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 だけど、悪夢は一生続く訳では無い。
 空砂は刀を掴み、羅刹様に刺した状態で遂に力尽きてしまった。
 羅刹様も同じくして亡くなったのか、纏っていた気配が無くなっていくのが感覚で伝わってくる。空砂は羅刹様の拘束が解かれ、その場にぱたりと倒れ伏せる。
 鬼族の上役は、空砂の回収と社の片付けの為早速動き出していた。
 ――そして結望はというと、深守のお陰で何とか生死の境目で止まっている状態だった。
「結望、生きるのよ……結望……っ」
「結望! 起きろ……!」
 皆の声ははっきりと聞こえるているのに、彼女は返事をすることが出来なかった。意識が朦朧としていて、だけど、必死に生きなきゃと自分自身戦っていたからだ。
「……結望、結望……」
 深守が沢山念じてくれて力の限り結望を治そうと励んでいたが、何度も抜き刺しした事による無数の刺し傷は簡単には癒えてくれなかった。
「もう……なんで、なんでアタシは力が残ってないの……っ!」
 このままでは目覚めないどころか大きな傷まで残ってしまう。
 己に残された力の少なさに、自身がしてきた過去を呪ってしまいそうな程、深守は追い詰められていた。
 深守は紀江と結江に出会う前、長生きが故に毎日が退屈で、飽き飽きしていた事があった。
 それ故に、このまま何もせず生き続けるくらいなら、力を使って周りの役に立ち、そして寿命が尽きるのを待とう――そう考えた結果、見返りを求めず力を浪費し続けた。
 そのおかげか、自身に使うには勿体ない状態にまで寿命が迫っていた。
(だけど……あの時出会ってしまったから)
 そう、偶然にも紀江に出会ってしまった。
 助けられて、再会して、本当の愛を知った。

 ――この先も二人と共に過ごしたい。

 日々を過ごしながら深守は感じ始めた。尚のことこの力は大切な人の為だけに使おう、そうすればこの先、彼女達が生きている間くらいは見守り続ける事が出来る。
 生きる事が楽しく、幸せだ。
 改めて実感していたのに、あの日平穏は消え去ってしまった。
 力を酷使しなければ、今頃きっといとも簡単に結望を救い出せていたはずなのに――そう思っても使って出ていった力は戻って来ない。
 結望の怪我を治すには、自身の命と引き換えるしかなかった。
 やっと出来た生きる理由が目の前にあるからこそ、ひとつ決断をしなくてはならなかった。
 本当の本当に最後の機会だ。
 深守は結望の前で初めて涙を流しながら言った。
「結望……、お願いよ。アタシの為に……生きておくれ」結望の額に唇を落とす。「……アンタはアタシの全てだよ」
 昂枝達に後は頼んだよ、と見渡しながら微笑んだ。
「お前……」昂枝は呟く。
 折成は深守の方へ出ようとするが、昂枝に遮られてしまう。
「おい……っ最悪死ぬんだぞ!?」
「これでいいのよ! ……これでアタシは満足だよ。だって…結望の為になるんですもの! アタシは、この子の為なら死ぬのだって怖くないわ!」
 深守は言い切った。
 結望を抱き締める様に力を振り絞る。無数の傷口に金色の光が灯り、みるみるうちに結望の傷が癒えていくのを、昂枝達は黙って見守った――。
 

