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 夜風に当たりながら、私は縁側でお茶を飲んでいた。
 風はまだ冷たく、何かを羽織っていなければ大半の人は風邪を引いてしまうだろう。私はそこまで気にしないのだけれど、黄豊さんに「いけません」と言われてしまったものだから、厚手の羽織を用意してもらって、肩に掛けている。
 深守とも似たような事あったな、と思い出して少しだけ笑みが零れる。
「……疲れた」
 ぽつ、と呟く。長年鬼族を支えてきた貴人達が引っ張りながらではあるものの、鬼族の長――基、お姫様? になったが故にやる事が多くて軽く倦怠感を覚えていた。
 だけど他の鬼族の皆や、村の一部の人達からは良くして頂いており、なんとか楽しい日々を過ごしている。
 少しだけ冷めたお茶を口に含んで、小さく溜息を吐いた。
 鬼族の元で住まわせて貰っているが、その屋敷にある庭が私は好きだった。庭に植わっている桜の木がとても立派で、月明かりに照らされている姿が優美で圧倒される。池に反射しているところも、なんとなく好きなところ。この時期だけしか見れない特別な景色で、疲れた体を癒してくれる。
 だから私は、いつも此処に座ってお茶を飲んでいる。皆が寝静まったであろう深夜に、こっそり楽しむ一人の時間。
 誰も邪魔をする人はいないし、とても平和だ。
 私はそよ風に合わせて大きく深呼吸をした。いつもの様に目を閉じて、草木の音に耳を傾ける。
 サァサァと揺れる木々と、春の目覚めを喜ぶ生き物達の鳴き声が心地良い。
 そんな時、突然後ろの方から、カサッと、畳を踏む音が聞こえてくるのがわかった。
 いつもとは違う感覚――だけど、よく知った足音の癖というのか。
 それが誰なのかすぐにわかった。

「……遅いです」

 私は敢えて振り向かず、その音の主であろう人に声をかけた。
 “彼”は一度立ち止まり、私の言葉を聞き入れる。だけど、再び歩き出し、畳を抜け縁側へと足を運ぶ。
 ゆっくり、だけど着実に近づいてくる音に耳を傾ける。
 足音が止まり、今度は後ろで着物が擦れる音がした。
 その人は背面から私を抱きとめて、蹲るように顔を近づける。鼓動と吐息が直に伝わってきて、目頭が熱くなった。
 私は溢れそうになった涙を堪えながら、
「ずっと、ずっと待ってたんですよ。この一年、強い鬼族の血を持つ方達の縁談のお話を何度か頂いていたんですけど……、貴方の事を考えたら……有耶無耶になってしまいました」
 回された腕に自身の手を添える。
 彼は「えぇ」と相槌を打って、少しだけ抱き締める力を強めた。私の心臓の音も早まり、それが逆に嬉しさを覚えた。慣れ親しんだ温もりを全身で受け止める。
「……もう、一年です。貴方を待ち続けて、私は…今日で十八になりました。貴方から授かった命は――今年も歳を重ねることが出来ました」
 あれから更に時が経っていた。
 鬼族は然ることながら、村では波柴兄弟が機会を見計らい、妖葬班の裏事情を知る者として全てを公表、謝罪を行った。
 指示役の上役達は、村を信じ、騙されていた妖葬班の若者達から罰を与えられたと聞かされた。実験材料だった妖達は勿論解放、地下室は封鎖された。
 村もこの一年で環境が大きく変わった。何十、何百と続く妖葬班という名前の統治者達が居なくなったのだから。
 私も村人と同じくして知り、妖達が解放されて良かったと、心から安堵したのだ。
 元妖葬班の班員達はこれからの村の為に動き出し、人と妖の血を持つ想埜や、鬼族の折成含む人達は共存への道を着実に歩んでいっていた。
 人と妖との関係は完全に良好――とまではまだ言えないけれど、時間をかけつつも良くなっている。
 それは私が待ち続ける彼も願っていたのではないだろうか。人間と妖が少しずつ手を取り合っていける世の中を。
 彼にとっての空白期間のこと、嬉しい事から何から、伝えたいことが山ほどある。
 だけど、その前に、真っ先に貴方に言いたい。言わせて欲しい。
 私は無理矢理身体を後ろに向けると、

