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 昨日想埜の家から帰宅した後、ずっと考えていたことを相談しに昂枝の部屋の前まで来ていた。静かに襖を開けると、彼は文机に肘を着きながら仕事と向き合っているのが見えた。
「――ねぇ、昂枝…?」
 彼は私の声に振り向くと「なんだ」と、いつものように聞き返した。
「今…、大丈夫…?」
「……寒いから閉めろ」
 私はそれを了承と受け取り中へ入る。昂枝も作業を止めてこちらへと向き直った。少しだけ距離を開けて腰を下ろす。
「あの、ね…昂枝、もしかして、想埜は妖葬班苦手なのかしら…」
 私はそのまま突拍子もなく呟いてしまいはっとする。
 真っ白になった。
 頭の中ではもっと前置きを考えていたのに…。
 いざ声を出すと上手く言葉に表せなくて、目の前にいる昂枝をきっと困らせているという現実。後ろめたさを感じると涙が出そうになった。だけど昂枝は何も文句を言わず、遮らずに「…それは、どうして?」と聞き返してくれた。
 やっぱり昂枝は…宮守の人達は、私に親切に接してくれる。毎日それを感じては、嬉しくなった。
 昂枝は私を見ながら首を傾げる。
「えっと…私達、今までそんな話したことなかったけど…、想埜…妖葬班と喋ってた時…、動揺…というか、目が…泳いでたように見えて…」
 一生懸命話をしようとすればする程言葉が途切れ途切れになり、声も小さくなっていく。これも私の悪い癖だった。
 口元を袖で覆い隠し、また次の言葉を考える。
 毎日話す相手でも顔を合わせられなくて、今昂枝がどんな表情をしているのかさえわからない。ただ、静かに私の言葉に耳を傾けてくれていることだけはわかる。
 それに甘えながらゆっくりと、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。
「もし…、想埜が妖のこと嫌いじゃない…のなら、なるべく早く、深守に会わせたいと、思って…相談しに…」
「深守と…?」
 昂枝の低い声に、私はきっと拒否されるだろうと思い身構えた。
 しかし何も返事は返ってこない。
 逆に不安になり視線を畳から昂枝に少しだけ向けると、険しい顔をしながら考える素振りを見せていた。
「………ごめんなさい」
 私はなんとなく、そう呟いた。
 こんな事で悩んで相談なんて、申し訳なく感じたからだ。夜も遅いのに、仕事をしているのを止めてまで、こんな小心者に付き合う義理もない。それに、深守本人にはまだ何も言ってないのだ。いきなり他者に相談というのも、変な話だと今になって思う。
 昂枝はそれに気づくと「すまん…」と呟き、身をこちらへと近づけた。
「そんなつもりじゃなかった。俺は…考えてたんだ。どうするべきか」
 昂枝は微笑みながら私の頭をぽんぽんと撫でる。
「…相談してくれてありがとな。きっと、沢山考えてから言いに来てくれたんだろ? 俺は嬉しいよ」
「昂枝…」
「…で、お前はどうしたいんだ」
 私の目を見据えながら昂枝は言った。
「私自身、変なこと言ってるのはわかるの。でも…、もし協力し合えるなら…それがいいんじゃないかな…って思ってるわ。だけど上手く事が運ぶかなんて、わからないから…」
 そう、世の中上手くいかないことの方が多い。私だって知っている。
 だけど、伝えなくて後悔するよりは、早めに行動したい。
「ごめんなさい…。きっと二人が一番困惑すると思うし、…その、結果次第では……酷い事をするって、自覚はあるの。責任もしっかり取りたい…だけど、一人では上手くまとまらなくて」
「なるほどな。う~ん…そうだな…」
 昂枝は顎をさすりながら考える。これは昂枝の癖だ。
「深守と想埜次第ってところはあるが…。もし仮に、想埜が妖を受け入れたとしてもアイツの親族に妖葬班がいる。そこは実際見たんだしわかるよな…? しかも相手は海萊さんだ。目をつけられるのは時間の問題だと思う。実際、今日も謎の訪問があったわけだし…。あと…、深守を受け入れなかった場合、猶予は無いと思った方がいい」
