紅は睡蓮の枕元で散々桃李の文句を言ったあと、ふと我に返ったように言ったのである。
『――で、睡蓮。楪さまとはどうなの?』
『んっ?』
突然話を振られ、それまで愚痴聞き係でこっくり船を漕いでいた睡蓮は、目をしばたたかせた。
『んっ? じゃないよ。ここんとこ、ずっと楪さまとふたりきりだったんでしょ? ね、口づけはした? その先は?』
詰め寄ってくる紅に、睡蓮はぎょっとする。
『しっ……しないよ! そんなことするわけないでしょ!』
真っ赤になって言い返す睡蓮に、紅は呆れた顔をする。
『そんなことってなによ』
紅の呆れたような言いかたに、睡蓮は唇を尖らせる。
『睡蓮は楪さまのことが好きなんだよね? 楪さまだって睡蓮のこと大好きなんだし……それなら、口づけもそれ以上のことも、べつにふつうじゃない。ふたりは夫婦なのよ? してないほうが変だよ』
『それは……』
分かっている。でも、勇気が出ないのだ。
戸惑う睡蓮をよそに、紅は続ける。
『睡蓮、もしかして楪さまのこと好きじゃないんじゃない?』
『えっ……まさか!』
睡蓮はぶんぶんと首を振る。楪のことは好きだ。それだけは間違いない。……はず。
だんだん不安になってきた。好きなのに触れられるのが怖い、と思ってしまうのは、ふつうではないのだろうか。
紅が心配そうな顔をして、睡蓮を覗き込む。
『ねぇ、睡蓮はただ、楪さまに恩を感じてるだけなんじゃないの? それなら触れられたくないっていうのは分かるし』
『そ……そんなわけないよ。手紙だって、私の宝物だし』
『でもさ、好きだったら触れたいって思うんじゃないの?』
睡蓮は考える。
楪に、触れる。
あまり考えてこなかったことだ。そばにいられれば幸せで、それだけでじゅうぶんだと思っていた。
――私、変なのかな……。
……と、そんなことを昨日、紅に言われた。一晩考えてみたけれど、睡蓮は結局、じぶん自身の感情がよく分からないままだった。
ふと暗い影を落とした睡蓮に、楪が眉を寄せる。
「――睡蓮? どうかしました?」
睡蓮はハッとする。
「いえっ……なんでもないです!」
「……そう?」
いけない、しっかりしなきゃ、と睡蓮は両手で軽く頬を張る。
「私、紅を呼んできますね」と、動く。
すると、「あたしならここにいるよ」と、声が飛んできた。そこには既に紅がいた。
「紅!」
いつの間に、と驚く睡蓮は、紅の格好を見てさらに驚いた。
「おまたせ」
「それって、護衛のときに着るって言ってた?」
「うん! そう!」
紅はさっきまで着ていた着物と違って、不思議な衣を身にまとっていた。
紅色の桜の刺繍がほどこされた、いわゆる軍服だ。きゅっとした首元、紅色の花の文様が描かれた肩掛けに、腰には同じく紅色のベルト。スカートは末広がりになっていて、中は花柄のレースがほどこされたふわっとしたフリル。
「どうどう?」
とても可愛い。
「すごく似合ってる」
西の雰囲気が濃い衣だ。おそらく、桃李の配慮だろう。紅はこう見えて、東と西にとってはかなり重要な役割を担っている。
「えへへ! でしょ。このきゅっとした袖とか、ネクタイっていう飾りも素敵でしょ! 腰には剣も収められるんだよ!」
紅は得意げに言いながら、くるくるとその場で回ってみせる。新しい玩具を与えられて喜ぶ無邪気な子どものようで、睡蓮は微笑ましさに目を細めた。
「馬子にも衣装、ですかね」と、桃李。
辛辣だ。彼らしくない、と睡蓮は思いかけて首を傾げる。どうだろう。これが本当の彼なのかもしれない。桃李と知り合って日が浅い睡蓮には分からない。
ちりん、と柳の鈴が鳴る。窓の向こうへ目を向けると、牛車が見えた。牛車を運ぶのは月の使者である。
「月の使者の迎えが来たようですね」
桃李が窓のほうへ目をやったまま、言う。
「そうですね。では、行きましょうか」
四人は牛車に乗り込んだ。
