「お聞きになりまして?」
「聞きましてよ。ユーリ様とローズ様のお話でしょう?」
「ええそうです! 美しいお二人が、一緒にいらっしゃるらしいの! しかも、二人っきりで!」
アカリが倒れてからというもの、二人で準備を進めていたローズとユーリは、女生徒たちの噂の的となっていた。
「とても仲睦まじいご様子だとか。お二人が並ばれていると、まるで絵画のように美しいと評判ですわ」
「魔王と命をかけて戦われたお二人は、何でも幼馴染だそうです」
「まあ素敵! 幼馴染の恋物語なんて、とても心惹かれるわ。でも、ローズ様には今、婚約者がいらっしゃるのでしょう?」
「お可哀想なローズ様」
「なにを仰いますの! ベアトリーチェ様だって、素敵な方ですわ!」
ユーリとローズの恋物語に胸を高鳴らせる、そんな少女の言葉に、別の少女が声を上げた。
「でも、ベアトリーチェ様は、公爵様が決めた婚約者なのでしょう? ローズ様は強く美しい方ですけれど、公爵令嬢としても立派な方。お二人を見ていたら分かります。ローズ様は、親が決めたことに逆らえる筈がないのですわ」
「そんな……」
「ひどいわ」
「でも私達も、同じようなものかもしれませんわね」
貴族の子女が多いがゆえに、一人の女生徒の言葉に、みなが一様に悲しみの表情を浮かべた。
「ああ、なんてお可哀想なユーリ様とローズ様! 身分ゆえに王子様の婚約者であるときは選ばれず、そしてユーリ様は次は相棒である副団長様に愛しい人を奪われるなんて!」
「これこそ悲劇のお話なのです!」
まるで劇の演者のように、少女たちは口々に言う。
「そうに決まっております。それに、まるで仲睦まじいご夫婦のようではありせんこと?」
「言われてみれば確かに、そのとおりなのかもしれませんわ」
「……と、言いますと?」
一人の少女の発言に、頷いていた少女たちは首を傾げた。
「みなさん、聞いたことはありませんか? 魔力は、魂によって受け継がれる。そして昔から、魔力を持つ者同士で、婚姻は結ばれてきたんですもの。ローズ様とユーリ様。素晴らしい力を持つお二人が、昔『そう』であったとしても、何もおかしくありませんわ」
「ええ、きっと。もし生まれ変わりなどと言うものか存在するならば、お二人は結ばれるべき魂だったに違いありません」
「でももしそうなら、愛が引き裂かれるなんて悲しいことだわ……」
「まるでロメオの恋物語ね」
それは異世界から伝わった、悲劇の物語の一つだ。
若い二人に、叶わなかった恋の物語。
「ユーリ様もローズ様も、自ら死を選ぶような、盲目な方ではないように思いますけれど……」
「公爵令嬢でいらっしゃるのに、婚約者に婚約を破棄されてからは、国を忠誠から騎士になられたような方が、想い人が亡くなったくからといって、後を追うものかしら?」
「何を言っているの。それこそ、愚問というものでしょう?」
まるで甘美な果実の名を口にするように――恋に焦がれる少女は、それを尊いものであるかのように述べた。
「愛する人のために死ぬこと。それこそ、真実の愛というものだわ」
◇◆◇
「宜しくお願いします」
アカリは、授業に復帰する際、自分の護衛の担当になったウィル・ゲートシュタインに頭を下げた。
「えっと……。ゲートシュタインさんは、光属性と風属性をお持ちなんですよね」
「……」
沈黙。
アカリは精一杯、自分の護衛を任されたウィルに話しかけたが、彼は目を瞑ったまま、一向に言葉をかえそうとはしてくれなかった。
――どう接したらいいかまるでわからない……!
