「圭一、圭一! あれ、やっぱりおかしいって。絶対なんかあるって!」

 まどろみの中でクラスメイトたちの話し声が子守唄となり、そろそろいい感じに意識がふつと途切れそうになっていた矢先、甲高いヤツの声が頭上から降ってきた。アイス200円。心の中で「奢れ」と想像上の彼を睨みつけて顔を上げると、想像以上に慌ただしい様子の彼の姿が目に飛び込んできた。

「なんだよ」

 ジト目で新こと友人・吉村新(よしむらしん)を見上げたのだが、彼は入眠を阻害された俺の不快な気分など意に介さない様子で「だーかーらー」と大きな声を出した。

「最近の羽鳥(はとり)さん、様子が変だって!」

「ああ、またその話か……」

 羽鳥、というのはこのクラスの絶対的女王羽鳥蘭(はとりらん)のことだ。女王と言っても、別にクラスメイトを牛耳っているとか、彼女に逆らえないとか、そういうことではない。彼女自身はとても良い人だ。ただ、その容姿端麗な見た目と、勉強もスポーツも完璧にこなしてしまう器用さが、一般人には近寄りがたい「女王」感を醸し出している。立ち居振る舞いなども上品でそつがなく、ひそかに彼女を慕っている下級生も多い。
 しかも、彼女のおじいさんはここら一帯の地主だと聞く。噂なので本当か分からないが、確かに学校に来る最中に目を凝らして民家の表札を見てみると、いくつか「羽鳥」という名前が見受けられるから、本当なのかもしれない。

 そんなわけで彼女はこのクラスでは女王的な立ち位置にいたし、控えめな性格もあいまって、ミステリアスな深層の令嬢などという中二病感満載の称号を手にしている。ゆえに、自ら彼女に近寄っていく人間はいない。女子は彼女のことを敬遠し、男子は高嶺の花すぎて近づけない、というところだろうか。

 そんな羽鳥蘭の様子がおかしい、というのはここ数日の彼女の挙動を見ていると明らかで、クラスメイトの誰もが気づいていた。
 朝、学校に来るとまず教室中をうろうろと歩き回り落ち着かない。いつもならすぐに席についてしゃんと背筋を伸ばし、読書をしている彼女らしからぬ行為だ。さらに授業中に教科書を忘れて困ったり、メガネを落としてレンズを割ってしまったり、注意力散漫な彼女が炸裂していた。

「なあ、圭一も気になるだろ? なんで彼女が最近変なのか。あの深層の令嬢と呼ばれるほどの彼女が、ここまで堕ちてしまった理由を!」

 “深層の令嬢”だの“堕ちてしまった”など、中二病な新は、さも漫画の主人公にでもなった気分で大げさに身振り手振りをする。その時にはもう俺の眠気は完全にどこかへ飛んでしまっていて、アイス200円では代償にならないな、と冷静に分析していた。

「じゃ、そういうことだから圭一、一緒に彼女の真相を解き明かそう!」

 彼の茶番劇に付き合うのに疲れてきた俺は、「はいはい」と、適当に相槌を打ってしまっていた。途端、新の口の端がにやりと持ち上がる。
 しまった。こうなったらもう、奴の勢いは誰にも止められないのに。3秒前の自分を恨めしく思う。
 ちょうど頭上では昼休みを終えるチャイムが鳴り響く。俺は絶望感に苛まれながら、自分の席へと戻っていくクラスメイトたちを遠い目で見つめる。その中にはもちろん、新の姿もある。
 彼にはアイスとジュース、それから課題を代わりにやってもらうので手を打ってもらうことにしよう。





