今でも何が切っ掛けだったのかは思い出せない。
けれど、先に手を出したのは間違いなくあいつのほうだった。
雨宮澪。
このあたし、百地直の宿敵だ。
その日は朝からオヤジにお小言を喰らったり、湿気で髪がまとまらなかったり、車に盛大に水を引っ掛けられたり、コンタクトを無くしてダサいメガネを掛けてくるハメになったりで、あたしも少々気が立っていた。
「でも、ダメだよナオちん。花の女子高生が殴り合いしちゃあ」
「殴り合いって、グーじゃなかったろ? それにあいつ、あたしのことクソヤンキー呼ばわりしやがったんだぜ?」
「ナオちんだって雨宮のことクソメガネって言ってたよね? 自分もメガネかけてんのに?」
ハイハイと、ため息まじりでいなしながらも、コトコが頬に絆創膏を貼ってくれる。
派手にやられたワケじゃない。避けそこなって、爪で引っ掻かれる形になっただけだ。
あたしのビンタの方がきれいに決まった。
そろって保健室に行くのではではまた揉めるかもしれないと、連れてこられた軽音部の部室。
備え付けの救急箱に絆創膏も入ってるのに、コトコは自前のキティちゃんのを使いやがった。
「なんでこう仲わるいかな?」
「あたしに聞くなよ!」
うちはわりといいとこの坊ちゃん嬢ちゃんが通う学校だが、風紀がゆるい。
なので、あたしやコトコのような生徒も割合として少なくはない。
クラス委員で真面目っ子の雨宮は、そういう所が気に障るんだろう。
以前から目が合うと、眉を上げて珍獣でも見るような顔をしていやがったものだ。
「ナオちん教室でうるさいからよけいに目立つんだよ。パツキンだし」
「金じゃねーし? ミルクティーだし!?」
そう見えるように、丹念に作り上げたキャラだ。
多少のいざこざで、いまさら辞められるわけがない。
昼休みをそのまま部室で過ごし、午後の眠い授業をあくびを噛み殺しながらやり過ごしたが、学園祭の出し物を決めるホームルームが残っている。
保護者向けの意味もあって、クラスでは舞台を使う演劇か合唱、どちらかを必ず選ばなければならない。
軽音部は部員が少ないから、出し物は舞台でのコンサートのみと決まっている。
選曲も済ませてあとは練習するだけだから、退屈なクラス会議は手早く済ませてもらいたいものだ。
うわの空で聞き流していると、いつの間にか決まっていた出し物の演劇で、いつの間にかお姫様役に推されているのに気が付いた。
脇役じゃなく、がっつりセリフと絡みのある主要キャストだ。
進んで目立つなりをしているんだから、当然警戒しておくべきだった。
「おいおい待ってよ。あたしは姫様って柄じゃねーし? もっとらしい子選びなよ?」
「劇なんだから、素のキャラ通りじゃつまんないだろ。姫様、私と一曲踊って頂けますか?」
お調子者男子の須藤が、ダンスに誘う王子様よろしくあたしの手を取る。
「って百地、おまえ指カチカチなのな。役得なら立候補してーけど、せっかくなら白魚のような指ってやつのほうが嬉しいよな」
教室に湧き上がる笑いに「須藤サイテー」「セクハラ!」の声が混じる。
あ……ヤバい。
「あ……ハハ……」
へらへらと笑顔を取り繕うけど、じんわり涙が浮かんでくる。
高校デビューで作った付け焼刃の陽キャに、重ねてお姫様なんか演じられるはずがない。
心配顔を浮かべるコトコに、思わず救いを求める視線を向ける。
「ちょっと、やめなよ! ナオはバンドの方でも歌詞覚えなきゃだから――」
コトコの擁護の言葉は、騒ぎに紛れ宙に浮く。
ばん! と、激しく教卓を叩く音。
びっくりして顔を向けると、怒ったような顔の雨宮と目が合った。
ダメだ。いま雨宮になんか言われたら、絶対に泣き出してしまう。
あたしが引っ叩いた雨宮の左頬には、まだかすかに腫れが残っている。
「な……何だよ?」
たじろぐ須藤を視線だけで下がらせた雨宮は、身をすくめるあたしの左手を取った。
「百地さんの指はギターの練習で固くなったんでしょ? 賞賛に値するわ。貴方なんかが戯れに触れて良いものじゃない!」
須藤はバツの悪そうな顔でごにょごにょと、言い訳とも反発とも付かない呟きを漏らす。
雨宮の細くて柔らかい女の子らしい指が、荒れて固くなったあたしの指を優しく撫でた。
「う……ぁ……うわああああああああん!!」
「な、なんで泣くのよ??」
そんなのあたしにも分からないよ!