何を言っても無反応な彼に対して、アカリは頭を抱えていた。
自分にベタベタしてこないのはいいとして、これでは壁に話しかけているのと変わらない。
少しだけ気が滅入る。
そのせいで、ローズからウィルに変わった理由も、アカリは考えてしまっていた。
――私、結局また魔法を使えなかった。だからこの人が代わりに私につけられたんだ……。
眠りから覚め、ローズに今後のことについて話を聞いたとき、アカリは静かにその決断を受け入れた。
ユーリはクリスタロスの騎士団長だ。
自分の不出来のせいで、彼をグラナトゥムに長く留めることは出来ない。
アカリはそっと、胸から下げたペンダントに触れた。
ラピスラズリ。
瑠璃色のその石は、アカリが知る『ゲーム』の中で、ヒロインが与えられる石でもある。
乙女ゲーム、『Happiness』。
アカリの世界でも幸運の石とされているラピスラズリは、プレイヤーにとってキーアイテムとされる。
赤は力の色とされるこの世界では、青は安らぎと愛の色とされる。
強力過ぎて苛烈ともされる赤い瞳を持つ『悪役令嬢』ローズ・クロサイトとは反対に、青い石を持つヒロインは、ゲームの中で攻略対象たちの心の傷を癒やす、清らかさや優しさを象徴する存在として描かれていた。
「もっとちゃんと強くなって……ローズさんの力にならなきゃ」
そのためには、この世界について学ばねばならない。
暗記だけなら得意だったこともあり、アカリはクリスタロスにいるときから、たくさんの本を読んでいた。
この学園に来てからも、それは変わらなかった。
そしてアカリは、ベアトリーチェの事件の際のユーリの件もあり、学院とクリスタロスの図書館のとある相違点が気になっていた。
「なんでグラナトゥムには、本の検索機能ないんだろう……?」
勉強があまり得意でなかったユーリが、ベアトリーチェの研究を図書館ですぐに見つけられたという話を知って、アカリは学院の司書に、他国の図書館の仕組みを尋ねた。
結果として、蔵書から望みの本を探せるのは、クリスタロスのみだということが分かったのだ。
大国であるグラナトゥムより、クリスタロスのほうが技術が上というのはどういうことなのだろう――この学院が、『賢王』レオンが『大陸の王』と『海の皇女』に呼びかけたことにより作られたものであることと、何か関係があるのだろうか?
アカリの疑問は深まるばかりだったが、それを解決するためにローズに尋ねることが、今の彼女は今は出来なかった。
「――もう時間だ」
鐘の音を聞いて、本を読んでいたアカリは立ち上がった。
次は座学の講義があるのだ。
アカリが図書館を出ると、ウィルはそのあとに無言で続いた。
◇
「本日の講義を始めます」
座学の授業は、自分が過ごしてきた世界と、ほとんどかわりはないようにアカリは思えた。
だた一つ違うのは、科学というものが発達していない世界では、映写機の役割が、魔法によって代替されているという点である。
黒い板に上に、光魔法を使い画像を映しだす。
これは学院創立時から魔法で、この魔法が『赤い本』に記されていたからこそ、古代魔法の研究が始まったと言っても過言ではない。
本来魔法は、光属性に適性がなければ光魔法は使えない、とされている。
けれどこの魔法は、光属性に適性を持たないものにも、同様に扱うことができるのだ。
しかしこの魔法には『複製不可』の魔法がかけられており、何故その映写機が誰でも扱えるのか、何故何年経っても壊れることがないのか、原因はまだ解明できていない。
「今日の講義は、『異世界と異世界人《まれびと》について』です」
講師はそう言うと、「黒板」に画像を映し出した。
「異世界の知識を持ち、その知識を以てこの世界に新しい見識をもたらす存在を、現在我々は、『まれびと』と呼んでいます。これは昔、異界の知識を持つ存在を一種の『神』とみなしていた名残である、と言われています。かつて、異世界と我々の世界を繋ぐことは、法律で認められていました。しかし、異世界からの召喚者がこの世界に利益をもたらす代わりに、世界に『歪み』が生まれてしまうことが発覚してからは、異世界召喚は、魔王討伐などでの聖女・勇者の召喚の際のみに許されるようになりました」
講師が映し出す絵の中の魔法陣は、金色に光っていた。
