「四組の高橋くん、かっこいいと思うんだよね」
友達だったあの子が頬を染めながらそう言った日、あたしの中学生活は終わった。
移動教室の途中だった。彼女が赤い顔で指さしていたのは、数メートル先の廊下を歩いていたひとりの男子生徒で。
「いっかい話してみたいんだ」
「じゃあ話しかけにいったら?」
はにかみながら彼女が続けたので、あたしは言った。当たり前のように。意中の彼はちょうどひとりだし、いくなら今がチャンスだと思ったから。
だけど当の彼女はうつむいて、「いやー、でも……」だとかもごもご呟くばかりで動かない。そうこうしているうちに彼が四組の教室に入っていきそうになったので、
「あたしが呼んできてあげる」
返事も待たず、あたしは彼女の代わりに彼のもとへ駆け寄った。
今思えば、少しずれていたのかもしれない。だけどそのときは、それが彼女のための最良だと疑わなかった。
声をかけ、驚いたように振り向いた彼に、短く事情を説明する。そうして彼を連れて彼女のもとへ戻ると、彼女は目を丸くして、そんなあたしたちのことを見つめていた。
呆然と立ちつくす彼女に彼を渡し、あたしはさっさとひとりで教室に戻る。もちろん、ふたりきりで話ができるように。気を利かせたつもりだった。だからそのときはただ、恋のアシストができたことに満足していた。ほくほくした気分で席に座り、今か今かと戻ってくる彼女を待った。
それから三分ほど遅れて、彼女は教室に入ってきた。あれ、意外と早かったな、と思いながらあたしは彼女に駆け寄り、「どうだった?」と弾む声で問いかけた。そのときだった。
突然、彼女が泣き出した。肩を震わせ、ぼろぼろと涙をこぼしながら。彼女は、あたしへの恨み言を並べた。
――急にあんな状況作られても困る。ぜんぜんうまく話せなかった。変な空気になった。きっと変なやつだと思われた。嫌われた。あんたがよけいなことをしたせいで。あんたのせいで。
まくし立てる彼女の悲痛な声は、いつの間にかしんとなっていた教室に、ぞっとするほどよく響いた。
それ以降、彼女はあたしと話してくれなくなった。あからさまに避けられ、ときどきすれ違うときに睨まれたり、べつの友達と、あたしのほうを見ながらこそこそと陰口を叩かれたりするようになった。
それだけならまだよかったのだけれど、その一件で変わったのは、彼女の態度だけではなかった。
その日の出来事について、彼女がだいぶあたしのことを悪し様に吹聴したのかもしれない。気づけばあたしはクラスですっかり浮いていて、誰もあたしに話しかけてこなくなった。体育の授業でペアを組む相手も、昼休みいっしょにお弁当を食べる相手も、いなくなった。
――もともとわたしも嫌いだった。空気読めないよね、あいつ。よけいなお世話ばっかりしてさ。
あたしに聞こえるようにささやき合うそんな声が響く教室で、あたしはただ、息を殺して過ごすようになった。
それでも今思えば、あの頃はまだマシだった。ただ無視をされ、陰口を叩かれるだけだったから。
状況がもっと悪くなったのは、二学期に入ってすぐ。
その頃には、あたしが嫌われる原因となった彼女には、例の彼とは違う、べつの彼氏ができていた。あの日大泣きした例の彼のことなんてすっかり忘れたように、新たな彼氏と毎日楽しそうだった。
けれどあたしへの攻撃だけは止まなかった。それを主導しているのはもう、彼女ではなかった。ただきっと、そういう雰囲気がすでにできあがっていて、それがこのクラスの当たり前になっていた。
今でも鮮明に思い出せる。その日も息が詰まりそうになりながらなんとか放課後まで過ごして、逃げるように向かった先の下駄箱で。
はじめて、空っぽの下駄箱を見たときの足もとが抜けるような絶望感と、
「――初瀬? どうした?」
立ちつくすあたしの背中にかかった、その声のやわらかさを。
真っ暗闇に一筋の光が差したようだった、あの瞬間を。
あたしはきっと、これからも、一生忘れられないのだろう。
