レインボー先輩からのLINEは、もうその日の夕刻にきた。
あや「明日の14時でいい?」
あさひ「だいじょうぶです」
あや「お菓子屋さんのとなりに茶房がある」「そこにラピスがいるから声かけて」
あさひ「了解です」
あや「清潔な真っ白い靴下はいていきなさい」
あさひ「???」
あや「あさひ茶席に招待された」
あさひ「えー」「心得ありません」
あや「ラピスがとなりに座ってくれるからそのとおりマネしなさい」
あさひ「はい」
あや「脚がしびれてもがんばって!」「ラピスがケアしてくれる」
翌日14時、ぼくは白い靴下でラピス先輩が待つ茶房にいった。道路に面した正面は、初見の人には、入りづらい隠れ家風…っていうか、外からみると格式のあるお屋敷、って感じ。一瞬、ホントに入っていっていいのかな、って思っちゃう。隣が和菓子屋さんだから間違いないよね? ちょっとだけ勇気を出してL字型に引っ込んだところにある重たい木のドアを押して入る。『雨と虹』は、通りがかりの観光客がフラっと入ってきやすい開放的な明るいファサードだけど、こちらは、その反対にインスタなんかで「金沢にホントは教えたくないヒミツのお店があります」的な投稿を見てくる人をターゲットにしてるんだろう。
中は思ってたよりだいぶ広い。入ると正面に長いカウンター、その後ろにワイドスクリーンみたいな横に長い窓がある。そして…その窓のむこうに上品な日本庭園が広がっている! すばらしい。入った瞬間に「わざわざ探してくる価値あった!」って思わせる光景だ。
ここは住宅が密集してる旧市街なのに、なんでこんな広い庭があるんだ…庭師がていねいに手入れしていることがはっきりわかる美しい庭。それだけじゃなくって、その庭の中央に小さな茶室。雅な光景がスクリーンの外に広がってる。さすが金沢でも指折りの老舗、その歴史が伝わってくる光景。
店内は、完全に和の設えなんだけど、その印象はものすごくモダン。広く明るいワイドスクリーンみたいな窓から見晴らす庭園。それと対比的に一つ一つのテーブルがロウソクにひっそりと照らされたみたいな仄暗い室内…この空間もスコール先輩のデザインに違いない。
「いらっしゃいませ…ああ、あさひ! いらっしゃい」
「こんにちは。今日はお世話になります。ラピス先輩」…教室のように「吉岡さん」じゃなくってコードネームでよんだのは、昨日レインボー先輩に聞いたとおり「じつは、ぼくも身内なんです」っていう意味をこめたつもり。今日は、料理教室の河住さん、じゃなくて、スコール先輩のインストラクターだった白雪姫先輩に会いにきたのだから。
ぼくが『超絶美少女』だったら、中村博士の理論どおり「先輩、美しくてあこがれちゃいます」的なあいさつをして、もっとはっきり「身内の人間です」ってことを宣言するところなんだけど、さすがにオトコのぼくがいきなりそれをすると微妙なんで、フツーの男子は使わないコードネームを使ったことで感じてもらえるかな、って。
「あさひ、コードネームの意味がわかってるのね」…うん。ラピス先輩は感じとってくれた。
「はい。ぼくは、恋人も姉も妹も『超絶美少女』っていう…フツーの男子にとっては、信じられない環境にいますから」
「わかった。じゃ、今日は身内として話そうね」
「ありがとうございます」
「叔母が…白雪姫先輩が待ってる。わたしについてきて」
「はい」
茶房の奥に目立たない引き戸があって、そこから庭園に出られる。ワイドスクリーンから眺めた老舗の歴史の中にぼくが入っていくなんてちょっと申しわけないような気分。
飛び石を渡って、茶室の前の蹲でラピス先輩に倣って手を清める。躙り口の前でラピス先輩がいう。
「おばさま…白雪姫先輩。ラピスです。あさひさんがいらっしゃいました」