「異世界召喚が広く認められていた時代は、異世界の有益な情報を自分のものにしようと、知識の専有化のために召喚を行い、異世界人に非人道的な行いをする者も多数存在しました。法律により、現在異世界召喚は禁じられていますが、過去の負の遺産としての『歪み』は、今も世界中に存在しており、その歪みのせいで『魂の交換』が起きてしまい、異世界の記憶を持った人間が、この世界に生まれる『異世界転生』の例は、今でも報告されています」
映し出される画像が変わる。
異世界召喚と異世界転生の違いは、その人間の「死」であることが、黒板には映し出されていた。
「現在、異世界召喚は基本的に法律で禁じられているため、今この世界に存在する『まれびと』は、光の聖女様を除いてはこの『異世界転生者』のみが該当します。グラナトゥムを中心に各国に存在する『時空管理局』では、そのまれびとの保護を行っています。ただ、過去召喚されたまれびとの中には、その才能や知識を国家に買われて地位を与えられた者も存在します。転生・召喚に関わらず、まれびとは独自の価値観や能力を備えているとされており、このことが後の子孫に、隔世的に優れた才能を発現させた可能性もあることが指摘されています」
教師はそう言うと、アカリの方を見て微笑んだ。
「この授業には光の聖女様も参加されていることですし、せっかくなので彼を例として紹介しましょう。魔王を倒し、この世界を救った。クリスタロス王国、ベアトリーチェ・ロッド氏を輩出した『ロッド家』。彼の養父であるレイゼル・ロッド氏は、独自の価値観で様々な研究を行い発表されていますが、ロッド家は元々まれびとの家系であり、彼の教育や行動が、後に優秀な『研究者』や『騎士』を生んだともいえるでしょう」
◇
講義を終えたアカリは、再び図書館を訪れていた。
講義の中で気になる点があったのだ。
異世界召喚が禁じられ、『歪み』を通ってまれびとと呼ばれる異世界転生者が今この世界に存在するのなら、アカリは彼らのことを、もっと知りたいと思った。
自分がゲームのようだと感じるこの世界が、実在する世界であることを、自分の目で確かめるために。
「――あった」
【まれびとについて】
アカリは目的の本を手に取ろうとして、その横にあった、とある本を見て動きを止めた。本来そこにあるはずのない本から、アカリは目が離せなかった。
【愛し子――│妖精の森《シルフィード》との関わりについて――】
『君は精霊の愛し子なのか』
アカリは以前、ロイにそう言われたことがある。
アカリは、妖精や精霊を見ることができる。彼らは気まぐれではあるものの、アカリの願いを聞いてくれたりもする。
ただアカリは、これまでこの世界で『光の聖女』として生きてきた。
これまでの彼女なら、手に取ることはなかった本。
けれど今の彼女は、その本が妙に気になって、思わず手を伸ばしていた。
本には、こう書かれていた。
【妖精の愛し子、精霊の愛し子。いわゆる『愛し子』と呼ばれる存在は、この世界にとって第二の力を持つ存在だと言っても過言ではない。遠い昔。、妖精・精霊や神と呼ばれるものの類《たぐい》が、人間と共存していた時代があったという。しかし何らかの原因で彼らは姿を消し、人の目に映らない存在へと変化した。現在、彼らを目に映すことができるのは、『精霊の愛し子』と呼ばれる存在のみである。彼らは、人の目には映らない者たちの力を借りて、世界を変質させることができた。魔法が人間の心や生命力を糧に行使するものとするなら、愛し子は、精霊の力を借りることによって力を行使することが出来るのだ。このことから、愛し子は人間のように魔力が底をつくということはなく、報告例こそ少ないものの、彼らは強大な力を秘めた存在といえることがわかるだろう。】
アカリは、本に書かれた言葉を、信じられない思いで見つめていた。
もしかしたら自分はわざわざな慣れない魔法の練習をしなくても、妖精たちの力を借りれば、強い力を使うことが出来たのではないだろうか。そんなことをふと思う。
【グラナトゥムにある魔法学院。この創設にあたり尽力した三人の王の一人を輩出したクリスタロス王国という名の由来はいくつかあるが、そのうち一つは、世界を救ったという王の名前である。彼もまた愛し子で、人智を超えた力を扱えたという。その時代からも、『愛し子』は、他とは一線と画する力を扱うことのできる特別な存在だった。遥か昔から、人の前から姿を消した妖精を目にすることの出来る彼らを、妖精たちは愛し、守った。中には、瀕死の状態から命を永らえさせたという例もある(気まぐれな精霊らしい、愛し子の『発生』とも言える)。このような形で命を繋いだ精霊の愛し子は、生ける屍と同じ側面を持つこととなり、本来生きている人間の場合解呪が必要な、魔封じに対して耐性を持つという。】
