***
一晩経ち気持ちが落ち着いた頃。そういえば今日、昂枝が改めてぬか漬けを取りに来ると言っていた事を思い出す。ぬか床から出して直ぐに食べられる状態にしておこう。それからまた考えれば良いのだ。と、想埜は冷たい水で顔を洗うと両頬をぱちんと叩いた。
「とりあえず、気合いを入れなくちゃ」
大根を取り出すと一口大に切っていく。
そうだ、一緒に漬けておいた野菜も準備しておこう。きっと昂枝のご両親も喜んでくれる。
――両親。そういえば、自分の両親は何処で暮らしているのだろう。そこに逃げ込めば事なきを得るのではなかろうか。
だが、別れてから一度も会っていない事に気がついた。
息子に秘匿だなんて、全く性格の悪い親だ。だけどもしかして、宮守の人は両親の今を把握していたりするのだろうか。
「…でも、聞き出して、此処を出たら…もう彼らとは会えなくなるのかな」
従兄弟よりもそちらの心配をしてしまう。従兄弟は、きっと自分を追い掛けてくるから。特に海萊さんは。そんな感情は内にあるのに、肝心の理由が真面目に思い出せない。考えれば考えるだけわからなくなる。だって自分は“普通の人間”だから。
「人間…?」
手が震え、持っていた包丁で指を切ってしまった。「痛っ」と声を上げてしまうくらいには切り傷は嫌な感触をしていた。滲む血を口に含み止血をしながら溜息を吐く。
こんなので痛がるなんて、昨日死のうとしていたのが嘘のようだった。
「………」
その時、ドンドンと戸口を叩く音がした。考え事をしていたせいか、恐怖で狼狽える。
「っ…誰!」
想埜は声を荒らげ、そのにいる誰かを威嚇した。
「…俺だ。宮守昂枝」
「あ、実は…笹野結望もいます…」
「昂枝…? 結望まで…?」
そうだ。たった今まで昂枝に会う準備をしていたのに、どうして警戒してしまったのだろう。その声に安堵すると、静かに戸口を開いた。
恐る恐る上を見上げると、そこには約束通り正真正銘の昂枝が立っていた。後ろにはちょこんと結望が佇んでいる。
「…お前」
「な、何かな!? あ、えっと、結望もおはよう! …ごめんね、びっくりしたよね…! ぬか漬けは今準備してる最中で…」
自分は動揺を隠すのが苦手だと痛感する。目は泳いでいて昂枝を見れていなかった。手足をばたつかせ、近くにあった薪にまで突っ込んでしまう。
「いたた…」
「大丈夫…!?」
結望が慌ててこちらへ駆けてくる。元々、自他共に認めるおっちょこちょいだとは思っていたが、今日のは特別酷く思えた。
伸ばされた結望の手に甘え、支えられながら立ち上がる。女性に助けられるなんて情けがない。
「………」
「結望…?」
結望は言葉を考えるようにぽつりぽつりと声にする。
「あ、あのね……私も、つい最近…同じような事があって。気持ち、わかるなって…思ったの」
彼女は苦笑しながらこちらを見た。
「私も…次の日は動揺しちゃってて、家事、上手くできなかった。…もしかして想埜は、妖葬班…苦手?」
「結望」
昂枝が結望の肩を掴む。震えながらも、結望はあくまでも冷静に言葉を紡ぐ。
「昂枝ごめんね…私は大丈夫。強くなるって決めたから」
「……」
「私も妖葬班…苦手。だって、罪の無い妖を殺すって、意味わからないじゃない…?」
「……よかった」
「え?」
「俺以外にも、妖葬班苦手な人…いたんだって、安心した…」
大粒の涙が頬を伝う。“一人”じゃなかった。
妖は何故殺されてしまうのか。日々恐怖心に駆られ過ごさねばならない苦しさ。
(どうしたらこの生活から開放される…?)