ぐしゃぐしゃになった感情のまま、泣き出してしまったあたしに、雨宮は困惑の表情を浮かべる。
騒ぎが収まった10分後には、あたしのお姫様役だけでなく、雨宮の王子様役までもが確定していた。
けれど、先に手を出したのは間違いなくあいつのほうだった。
雨宮澪。
このあたし、百地直の宿敵だ。
その日は朝からオヤジにお小言を喰らったり、湿気で髪がまとまらなかったり、車に盛大に水を引っ掛けられたり、コンタクトを無くしてダサいメガネを掛けてくるハメになったりで、あたしも少々気が立っていた。
「でも、ダメだよナオちん。花の女子高生が殴り合いしちゃあ」
「殴り合いって、グーじゃなかったろ? それにあいつ、あたしのことクソヤンキー呼ばわりしやがったんだぜ?」
「ナオちんだって雨宮のことクソメガネって言ってたよね? 自分もメガネかけてんのに?」
ハイハイと、ため息まじりでいなしながらも、コトコが頬に絆創膏を貼ってくれる。
派手にやられたワケじゃない。避けそこなって、爪で引っ掻かれる形になっただけだ。
あたしのビンタの方がきれいに決まった。
そろって保健室に行くのではではまた揉めるかもしれないと、連れてこられた軽音部の部室。
備え付けの救急箱に絆創膏も入ってるのに、コトコは自前のキティちゃんのを使いやがった。
「なんでこう仲わるいかな?」
「あたしに聞くなよ!」
うちはわりといいとこの坊ちゃん嬢ちゃんが通う学校だが、風紀がゆるい。
なので、あたしやコトコのような生徒も割合として少なくはない。
クラス委員で真面目っ子の雨宮は、そういう所が気に障るんだろう。
以前から目が合うと、眉を上げて珍獣でも見るような顔をしていやがったものだ。
「ナオちん教室でうるさいからよけいに目立つんだよ。パツキンだし」
「金じゃねーし? ミルクティーだし!?」
そう見えるように、丹念に作り上げたキャラだ。
多少のいざこざで、いまさら辞められるわけがない。
昼休みをそのまま部室で過ごし、午後の眠い授業をあくびを噛み殺しながらやり過ごしたが、学園祭の出し物を決めるホームルームが残っている。
保護者向けの意味もあって、クラスでは舞台を使う演劇か合唱、どちらかを必ず選ばなければならない。
軽音部は部員が少ないから、出し物は舞台でのコンサートのみと決まっている。
選曲も済ませてあとは練習するだけだから、退屈なクラス会議は手早く済ませてもらいたいものだ。
うわの空で聞き流していると、いつの間にか決まっていた出し物の演劇で、いつの間にかお姫様役に推されているのに気が付いた。
脇役じゃなく、がっつりセリフと絡みのある主要キャストだ。
進んで目立つなりをしているんだから、当然警戒しておくべきだった。
「おいおい待ってよ。あたしは姫様って柄じゃねーし? もっとらしい子選びなよ?」
「劇なんだから、素のキャラ通りじゃつまんないだろ。姫様、私と一曲踊って頂けますか?」
お調子者男子の須藤が、ダンスに誘う王子様よろしくあたしの手を取る。
「って百地、おまえ指カチカチなのな。役得なら立候補してーけど、せっかくなら白魚のような指ってやつのほうが嬉しいよな」
教室に湧き上がる笑いに「須藤サイテー」「セクハラ!」の声が混じる。
あ……ヤバい。
「あ……ハハ……」
へらへらと笑顔を取り繕うけど、じんわり涙が浮かんでくる。
高校デビューで作った付け焼刃の陽キャに、重ねてお姫様なんか演じられるはずがない。
心配顔を浮かべるコトコに、思わず救いを求める視線を向ける。
「ちょっと、やめなよ! ナオはバンドの方でも歌詞覚えなきゃだから――」
コトコの擁護の言葉は、騒ぎに紛れ宙に浮く。
ばん! と、激しく教卓を叩く音。
びっくりして顔を向けると、怒ったような顔の雨宮と目が合った。
ダメだ。いま雨宮になんか言われたら、絶対に泣き出してしまう。
あたしが引っ叩いた雨宮の左頬には、まだかすかに腫れが残っている。
「な……何だよ?」
たじろぐ須藤を視線だけで下がらせた雨宮は、身をすくめるあたしの左手を取った。
「百地さんの指はギターの練習で固くなったんでしょ? 賞賛に値するわ。貴方なんかが戯れに触れて良いものじゃない!」
須藤はバツの悪そうな顔でごにょごにょと、言い訳とも反発とも付かない呟きを漏らす。
雨宮の細くて柔らかい女の子らしい指が、荒れて固くなったあたしの指を優しく撫でた。
「う……ぁ……うわああああああああん!!」
「な、なんで泣くのよ??」
そんなのあたしにも分からないよ!
ぐしゃぐしゃになった感情のまま、泣き出してしまったあたしに、雨宮は困惑の表情を浮かべる。
騒ぎが収まった10分後には、あたしのお姫様役だけでなく、雨宮の王子様役までもが確定していた。