楪は、ことの次第を紅から聞いたと言っていた。
紅は数日前から、忽然と姿を消していた。チョコレートの包みがなくなっていたから、睡蓮はてっきり幽世に帰ったのだと思っていた。
だが、どうやら違ったらしい。紅は、睡蓮のことを心配して、喫茶店やかつて睡蓮が暮らした屋敷に行き、独自に調べてくれていたらしい。そして、そこにあった植物たちから、白蓮路の話を聞いたのだそうだ。
すぐにおかしいと思ったらしい。
現人神とあろうものが無断で世界を渡るなど有り得ない。土地をまたぐときは、必ず事前に使いを出すものだ。さすがの紅も、それくらいは知っている。
つまり、睡蓮が白蓮路とふたりきりで会うわけがない。
おかしい。なにかが。紅はすぐに勘づき、自らが咎められることを覚悟の上で、現人神である楪のもとへ助けを求めに行った。
しかし、楪は現在睡蓮のもとで素性を隠して暮らしていたため、不在。代わりに桃李が対応し、桃李が楪に報告したという。
ちょうど同時期に楪からも睡蓮の様子がおかしいという報告を受け、睡蓮が暮らしていた屋敷に残った妖気を探っていた桃李は、すべてを理解し慌てた。
とにかく、睡蓮は楪だけでなく、紅や桃李のおかげで助かったということだった。
離れに戻ると、案の定紅はカンカンに怒っていた。身体を発光させて飛びついてきては、睡蓮の身体のあちこちに思い切り体当たりをしてくる。
そのたび、ぱちっ、ぱちっと火が爆ぜるような音がして、全身に痛みが走った。
「紅……本当にごめんね」
紅は最後、睡蓮の頬にぱちんと飛びつくと、そのまま張り付いて泣き出した。
「ばかっ、ばかっ!!」
「紅……」
切ない泣き声に、紅が心から心配してくれていたことが分かり、睡蓮の胸はぎゅっと絞られるように痛んだ。
睡蓮は、手のひらを紅の小さな身体にそっと添えるようにして抱き締める。
「あたし、怒ってるんだからね!」
いつにない剣幕の紅に、睡蓮は目を伏せ、「ごめん」と呟く。
謝る睡蓮に、紅は深くため息を漏らした。
「なんで……なんでこんな大切なこと相談してくれなかったのよ」
睡蓮は震える声で答えた。
「だって……迷惑かけると思ったし……それに、こんなこと相談されたって重いだけで、気持ち悪がられると思って……」
紅が小さな両手でぱちぱちと睡蓮の頬を叩く。
「ばか!!」
睡蓮はびくっと目を瞑る。
「迷惑ってなに? 気持ち悪いってなに? そんなこと思うわけない! それともなに。あたしには心配すらさせてくれないの!? あたしは睡蓮の友だちじゃないの!?」
紅は全身を真っ赤にして、睡蓮へ訴える。
「とも、だち……?」
声を詰まらせながら呟く睡蓮に、紅はさらに迫る。
睡蓮の鼻先に飛びついて、
「そうだよ! あたしたちは友だちでしょ! 違うの!?」
睡蓮は目を泳がせる。
「紅は……私がたまたま迷い込んできたところを助けて、庭に匿ってあげたから……だから仕方なく仲良くしてくれてたんじゃ……」
「ばかっ!!」
「いたっ……」
「ばか!」
紅は容赦なく、両手を睡蓮にぶつける。睡蓮は目をぎゅっと瞑って、火が爆ぜるようなその痛みにじっと耐える。
「ばか! ばかっ! そんなわけないじゃん! なんであたしが仕方なく人間と仲良くすんのよ!」
「じゃあ……な、んで」
おそるおそる、睡蓮は訊ねる。すると、紅は叫ぶように言った。
「好きだからだよ!! 優しくてちょっと抜けた睡蓮のことが、大好きだから一緒にいたの! あたしを匿ってくれてるからとか、そんなくだらない理由であたしが行動するわけないじゃん!!」
睡蓮は息を呑んで紅を見つめる。熱をはらんだまっすぐな眼差しが、睡蓮の心を射抜く。
じわっと紅の姿が滲む。睡蓮は顔を歪めて、小さなあやかしを見つめた。
「紅……っ、わ、たし……」
睡蓮は振り絞るように声を出す。
「私も、紅のことが大好き。でも、私はいつも愛されないから……だから、期待するのが、怖くて」
言いながら、睡蓮の唇がきゅっと苦しげに歪む。唇の隙間から、かすかに嗚咽が漏れた。
睡蓮はいつも片想いだった。
どんなに愛しても、愛を返してくれるひとはいなくて。いつしか期待することを諦めた。
見返りなんて求めちゃいけない。愛は、一方通行が当たり前なのだから。
「紅のこと、好き……私も……好きって、言っていい……?」
「当たり前じゃん……っ!」
紅が睡蓮の頬に抱きつく。小さな身体が震えている。睡蓮は喉を鳴らした。
「あたしも、もっとちゃんと言葉にすればよかった。睡蓮のこと大好きだって! ずっと一緒にいたいって! ごめんね、ごめんね睡蓮。ずっとひとりにしてごめん」
睡蓮の目が、雨粒が落ちた水溜まりのごとく揺らぐ。
「紅……ありがとう……」
睡蓮の瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていく。睡蓮の頬に抱きついたままの紅と一緒になって、睡蓮は声を上げて泣いた。