「……ん……」
 私は重たい瞼をゆっくりと開くと、ぱちぱちと上下させた。
 空砂さんによって生死をさ迷った私は、何とか生き延びたようだった。これも、深守のお陰だろう。
「目覚めたか」
「心配したぞ……!」
 私を覗き込みながら、折成さんと昂枝は嬉しそうに声を掛けた。
 傍で祈るようにしていた想埜も海祢さんも、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった……。よかったよ結望~……」
「本当に……」
 彼らの言葉に耳を傾けながら、私はそのままの体勢で辺りを見渡す。
 そして、ある違和感を覚えた。
「……あ……れ、深守……は」
 四人は視界に入ってくるのに、深守の姿だけ見えなかった。
 彼が居るならば、いの一番に賑やかになりそうなのに。一言も発しないどころか、視界の中にいないなんて。
「馬鹿狐は……」昂枝は小さく言った。「あいつはすぐそこだ」
 私の直ぐ傍を指差すと、大きく溜息を吐いた。昂枝の一言で、最悪の事態を感じ取ってしまう。私は少しだけ痛む腹部を押さえながら、昂枝に支えられて上半身を起こした。
 そして、狐の姿で動かない深守を目の当たりにする。
「し、深守……っ!」
 私は彼の名前を呼んだ。無理に抱き上げるのは負担になると思い、身を屈めて声を掛けた。
「深守っ……深守……、結望は目覚めましたよ」
 深守の手を――前足をそっと握り締めて「貴方のお陰で、命を繋ぎ止めました。……深守も起きて下さい……一緒に、帰りましょう」と抱き留める様に言った。
 だけど深守は返事をしない。
 ただ、身体を上下させながら寝息を立てるだけだ。
「深守は……、力を使い切ってしまったの……? 私なんかの、為に……?」
 私は今にも泣き出しそうになりながら、深守の身体を揺すった。
「お前だからだ。狐は……、お前だから最後の力を使った」折成さんは私の背中から声をかける。「愛してたんだろうよ、お前を」
「……っ」その一言で涙が溢れ出す。
「……でもよ、妖は死んである程度時が経てばサラサラの灰となって消える。そこら辺に放っておいても良いくらいだ。だが……、力を使い切ったはずの狐の鼓動は何故か止まっちゃいねぇ……。こいつはまだ死んでねぇんだ」
 私の肩に折成さんは優しく手を置くと「……きっと、お前の事が心残りなんだろうよ。意地になるほどにな……目覚めを待ってやれ。そんでもって、笑顔で出迎えてやるんだ」と微笑んだ。


「――あれ、帰ったんじゃなかったのか」
 昂枝は社の外へ出ると、海萊が外壁に持たれかかって座っている事に気づいた。
「ふん、……お前らは鈍いな」海萊は腰を浮かすと「外に身を潜めていた敵が居た。だから俺はそいつと話し合いをしていただけだ」
 はぁ、と大きく溜息を吐いて首を鳴らす。
「兄さん――」
「海祢、俺はもうお前に兄だと言われる筋合いはない。……それにお前程力強くも無いからな」
 傍に駆け寄ろうとした海祢を軽く手であしらうと、海萊は柄にもなく落ち込んだ様子で、腰に手を当てながらとぼとぼと村の方へ向かって歩き始めてしまう。
 海祢は海萊の後ろ姿を目で追うが、一人にしてくれ、と聞こえる背中に追いかける事が出来なかった。