本を読んでいたアカリは、ある一文が気になって本を捲る手を止めた。
「魔封じ……?」
そしてアカリは、シャルルのことを思い出した。
彼女もまた、自分と同じ精霊の愛し子だ。
彼女はローズ襲撃の際、門に施された魔封じを破っている。
彼女はロイと出会う前、死にかけたところを精霊に助けられたらしいとも、アカリはシャルルからの手紙で聞いていた。
鍵を持たずに魔封じに触れても、アカリは自分がローズと同じように、魔封じが発動しない。
それは『愛し子』であり、『精霊に瀕死の状態から救われた』シャルルと同じように。
アカリはずっと、自分は一度死んたのだと思っていた。
『最初から自分は精霊に愛された存在だった』のだと思っていた。
でももし、それが誤りだとしたら――本当は自分は死んでおらず、聖女としてこの世界に召喚されただけで、死にかけたところを精霊に助けられたのだとしたら。
この世界がゲームではなく、本当に存在する世界なのだとしたら。
聖女の召喚魔法、異世界人の帰還魔法。
それには膨大な魔力が必要となるが、異世界から招かれた聖女や勇者の場合のみ、その魔法の使用は現在も許されている。
その話も、アカリは今日の講義で聞いていた。
震える声でアカリは呟く。
「私は……元の世界に、帰れる?」
『元の世界に未練がないと言ったら嘘になります。家族は私を思ってくれていたでしょうし、そんな家族と会えないことは寂しいと思うのは確かです。でも今、こうやって過ごせることが、私は心から嬉しくて。そう思うと――この世界が、国が、私はとても好きだなって思うんです。それに私、実は元の世界では火事で死んでしまって。もう私の戻る場所は、あの世界にはないから』
かつてアカリは、ローズにそう言った。
『私、この世界が好きです。だから今の私は、せめてこの国のために、この世界の為に――光の聖女として、精一杯生きていきていきたい』
「――なんで」
アカリは震える声で、今ここにいない人に問いかけた。
ローズが、自分の気持ちを知らないはずはない。
あの時自分は確かに、彼女に元の世界への未練は伝えたというのに。
胸を抑えて蹲る。
ただただ、心が痛かった。
――信じていた。この世界で誰よりも、貴方のことを信じていたのに。
「どう、して……」
アカリにはわからなかった。
彼女は自分を信じてくれると、そう言ってくれたのに。七瀬明《じぶん》はまだ生きていて、元の世界に帰れる可能性があるのならば。
「どうしてローズさんは、私に教えてくれなかったんだろう……?」
アカリが一人蹲るそのすぐそばで、本棚に寄りかかるようにして彼女を警護していた少年は、瞑っていた目を静かに開き、声を上げずに泣いている彼女の声を聞いて、再び目を閉じた。
震える唇で彼は言葉を紡ぐ。
まるで彼女が、こうなることを最初から知っていたかのように。
「……これ、だから」
変えることの出来ない未来の事象。
どんなに誰かを思っても、その思いは届きはしない。
誰かの嘆き、誰かの痛み。
自分の内側で響く誰かの声に、耳を澄ますことが怖いなら、目を瞑って見なければ、何も怖いことはない。
「……未来なんて、見たくないんだ」
◇◆◇
「ローズたちは彼女抜きで発表を行うことにしたらしいからな。元々彼女は魔法の勉強のためにここに来ているわけだし、ローズとユーリが仲がいいのは当然だし、逆にそれを阻む方が不自然だと言える」
「しかしこの噂は、良いとは言えないでしょう……」
学院のあちらこちらから聞こえてくる女生徒たちの楽しげな声を聞いて、ミリアとギルバートを見て顔をしかめた。
ミリアからすれば、婚約者がいる『お嬢様』に他に想い人がいるなんて、醜聞以外の何者でもない。
「じゃあ、どうする?」
「どうもしません」
しかしミリアは、そう返すだけだった。
「あの子は今、騎士団長という立場にある。そんな相手に、私が教える事などありません」
「ミリアは厳しいな」
「違います」
ミリアははっきり否定した。
「ローズ様は自分の立場をわかっていらっしゃいます。それでも噂が立つのは、ローズ様の行いのせいではなくユーリのせいです。ならば、噂は自ずと晴れる。問題視されるのはユーリの方だけでしょう。無知であることを許されるのは、簡単に何でも誰かに教えてもらえるのは、子どものうちだけ。『大人』になったらもう誰も、失敗を教えてはくれないものです」