何故本能的に妖葬班から逃げ出したいと思っているのか考えたくなかった。自分の中ではまだ認めたくないと拒否反応が起こっているけれど、きっとそういうことなんだと胸騒ぎがする。
だけど両親が俺を一人にさせたのも、きっとそういう事。
―――自分が“妖”だから。
でも目の前の結望だけには伝えられない。
――では昂枝は? 宮守の人間だ。彼は何も言わないがわかっている。わかっていて、引き受けているから。それが仕事だから。
例え結望が妖葬班に苦手意識があるとしても、自分が妖とわかった瞬間この関係が崩れてしまいそうで怖い。信じたいけれど、そうでなかった時に逃げる場所を失ってしまう。想埜は両手を強く握り締めて考えた。
普通の人間として答えなければ。
「………ごめんね」
俯き、涙を拭いながら言う。
こんなに慌てて泣いてたんじゃ、あからさまだったかもしれないのに。
「…取り乱しちゃって、ごめん。…ごめんね」
「そんな、謝らないで…? 私もきっと、妖葬班が来たら怖くなってしまうから…」
結望は小さな手で想埜の手を握り締めながら、優しく慰めてくれる。
彼女のことは詳しく聞けなかったけれど、なんだか似た者同士だと感じた。だけど自分は、結望のように前向きになれるだろうか。ただひたすらに嫌な方へと考えてしまわないか、不安な気持ちに苛まれる。
結望は偉いな。凄く、偉い。
一方で昂枝は、元々沢山喋る性格ではないし、全ての情報を持っているはずだから迂闊には言葉にできないんだと思うけれど、表情から心配してくれているのは伝わった。
「昂枝もごめんね」
想埜は昂枝に向かって謝った。
「いや、俺は別に…」
そっぽを向くと、笏を手に取り口を隠した。
なんだか昂枝までかっこよく見えた。依頼者以外のところで何食わぬ顔で過ごし続けるのはきっと大変だから。
(皆、偉いなぁ…)
二人を見ながら羨望してしまう。
「…そうだ。想埜は、妖のこと…苦手?」
結望は手を離さず、じっと見つめながら質問した。それは、自分にとって大切な問題だった。
「…そんなことない。妖は、…きっと皆被害者だから」
他の妖自体と対話をしたことはない。妖葬班がすぐ処分だなんだの言っている為、こんな辺境地じゃ見たこともなかった。そもそも、妖葬班がこの辺りに来たのも海祢達が初めてのように思える。
(どうしたらいいんだろ…)
だけどわかるのは、彼らは何も悪くないということ。結望と同じ気持ちだった。
「……よかった。実はね、会わせたい人がいて――」
結望はそう言うと、外へ走った。
そして中へ入ってきた独特の雰囲気がある人を見て、想埜は目を見張った。
“仲間”だ…と。
一晩経ち気持ちが落ち着いた頃。そういえば今日、昂枝が改めてぬか漬けを取りに来ると言っていた事を思い出す。ぬか床から出して直ぐに食べられる状態にしておこう。それからまた考えれば良いのだ。と、想埜は冷たい水で顔を洗うと両頬をぱちんと叩いた。
「とりあえず、気合いを入れなくちゃ」
大根を取り出すと一口大に切っていく。
そうだ、一緒に漬けておいた野菜も準備しておこう。きっと昂枝のご両親も喜んでくれる。
――両親。そういえば、自分の両親は何処で暮らしているのだろう。そこに逃げ込めば事なきを得るのではなかろうか。
だが、別れてから一度も会っていない事に気がついた。
息子に秘匿だなんて、全く性格の悪い親だ。だけどもしかして、宮守の人は両親の今を把握していたりするのだろうか。
「…でも、聞き出して、此処を出たら…もう彼らとは会えなくなるのかな」
従兄弟よりもそちらの心配をしてしまう。従兄弟は、きっと自分を追い掛けてくるから。特に海萊さんは。そんな感情は内にあるのに、肝心の理由が真面目に思い出せない。考えれば考えるだけわからなくなる。だって自分は“普通の人間”だから。
「人間…?」
手が震え、持っていた包丁で指を切ってしまった。「痛っ」と声を上げてしまうくらいには切り傷は嫌な感触をしていた。滲む血を口に含み止血をしながら溜息を吐く。
こんなので痛がるなんて、昨日死のうとしていたのが嘘のようだった。
「………」
その時、ドンドンと戸口を叩く音がした。考え事をしていたせいか、恐怖で狼狽える。
「っ…誰!」
想埜は声を荒らげ、そのにいる誰かを威嚇した。
「…俺だ。宮守昂枝」
「あ、実は…笹野結望もいます…」
「昂枝…? 結望まで…?」