 昂枝は、まず妖葬班を踏まえて意見を述べた。
 そこは勿論考えていたが、改めると深守が妖葬班に見つかる可能性が上がる点では、かなりの欠点だ。
「欠点述べたから、次は利点だな。深守と想埜が仲間内になれれば隠し事も無くなる。それこそ、協力できるってわけだけど…深守はどう言うかねぇ…? つい最近その場の勢いで此処に住むことになって、更には無関係な奴を仲間にしろって無茶苦茶すぎるよな」
 深守が宮守に匿われることになった数日前、あの時はそうするしか手立てがなかったのも事実。宮守の人達がああでなければ叶わなかっただろう。
 だけど、今回は勝手が違うのだ。
 深守にも相談しなくてはならないのは間違いないのだが、先程から姿が見えなかった。
「深守は今、どこにいるんだろう…」
「――呼んだかしら?」
「~~~~!!!???」
 ひょこんと現れた狐に昂枝は声にならない声で驚いた。
 私も突然の事で言葉を失ってしまう。
「……あぁ、ごめんなさい。人間になるわね」
 そう言うと一度昂枝の部屋を出た。そしてすぐに襖を開き、人型の深守が現れる。
 どうやら変化…? を他人に見せるのが苦手らしく、毎回この方法を取っていた。
「いや、あのなぁ……」
「神出鬼没の深守様~ってネ。んっふふふふふ」
 深守はけたけたと昂枝を見ながら笑った。
「深守、いいところに…。来てくれて嬉しいです」
「ヤダ~結望の囁きでも心の声でもアタシは何処にでも駆けつけるわよ。それで何だっけ? ソノ…? とやらと仲間にならないかって話…かしら? その事なら、勿論イイわよ」
 深守はあっけらかんとした表情で言った。
「お前、絶対近くで聞いてただろ…」
「さぁ? アタシはね、結望が頑張ってるのを応援してたんだよ。かわいいなぁ、健気だなぁってね」
「………」
「これは絶対傍に居たな」
 昂枝は大きくため息を吐いた。
 深守は私が数刻悩み抜いた事を、こんなにも簡単に終わらせてしまった。こんな事になるのなら、最初から深守に聞いておけばよかった…かもしれない。
「……うぅっ」
 昂枝の時間を奪った事も、深守にも一度声かけるべきだった事も相まって、私は項垂れた。
「ごめんなさ…っ」
 顔を隠すように体を埋める。
 見られたくない。恥ずかしい。申し訳ない。逃げ出したい――。
 以前のような恐怖心はないけれど、私のような性格では頭がいっぱいいっぱいだ。結果、しどろもどろになってしまう。
「恥ずか、しい…」
「…結望」
 深守は勢いよく私を抱き締めた。
「……っ」
「ばっ…また…!!」
「色男はちょいと静かに」
 深守は昂枝を制すると、私の背中をあやすように優しくさする。
 何度、何度も…。
 ――実は、この前も感じたこの感覚。深守に抱き締められると、どこか懐かしい気持ちになったのだ。
 下心がある訳ではない。ただただ、あたたかくて、優しい背中に思いが募った。
 腕を伸ばすと、縋るように呟く。
「しんじゅ…」
 昂枝は心配そうにこちらを見ている。
 よく考えたら、昂枝にもこんな風に甘えた事がなかった。私は心のどこかで、頑張らなくてはいけない…耐えなくてはいけない…。そう感じていたから。
 だけど不思議と、深守の前ではそれがない。
 安心…しているのかもしれない。だって、深守は神様だから―――。
「……結望は本当にいい子だねェ…。こんなにも素直で、優しい子に育ててくれたおばさん達には感謝しなくちゃいけないね」
「お前…」
「アタシはね、嬉しかったんだよ。きっと、…誰も傷つけない為に悩んで、一番話慣れてる昂枝に相談したんだろう? 昂枝は誰よりも結望に優しいから…。結望も成長しようと頑張ってて、それを無下に出来なくて……ごめんなさいね。…それから、少し席を外していたのはホント。最初からアタシも一緒に考えればよかった。その分も謝罪させて頂戴」
「…あ、私……」
 何も悪い事などしていない深守を謝らせてしまった。
「結望は何も、悪くないからね」
 深守は昂枝には聞こえないくらい小さく「ずっと大好きよ」と呟くと、
「……んふふ。色男も来なさいな」
 と、手招きをした。
