使い古された竹ぼうきで昇降口を掃いていると帰り支度を済ませた遼平がやってきた。

「おう、お掃除ご苦労。反省文カンニングくん」
「うるせえな」

 ぶっきらぼうに返すと、遼平はケラケラと笑った。
 頭髪検査に引っかかり、放課後に居残りをさせられた次の日。
 俺は髪を切り、それなりにしおらしい態度で反省文を提出したのだが、カンニングがばれてしまい、さらに一週間の奉仕活動が言い渡された。
 
「そういえばさ」

 遼平は顔を近づけ、静かに指をさす。

「あの、一緒に掃除してる女子ってさ、どこのお国の方?」
「あー、立花は……」

 すると、立花は俺の言葉を遮るように持っていたほうきを地面にたたきつけ、俺たちをぎろりとにらむ。

「日本生まれ日本育ちで国籍日本の立花美鈴ですけどなにか?」
「いえ……、大変すばらしいと思います」

 そういうと遼平は逃げるように帰っていった。

「バイト前に疲れたくないのに。最悪」

 立花はすでに掃除に飽きた様子で、ほうきに体重をあずけため息をつく。

「横村くんが掃除してるのって反省文カンニングしたのが理由?」

 聞こえてたのかよ。
 遼平のやつ、余計なこと言いやがって。

「……さぁね」
「髪切ってこなかったからだと思ってた」
「いや、切ったんですけど。前髪」

 俺は前髪を指で押さえて見せる。
 以前は普通の状態で前髪の毛先が眉毛にかからないように切ったが、今回は指で前髪を押さえても、眉毛にかからないように切った。これならたとえ登校中にゲリラ豪雨にあい、水分で髪の毛が伸びても規定違反にならない。
 我ながらナイスな微調整だと思っていたのに、まさか反省文でアウトになるとは。
 身体中の空気が抜けるほど大きなため息をつき、顔を上げると目の前に立花の顔があった。

「……なに?」
「ほんとに切った?」
「切ったって」
「わかんないよ。もっとバッサリいけばいいのに」

 簡単に言いやがって。髪をきれいに保ちつつ、伸ばすのがどれだけ大変か知らないくせに。

「そっちだって地毛証明書だせばいいのに」

 立花は俺と同じく頭髪検査に引っかかったが、反省文は免除され、その代わりに地毛証明書の提出を課せられた。
 しかし、立花はその応急を拒否し続け、俺と同じく一週間の奉仕活動が言い渡された。

「意味わかんないでしょ。なんで自分からわざわざ天パですって証明しなきゃいけないわけ?」
「天パいやなの?」
「いや。私はサラサラのストレートヘアーになりたいの」

 サラサラのストレートヘアー。
 俺はその言葉を聞いて、名前も知らない、憧れの俳優を思い出す。

「長さは?」
「うーん、肩から腰のあたりまで」
「わか……」

 俺は慌てて口を閉じる。

「ん?」
「いや、別に」

 危なかった。思わず憧れを口に出してしまうところだった。
 憧れを口に出したって、傷つくだけなのに。

「はーあ」

 立花はいじけたようすで自身の髪の毛をつまみ、つーっと伸ばし指をはなす。
 すると髪の毛はしゅるしゅると巻かれ、元の形へともどっていく。
 その癖の強さはおそらく立花に流れる海外の遺伝子が由来であることは想像に難くない。
 だから、俺の目からすれば立花の髪の毛は、海外の顔だちである立花の顔に合っていると思う。
 だがそれは、あくまで他人である俺の意見だし、大切なのは似合うかよりも、本人がなりたいかどうかだ。

「縮毛矯正すればいいじゃん」
「簡単に言うなよ。高いんだから」
「でも、バイトしてるんでしょ?」
「……それだけに使ってらんないでしょ。ていうか縮毛矯正自体、校則で禁止だし」
「校則とか気にしないだろ」
「……」

 立花はなに言わず、掃除ロッカーへと向かった。地面にたまったごみを集めるちりとりを取りに行ったのだろう。
 俺には分からなかった。
 やりたいことがあって、やりたいことをやるお金もあるのに、やらない理由が。
 だからとっさに、言葉がこぼれた。

「やればいいのに」

 その瞬間、掃除ロッカーの扉が勢いよく閉められた。
 激しい金属音にあたりがしん……、と静まり返る。だから余計に立花の消え入るようなかすかな声がよく聞こえた。

「うぜぇ~……」
「……え?」
「そういう人の悩みを軽んじる態度、どうかと思うよ」

 立花はずかずかと歩み寄り、ちりとりを俺の胸に押し当てる。

「あとよろしく」

 そういうと立花は近くに置いてあった自身のカバンを拾い、あっという間に帰ってしまった。