だからもし、あってはならない噂が広まったとしても、それは彼の責任だ。
「心は幼くとも、歳を重ねれば『大人』か。確かに、『社会』はそう見るだろう。でも、ミリア。君は彼にとって、そんな関係じゃないだろう?」
「……」
「だってユーリの最初の先生は、君だったんだから」
ギルバートの言葉を聞いて、ミリアはゆっくりと目を瞑った。
目を瞑れば甦る。それは、自分を呼ぶ幼い誰かの声だ。
『ミリア!』
弱くて頼りない小さな子ども。
ミリアが簡単に出来ることが、彼には難しいことだった。
出来損ないの子供が、声を張り上げて叫んでいる。嘆いても何をしても、現実は変わらないのに。
『なんで、なんでミリアが強いことが、いけないことなの!?』
ミリアは腕輪の石をそっとなぞって、その子どもの名前を呼んだ。
「…………ユーリ」
「聞きましてよ。ユーリ様とローズ様のお話でしょう?」
「ええそうです! 美しいお二人が、一緒にいらっしゃるらしいの! しかも、二人っきりで!」
アカリが倒れてからというもの、二人で準備を進めていたローズとユーリは、女生徒たちの噂の的となっていた。
「とても仲睦まじいご様子だとか。お二人が並ばれていると、まるで絵画のように美しいと評判ですわ」
「魔王と命をかけて戦われたお二人は、何でも幼馴染だそうです」
「まあ素敵! 幼馴染の恋物語なんて、とても心惹かれるわ。でも、ローズ様には今、婚約者がいらっしゃるのでしょう?」
「お可哀想なローズ様」
「なにを仰いますの! ベアトリーチェ様だって、素敵な方ですわ!」
ユーリとローズの恋物語に胸を高鳴らせる、そんな少女の言葉に、別の少女が声を上げた。
「でも、ベアトリーチェ様は、公爵様が決めた婚約者なのでしょう? ローズ様は強く美しい方ですけれど、公爵令嬢としても立派な方。お二人を見ていたら分かります。ローズ様は、親が決めたことに逆らえる筈がないのですわ」
「そんな……」
「ひどいわ」
「でも私達も、同じようなものかもしれませんわね」
貴族の子女が多いがゆえに、一人の女生徒の言葉に、みなが一様に悲しみの表情を浮かべた。
「ああ、なんてお可哀想なユーリ様とローズ様! 身分ゆえに王子様の婚約者であるときは選ばれず、そしてユーリ様は次は相棒である副団長様に愛しい人を奪われるなんて!」
「これこそ悲劇のお話なのです!」
まるで劇の演者のように、少女たちは口々に言う。
「そうに決まっております。それに、まるで仲睦まじいご夫婦のようではありせんこと?」
「言われてみれば確かに、そのとおりなのかもしれませんわ」
「……と、言いますと?」
一人の少女の発言に、頷いていた少女たちは首を傾げた。
「みなさん、聞いたことはありませんか? 魔力は、魂によって受け継がれる。そして昔から、魔力を持つ者同士で、婚姻は結ばれてきたんですもの。ローズ様とユーリ様。素晴らしい力を持つお二人が、昔『そう』であったとしても、何もおかしくありませんわ」
「ええ、きっと。もし生まれ変わりなどと言うものか存在するならば、お二人は結ばれるべき魂だったに違いありません」
「でももしそうなら、愛が引き裂かれるなんて悲しいことだわ……」
「まるでロメオの恋物語ね」
それは異世界から伝わった、悲劇の物語の一つだ。
若い二人に、叶わなかった恋の物語。
「ユーリ様もローズ様も、自ら死を選ぶような、盲目な方ではないように思いますけれど……」
「公爵令嬢でいらっしゃるのに、婚約者に婚約を破棄されてからは、国を忠誠から騎士になられたような方が、想い人が亡くなったくからといって、後を追うものかしら?」
「何を言っているの。それこそ、愚問というものでしょう?」
まるで甘美な果実の名を口にするように――恋に焦がれる少女は、それを尊いものであるかのように述べた。
「愛する人のために死ぬこと。それこそ、真実の愛というものだわ」
◇◆◇
「宜しくお願いします」
アカリは、授業に復帰する際、自分の護衛の担当になったウィル・ゲートシュタインに頭を下げた。
「えっと……。ゲートシュタインさんは、光属性と風属性をお持ちなんですよね」
「……」
沈黙。
アカリは精一杯、自分の護衛を任されたウィルに話しかけたが、彼は目を瞑ったまま、一向に言葉をかえそうとはしてくれなかった。
――どう接したらいいかまるでわからない……!
