろう。

「フテネル、手伝(てつだ)って!」
『落ちんなよッ!』

 つづら()りの山道を登る時間が惜しい。
 背にコウモリの(つばさ)を生やしたアリーセに続き、ソーニャはフテネルの力を借り、カモシカのように垂直(すいちょく)岩壁(がんぺき)()けあがる。

         §

 辿(たど)()いた山城《やましろ》は()(ばし)()ろされ、正門は()(くだ)かれていた。

「お父さん!」

 ()()んだ城内のあちこちに荒らされた形跡(けいせき)がある。
 (こう)不幸(ふこう)か。
 焦燥(しょうそう)したアリーセの呼び掛けから()すに、()()まれたのはアリーセが城を出た直後のことらしい。

 ()()った(ぞく)は、城の大広間にたむろしていた。
 (かわ)(よろい)短弓(たんきゅう)短剣(たんけん)長剣(ちょうけん)(やり)戦棍(せんこん)
 それぞれ思い思いの装備(そうび)()(かた)め、皆一様(いちよう)下卑(げひ)た表情を浮かべている。

 100年前には誰もが(おのれ)の大切なもののため、武器を手に戦った。
 けれど、今ここにいる連中は、ただ()荒事(あらごと)を追い求めるだけの、()()傭兵(ようへい)()れの()てだ。

「なんだ? ()じりもんの娘が帰ったと思ったら、(あま)さん連れてきやがった」

 長剣(ちょうけん)(かつ)いだ男が頓狂(とんきょう)な声を上げた。
 男の前には風呂敷(ふろしき)代わりの敷物(しきもの)の上に、城中(しろじゅう)から()(あつ)めた金製品(きんせいひん)装飾品(そうしょくひん)が山と積まれている。

「お母さん!」

 (ぞく)にとっては価値がなかったのだろう。
 (がく)(こわ)され、無残(むざん)()()かれた(やさ)しげな婦人(ふじん)肖像画(しょうぞうが)
 悲痛(ひつう)な声を()らすアリーセを、槍使(やりつか)いが(つか)まえ(うし)()(ひね)()げた。

「探す手間が(はぶ)けたな。これで依頼(いらい)完了(かんりょう)だ」
()()いがないとぼやいてたところに、ちょうど良い余興(よきょう)じゃねえか。ここで()ませて一緒(いっしょ)始末(しまつ)すりゃバレやしねぇ。(あま)さんにも遊んでもらうか」

 長剣(ちょうけん)の男がにやけ顔で歩み寄り、ソーニャの肩に手を伸ばす。

伯爵(はくしゃく)は……アメルハウザー伯爵(はくしゃく)はどうされたんですか?」
「地下の寝所(しんじょ)で眠ってるぜ。(ひつぎ)辿(たど)()くまでは(わな)に多少手こずらされたが、木の(くい)一本で簡単に――」
『おい、やめろ!』

 フテネルの制止(せいし)一顧(いっこ)だにされず。
 ソーニャに(あご)()()かれた男は、人形喜劇(にんぎょうきげき)操り人形(マリオネット)さながら回転しながら(ちゅう)()い、岩壁(いわかべ)にぶつかり血の(はな)を咲かせた。

 (ぞく)たちは何が起こったのかも理解できず、ぽかんとした表情を(さら)した。

「なん……だ?」

 岩壁(いわかべ)()()けられ頭を(くだ)かれた長剣(ちょうけん)の男は、次の瞬間復元(ふくげん)した脳で状況把握(じょうきょうはあき)する間もなく、目の前に歩み寄るソーニャの氷のような(あお)()見据(みす)えられていた。
 理解が追い付くにつれじわじわと疑問が恐怖に()()わり、手にした長剣(ちょうけん)を動かすこともできない。

「ごめんなさいは?」
「な……何?」

 左側からの衝撃に首が180()回転し、自らの頸椎(くびのほね)が折れる音を聞いた直後、即座に(いや)され正面からソーニャに(のぞ)()まれる。

「ごめんなさいは?」
「……なんだ、こいt――」

 下からの衝撃(しょうげき)(あご)(くだ)け、岩壁(いわかべ)にぶつけた頭蓋(ずがい)(くだ)脳髄(のうずい)(こぼ)れる感覚を味わい、即座に(なお)され()れる意識で修道女(しゅうどうじょ)の姿を認識(にんしき)させられる。

「ねえ、ごめんなさいは?」
「ヒッ……やめ――」

 (ぞく)の仲間がようやく動き出したのは、長剣(ちょうけん)の男が4度(こわ)され修復(しゅうふく)されたあとだった。
 傷一つなく壁際(かべぎわ)(すわ)()長剣(ちょうけん)の男はもう、頭を(かか)え動こうとしない。

 短剣使(たんけんつか)いはいともたやすく(うば)われた自らの短剣で、手指(てゆび)を落とされる感覚を味わい(いや)された。
 槍使(やりつか)いはソーニャを近づけぬよう遠い間合(まあ)いで(やり)()るったが、もぎ取られた穂先(ほさき)が腹から背を(つらぬ)激痛(げきつう)に苦しんだ後、(いや)された。
 短弓使(たんきゅうつか)いは(はな)った矢の全てを(かがみ)のように(ねら)った箇所(かしょ)()(かえ)され、床に倒れ込みもがき苦しんだ。

