あれはたしか、テレビドラマの1シーンだった。
 ドラマの名前も、どんな内容だったのかも思い出せない。
 だが、夕日に向かって歩く俳優の後ろ姿だけが今も目に焼き付いている。
 その俳優の名前もわからない。男だったのか、女だったのかも定かじゃない。
 なにもかもおぼろげな記憶の中で、肩のあたりまで伸びた、黒くてさらりとした髪の毛だけが鮮明だった。

 *   *   *

「はい、アウト。次」

 俺を見るなり、初老の教師はそういい捨てた。
 新入生が詰め込まれた騒がしい体育館。
 各クラス、男女ごとに分けられた列は入学して初めての「頭髪検査」を受けるために並んだものだ。
 教師は目を細め、クラス名簿の中から俺の名前である横村たつきを見つけ、すぐ横にバツ印をつける。

「いや、ひっかかてないでしょ」

 頭髪検査の基準は大きく三つ。
 前髪が目にかからないこと。耳に髪がかからないこと。そして、高校生らしい髪形であること。
 俺は入学前にその三つに反しないように髪を切った。(高校生らしい髪形はよくわからないけど、とりあえずモヒカンとかスキンヘッドとか、奇抜じゃなければいいと思ってる。)
 その基準で考えても、俺の髪形のどこにアウトの要素があるのかわからない。
 すると、初老の教師は当たり前のことを聞くなよ、といった調子で手に持ったペンで俺の頭を指す。

「男なんだから、もっとさっぱり切れ」
「え、でも、基準では……」
「はい口答えしたから反省文」
「え、ちょ……」
「次」

 まだまだ言いたいことはあったが、教師はもう話を聞いてくれなそうだし、背後から「早くしろ」という視線も感じたので、俺はベルトコンベアに乗せられた荷物のように教師を通り過ぎた。
 頭髪検査が終わると、そのまま体育館を出て各自の教室へ戻る。
 体育館を出ると、同じ中学の同級生である矢野遼平が俺を見るなりケラケラと笑った。

「馬鹿だなぁ、だからもっと短くした方がいいって言ったのに。しかも反省文って最悪じゃん」
「これでも基準は満たしてる。なんだよ、男なんだからさっぱりしろって。意味わかんねえ」
「そういえばたつきって昔から髪長いよな。なんで?」
「なんでって」

 ふと、脳内にテレビのワンシーンが流れる。
 俺が髪を長くしたい理由。それは……。
 俺が言い淀んでいると、遼平は閃いたように手を叩いた。

「あ、もしかして今流行りの多様性ですか? 大丈夫。俺そういうの理解あるぜ」
「ちげえよ」

 遼平はまたケラケラと笑う。
 俺は胸の奥にかすかに、それでいて確かに感じる違和感を無視して、一緒になって笑った。