何を言っても無反応な彼に対して、アカリは頭を抱えていた。
自分にベタベタしてこないのはいいとして、これでは壁に話しかけているのと変わらない。
少しだけ気が滅入る。
そのせいで、ローズからウィルに変わった理由も、アカリは考えてしまっていた。
――私、結局また魔法を使えなかった。だからこの人が代わりに私につけられたんだ……。
眠りから覚め、ローズに今後のことについて話を聞いたとき、アカリは静かにその決断を受け入れた。
ユーリはクリスタロスの騎士団長だ。
自分の不出来のせいで、彼をグラナトゥムに長く留めることは出来ない。
アカリはそっと、胸から下げたペンダントに触れた。
ラピスラズリ。
瑠璃色のその石は、アカリが知る『ゲーム』の中で、ヒロインが与えられる石でもある。
乙女ゲーム、『Happiness』。
アカリの世界でも幸運の石とされているラピスラズリは、プレイヤーにとってキーアイテムとされる。
赤は力の色とされるこの世界では、青は安らぎと愛の色とされる。
強力過ぎて苛烈ともされる赤い瞳を持つ『悪役令嬢』ローズ・クロサイトとは反対に、青い石を持つヒロインは、ゲームの中で攻略対象たちの心の傷を癒やす、清らかさや優しさを象徴する存在として描かれていた。
「もっとちゃんと強くなって……ローズさんの力にならなきゃ」
そのためには、この世界について学ばねばならない。
暗記だけなら得意だったこともあり、アカリはクリスタロスにいるときから、たくさんの本を読んでいた。
この学園に来てからも、それは変わらなかった。
そしてアカリは、ベアトリーチェの事件の際のユーリの件もあり、学院とクリスタロスの図書館のとある相違点が気になっていた。
「なんでグラナトゥムには、本の検索機能ないんだろう……?」
勉強があまり得意でなかったユーリが、ベアトリーチェの研究を図書館ですぐに見つけられたという話を知って、アカリは学院の司書に、他国の図書館の仕組みを尋ねた。
結果として、蔵書から望みの本を探せるのは、クリスタロスのみだということが分かったのだ。
大国であるグラナトゥムより、クリスタロスのほうが技術が上というのはどういうことなのだろう――この学院が、『賢王』レオンが『大陸の王』と『海の皇女』に呼びかけたことにより作られたものであることと、何か関係があるのだろうか?
アカリの疑問は深まるばかりだったが、それを解決するためにローズに尋ねることが、今の彼女は今は出来なかった。
「――もう時間だ」
鐘の音を聞いて、本を読んでいたアカリは立ち上がった。
次は座学の講義があるのだ。
アカリが図書館を出ると、ウィルはそのあとに無言で続いた。
◇
「本日の講義を始めます」
座学の授業は、自分が過ごしてきた世界と、ほとんどかわりはないようにアカリは思えた。
だた一つ違うのは、科学というものが発達していない世界では、映写機の役割が、魔法によって代替されているという点である。
黒い板に上に、光魔法を使い画像を映しだす。
これは学院創立時から魔法で、この魔法が『赤い本』に記されていたからこそ、古代魔法の研究が始まったと言っても過言ではない。
本来魔法は、光属性に適性がなければ光魔法は使えない、とされている。
けれどこの魔法は、光属性に適性を持たないものにも、同様に扱うことができるのだ。
しかしこの魔法には『複製不可』の魔法がかけられており、何故その映写機が誰でも扱えるのか、何故何年経っても壊れることがないのか、原因はまだ解明できていない。
「今日の講義は、『異世界と異世界人《まれびと》について』です」
講師はそう言うと、「黒板」に画像を映し出した。
「異世界の知識を持ち、その知識を以てこの世界に新しい見識をもたらす存在を、現在我々は、『まれびと』と呼んでいます。これは昔、異界の知識を持つ存在を一種の『神』とみなしていた名残である、と言われています。かつて、異世界と我々の世界を繋ぐことは、法律で認められていました。しかし、異世界からの召喚者がこの世界に利益をもたらす代わりに、世界に『歪み』が生まれてしまうことが発覚してからは、異世界召喚は、魔王討伐などでの聖女・勇者の召喚の際のみに許されるようになりました」
講師が映し出す絵の中の魔法陣は、金色に光っていた。
「異世界召喚が広く認められていた時代は、異世界の有益な情報を自分のものにしようと、知識の専有化のために召喚を行い、異世界人に非人道的な行いをする者も多数存在しました。法律により、現在異世界召喚は禁じられていますが、過去の負の遺産としての『歪み』は、今も世界中に存在しており、その歪みのせいで『魂の交換』が起きてしまい、異世界の記憶を持った人間が、この世界に生まれる『異世界転生』の例は、今でも報告されています」
