――花嫁の神渡り。
現人神の〝花嫁〟が決まると、まずいちばんに行われる行事のひとつである。
世間で言う、いわゆる結婚式だ。
ただしかし、神事である花嫁の神渡りは、ふつうの結婚式とは少し違うところがある。
それは……。
「神渡り式では、現人神たちが一堂に会します。睡蓮は、この意味が分かりますか?」
「……いえ、えっと……?」
睡蓮は、楪の言葉の意味が分からず首を傾げる。
「現人神は、ひとのかたちをした神です。あくまで、神。そのため、ひととは桁違いの妖気を放っている」
「あっ……!」
それは、睡蓮も勉強した。
楪の言葉の意味を睡蓮はようやく理解する。
「現人神は凄まじい妖気を放つ。ひとの地に降りるときは神の力を封じるため、必ず仮面を被らなければならない」
睡蓮は資料に書かれていた文面を復唱した。楪が頷く。
「そのとおりです。妖気を抑える仮面は、現人神に限らず、強い妖気を持つあやかしには義務づけられています」
「つまり……現人神さまたちの妖気に、私が耐えられるのかが試されているということですか?」
「花嫁や花婿には、まずいちばんに求められる要素ですからね。彼らは式中、仮面は被りません。つまり、式のあいだそれに耐えられなければ、伴侶失格……と、なり得るということになります」
現人神について調べるまで、仮面に妖気を抑える力があるだなんて知らなかった。
高貴なあやかしが仮面を付けている理由は、ただ己の権力を誇示するためだと思っていたが、ちゃんとした理由があったらしい。しかも、ひとに配慮したものだったなんて。
「私に耐えられるでしょうか……」
「おそらく、問題はないかと思います。俺と過ごしてもまるでふつうでしたし、なにより幽雪と対峙したとき、俺は能力を解放していましたが、睡蓮は魂をほぼ失くした状態でも耐えていましたから」
「それはそうですけど……」
楪の話に、睡蓮の顔はみるみる青ざめていく。
楪はともかくとして、ほかの三神たちに認められる。
そんなこと、なんの取り柄もないじぶんにできるのだろうか。
途端に暗い顔になった睡蓮の背に、楪がそっと手を当てる。
「そう暗い顔をしないで、睡蓮。きっと大丈夫ですよ」 楪の言葉にも、睡蓮の中の不安はまだ消えない。
なぜなら睡蓮はじぶん自身が〝幻花の花嫁〟であると言われても、あまりぴんと来ていない。
幽雪との戦いのとき、己の魂のかたちを見て、それはたしかに、花のかたちをしていたのだけれど。
それだけではない。
睡蓮が楪にもたらしたという、あやかしの邪気を祓う力。
そんなすごい力が本当にじぶんにあるのか、睡蓮は未だに半信半疑だった。
「それからもうひとつ、睡蓮には覚悟していただかないといけないことが」
「ま、まだ覚悟することが?」
今度はなんだろう、とびくびくする睡蓮に、楪は控えめに続ける。
「正式に結婚を認められた場合、誓いの口づけがあるんです」
「く、くち、づけ……!?」
目を白黒させる睡蓮に、楪が小さくため息をつく。
睡蓮は未だに楪との距離感に慣れず、唇への口づけはおろか、楪の手が触れるだけでも身を固くしてしまう。それなのに、口づけだなんて。しかも、大勢のひとの前で。
無茶だ。ぜったい。
あわあわとする睡蓮を見つめ、楪は小さく吹き出した。
睡蓮との夫婦の営みについては、正直楪はもどかしい日々を送っていた。だが、楪は案外それも心地よいと思っていた。
なにしろ、楪だって心から通じ合った乙女は初めてなのである。触れたい反面、なにより大事にしたい存在に変わりない。
……ただ、神事となればべつである。
恥ずかしいからできません、はさすがに許されないだろう。
だが……。
楪はちらりと睡蓮を見た。
睡蓮はただ口づけと言葉にしただけで、顔を真っ赤にしている。
ふたりきりのときでこうなのだ。このままでは、人前で口づけなどおそらく無理に等しい。
「……睡蓮。そんな顔しないでください」
かちこちになってしまった睡蓮に、楪は苦笑混じりにそっと囁く。
「大丈夫ですよ、俺は、あなたがいやがることはぜったいにしません。だから心配しないで」
「え……本当、ですか?」
なおも不安そうな顔をする睡蓮に、楪は優しく微笑みかける。
「当日は、ふりにしましょう」
「えっ……ふり?」
驚く睡蓮に、楪が頷く。
「はい。口づけは式の最後……祭壇の上で行われます。現人神たちの前ではありますが、距離もありますし、ふりでもきっと見えませんよ」
「……そうですか」
「えぇ。だから心配しないで」
「はい……」
睡蓮がふっと息を吐く。どこか安堵したような表情をする睡蓮に、楪は少しの寂寥感を覚える。
睡蓮と思いを通じ合わせたものの、ふたりの間にはまだ距離がある。こうあからさまにホッとされてしまうと、寂しいものがある。
だが、あまり焦って距離を詰めても、彼女を怯えさせるだけだろう。楪は込み上げそうになる感情をぐっと抑えて、笑みを浮かべる。
「……そんなことより睡蓮。今から少し出かけませんか?」
「えっ? お出かけですか?」
「はい。さ、行きましょう」
楪は睡蓮に、いつもどおりの美しい仮面を被った。