 そして放課後、俺は新に英語と数学の宿題を押し付けた。

「ぐえっ。自分の分もあるんだぞ!?」

「同じ課題だからいいだろ。あ、でもまったく同じ解答はやめろよ。お前の方を少し間違えるか、別の解法で解くかのどっちかにしてくれ」

 泣きべそをかきそうになっている新だが、羽鳥蘭の謎を解き明かすのにこれだけの代償で済んだのだから、勘弁してほしい。

「まじかよぉ。俺、そんなに頭回らないんだけどぉ」

「そこをどうにかするのが男だろ。それより、羽鳥蘭の真相を解き明かすって言ったって、何から始めればいいんだ?」

「うーん、そうだね。とりあえず、彼女の行動パターンを観察して書き出してみるとか」

「なるほどな」

 新にしてはまともなことを言う。俺は彼の言う通り、翌日から一週間、彼女の行動をチェックすることにした。


 まず、朝学校に来た羽鳥蘭は、やはり教室の中をぐるぐると歩き回る。途中、教室の窓を開けて外を眺めているのか、5分ほどぼうっとしていることが多い。コの字型になっている校舎の二階がうちのクラスの教室だが、窓の向こうにはちょうど職員室が位置している。職員室の窓が開いていれば、先生の顔が見える。朝ならば目を凝らすと、先生がコーヒーを淹れて飲んでいるところまで視界に入ってくる。
 羽鳥蘭は、職員室を見ているのか、はたまた単に外の風に当たりたいのか分からないが、ここ一週間ルーティンのように朝は窓の外を眺めていた。

 さらに観察を続けると、興味深い結果が見えてきた。
 普段は完璧少女の羽鳥蘭は、どの授業においてもここ数日ぼうっとしており、先生に当てられるとミスをする、ということを連発していた。だが、それが最も顕著だった授業がある。数学の授業だ。

「数学といえば、担任の授業だな」

「そうだ。早川の授業の時だけ、彼女の心拍数がたぶん、通常の二倍ほどに跳ね上がっている」

 一週間の調査を終えた俺は、自動販売機で新に奢らせたコーラを片手に、ピロティに座り込んで彼に報告をしていた。ちなみに新はメロンソーダを飲んでいる。

「心拍数って、圭一、そんなことまで分かるの?」

「……いや。これはあくまで推論だ」

「なんだよそれ! 客観性に欠けるな」

 コーラを奢らされた新は機嫌が悪いのか、ペッと唾でも吐き出しそうな勢いで顔を歪めた。

「でもあながち間違いってわけでもなさそうだぜ。彼女、数学の時だけ明らかにテンパってる。もはや、早川に恋でもしてんじゃないかって疑ってるくらいだ」

「は……恋?」

 今度はびくっと肩を揺らし、口に運びかけていたメロンソーダを持つ手を止めた。なんだ、そんなに驚くことなのか。

「まあこれは完全に想像だけどな。それぐらい、ミスはするし忘れ物はするし、“うわの空”状態だ。あの完璧でクールな羽鳥からは程遠く感じるな」

「それは俺も感じてたよ……でも、恋なんて……」

 だめだ。新は羽鳥蘭が早川に恋をしているという仮説を完全に信じ切っていて、これ以上何を言っても聞く耳を持ちそうにない。

「お前が羽鳥蘭のことを調べてほしいって言ってきたのって、もしかして……」

 俺の目を見て「ああああああ」と訳の分からない雄叫びを上げる新。そうか。そういうことか。まあいいと思うぞ。ライバルは数えきれないほどいるだろうがな。

「とにかく今度は本人に聞いてみるよ」

「本人!? 圭一、なかなかやるなあっ」

「まあね」

 実のところ、この妙ちくりんな探偵ごっこが楽しくなっていた。高校生活なんて、部活をしていない俺にとって、ただ惰性で過ぎていく青春の一ページにすぎない。
そんな灰色の高校生活も嫌いではなかったが、たまにはこういう、いわゆる“青春”的な活動をしてもよろしかろう、と心の神様が俺に囁いたのだ。



◆◇


「えっと、私に何の用でしょうか、美山(みやま)くん」

 窓から吹きつけてくる秋風が彼女の髪の毛を揺らし、彼女が右手で髪の毛を耳にかけた。白い頬や耳が露わになって、俺は目のやり場に困ってしまう。見てはいけないものではないはずなのに、あの深層の令嬢と呼ばれている羽鳥蘭の白い肌は艶かしく、同級生のそれとは全然違って見えた。

 新とピロティで話してから3日が経過していた。ここ3日間、彼女に話しかけるタイミングをずっと窺っていた。彼女は常に一人でいることが多いのだが、話しかけてはいけない神聖なオーラのようなものを放っており、ただ声をかけるだけでこんなにも気力と体力を使うなんて思ってもみなかった。

