行こう、と手を引かれるまま、病棟を抜け出し建物の外へ。看護師も医者も、壁にへばりついて見ぬふり聞かぬフリでもしてくれているのかと疑うほど、誰にも出会わなかった。ロビーや受け付け付近を通るときだけは人の目から逃れられなかったけれど、天峰が用意していた着替えのおかげで誰にも止められることなく外に出られた。
こんなにも容易く、外の世界に出られるものなのかと、小さな感動に大袈裟に泣きそうになった。誰かの見送りや出迎えなく、外に出られたことは一度もなかったから。自由を手に入れたような心地。
天峰は迷いのない足取りで駐車場へ向かった。擦れや傷の目立つ白の軽自動車を見つけると、運転席の窓をコンコンと叩き、後部座席のドアを開けた。えっと声を上げる間もなく、車内に押し込まれる。
眠っていたらしい運転席の男の人とバックミラー越しに目が合う。驚きを見せたのは一瞬で、すぐに逸らされた。わたしのあとに乗り込んだ天峰はちゃちゃっとシートベルトを装着。慣れた様子で男の人に話しかける。
「とりあえず、出して。適当に」
「おまえ、一人じゃないかもって言ってたけど本当に連れてくるなんてな」
「最後の会話が寝言は寝て言え阿呆になるところだったから」
ブオオンと派手な音を鳴らして車が四角い白線を飛び出す。エンジン音なのか、ガタが来ている音なのか判断できなかった。車に乗ることすら、数えるほどしかなかったから。
病院が遠ざかる。車はどこをめざしているのかわからない。不安よりも、高揚が胸を占めていた。ドキドキする、ワクワクする。大事になるかもしれない、今ならまだ引き返せると冷静な頭も残っていたけれど、病室のベッドにいるときよりもずっと気分がいい。
「マコトさん。知り合いの兄貴で、全然怖くないから。見た目以外」
「おい、聞こえてんぞ」
「やべ、かっこいい、いかしてる!」
「イカしてるなんか言わねえだろ」
くはっと声を上げて笑うマコトさんと、赤信号で停車中にもう一度目が合う。今度は逸らされなかった。ミラー越しに見つめ合って、ちらっと頭だけを振り向くと、良かったのか? と尋ねられる。
「きみも入院してる子でしょう。体調とか、悪くなったらすぐに言って」
「ぶふ、っ、ふ、ははっ……きみって! 口調も全然ちがっ、あはは!」
「おまえに言ってねえよ、振り落とすぞ」
余程気心の知れた仲なのか、凄まれても天峰は怯まないし、マコトさんも本気で怒っている様子ではない。どういう関係なんだろうかと不思議に思いながら、車窓の外を眺める。切り取られた四角い世界が、こうも簡単に流れていく。
「で、遥はどこに行きたいって?」
「にし」
「なんて?」
「……なんでもない」
東から昇って西に沈むことしか知らないから。安直な回答が恥ずかしくて、もう一度口にする勇気はなかった。口を噤むわたしに、不満そうな天峰が窓ガラスに反射して見えた。
「言えよ」
「言わない。外に出られただけで、じゅうぶん」
「だって、俺たち死ぬじゃん」
車内にBGMはない。走行音がやたらと耳につく。その音すら割いて、天峰の声はずくりと胸を刺す。図星だから、事実だから、より重く聞こえるのだろうか。窓ガラスを通して天峰を見ようとしたけれど、恐る恐る天峰本人に顔を向けた。
至極真面目な顔付きで、自分の言葉の重みをしかと理解していると訴えるような瞳だった。軽々しくない、軽くなんて、ない。
重く、正しく。わたしたちは、もう間もなく、死んでしまう。