「すぐには死なないから、だいじょうぶだよね?」

 即死(そくし)に近い傷を負えば即座(そくざ)(いや)され、致命傷(ちめいしょう)でなければ放置(ほうち)される。
 (おのれ)を待つ()()(さと)った戦棍(せんこん)の男は、武器を手放し(すく)われる唯一(ゆいいつ)可能性(かのうせい)()けようとした。

「ご――」

 戦棍(せんこん)の男が謝罪(しゃざい)の言葉を口にする前に、ソーニャの繊手(せんしゅ)(あご)()れ骨を(はず)す。

(せい)なるかな。慈愛(じあい)の神は()(あらた)めるものには寛大(かんだい)です。()(あらた)めるものにはね?」

 戦棍(せんこん)で男の手足を一本づつ丁寧(ていねい)()(くだ)いていたソーニャは、不意(ふい)に腰に軽い衝撃(しょうげき)()け、視線(しせん)(おと)とした。
 (はい)(かみ)(あか)(ひとみ)を持つ少女が、大粒(おおつぶ)の涙を浮かべ首を振っている。

「もういい……もうやめて……」

(なんだっけ?――――――――だれだっけ?)

 思い出せないのは些細(ささい)なこと。再び作業(さぎょう)を開始しかけたソーニャの頭を、フテネルが全力ではたいた。

『あほう! やめろって言ってるだろ! ちゃんと確認(かくにん)してきた、死んでない。伯爵(はくしゃく)はまだ(ほろ)んでない!』
「……死? ああ、(ころ)すのは良くないよねぇ……」

 ふわりと(やわ)らかい()みを浮かべると、ソーニャはねじが切れた玩具(おもちゃ)のように(たお)れ動かなくなった。

          §

 倒されたのが自らの寝所(しんじょ)であったことが(さいわい)いしたらしい。
 年経(としへ)た吸血鬼だけあって、アメルハウザー伯爵(はくしゃく)灰化(はいか)したものの、マナの供給(きょうきゅう)さえあれば、時間は掛かるが(よみがえ)るはずだとフテネルは言う。

「いくらわたしがマナを集めやすい身体(からだ)だっても、吸血鬼一体復活(ふっかつ)させるだけ集めるのは大変だよねぇ」
「ママ……」
「ママじゃないけど」

 (まゆ)をひそめた(こま)(がお)()かべたソーニャだったが、(ひとみ)(うる)ませたアリーセに見つめられると、そう無下(むげ)にも(ことわ)れない。

伯爵(はくしゃく)不在のままアリーセをほうってもいけないしね。どうせ追放(ついほう)された身だし、いろいろ落ち着くまでつきあうよ」
「ママ!」
「ママじゃないけどね?」

『さーて。伯爵(はくしゃく)は人間と講和(こうわ)(むす)んだ正式な領主(りょうしゅ)。村長にどんな話を()()まれたのかは知らないけど、アスタリアの(ほう)ではこいつらのやったことはただの()()強盗(ごうとう)怪物退治(かいぶつたいじ)じゃないからな?』

 きれいに片付けられた大広間の壁沿(かべぞい)いに一列に並び、傭兵崩(ようへいくず)れたちは聖歌隊(せいかたい)の少年のようにおとなしくしている。
 アリーセの()れてくれたお茶を飲みながら、ソーニャはにこやかに(たず)ねた。

「どんな話を聞かされたのかな?」

「村を襲う吸血鬼を退治(たいじ)すれば褒美(ほうび)が出るって!」
「弱ってるから簡単な仕事だって話でした!」
「城にあるものは6:4でって話でしたが、7:3って吹っかけました!」
「馬鹿いらんこと言うな(だま)ってろ!」

 やはり村長が弱った伯爵(はくしゃく)()()む形で仕掛(しかけ)けたものらしい。
 辺境(へんきょう)で困る人たちを救って回れればと考えていたソーニャだったが、(はか)らずも最初の人助けがハーフの吸血鬼であるアリーセになってしまった。

伯爵(はくしゃく)は約束守って領地(りょうち)(まも)ってただけなんだから、悪いのは村長のほうだね。しかたないな。村長にもちゃんと言って聞かせないと」

 ふわりとほほ笑むソーニャの「言って聞かせる」を身をもって味わった男たちは、青ざめ冷や汗を浮かべた後、()()いた愛想笑(あいそわら)いで玩具(おもちゃ)のように(うなづ)(つづ)けた。

          §

 数か月後、王都大聖堂(おうとだいせいどう)
 早刷(はやず)りの瓦版(かわらばん)を見ていたシリルは、良き好敵手(ライバル)にしてずっと心の(やわ)らかい部分に居座(いすわ)る人物の記事(きじ)を目にし、口にした紅茶を()()した。

「『追放(ついほう)された第666代聖女、辺境(へんきょう)にて城を手に入れ魔王(まおう)と化す』ですって? ソーニャ、貴女いった何をやらかしてますの!?」

 ソーニャとしては筋を通して問題を解決しただけのつもりだったが、傭兵崩(ようへいくず)れたちが(かた)った「言い聞かせ」の(おそ)ろしさは()ひれが付き、魔族を(まも)り人を(おびやか)かす魔王の再来(さいらい)とまで(うわさ)されていた。
 女神フェルシア教団の異端審問官(いたんしんもんかん)、聖女らによる討伐隊(とうばつたい)が送り込まれるのは、もう少しだけ先の話である。

                                   おわり?