「…は? どうして俺が――うわっ!」
「ふふふっ」
 深守は昂枝に有無を言わさず手首を引っ張ると、思いもよらず三人で団子になってしまう。
「いい子いい子、アンタもとっても良い奴に育ったわね昂枝」
「…はぁぁ?? なんでまた…そんな急に……。大体俺のこと」
「知ってる。知ってるわよ。アタシのことなんだと思ってるの? 結望のこと、昂枝のこと、ずっと見てきたんだからね」
 深守は私達を離さないと言わんばかりの強さで抱き締めながら、頭を大きく撫でる。
 昂枝はわけがわからないと言いながらも、そのまま深守を受け入れた。それだけの優しさが彼にはあった。
 例えるならそう、家族のような、そんなぬくもり。
「ずっと…アンタ達を見守ってるからね」
「………」
 深守の言葉は説得力がある。そう、感じた。
「……………」
 沈黙。
 ギューッという擬音がこれ程まで似合う抱擁はなかなかない。
 深守はいろんなことを抜きにして、出会った中で一番嬉しそうにしているのが伝わった。
「……おい、いつまで抱き締めてるつもりだ!」
 …だが、ここに限界を迎えている人が一人。
「おや、やっぱり耐えられなかったかい」
 昂枝は顔を真っ赤にしながら深守の腕を掴むと、無理矢理引き剥がした。きっと両親からも抱き締めてもらう…なんてこと、あまりなかったのだろう。慣れないことをされてむず痒くなった頭を勢いよく掻いた。
 観念した深守もそれに従いそっと私達から距離をとる。
「……ふふっ。いいわね、この並び…」
「…はぁ?」
「……??」
「…ちょいと脱線しちゃったわ。ささ、本題に戻りましょ? 今のはおしまいよ」
 深守はそれ以上語ろうとせず、両手をパチンと鳴らした。
「明日、またあの子ん家行くんだろう? その時次第でアタシを呼びなさい。…きっと彼なら受け入れてくれるわよ」
「お前…まさか想埜のことも知って…?」
「えぇ、勿論。彼もいい子よね。アタシ、結望の周りの子達がいい子に恵まれてて嬉しいわ」
 扇子を広げながら深守は言った。
「お言葉に…甘えてもよろしいでしょうか…」
「全然いいのよ。…あと結望? 出会って初日の時に敬語はなしって言ったのにずっと敬語よ? アタシに対しても色男達のように崩した喋り方をしておくれよ」
「えっ…! あ、そういえば…そんなこともありました……。善処します…する…わ、深守……?」
「………………」
「えぇっ、深守…あれ…っ私、駄目だったかしら…。あぁ…どうしましょう…」
 私は固まってしまった深守を見ながらあたふたとする。昂枝はポンっと私の肩に手を載せると、
「…結望、変態狐の顔をよく見てみろ。………幸せそうだ」
 と如何わしげな表情で言ってみせた。
 私はなるほど…と呟く。
「誰が変態狐よ!」

 ―――と、そんなこんなで無事に深守の許可を得た今回の件。
 想埜は困惑しながらも、ゆっくりと深守を見据え呟いた。
「………あ、…えっと……はじめまして…」
「……はじめまして、深守よ」
 二人揃ってお辞儀をする。よく見たら深守も少しぎこちのない動きをしていた。
「……想埜、あの…ね?」
「………大丈夫。誰にも言わないよ。特に二人には、絶対」
 想埜は一度深呼吸をすると、私の言おうと思った言葉を読み取ったのか、強く言い切った。
「あ、そうだ…。出会ってすぐなんですけど、深守さん…。あの…、後で二人きりになれませんか…?」
「…? いいけど…」
「あ、もしあれだったら…今からでも私達席外しますから。昂枝、行こ…?」
「ん? あぁ…」
 私たちはそう言うとすぐに戸口を出て行った。想埜の事はわからないけれど、きっと、とても大切な話をしたかったんだと思ったから。それならできるだけ早い方がいい。
「―――二人で話すって…何を話すんだか知らないが、無事に事が運びそうでよかったな。結望」
「……うん。ありがとう」
 私は隣にいる昂枝に微笑みかけると、昂枝は「別に俺は何も…」と視線を他所へとやった。
 ――その後、思っていた以上に気が合ったのか、とても仲良さそうな二人が戸口から現れて、辺りを散歩していた私達が驚くまでもう少しのこと。