 私は眠っている深守をそっと抱きかかえると、折成さん達と共に外へ出る。
 すると、鬼族の民達がこちらへ向かってくるのが見えた。咄嗟に身構えてしまうが、どうやら相手に敵意はなさそうだった。
「あっ! お兄!」
成希(なき)……!」
 折成さんの所へ駆けて来た少女成希さんは、折成さんに抱きかかえられると、嬉しそうに抱き締め返していた。彼女は私が来るまでの間、空砂さんに拘束されていた人質の女の子だ。
「お兄が生きててよかったよ……っだって、お兄まで死んじゃってたら、私達……っ……」
 折成さんは成希さんの背中を擦りながら「あぁ……」と返事をした。「俺は何もしちゃいねぇ……、全部こいつのお陰だ」
 そう言って私の方を向くと、私に気づいた成希さんは「結望姉……っ!」と手を伸ばしてきた。
「結望姉……?」
 私はきょとん、と首を傾げる。
 鬼族の血が入っているとわかったとはいえ、先祖を辿ると人間の血も入っている私の年齢は変わらず十六のままだ。何百年と生きる彼女に姉と呼ばれて良いものなのか。
「結望姉は結望姉だよ!」成希さんは折成さんから降りながら言った。
 代わりに折成さんが、私の元から狐の深守をひょいっと抱えあげる。
「ん、ん……?」
「私の事、助けてくれてありがとう結望姉……!」
「わっ」
 有無を言わさず成希さんに飛びつかれてしまった。初めての経験で思わずよろけてしまう。
 成希さんは私よりもかなり小柄で、人間で言えば十歳程度といったところだ。そう考えると、私はお姉さんなのだけれど。
 私はしゃがみ込み、そのまま膝立ちになった。そして、改めて成希さんを抱き締める。
「……成希さん、私が来るまで頑張ってくれてありがとう」
 こんなにも小さい子が空砂さんの所で一人だったのだ。しかも助け出した時、私みたいに花嫁仕様ではなく、縄で縛られ薄暗い場所で拘束されていた。
 恐怖でいっぱいいっぱいだっただろうに、その時の彼女は一切泣く素振りを見せていなかった。
 私なんかより、ずっとずっと偉い。
 だから成希さんがこうして元気で家族の元へ戻れている事が、何よりも嬉しかった。
「……っ、ゆ……のねぇ……怖かった……。怖かったよう……ぅっ……ひくっ……」
「うん、うん……。もう、全部終わったよ」
 だけどそんな彼女が流した涙を見て、私は断腸の思いに包まれた。空砂さんのした事が、如何に許されざる行為だったか改めて考えさせられる。彼女達の家族を殺め、人質に取り……。そんなの、里を統べる者の一人として絶対にやってはいけない事だ。それを許していた貴人達も同罪だ。
「ゆのねぇ、……も……っ生きてて……よかった……」
「えぇ……本当に、良かった……」私はぎゅっと成希さんを抱き締めながら言う。「神様のお陰で……、今の私はいるんだよ」
「かみ、さま……?」
 成希さんは私の顔を見詰めながら首を傾げた。
「そう、神様。狐の……神様なの」
 深守を見ながら言った。
 折成さんは私の横にしゃがむと「これが神様基狐婆だ」と、自身が抱える深守に指を差した。
「きつね、ばばあ……?」
「ぶっ」
「ちょっと昂枝まで……!」成希さんの復唱に、傍で見守っていた昂枝はまた変な壺に嵌ってしまった。私は少しだけ怒りを露わにして制する。
 全く、終わったからって呑気な人達だ。
「……もう、深守が返事出来ないからって、二人共弄っちゃだめです。ごめんね、深守……」
 折成さんから深守を取り返すと謝罪をした。
 あぁ、温かい――。
 例えどんな姿でも深守の温もりは変わらない。
「あ、あの……っ」
 私達のやり取りを近くで見ていた少しばかり白髪の生えた女性が、意を決したように声を掛けてきた。
「母上」
「お袋……?」
「あ……あの、結望さん……ですよね」
 二人の反応から母親だとわかる女性は膝を折ると、深々と平身低頭して謝罪の言葉を述べた。
「……大変、申し訳ございませんでした」
「ま、待って下さい……私はそんな――」
「いえ、結望さんの……ご家族、ご先祖を私共が殺めたといっても過言ではありません。何より……、貴女をも見捨てようとしました。こんな事絶対に許してはなりません。許して貰おうなんて甘い事も考えておりません」
「結望、改めて俺からも言わせて貰う。すまなかった」
 家族総出で謝る姿に、私は「謝るのを辞めて顔を上げてください」と首を横に振った。
「私は、本当に気にしていません……。勿論、生贄だったのは悲しいですけど、折成さん達は何も悪くありません。同じ被害者です」
 折成さんのお母様を見つめながら、
「だから……、一緒に手を取り合って生きていきませんか……?」
 と私は微笑んだ――。