 放課後、誰も使っていない特別教室の鍵を借りて、彼女とそこで話をすることにした。鍵は、「テスト勉強をしたいので」と適当に嘘をついたら担任の早川が貸してくれたものだ。羽鳥蘭には断られるかと思ったが、声をかけると案外素直に応じてくれた。クラスメイトの誰も彼女に話しかけているところなんて見たことがなかったので、こうして二人きりになった今、俺の心臓は破裂しそうなほど激しく音を立てていた。

「ちょっと聞きたいことがあって。単刀直入すぎて悪いけど、最近羽鳥さんの様子が変だって噂が流れてるんだ。なんかさ、俺の友達がその理由を知りたがってて。決してクラスメイトのみんなに話すわけじゃないから、もしよければ教えて欲しいんだ」

 おお。俺にしては理路整然と、簡潔に伝えたいことを伝えることができた。
 俺の質問を聞いた彼女は、目を大きく見開き、分かりやすいほど動揺していた。なんだ、やっぱり他人には聞かれたくないことだったのか。それなら申し訳ないな。やっぱり大丈夫、と引き下がろうとしたのだが。

 彼女は結んでいた口をそっと開き、蚊の鳴くように呟いた。

「せいしろうさんの……」

「え?」

 せいしろうさん?
 それって誰のことだ、と聞こうとしたところで、俺はぴんときた。
 担任だ。担任の早川の下の名前は確か、「清四郎」のはず。でも、なぜ彼女は早川のことを下の名前で呼んだのだろうか。俺が首を傾げていると、彼女ははっとした様子で口元に手を当てていた。まるで、話してはいけないことを口にしてしまった時のようだ。いや実際そうなんだろう。彼女は俺の前で、早川のことを「清四郎さん」なんて呼ぶつもりはなかったんだ。それが、いつもの癖で出てしまった、という感じで口を噤んでいる。

「ごめんなさいっ!」

 この場の空気に耐えきれなくなったのか、彼女は一心不乱に特別教室から飛び出して行った。

「おい、ちょ!」

 俺としてはもう少し詳しい話が聞きたかったので、慌てて彼女を呼び止める。
 しかし、彼女の逃げ足は早く、俺が教室の入り口から顔を出した時には、廊下の向こうに彼女の長いさらさらの黒髪が靡いて消えていくのが見えた。

「まじかよ……」

 なすすべもなくその場に立ち尽くす俺。
 新になんて報告しよう。いやその前に、彼女が「清四郎さん」と呟いたことを、新であろうが誰かに伝えてもいいのだろうかと疑問が渦巻く。ああ、深入りするんじゃなかった。新よ、俺はとんでもないことを知ってしまったようだ。お前に伝えるには荷が重い。どうか許してくれ——と脳内で遺書まで書き始めたところで、俺の頭はフリーズした。

 とにかく、今は羽鳥蘭にこれ以上事情を聞くことはできない。
 これ以上の調査は諦めるしかないのかも。
 俺は新へのお詫びの品に、200円のアイスよりも高いものを考え始めていた。


◆◇

 あの日以降、羽鳥蘭は俺と絶対に目を合わせないようにして過ごしている。相変わらず挙動不審な様子は変わらない。そりゃそうだろう。自分と担任の秘密を知られてしまったのだから。彼女からすれば、いくら俺が秘密は守ると宣言したからと言って、そんな口約束をきちんと守ってくれるか分からなくて不安だろう。ここ数日、俺も羽鳥も身を縮こませて生活していた。


 事態が急転したのは、羽鳥蘭の調査を打ち切っていつもの日常に戻り、二週間ほどが経過した頃だった。
 本格的な木枯しが中庭の落ち葉をひゅるるっと巻き上げ、教室では生徒たちの制服が黒一色に染まり出したタイミングに、俺は担任の早川に呼び出された。俺は数学の教科担当で、数学の宿題を集めて提出したりプリントを配ったりする際には、早川の雑用係として働いていた。だからこの日も、また何か配布物の類で呼ばれたのだろうと思った。