現人神の〝花嫁〟が決まると、まずいちばんに行われる行事のひとつである。
世間で言う、いわゆる結婚式だ。
ただしかし、神事である花嫁の神渡りは、ふつうの結婚式とは少し違うところがある。
それは……。
「神渡り式では、現人神たちが一堂に会します。睡蓮は、この意味が分かりますか?」
「……いえ、えっと……?」
睡蓮は、楪の言葉の意味が分からず首を傾げる。
「現人神は、ひとのかたちをした神です。あくまで、神。そのため、ひととは桁違いの妖気を放っている」
「あっ……!」
それは、睡蓮も勉強した。
楪の言葉の意味を睡蓮はようやく理解する。
「現人神は凄まじい妖気を放つ。ひとの地に降りるときは神の力を封じるため、必ず仮面を被らなければならない」
睡蓮は資料に書かれていた文面を復唱した。楪が頷く。
「そのとおりです。妖気を抑える仮面は、現人神に限らず、強い妖気を持つあやかしには義務づけられています」
「つまり……現人神さまたちの妖気に、私が耐えられるのかが試されているということですか?」
「花嫁や花婿には、まずいちばんに求められる要素ですからね。彼らは式中、仮面は被りません。つまり、式のあいだそれに耐えられなければ、伴侶失格……と、なり得るということになります」
現人神について調べるまで、仮面に妖気を抑える力があるだなんて知らなかった。
高貴なあやかしが仮面を付けている理由は、ただ己の権力を誇示するためだと思っていたが、ちゃんとした理由があったらしい。しかも、ひとに配慮したものだったなんて。
「私に耐えられるでしょうか……」
「おそらく、問題はないかと思います。俺と過ごしてもまるでふつうでしたし、なにより幽雪と対峙したとき、俺は能力を解放していましたが、睡蓮は魂をほぼ失くした状態でも耐えていましたから」
「それはそうですけど……」
楪の話に、睡蓮の顔はみるみる青ざめていく。
楪はともかくとして、ほかの三神たちに認められる。
そんなこと、なんの取り柄もないじぶんにできるのだろうか。
途端に暗い顔になった睡蓮の背に、楪がそっと手を当てる。
「そう暗い顔をしないで、睡蓮。きっと大丈夫ですよ」 楪の言葉にも、睡蓮の中の不安はまだ消えない。
なぜなら睡蓮はじぶん自身が〝幻花の花嫁〟であると言われても、あまりぴんと来ていない。
幽雪との戦いのとき、己の魂のかたちを見て、それはたしかに、花のかたちをしていたのだけれど。
それだけではない。
睡蓮が楪にもたらしたという、あやかしの邪気を祓う力。
そんなすごい力が本当にじぶんにあるのか、睡蓮は未だに半信半疑だった。
「それからもうひとつ、睡蓮には覚悟していただかないといけないことが」
「ま、まだ覚悟することが?」
今度はなんだろう、とびくびくする睡蓮に、楪は控えめに続ける。
「正式に結婚を認められた場合、誓いの口づけがあるんです」
「く、くち、づけ……!?」
目を白黒させる睡蓮に、楪が小さくため息をつく。
睡蓮は未だに楪との距離感に慣れず、唇への口づけはおろか、楪の手が触れるだけでも身を固くしてしまう。それなのに、口づけだなんて。しかも、大勢のひとの前で。
無茶だ。ぜったい。
あわあわとする睡蓮を見つめ、楪は小さく吹き出した。
睡蓮との夫婦の営みについては、正直楪はもどかしい日々を送っていた。だが、楪は案外それも心地よいと思っていた。
なにしろ、楪だって心から通じ合った乙女は初めてなのである。触れたい反面、なにより大事にしたい存在に変わりない。
……ただ、神事となればべつである。
恥ずかしいからできません、はさすがに許されないだろう。
だが……。
楪はちらりと睡蓮を見た。
睡蓮はただ口づけと言葉にしただけで、顔を真っ赤にしている。
ふたりきりのときでこうなのだ。このままでは、人前で口づけなどおそらく無理に等しい。
「……睡蓮。そんな顔しないでください」
かちこちになってしまった睡蓮に、楪は苦笑混じりにそっと囁く。
「大丈夫ですよ、俺は、あなたがいやがることはぜったいにしません。だから心配しないで」
「え……本当、ですか?」
なおも不安そうな顔をする睡蓮に、楪は優しく微笑みかける。
「当日は、ふりにしましょう」
「えっ……ふり?」
驚く睡蓮に、楪が頷く。
「はい。口づけは式の最後……祭壇の上で行われます。現人神たちの前ではありますが、距離もありますし、ふりでもきっと見えませんよ」
「……そうですか」
「えぇ。だから心配しないで」
「はい……」
睡蓮がふっと息を吐く。どこか安堵したような表情をする睡蓮に、楪は少しの寂寥感を覚える。
睡蓮と思いを通じ合わせたものの、ふたりの間にはまだ距離がある。こうあからさまにホッとされてしまうと、寂しいものがある。
だが、あまり焦って距離を詰めても、彼女を怯えさせるだけだろう。楪は込み上げそうになる感情をぐっと抑えて、笑みを浮かべる。
「……そんなことより睡蓮。今から少し出かけませんか?」
「えっ? お出かけですか?」
「はい。さ、行きましょう」
楪は睡蓮に、いつもどおりの美しい仮面を被った。