そのあとの晩餐会は、なにごともなく終了した。
ただ、それは表向きで、睡蓮の心はさらにざわつくこととなった。
原因は、美風である。
美風はやはり睡蓮のことがかなり気に入ったようで、終始睡蓮に絡んできた。
そこで美風は、とんでもない爆弾を落としたのである。
「――初恋のひと?」
フォークを動かしていた手がぴたりと止まった。
「えぇ。睡蓮はご存知? 楪さまの初恋のおかた」
困惑しつつ、睡蓮は首を横に振る。楪にそんなひとがいただなんて、桃李からも聞いていない。
そもそも楪は、ひとぎらいではなかったのか。
女なんて信用していなかったと……。
「まぁ、私もさっき薫さまから聞いたのだけど」
「あの、そのおかたはどのような」
「さぁ。ただ、相当想っていたそうよ。あのひとぎらいの楪さまが、信じられないけれどね」
「…………」
「それにしても、現人神さまって恋をしてもそのひととはぜったい添い遂げられないのだから可哀想よね」
「……でも、美風さまと薫さまは、仲が良さそうですね」
睡蓮は一度躊躇ってから、美風へ訊ねた。
「薫さまは、その……いろんなおかたと仲がいいと聞きましたが」
「えぇ、そうね」
美風は笑顔を崩さずに、平然と答える。
「……その、美風さまはそういうの、いやではないのですか?」
「そうねぇ……西はほかと違って、独特の恋愛観を持つ土地でもあるからね」
そういえば、そんなことを楪も来るときに言っていた気がする。
「私は薫さまが好きだし、薫さまも私の魂を気に入ってくれてる。よそでどれだけ女と遊んでも、最終的には私の元へ戻って来ざるを得ないって分かってるから、優越感もあるしね」
……そう、美風はうっそりと微笑んだ。
「そ……そうですか」
無邪気な少女のように思っていたが、案外強かというか豪胆というか。
「睡蓮。あなたもほかの女なんかに負けちゃだめよ。あなたは楪さまにとって特別なの。なんと言ったって幻の花をその身体に宿しているのだから!」
睡蓮はただ曖昧に笑った。
『魂を気に入ってくれてる』
美風はそう言った。現人神である薫がそういう認識であるとすれば、おそらく、楪もそうだ。
睡蓮の魂を気に入ってくれている。睡蓮を、ではなく。
「これで、お世継ぎができればもっと安泰よ」
お世継ぎ。
さらに崖から突き落とされたような感覚になる。
そうだ。すっかり忘れていたが、楪は現人神なのだ。じき、後継者となる者を残さなければならない。
その役目は、睡蓮にもあった。
いつまでも契約のままでは子は成せない。
だから睡蓮に、愛していると言った?
子が欲しいから。
胸が引き裂かれそうな痛みを覚える。
苦しくてたまらない。苦悶の表情で美風を見ると、彼女は涼しい顔をしてスープを飲んでいた。
「美風さんは、お強いですね……」
思わず本音を漏らす睡蓮に、美風が笑う。
「大人なんて、こんなものじゃない?」
そうなのか。美風とは、ほんの一、二歳くらいしか変わらないはずなのに。
いずれ、睡蓮もこのように思える日が来るのだろうか。
……いや。
来ない気がした。
だって睡蓮には、圧倒的に愛された記憶が少な過ぎるから。
期待をするななんて、息をするなと言っているようなものだ。
晩餐会の食事は、とんでもないごちそうであったはずなのに、睡蓮はひとつもその味を感じることができないのだった。