そうだ。たった今まで昂枝に会う準備をしていたのに、どうして警戒してしまったのだろう。その声に安堵すると、静かに戸口を開いた。
恐る恐る上を見上げると、そこには約束通り正真正銘の昂枝が立っていた。後ろにはちょこんと結望が佇んでいる。
「…お前」
「な、何かな!? あ、えっと、結望もおはよう! …ごめんね、びっくりしたよね…! ぬか漬けは今準備してる最中で…」
自分は動揺を隠すのが苦手だと痛感する。目は泳いでいて昂枝を見れていなかった。手足をばたつかせ、近くにあった薪にまで突っ込んでしまう。
「いたた…」
「大丈夫…!?」
結望が慌ててこちらへ駆けてくる。元々、自他共に認めるおっちょこちょいだとは思っていたが、今日のは特別酷く思えた。
伸ばされた結望の手に甘え、支えられながら立ち上がる。女性に助けられるなんて情けがない。
「………」
「結望…?」
結望は言葉を考えるようにぽつりぽつりと声にする。
「あ、あのね……私も、つい最近…同じような事があって。気持ち、わかるなって…思ったの」
彼女は苦笑しながらこちらを見た。
「私も…次の日は動揺しちゃってて、家事、上手くできなかった。…もしかして想埜は、妖葬班…苦手?」
「結望」
昂枝が結望の肩を掴む。震えながらも、結望はあくまでも冷静に言葉を紡ぐ。
「昂枝ごめんね…私は大丈夫。強くなるって決めたから」
「……」
「私も妖葬班…苦手。だって、罪の無い妖を殺すって、意味わからないじゃない…?」
「……よかった」
「え?」
「俺以外にも、妖葬班苦手な人…いたんだって、安心した…」
大粒の涙が頬を伝う。“一人”じゃなかった。
妖は何故殺されてしまうのか。日々恐怖心に駆られ過ごさねばならない苦しさ。
(どうしたらこの生活から開放される…?)
何故本能的に妖葬班から逃げ出したいと思っているのか考えたくなかった。自分の中ではまだ認めたくないと拒否反応が起こっているけれど、きっとそういうことなんだと胸騒ぎがする。
だけど両親が俺を一人にさせたのも、きっとそういう事。
―――自分が“妖”だから。
でも目の前の結望だけには伝えられない。
――では昂枝は? 宮守の人間だ。彼は何も言わないがわかっている。わかっていて、引き受けているから。それが仕事だから。
例え結望が妖葬班に苦手意識があるとしても、自分が妖とわかった瞬間この関係が崩れてしまいそうで怖い。信じたいけれど、そうでなかった時に逃げる場所を失ってしまう。想埜は両手を強く握り締めて考えた。
普通の人間として答えなければ。
「………ごめんね」
俯き、涙を拭いながら言う。
こんなに慌てて泣いてたんじゃ、あからさまだったかもしれないのに。
「…取り乱しちゃって、ごめん。…ごめんね」
「そんな、謝らないで…? 私もきっと、妖葬班が来たら怖くなってしまうから…」
結望は小さな手で想埜の手を握り締めながら、優しく慰めてくれる。
彼女のことは詳しく聞けなかったけれど、なんだか似た者同士だと感じた。だけど自分は、結望のように前向きになれるだろうか。ただひたすらに嫌な方へと考えてしまわないか、不安な気持ちに苛まれる。
結望は偉いな。凄く、偉い。
一方で昂枝は、元々沢山喋る性格ではないし、全ての情報を持っているはずだから迂闊には言葉にできないんだと思うけれど、表情から心配してくれているのは伝わった。
「昂枝もごめんね」
想埜は昂枝に向かって謝った。
「いや、俺は別に…」
そっぽを向くと、笏を手に取り口を隠した。
なんだか昂枝までかっこよく見えた。依頼者以外のところで何食わぬ顔で過ごし続けるのはきっと大変だから。
(皆、偉いなぁ…)
二人を見ながら羨望してしまう。
「…そうだ。想埜は、妖のこと…苦手?」
結望は手を離さず、じっと見つめながら質問した。それは、自分にとって大切な問題だった。
「…そんなことない。妖は、…きっと皆被害者だから」
他の妖自体と対話をしたことはない。妖葬班がすぐ処分だなんだの言っている為、こんな辺境地じゃ見たこともなかった。そもそも、妖葬班がこの辺りに来たのも海祢達が初めてのように思える。
(どうしたらいいんだろ…)
だけどわかるのは、彼らは何も悪くないということ。結望と同じ気持ちだった。
「……よかった。実はね、会わせたい人がいて――」
結望はそう言うと、外へ走った。
そして中へ入ってきた独特の雰囲気がある人を見て、想埜は目を見張った。
“仲間”だ…と。