学園祭当日。雨宮はいつまでたっても学校に姿を現さなかった。
 担任から怪我で緊急入院したのだと知らされたあたしは、取るものも取り合えず学校を飛び出し、引き返して病院と病室を聞き出し、誰のものとも分からぬ自転車を拝借して走り出した。

 吹っ切れたような顔してたけど、ひょっとして、バレエを続けられないのを悲観して――
 生真面目な雨宮のことだ。悪い方にばかり想像が広がる。

 街中を全力で駆け抜け、病院の受付カウンターでひと悶着起こし、ようやく聞き出した病室に辿り着く。

「あら? 百地さん……何その格好、まさか学校からここまでその姿で来たの?」

 ベッドの上で雨宮が素っ頓狂な声を上げた。

 なんだこいつ、ピンピンしてるじゃないの?
 最後の衣装直しのドレス姿のまま息を切らすあたしを見るや、雨宮は呆れたような顔を見せやがった。

「う、うるさいな! 下々のものが王族の衣装に、いちいちケチ付けるんじゃあねーよ!」
「大丈夫? 顔真っ赤よ?」

 息を荒げながらも、あたしは役割らしいセリフで返す。
 鏡があれば、耳や首元まで真っ赤になってしまっているのが確認できただろう。
 自転車を全力で漕いできたせいばかりではない。いまさらながらに、身悶えするほど恥ずかしくなってきた。

 幸い、薬を呷ったり手首を切ったりではなかったようだ。
 勝手に悪い方向に妄想をふくらませ、担任や受付に何も聞かなかったあたしも悪いんだろうけど。

 雨宮は寝間着姿で、左足はギプスで固められ吊られている。
 昨晩、不意の目まいに襲われ、アパートの階段を踏み外し転げ落ちたのだという。

 よっぽど疲れが溜まっていたのか。診断を受け骨折の処置を施されたあと今までぐっすり眠れ、むしろ体調はいいのだとか。

「お見舞いに来てくれたのはうれしいけど、劇のほうはどうするの、すっぽかすつもり?」
「お前がいうなよ! でも、ほんとによかった~」

 へなへなと床に座り込んだあたしを前に、雨宮は窓の外を眺め、どこか不自然なよそよそしい態度を見せる。もじもじと体を動かす姿から、毛布をずらし、右足のつま先を隠そうとしているのだと気付いた。

 バレエの練習によるものだろう。毛布からのぞく雨宮の足の指はタコやまめだらけで、親指と人差し指の爪は割れていた。

「あの、あのね。バレエ教室の件は本当にもういいのよ。新体操部でも充分練習できるし、なんだったら本格的に新体操の方に切り替えても――」

 あたしにつま先を見られたと悟った雨宮は、慌てて言い訳がましい言葉を並べる。
 なんだ。おまえだって顔真っ赤じゃねーか。

「雨宮の練習のたまものだろ? 恥じることないじゃん」

 いつだかあたしに言ってくれた台詞のお返しだ。
 照れ隠しなのか、なおもごにょごにょと口の中でごたくを並べる雨宮の足を手に取り、あたしはそっとつま先に口づけた。

「――ッ!! 汚いから! やめなさい!!」

 声にならない悲鳴を上げるや、雨宮はあたしの顔を蹴りつけやがった。
 枕もとの目覚まし時計やリモコン、お見舞いの果物が、手当たりあたり次第に飛んでくる。

 ひどい。
 目覚まし時計の角が直撃したせいで、鼻の奥がツンとする。

「おま……おまえなぁ――」
「でも……ありがとう、直」

 ふいに下の名前で呼ばれ、思わず赤面。


「――“すなお”って名前、男みたいでイヤなんだ。どうせならナオって呼んでほしい」
「あら。お姫様役は嫌じゃなかったの? 素直じゃないのね、ナオは」

 手近に落ちていたティッシュで鼻血を拭うあたしを前に、くすくすと楽しそうに笑う雨宮――いや、雨宮じゃおかしいか。

「前から思ってたんだけど、“あまみやみお”って語呂が悪いな。“みゃも”って呼んでいいか?」
「その呼び方はダメ。許さない」
「……わかった。みお」

 調子に乗って、なにか地雷を踏んでしまったのか。
 真顔に戻り、平板な声で呟くみおに気圧され、あたしはあだな呼びを一時断念する。
 焦る必要はない。まだ名前呼びの仲になったばかりだ。
 その代わり今度来るときは、爪を整えじっくりペディキュアを塗ってやろう。

 いつものすまし顔を作り切れず、嬉しさの滲むにやけ顔を見せるみおの隣で、あたしは明日のお見舞いの計画を立て始めた。


                              END