 放課後に職員室へ赴くと、コーヒーの匂いが立ち込めていて、喫茶店にでも訪れた気分だった。早川のデスクに顔を出すと、案の定彼はコーヒーカップを手に「よう」と片手を上げた。

「何の用でしょうか」

 放課後なので、できれば早く家に帰りたい俺は、煽るようにして早川に用件を聞いた。
 彼は俺が急いでいることを察してくれたのか、コホン、と咳払いを一つしてこう切り出した。

「実はちょっと頼みたいことがあってな。これなんだが」

 早川はデスクの引き出しから、一枚の封筒を取り出す。薄桃色のシンプルな四角い封筒で、手紙だということはすぐに分かった。角のほうに、小さく「せいしろうさんへ」という宛名が書かれている。

「この間数学のノートを集めた時に、羽鳥のノートに挟まってたんだよ。それでその……」

「読んだんですね」

「そうだ。だってここに、俺の名前が書いてあるだろ? まさかとは思ったよ。でも、もし“そういう手紙”なら、勇気を出して書いてくれたものを、読まずに捨てるのは申し訳ないと思って」

「はあ。それで俺に何をしろと?」

 早川の言い分は分かる。確かに、自分の教科のノートに自分の名前が書かれた手紙が挟まっていたら、それはもう彼の予想した内容の手紙だと思うだろう。俺が早川でも、読んでいたと思う。
 でも、なぜそんなことを早川は俺に教えてくるのか。もしこの手紙が羽鳥からのラブレターなのだとすれば、部外者に伝える必要はない。一体彼は何を考えている?

「この手紙を、羽鳥に返してほしいんだ」

「返す?」

 早川は再びコーヒーに口をつけると、「ああ」と頷いた。
 もらった手紙を返すなんて、贈り主が可哀想ではないか。彼女のことを断るにしろ、自分から言うべきじゃないか。いちクラスメイトの俺に、なんたる役目を押し付けるのだ。
 俺はそろそろ早川に文句を言ってやろうと意気込んだが、彼が「それがな」と話を続けたので俺は口をつぐんだ。

「実は——」


◆◇

「羽鳥さん、悪いけどもう一度だけ俺に時間くれないかな」

 俺が再び羽鳥蘭に声をかけたのは、早川から羽鳥の手紙を受け取った翌日だった。本当は先生の言うことなど聞かずにスルーしてしまうこともできた。でも、偶然にも新から羽鳥蘭の調査を頼まれて実行していた俺が、こんなところで手を引くのは後味が悪いと思ってしまった。それに、早川が俺に伝えてきた事実を、彼女に確かめなければ俺の気が治らないという、ひどく独善的な理由もあった。

「……」

 羽鳥は最初、俺の言葉に耳を傾けようとしなかった。きっと、前回失敗してしまったことが頭をよぎったんだろう。気持ちはとてもよく分かる。だが俺は引き下がらずにこう続けた。

「手紙を、預かってるんだ」

 その一言に、ビクッと身体を震わせる彼女。よし。彼女の心に巣食っている悩みの種は、あの手紙だという確信が持てた。

 俺は生唾を飲み込んで、彼女の返事を待った。そして、しばらくすると彼女はとうとう「どこで話す?」と聞いてきたのだ。

「放課後、この間と同じ特別教室で」

「……分かった」

 ようやくアポを取ることにした成功した俺は心の中でガッツポーズをとった。



 まだ夕暮れというには早い時間だが、最近日が短くなっているのか、西日が教室に差し込む時間が早くなっている。西向きの特別教室は、橙色の光に包まれていた。

「手紙、返してくれる?」

 特別教室で再び俺と対峙した彼女は開口一番にそう聞いてきた。

「ああ。でも少し、俺の話を聞いてほしいんだ」

「話?」

「そう。俺の探偵ごっこを締めくくる、茶番劇を」

 場違いな俺の言葉に羽鳥蘭は首を捻る。反応はイマイチだが、まあいい。これは俺と新の、男のロマンが詰まった演出に過ぎないのだから。

「1ヶ月くらい前か、きみの様子がおかしいというのはクラスメイト全員が気づいていた。授業中、特に数学の授業の時、決まっておどおどしたりミスをしたりを繰り返す。朝はきょろきょろと職員室のほうを眺めている。落ち着きがない。俺たちの知っている羽鳥蘭は、もっと冷静でしなやかな人間だった」