「――おかえりなさい、深守」

 待ちに待った言葉を口にした。
 ぽろぽろと頬を伝う涙を、深守は優しく拭ってくれた。
 深守は「ただいま、結望。それから……誕生日おめでとう」と、眉を八の字にさせながらも微笑み返す。
 私はこれまで以上に力強く、深守の背中に腕を回して抱き締める。深守も私を強く強く抱き締めた。
 これをどれだけ待ちわびた事だろう。
「っ……もう、一生目覚めないかと……、おもっ……。あぁっよかった……」
「えぇ、本当に良かった……。アタシも、アンタをずっと抱き締めたかった……この手で、この身体で……、諦めなくて良かったわ……っ」
 少し離れると、短くする理由が無くなり、長く伸びた私の髪の毛を、深守はそっと掬い上げ唇を落とした。
「……やっぱり、アンタは長い方が似合うわよ」
 彼は、私が短く整えていた理由を知っているからか、感慨深そうに頭を撫でた。その時、鼓動が更に早まった。どきんどきんと、痛みを覚える程に。
 心做しか、自分の頬が火照っている気がして、頭を下げた。そして、目覚めた嬉しさからだろうか、空気感も相まって、口からつらつらと言葉が溢れ出した。
「深守、私……、深守の事が大好きです」
「結望……?」
「こんなにもお慕いしているのに、叶わぬ願いなのかと……。感謝の言葉や、思いの丈を伝えることなく、終わってしまうのかと……どうしたら良いのか、ずっと考えていました」
「…………」
「深守にとって、私がそういった対象として愛している……と、仰っていた訳ではないと思います。ですが、私は……貴方の事を心から愛しています。愛してしまったのです。もう、どうしたら良いのかわかりません……。好きで好きで堪らないのです」
 ここまで言い切って、自分がとても恥ずかしい事を宣言してしまったと自覚した。いや、最初から愛してる宣言はしていたの……だけれど。
「わっ……私は、その……あの」
 次深守と話せたら勇気を出して告白するつもりではあったものの、もっと上手くやるつもりだった。しかし、こんなにも好きしか出てこないなんて、思いもよらず。
 私はあたふたしながら、ぎゅっと目を閉じる。
 あぁ、恥ずかしい。
 顔を両手で覆いながら、感情任せに立ち上がろうとする。一旦逃げよう、そんなことを考えた。
 だけど、それは深守によって止められてしまった。両手首を片手で軽く捕まれ、そのまま膝に下ろされる。終いには頬に手を添えられて、がっちり首が固定されてしまった。これでは深守と嫌でも目が合ってしまうではないか。
 ――それとも、肯定してくれるのだろうか。
 だけど、彼は私を家族として愛しているはずだ。
 なんとなく、返事が怖い。告白の結果を聞きたくないと、拒否する自分が現れた。
「結望」
「あ……、はい……」
 深守の呼び掛けに、私は目を泳がせながら応じる。恥ずかしさと引き換えに、今度は恐怖心でいっぱいだ。恋とは、告白とは、こんなにも人を不安定にさせてしまうのだから恐ろしい。
「結望」
「……っ今の告白は気にし――」
 先駆けて断りを入れようとしたその時。
 深守の唇が、私の唇へそっと触れた。
「…………」
「アタシで良ければ結望の人生を見守らせて頂戴」
 軽く当たる程度の口付けに、添えられた告白の返事が予想外で、優しくて、愛おしくて、また涙が零れ落ちてしまった。
「あぁ……っどうしましょう。また結望を泣かせてしまったわ……。はっ――! そうだわ。結望、お茶飲みましょ。お茶。鎮静剤よ」
 深守は慌てふためきながら、傍に置いてあった湯呑みを差し出した。飲みさしの緑茶が少しだけ入っていたのを、言われるがまま飲み干す。既に冷めてしまっていて、喉がひんやりと凍えた。
「う、冷たい……」
「アッハハこんな時間だからねぇ。寒いし冷めるのも早――」

 ポンッ

「……ぽん?」
 突然の音と煙と共に、目の前から深守が消えてしまった。私は首を傾げてその先を見据えると、小さくなった深守が身体を震わせていた。
「ゴメンね結望、アタシ…所謂病み上がりなのよ……。寒すぎて身体が戻ってしまったわ……」
「わぁぁっ! ごめんなさい深守……っどうしましょう何も考えていなかったわ……っと、とにかく中に入りましょう……っ!」
 私はそう言うなり深守を抱き上げると、その場を後にした。