映し出される画像が変わる。
異世界召喚と異世界転生の違いは、その人間の「死」であることが、黒板には映し出されていた。
「現在、異世界召喚は基本的に法律で禁じられているため、今この世界に存在する『まれびと』は、光の聖女様を除いてはこの『異世界転生者』のみが該当します。グラナトゥムを中心に各国に存在する『時空管理局』では、そのまれびとの保護を行っています。ただ、過去召喚されたまれびとの中には、その才能や知識を国家に買われて地位を与えられた者も存在します。転生・召喚に関わらず、まれびとは独自の価値観や能力を備えているとされており、このことが後の子孫に、隔世的に優れた才能を発現させた可能性もあることが指摘されています」
教師はそう言うと、アカリの方を見て微笑んだ。
「この授業には光の聖女様も参加されていることですし、せっかくなので彼を例として紹介しましょう。魔王を倒し、この世界を救った。クリスタロス王国、ベアトリーチェ・ロッド氏を輩出した『ロッド家』。彼の養父であるレイゼル・ロッド氏は、独自の価値観で様々な研究を行い発表されていますが、ロッド家は元々まれびとの家系であり、彼の教育や行動が、後に優秀な『研究者』や『騎士』を生んだともいえるでしょう」
◇
講義を終えたアカリは、再び図書館を訪れていた。
講義の中で気になる点があったのだ。
異世界召喚が禁じられ、『歪み』を通ってまれびとと呼ばれる異世界転生者が今この世界に存在するのなら、アカリは彼らのことを、もっと知りたいと思った。
自分がゲームのようだと感じるこの世界が、実在する世界であることを、自分の目で確かめるために。
「――あった」
【まれびとについて】
アカリは目的の本を手に取ろうとして、その横にあった、とある本を見て動きを止めた。本来そこにあるはずのない本から、アカリは目が離せなかった。
【愛し子――│妖精の森《シルフィード》との関わりについて――】
『君は精霊の愛し子なのか』
アカリは以前、ロイにそう言われたことがある。
アカリは、妖精や精霊を見ることができる。彼らは気まぐれではあるものの、アカリの願いを聞いてくれたりもする。
ただアカリは、これまでこの世界で『光の聖女』として生きてきた。
これまでの彼女なら、手に取ることはなかった本。
けれど今の彼女は、その本が妙に気になって、思わず手を伸ばしていた。
本には、こう書かれていた。
【妖精の愛し子、精霊の愛し子。いわゆる『愛し子』と呼ばれる存在は、この世界にとって第二の力を持つ存在だと言っても過言ではない。遠い昔。、妖精・精霊や神と呼ばれるものの類《たぐい》が、人間と共存していた時代があったという。しかし何らかの原因で彼らは姿を消し、人の目に映らない存在へと変化した。現在、彼らを目に映すことができるのは、『精霊の愛し子』と呼ばれる存在のみである。彼らは、人の目には映らない者たちの力を借りて、世界を変質させることができた。魔法が人間の心や生命力を糧に行使するものとするなら、愛し子は、精霊の力を借りることによって力を行使することが出来るのだ。このことから、愛し子は人間のように魔力が底をつくということはなく、報告例こそ少ないものの、彼らは強大な力を秘めた存在といえることがわかるだろう。】
アカリは、本に書かれた言葉を、信じられない思いで見つめていた。
もしかしたら自分はわざわざな慣れない魔法の練習をしなくても、妖精たちの力を借りれば、強い力を使うことが出来たのではないだろうか。そんなことをふと思う。
【グラナトゥムにある魔法学院。この創設にあたり尽力した三人の王の一人を輩出したクリスタロス王国という名の由来はいくつかあるが、そのうち一つは、世界を救ったという王の名前である。彼もまた愛し子で、人智を超えた力を扱えたという。その時代からも、『愛し子』は、他とは一線と画する力を扱うことのできる特別な存在だった。遥か昔から、人の前から姿を消した妖精を目にすることの出来る彼らを、妖精たちは愛し、守った。中には、瀕死の状態から命を永らえさせたという例もある(気まぐれな精霊らしい、愛し子の『発生』とも言える)。このような形で命を繋いだ精霊の愛し子は、生ける屍と同じ側面を持つこととなり、本来生きている人間の場合解呪が必要な、魔封じに対して耐性を持つという。】
本を読んでいたアカリは、ある一文が気になって本を捲る手を止めた。
「魔封じ……?」
そしてアカリは、シャルルのことを思い出した。
彼女もまた、自分と同じ精霊の愛し子だ。
彼女はローズ襲撃の際、門に施された魔封じを破っている。
彼女はロイと出会う前、死にかけたところを精霊に助けられたらしいとも、アカリはシャルルからの手紙で聞いていた。