一瞬、沈黙があった。ラピス先輩がいきなりコードネームを使ったので、白雪姫先輩は、その意味を一瞬測りかねたのかもしれない。
「お待ちしていました。ラピス、あさひをこちらにご案内して」…よかった。白雪姫先輩もわかってくれたみたい。ぼくは、ラピス先輩に導かれて茶室に入り、上品な和服を着ている白雪姫先輩の前に正座する。彼女がぼくをジッと見つめる。茶釜に静かにお湯が沸いていて、その音が静寂の茶室に響く。
「ようこそ。お待ちしていました。あさひ」
白雪姫先輩は、高校時代には、弓美みたいに「妖艶華麗」な、っていうか…もう、弓美のはるか上をいっちゃう、「豪華絢爛」な美少女だったんだ、って思う。大きな目、くっきりと形のいい唇、そして雪のように白い肌。そんな美少女が『わたしお嬢さまなの』っていう深紅のオーラを校内にまき散らしちゃってたんだろうなー。もう、フツーの男子には、まったく手が届かない『超絶美少女』だったはず。その華やかな美少女が年齢を重ねて、美しさに深みを重ねていった。漆芸家がものすごく手数を重ねて…深紅の薔薇の上に漆黒の漆を施していったみたいな。
それにしても、スコール先輩のインストラクターなのに…スコール先輩の一つ前の『超絶美少女』なのに、スコール先輩みたいに気軽に声をかけられる感じがしない。なんだ…彼女のこの圧倒的なパワーは…。レインボー先輩が「ちょっとコワい」っていってたのがわかる。「暮らしのアトリエ」では、感じなかったんだけど…このお嬢さま白雪姫じゃなくて継母の魔女だったんじゃないの? 料理教室では魔力を抑制してた? ひょっとしてラスボスはこのヒトか?
隣にラピス先輩がいてくれる。ぼくがすがりつくように彼女をみると、こちらをみてニコッと笑ってくれる。それで、やっと息ができた。
ラピス先輩も叔母さんと同じ『お嬢さま』なのに、叔母さんとは正反対。夏の日の海風みたいに爽やかな美人。年齢不詳なのは他の『超絶美少女』たちと同じ。外見じゃリンクス先輩とどっちが上か下かわかんない。しなやかに伸びた腕と脚が魅力的。そしてベリーショートヘア。はじめてスコール先輩のショートヘアを見たときに思ったけど、ショートヘアって「わたしの顔立ちって魅力的でしょ?」って自信もってる『確信犯』じゃなくちゃできないヘアスタイルだと思う。そのショートヘアをなぎさよりちょっと明るい亜麻色に染めてる。耳たぶから下がる水滴型のピアスが魅力的。ピアスの素材は…もちろん瑠璃。金の枠で縁どりされた鮮やかなブルーの石がすっきりとした横顔に映える。ラピス先輩は、鼻がツン、と上をむいていて、上唇も生意気にツン、と上をむいていて「ねっ、わたしにキスしたいっ?」って感じ。思わずその生意気な唇を奪っちゃいたくなる…でも、そんな「間違い」をしちゃったら次の瞬間、鼻血がでちゃうほど強烈な平手打ちが飛んでくること必至!…オトコを惑わせちゃうタイプのお嬢さま。
このおウチのお嬢様、2人とも強烈で、個性的で、圧倒されちゃう。
「よく来てくれたわ、あさひ…今日、あなたはお客さまだけど、いつものように『あさひ』ってよんでもいいわね。あなたがわたしたちをコードネームで呼ぶのなら、そのほうが話しやすいから」
「ありがとうございます。もちろん、あさひ、ってよんでください」
「じゃあ、まず一服。お茶の経験は?」
「すみません。まったく心得がありません。緊張してます」
「うふふ。じゃあ、あさひとラピス、2人一緒にお茶をたててあげる。ラピスに習ってめしあがれ」
そういって、白雪姫先輩は2つの茶碗を前において、お茶をたてはじめた。あたりの空気が凛と引き締まる。まったく茶道の心得がない高校生を前にしているのに、気持ちを込めてお茶をたててくれているのがわかる。作法も茶道具も…ぼくには、その価値を見抜く目がないけど、まったく乱れのない作法と一流の道具でもてなしてくれていることが、ヒシヒシと伝わってくる。やっぱりちょっと怖い。