いよいよ、睡蓮にとって初めての式典が始まる。
『――で、睡蓮。楪さまとはどうなの?』
『んっ?』
突然話を振られ、それまで愚痴聞き係でこっくり船を漕いでいた睡蓮は、目をしばたたかせた。
『んっ? じゃないよ。ここんとこ、ずっと楪さまとふたりきりだったんでしょ? ね、口づけはした? その先は?』
詰め寄ってくる紅に、睡蓮はぎょっとする。
『しっ……しないよ! そんなことするわけないでしょ!』
真っ赤になって言い返す睡蓮に、紅は呆れた顔をする。
『そんなことってなによ』
紅の呆れたような言いかたに、睡蓮は唇を尖らせる。
『睡蓮は楪さまのことが好きなんだよね? 楪さまだって睡蓮のこと大好きなんだし……それなら、口づけもそれ以上のことも、べつにふつうじゃない。ふたりは夫婦なのよ? してないほうが変だよ』
『それは……』
分かっている。でも、勇気が出ないのだ。
戸惑う睡蓮をよそに、紅は続ける。
『睡蓮、もしかして楪さまのこと好きじゃないんじゃない?』
『えっ……まさか!』
睡蓮はぶんぶんと首を振る。楪のことは好きだ。それだけは間違いない。……はず。
だんだん不安になってきた。好きなのに触れられるのが怖い、と思ってしまうのは、ふつうではないのだろうか。
紅が心配そうな顔をして、睡蓮を覗き込む。
『ねぇ、睡蓮はただ、楪さまに恩を感じてるだけなんじゃないの? それなら触れられたくないっていうのは分かるし』
『そ……そんなわけないよ。手紙だって、私の宝物だし』
『でもさ、好きだったら触れたいって思うんじゃないの?』
睡蓮は考える。
楪に、触れる。
あまり考えてこなかったことだ。そばにいられれば幸せで、それだけでじゅうぶんだと思っていた。
――私、変なのかな……。
……と、そんなことを昨日、紅に言われた。一晩考えてみたけれど、睡蓮は結局、じぶん自身の感情がよく分からないままだった。
ふと暗い影を落とした睡蓮に、楪が眉を寄せる。
「――睡蓮? どうかしました?」
睡蓮はハッとする。
「いえっ……なんでもないです!」
「……そう?」
いけない、しっかりしなきゃ、と睡蓮は両手で軽く頬を張る。
「私、紅を呼んできますね」と、動く。
すると、「あたしならここにいるよ」と、声が飛んできた。そこには既に紅がいた。
「紅!」
いつの間に、と驚く睡蓮は、紅の格好を見てさらに驚いた。
「おまたせ」
「それって、護衛のときに着るって言ってた?」
「うん! そう!」
紅はさっきまで着ていた着物と違って、不思議な衣を身にまとっていた。
紅色の桜の刺繍がほどこされた、いわゆる軍服だ。きゅっとした首元、紅色の花の文様が描かれた肩掛けに、腰には同じく紅色のベルト。スカートは末広がりになっていて、中は花柄のレースがほどこされたふわっとしたフリル。
「どうどう?」
とても可愛い。
「すごく似合ってる」
西の雰囲気が濃い衣だ。おそらく、桃李の配慮だろう。紅はこう見えて、東と西にとってはかなり重要な役割を担っている。
「えへへ! でしょ。このきゅっとした袖とか、ネクタイっていう飾りも素敵でしょ! 腰には剣も収められるんだよ!」
紅は得意げに言いながら、くるくるとその場で回ってみせる。新しい玩具を与えられて喜ぶ無邪気な子どものようで、睡蓮は微笑ましさに目を細めた。
「馬子にも衣装、ですかね」と、桃李。
辛辣だ。彼らしくない、と睡蓮は思いかけて首を傾げる。どうだろう。これが本当の彼なのかもしれない。桃李と知り合って日が浅い睡蓮には分からない。
ちりん、と柳の鈴が鳴る。窓の向こうへ目を向けると、牛車が見えた。牛車を運ぶのは月の使者である。
「月の使者の迎えが来たようですね」
桃李が窓のほうへ目をやったまま、言う。
「そうですね。では、行きましょうか」
四人は牛車に乗り込んだ。
いよいよ、睡蓮にとって初めての式典が始まる。