鍵を持たずに魔封じに触れても、アカリは自分がローズと同じように、魔封じが発動しない。
それは『愛し子』であり、『精霊に瀕死の状態から救われた』シャルルと同じように。
アカリはずっと、自分は一度死んたのだと思っていた。
『最初から自分は精霊に愛された存在だった』のだと思っていた。
でももし、それが誤りだとしたら――本当は自分は死んでおらず、聖女としてこの世界に召喚されただけで、死にかけたところを精霊に助けられたのだとしたら。
この世界がゲームではなく、本当に存在する世界なのだとしたら。
聖女の召喚魔法、異世界人の帰還魔法。
それには膨大な魔力が必要となるが、異世界から招かれた聖女や勇者の場合のみ、その魔法の使用は現在も許されている。
その話も、アカリは今日の講義で聞いていた。
震える声でアカリは呟く。
「私は……元の世界に、帰れる?」
『元の世界に未練がないと言ったら嘘になります。家族は私を思ってくれていたでしょうし、そんな家族と会えないことは寂しいと思うのは確かです。でも今、こうやって過ごせることが、私は心から嬉しくて。そう思うと――この世界が、国が、私はとても好きだなって思うんです。それに私、実は元の世界では火事で死んでしまって。もう私の戻る場所は、あの世界にはないから』
かつてアカリは、ローズにそう言った。
『私、この世界が好きです。だから今の私は、せめてこの国のために、この世界の為に――光の聖女として、精一杯生きていきていきたい』
「――なんで」
アカリは震える声で、今ここにいない人に問いかけた。
ローズが、自分の気持ちを知らないはずはない。
あの時自分は確かに、彼女に元の世界への未練は伝えたというのに。
胸を抑えて蹲る。
ただただ、心が痛かった。
――信じていた。この世界で誰よりも、貴方のことを信じていたのに。
「どう、して……」
アカリにはわからなかった。
彼女は自分を信じてくれると、そう言ってくれたのに。七瀬明《じぶん》はまだ生きていて、元の世界に帰れる可能性があるのならば。
「どうしてローズさんは、私に教えてくれなかったんだろう……?」
アカリが一人蹲るそのすぐそばで、本棚に寄りかかるようにして彼女を警護していた少年は、瞑っていた目を静かに開き、声を上げずに泣いている彼女の声を聞いて、再び目を閉じた。
震える唇で彼は言葉を紡ぐ。
まるで彼女が、こうなることを最初から知っていたかのように。
「……これ、だから」
変えることの出来ない未来の事象。
どんなに誰かを思っても、その思いは届きはしない。
誰かの嘆き、誰かの痛み。
自分の内側で響く誰かの声に、耳を澄ますことが怖いなら、目を瞑って見なければ、何も怖いことはない。
「……未来なんて、見たくないんだ」
◇◆◇
「ローズたちは彼女抜きで発表を行うことにしたらしいからな。元々彼女は魔法の勉強のためにここに来ているわけだし、ローズとユーリが仲がいいのは当然だし、逆にそれを阻む方が不自然だと言える」
「しかしこの噂は、良いとは言えないでしょう……」
学院のあちらこちらから聞こえてくる女生徒たちの楽しげな声を聞いて、ミリアとギルバートを見て顔をしかめた。
ミリアからすれば、婚約者がいる『お嬢様』に他に想い人がいるなんて、醜聞以外の何者でもない。
「じゃあ、どうする?」
「どうもしません」
しかしミリアは、そう返すだけだった。
「あの子は今、騎士団長という立場にある。そんな相手に、私が教える事などありません」
「ミリアは厳しいな」
「違います」
ミリアははっきり否定した。
「ローズ様は自分の立場をわかっていらっしゃいます。それでも噂が立つのは、ローズ様の行いのせいではなくユーリのせいです。ならば、噂は自ずと晴れる。問題視されるのはユーリの方だけでしょう。無知であることを許されるのは、簡単に何でも誰かに教えてもらえるのは、子どものうちだけ。『大人』になったらもう誰も、失敗を教えてはくれないものです」
だからもし、あってはならない噂が広まったとしても、それは彼の責任だ。
「心は幼くとも、歳を重ねれば『大人』か。確かに、『社会』はそう見るだろう。でも、ミリア。君は彼にとって、そんな関係じゃないだろう?」
「……」
「だってユーリの最初の先生は、君だったんだから」
ギルバートの言葉を聞いて、ミリアはゆっくりと目を瞑った。
目を瞑れば甦る。それは、自分を呼ぶ幼い誰かの声だ。
『ミリア!』
弱くて頼りない小さな子ども。
ミリアが簡単に出来ることが、彼には難しいことだった。
出来損ないの子供が、声を張り上げて叫んでいる。嘆いても何をしても、現実は変わらないのに。
『なんで、なんでミリアが強いことが、いけないことなの!?』
ミリアは腕輪の石をそっとなぞって、その子どもの名前を呼んだ。
「…………ユーリ」