* *
それから俺たちは小さな悪いことを積み重ねていった。
綺咲が親から禁止されているらしい強力なエナジードリンクを一緒に飲んだり、立ち入りが禁止されている学校の屋上に入ってみたり。
そして今日は学校を抜け出すことになった。
なんでも行きたい場所があるらしく、行き先は教えられていないけど、どうやらそう遠くない場所に今回の目的地はあるらしい。
わざわざ授業を受けてから学校を抜け出すくらいなら、最初から学校を休めばいいじゃないかと言ってみたけれど、綺咲は学校を抜け出すことに意味があるのだと言う。綺咲は割と拘る方だ。
予定通り授業を4時間目まで受けて、昼休みになった。
俺は弁当を食べるでもなく、スクールバッグを肩にかけると、教室を後にする。けれど俺に気をかける人間などなく、だれにも不審に思われることなく校舎を出ることができた。
そして集合場所である駐輪場の前に向かうと、その姿はすでにあった。リュックを背負った綺咲は俺を見つけるなり、弾けんばかりの笑顔を浮かべる。
俺はちょっと躊躇いながら、右手を軽く挙げる。すると綺咲も嬉しそうに右手を挙げて、満開の笑顔を返してきた。
言葉はなくとも彼女とわかり合えている、そんな実感が心を満たす。
「早かったな」
《待ちきれなくて早く来ちゃいました》
「見つかる前に行くぞ」
俺は自転車に跨ると、荷台を叩いた。
「ほら」
綺咲はにこっと笑って、そして荷台に横座りをした。
綺咲のしたい悪いことのひとつに、自転車の二人乗りも含まれていた。そのため俺がお古の自転車を物置から取り出してきたのだ。
「捕まってろ」
俺の腰あたりを躊躇いがちに彷徨っていた綺咲の細い腕を掴むと、腰に巻きつける。背中に淡い温もりが触れた。腰に抱きつき身を委ねてくれている、そんな感覚に心臓がわずかに逸る。
そして俺と綺咲を乗せた自転車がゆっくり出発をする。
森林の元を漕いでいけば、風が頬を撫でていく。夏の太陽が頭の上で俺たちを見守っている。
高校ではバス通学だから、自転車を漕ぐのは久々だった。
けれど、こんなに気持ちのいいものだっただろうか。びゅんびゅんと風を切って走るのは爽快であり楽しくもある。
「気持ちいいな」
背後の綺咲に声を投げれば、綺咲が頷く振動が伝わってきた。
風の中で綺咲が笑っている、そんな気配がする。首をひねると、目を閉じて気持ちよさそうに風を受ける綺咲の綺麗な顔があった。ふわふわの髪が風にそよぐ。
そして綺咲が指差す方へ進んでいくと、ある場所に辿り着いた。
着いてみて初めてわかる。綺咲が俺に行き先を秘密にしていた理由が。こんなに綺麗なコスモス畑を俺に見せて、驚かせるつもりだったのだきっと。それくらいの絶景が目の前に広がっていた。
見渡す限り水色のコスモス。地平線までもが淡い水色で埋まっている。
「すごいな……」
思わず感嘆の声が漏れてしまう。
風景を見て綺麗だと思える自分がいたことに安心した。
《水色のコスモス畑ってここくらいらしいです》
まるでいたずらが成功したみたいに俺の顔を嬉しそうに覗き込んで、綺咲が教えてくれる。
《なんだか青空の中にいるみたいですよね》
「たしかに……」
空色のコスモスに包まれていると、天空にいるようなそんな錯覚さえ起こしそうになる。それほどまでに神秘的だった。
《この場所、私のお気に入りなんです。
だから刻先輩のこともここに連れてきたくて》
綺咲の思いがけない言葉に、俺は思わず不意をつかれる。
少し照れたようにはにかむ綺咲。そんな彼女のことを、純粋に可愛いと思った。
《なんか、高校生!って感じがします》
「こういうのが?」
《青春っぽくないですか?》
青春の定義はよくわからないけれど、綺咲の言うことはなんとなくわかる気がした。こんな眩しくて輝かしい思い出は俺の記憶にはないから、綺咲の青春のおすそ分けをもらっているのかもしれない。
俺はもう一度コスモス畑に視線をやる。
ほんの数日前まで俺は暗闇の中にいた。出口さえわからない暗闇の中、生きることを手離しかけた。あの頃は、こんな綺麗な景色に胸打たれる日が自分に来るなんて思ってもみなかった。
暗闇にいる俺の手を引き、光の下に連れ出してくれたのだ、綺咲が。
そう思ってこの景色を見ると、より世界が美しく見える。
そんな感慨に浸っていると、隣からぱしゃりとシャッターを押す音が聞こえてきた。
隣を見れば、綺咲がインスタントカメラを構えているところで。そしてインスタントカメラから排出された写真を俺に写真を渡してくれる。
「俺に?」
頷く綺咲。
手に取った写真に視線を落とせば、そこには水色の世界が広がっていた。澄んだ青空に、水色の絨毯。今まさに目の前にある景色が、小さな枠の中に収められている。
君はいったいどれだけ俺に宝物をくれるんだろう。
「……ありがとう、大切にする」
でも頭の隅に、冷静に見つめるもうひとりの自分がいて、お前なんかがこの子の近くにいてはいけないと俺に言う。
君といる時間はあまりに心地よくて、うっかり忘れそうになるんだ。
――自分が人殺しであることを。