 突然始まった俺の話に、羽鳥蘭はびっくりまなこを開いたままじっと耳を傾けている。
「きみ」などという気障な二人称を使いつつ、教室の中をうろうろと歩き回る俺は古典的な探偵小説の読み過ぎかもしれない。

「新に頼まれてきみのことを少しだけ観察させてもらったんだ。でも結局、どうしてきみが突然、挙動不審になってしまったのか分からずに時間だけが経って。きみと話をした時も、気を悪くさせてしまったかもしれない。勝手なことして悪かった」

「いえ……」

 羽鳥蘭の表情が次第に溶けて、切ないような、寂しいような複雑な感情が顔に滲み出ていた。

「それでやっぱり分からないからもう諦めようとしたんだけど、昨日早川から呼び出されてこれを渡された」

 俺は鞄の中に忍ばせておいた「せいしろうさんへ」という手紙を取り出し、彼女に差し出した。彼女はそれを受け取ることはせず、目を大きく見開いて見つめた。

「数学のノートに挟まってたんだって。最初早川は、自意識過剰だがラブレターだと思い込んで開けてしまったそうだ。なにせ、宛名が『せいしろうさん』だったからな。知ってるだろ。早川の下の名前。で、開いてびっくり。自分へラブレターだと思っていたそれは、全然自分とは無関係な内容だった。この手紙、本当は別の人に贈る予定だったんだよな」

 羽鳥蘭は俺の問いに、こっくりと頷く。そして、ずっと塞いでいた口をそっと開いた。

「……ええ。この手紙は私の祖父に書いたものなの。最近ずっと体調が悪くて、ボケも始まってて。だから、少しでも元気を出してほしくてサプライズのつもりで書いた。でもそれがある日突然なくなっていることに気づいて。思い返してみたら数学の課題を済ませたあとに書いたものだったから、数学のノートに挟まったまま提出してしまったんだって思い至ったの。その時早川先生の下の名前が、祖父と同じだってことにも気づいて焦ったわ。あんな、小学生みたいな平仮名だらけの手紙、誰かに見つかって読まれでもしたら恥ずかしくて。おじいちゃん、漢字を忘れてるから平仮名ばっかりになっちゃって。早川先生に見られたんじゃないかって、ずっとドキドキして眠れなくて……」

 そうか。だからここ最近、ずっと気が気でないという様子で過ごしていたのか。

「なるほど。そういう事情だったんだな。おじいさんって、例の地主だっていう?」

「ええ。私、おじいちゃんっこだから、おじいちゃんにはずっと元気でいてほしいって思って」

「そっか。すごい、おじいちゃん想いなんだな。そういうの、すごいと思う」

 羽鳥蘭の横顔が、夕陽で朱く染まっていく。その横顔が、あまりに美しくて教室で二人きりでいることが後ろめたく感じられるほどだった。

 俺は彼女のまっさらな心の声を聞いて、手紙を彼女の手に握らせた。彼女は驚いて、俺をじっと見つめる。

「あ、いやごめん。そういうつもりではなくて」

 勝手に彼女の手に触れてしまったことを謝り、教室からさっと出ようとした。

「美山くんありがとう」

 振り返ると手紙を胸の前でぎゅっと抱きしめる彼女が、繊細そうな瞳をきゅっと細めていた。夕暮れに佇むこんな彼女を見れば、彼女のことを好きになった新の気持ちが、少しだけ分かる気がした。




 後日、新にケーキを奢ってもらいつつ、羽鳥蘭の真相を告げると「なーんだ」とほっとしていた。羽鳥が早川のことを好きではないと分かったのが相当嬉しかったようだ。

「俺にもチャンスがあるってことかー。圭一でかした!」

 調子のいい新は、自分のケーキの上に乗ったフルーツまで俺の皿に乗せてくれた。

「まあでも、俺にもそのチャンス、あるってことだから」

 さらりとそう言う俺の目を見て、瞳を刃のように尖らせた新と、この後30分ほどケーキの奪い合いをしたのは、また別の話だ。




【終わり】