友達だったあの子が頬を染めながらそう言った日、あたしの中学生活は終わった。
移動教室の途中だった。彼女が赤い顔で指さしていたのは、数メートル先の廊下を歩いていたひとりの男子生徒で。
「いっかい話してみたいんだ」
「じゃあ話しかけにいったら?」
はにかみながら彼女が続けたので、あたしは言った。当たり前のように。意中の彼はちょうどひとりだし、いくなら今がチャンスだと思ったから。
だけど当の彼女はうつむいて、「いやー、でも……」だとかもごもご呟くばかりで動かない。そうこうしているうちに彼が四組の教室に入っていきそうになったので、
「あたしが呼んできてあげる」
返事も待たず、あたしは彼女の代わりに彼のもとへ駆け寄った。
今思えば、少しずれていたのかもしれない。だけどそのときは、それが彼女のための最良だと疑わなかった。
声をかけ、驚いたように振り向いた彼に、短く事情を説明する。そうして彼を連れて彼女のもとへ戻ると、彼女は目を丸くして、そんなあたしたちのことを見つめていた。
呆然と立ちつくす彼女に彼を渡し、あたしはさっさとひとりで教室に戻る。もちろん、ふたりきりで話ができるように。気を利かせたつもりだった。だからそのときはただ、恋のアシストができたことに満足していた。ほくほくした気分で席に座り、今か今かと戻ってくる彼女を待った。
それから三分ほど遅れて、彼女は教室に入ってきた。あれ、意外と早かったな、と思いながらあたしは彼女に駆け寄り、「どうだった?」と弾む声で問いかけた。そのときだった。
突然、彼女が泣き出した。肩を震わせ、ぼろぼろと涙をこぼしながら。彼女は、あたしへの恨み言を並べた。
――急にあんな状況作られても困る。ぜんぜんうまく話せなかった。変な空気になった。きっと変なやつだと思われた。嫌われた。あんたがよけいなことをしたせいで。あんたのせいで。
まくし立てる彼女の悲痛な声は、いつの間にかしんとなっていた教室に、ぞっとするほどよく響いた。
それ以降、彼女はあたしと話してくれなくなった。あからさまに避けられ、ときどきすれ違うときに睨まれたり、べつの友達と、あたしのほうを見ながらこそこそと陰口を叩かれたりするようになった。
それだけならまだよかったのだけれど、その一件で変わったのは、彼女の態度だけではなかった。
その日の出来事について、彼女がだいぶあたしのことを悪し様に吹聴したのかもしれない。気づけばあたしはクラスですっかり浮いていて、誰もあたしに話しかけてこなくなった。体育の授業でペアを組む相手も、昼休みいっしょにお弁当を食べる相手も、いなくなった。
――もともとわたしも嫌いだった。空気読めないよね、あいつ。よけいなお世話ばっかりしてさ。
あたしに聞こえるようにささやき合うそんな声が響く教室で、あたしはただ、息を殺して過ごすようになった。
それでも今思えば、あの頃はまだマシだった。ただ無視をされ、陰口を叩かれるだけだったから。
状況がもっと悪くなったのは、二学期に入ってすぐ。
その頃には、あたしが嫌われる原因となった彼女には、例の彼とは違う、べつの彼氏ができていた。あの日大泣きした例の彼のことなんてすっかり忘れたように、新たな彼氏と毎日楽しそうだった。
けれどあたしへの攻撃だけは止まなかった。それを主導しているのはもう、彼女ではなかった。ただきっと、そういう雰囲気がすでにできあがっていて、それがこのクラスの当たり前になっていた。
今でも鮮明に思い出せる。その日も息が詰まりそうになりながらなんとか放課後まで過ごして、逃げるように向かった先の下駄箱で。
はじめて、空っぽの下駄箱を見たときの足もとが抜けるような絶望感と、
「――初瀬? どうした?」
立ちつくすあたしの背中にかかった、その声のやわらかさを。
真っ暗闇に一筋の光が差したようだった、あの瞬間を。
あたしはきっと、これからも、一生忘れられないのだろう。