対象の安全を確保した上で解呪するには、紋に刻まれた術式を読み取り、それを魔術で打ち消す以外に方法はないのだ。

「落ち着いた場所でゆっくり診させてもらえば、多分確実に解除できる代物だから安心していいよ。とりあえず君たちの身柄はこのままボクの保護下にあることにして、冒険者ギルドに保護の協力をしてもらおう」

冒険者ギルドは比較的自由な組織であるが、世界の秩序を維持するという側面も持っている。

国家や叡智の塔に比べれば緩やかであるものの、人身売買の犯罪に関する証人保護を魔術師から依頼すれば引き受けてもらえるだろう。

俺たちが町についてからの大まかな方針が決まった時、御者台のゼンケルから声が荷台側にかけられた。

「ディリンゲンの町に到着しますよ」

ディリンゲン。

アルテンブルク王国辺境地域の北西部に位置する、辺境地域の中で最も大きく栄えている町である。

都市の人口は五千人を優に超え、現在は一万近いとも言われている。

付近の二十を越える開拓村と町から王都まで繋がる街道の中間に位置し、交易都市として発展している。

領主はシュタインドルフ男爵フォルケン。

彼の住居である城がある小山を中心にして石垣による外壁に囲まれた曲輪が存在し、ここに住民のほとんどが住んでいる。

外壁の周辺は小山を築き上げるための土を掘りだした空堀による堀が形成され、町に入るには堀にかけられた橋を渡りその先にある城門を抜けなければならない。

交易都市であるディリンゲンは交易商人を招くため通行税はかからないものの、身分を証明できない者の通行は制限されるため、町に入る者には城門にて検閲が行われる。

乗合馬車が城門にさしかかりゼンケルが手続きを行っている間、俺は気になっていた事をシュールに尋ねてみた。

「差し支えなければお尋ねしたいのですが、彼女は言葉が話せないのですか?」

俺たちと出逢ってから今に至るまで、エーリカはまったく言葉を発していないのだ。

無口な性格ということも考えられるが、彼女の押し黙っているような態度が気になり質問してみた。

「いえ、そんなことはないんですが……。実はこの娘は印を刻まれてからこの方、言葉を失っておりまして……」

「なるほど……。それは失礼な事を窺ってしまい申し訳ありません」

「気にしないでください。むしろ見ず知らずの俺たちの事をそこまで気遣ってくれて、ありがとうございます」

このようなやり取りがあってもエーリカは顔を下に向けてうずくまったままだ。

「隷属紋は刻印として刻み込まれる時に、対象の体に相当な苦痛が生じるからね。それと捕らえられた時の恐怖など精神的なダメージが組み合わさったと考えると、一時的に声を失ってしまうような状況がおきてもおかしくはないね。形がない分、心の傷というのは特に回復に時間がかかるからね。じっくり取り組むしかないないよ」

「そうですね、彼女が安らぎを得られるようになるといいのですが……」

「うん、状況が落ち着いたらそこらへんのケアも考えていくとしよう。とりあえずは冒険者ギルドに向かいたいところだけど……」

キルシュが目を向けると、検閲を受けていたゼンケルがちょうど馬車に戻ってきた。

「お待たせしました、先生。手続きが終わりましたので、町に入れますよ」

「ありがとう。手数をかけたね、ゼンケルさん」

「いやはやまったく、街道であんな化け物に遭遇するなんて心底肝が冷えましたよ。先生方がいてくださって助かりました」

「それのおかげで彼らを助けることができたし、結果的には良かったんじゃないかな。とはいえゼンケルさんの言うことももっともだね。街道でああいう魔物との遭遇が起きないよう、冒険者たちにもっと頑張ってもらいたいところだね」

「ははは、まったくもってそのとおりですね。私はこれから馬車の荷をおろしに市場に向かいますが、先生方は冒険者ギルドに行かれるんでしたね。そこまでお送りしましょうか?」

「いや、さすがにギルドに回ってから市場に戻ってもらうのは悪いから、ボクたちはここから歩いていくよ。ここまでありがとうね、ゼンケルさん」

「そうですか、それではまた是非ご利用くださいね。先生方ならいつでも大歓迎ですよ」

ゼンケルに別れを告げ、乗合馬車を降りた俺たちはディリンゲンの町に足を踏み入れた。

城門を出た先は広場になっており、、様々な露店が軒を連ねている。

そこでは青果や魚、肉などを扱う食料品店から、毛織物や絹織物を取り扱う衣料品店、宝石などの貴金属を扱う店もあれば、ナイフやショートソードなとのちょっとした武具を取り扱う店まであり、大抵のものはここで揃えることができる。

それを目当てに近隣の町や村から訪れた商人たちが活発に取引しており、見て歩くだけでも楽しめる場所だ。

「さすが交易都市ディリンゲン、活気がありますね」

「薬草に香辛料も興味深い品揃えだねぇ。本当はゆっくり市場を見ていきたいところだけど、今は彼らを冒険者ギルドに早く連れて行かないとね。ザイ、二人の様子に気を配っておいて」

「分かりました」

キルシュの言葉に頷きそれとなく周囲を見回してみると、俺たち、特にエーリカとシュールに対して多くの衆目が集まっていた。

獣人が珍しいこの国では二人は非常に目立つ。

特に神経が鋭敏になっているエーリカにとってこの場所は特にストレスを感じる場所のようで、シュールの手を握りしめて耐えている状況だ。

俺たちは冒険者ギルドに直行することにした。

冒険者ギルドはこの活気に満ちた広場を北へまっすぐ突き進み、宿屋が立ち並ぶ通称“宿場通り”と呼ばれる通りの一角に建っている。

その途中、キルシュは視線を前に向けながら俺に声をかけてきた。

「ザイ、広場を見て気づいた?」

「はい、兵士の姿は見かけましたが、それ以外に武装した人間の姿がほとんどありませんでしたね。冒険者の姿がほとんど見られません」

広場など人が集まる場所には定期的に兵士が巡回しているのだが、冒険者らしい武装した者の姿が城門からこの広場を抜けるまでの間まったく見かけることがなかった。

「この町には何度も来たことがあるけど、ここまで冒険者の姿が見られないのは初めてだね」

「町中は兵士たちが巡回しているので、今のところは目立った問題は起きていないようですね。町の雰囲気もとりあえず異常は見受けられません」

「それとは対照的に町の周辺であんな魔物と遭遇するということは、魔物狩りが滞っている可能性が高い。問題は冒険者ギルドに集中して発生しているようだね。さて、そのギルドが今どんな状況に陥っているか見てみるとしようか」

キルシュが顔を上げた先には、ティリンゲンの冒険者ギルドがあった。

ディリンゲンの冒険者ギルドは三階建ての木造の建物である。

一階は食堂兼酒場に依頼の受付を行うカウンター、冒険者向けの武具を取り扱う鍛冶屋が併設されている。

二階から上は冒険者たちに提供されている宿舎となっており、これは世界中の多くの冒険者ギルドに共通して見られるつくりだ。

俺たちが入り口の扉を開けて中に入ると、ロビーは静まり返っている。