「ウチの味、どうかな?」…前に美しい和菓子の鉢が置かれる。ラピス先輩が懐紙を渡してくれる。この調子じゃお菓子の味もわかんないぞ…と思いながら口にしたけど、ちゃんとおいしかった…さすがに老舗がつくる上生菓子は違う。
そして、2つの茶碗がぼくとラピス先輩の前におかれる。
「じゃあ、あさひ。わたしのマネをしてね。まず…」
ラピス先輩が動作を示しながら、わかりやすく口でも説明してくれる。白雪姫先輩の真剣さが伝わっちゃったから、すごく緊張しちゃう。抹茶の味のほうは、あまりわかんなかったけど…っていうより、抹茶を「飲んだ」コトがあまりない。抹茶アイスならわかるけど…とにもかくにも、なんとか一服する。
「さて、あさひ、スコールのコト、聞きたいんだって?」
「はい。…じつは、この数日、スコール先輩の様子がおかしくて、いつものような、明るくて自信に満ちた…スコール先輩じゃなくなっちゃったんです、なんだか、悩んでいるみたいなんです。それに、レインボー先輩とぼくが2人で食材を買い出しにいくのが気に入らなくって、レインボー先輩とケンカしちゃったんです。それで、レインボー先輩が、ぼくになんとかしろ、っていうんです」
「なぜ、あさひなのかしら?」
「レインボー先輩が、スコール先輩は、ぼくに、なにか、特別な気持ちをもっているに違いない、って…問題のモトはあさひにある、って、そういうんです。それから、この前、ぼくが姉の悩みを解決した、ってこともあって…おまえがなんとかしろ、って」
「それで、スコールには、直接聞いてみたの?」
「はい。ポツンと…『失くしてしまった昔の恋の思い出につまずいてしまって…どうすればいいのかわかんなくって、でも、どうしようもない、ってこともわかってて』って。それで、それ以上のことは、スコール先輩の『失くした恋』のことを知っているヒトに話を聞くしかないだろうと思って…『超絶美少女』がなにかあったときに真っ先に相談するのは、コーチかインストラクターですから。なぎさも、ぼくの姉もそうだったので、スコール先輩もコーチかインストラクターに聞いてみれば、なにか解決のカギがもらえるんじゃないか…って思ったんです」
「あさひ。確かにわたしは、スコールの大学時代の恋の1ページを知っている。他の誰も知らないことを…でも、まさか、あさひが、それを聞きにくるなんて…想像もしてなかった…スコールは、彼のコト…失くした恋の相手のコトを、あさひになにか話した?」
「ぼくと同じように『イケメンじゃなかった』そうです」
そのことばに白雪姫先輩は小さく吹きだした、失礼な…「それから、おしゃべりが上手で楽しいヒトで、だから、ぼくとレインボー先輩が楽しそうに話しているのを見てイラっとしたらしいです」
「そう、あなた、雰囲気が似てる。彼にそっくりなの」
「えっ!白雪姫先輩は、会ったことがあるんですか、その人に」
「スコールは、あさひと会って、高校時代の彼はこんな感じだったんだろうな、って想像してたのね。ずっと。ところが、後輩のレインボーが、その『高校時代の彼』と女子高生みたいに無邪気に楽しそうに話してるの見て、思わず嫉妬しちゃったんだよ。自分も高校生のオンナのコになっちゃって。スコールもまだカワイイところあるんだね」
「…でもね、あさひ。この件については、わたしが知ってるコトのほんの一部しか話せない。一番重要なコトをあさひに話すかどうかは、スコールが決めなくちゃならないことだから。スコールがそれをあさひに話せるようになったとき、スコールは自分で自分の恋のゆくえを決めることができたってことになる…それがわたしにはわかる。だから、ここでわたしが全部話すことはできないの。いいかしら?」
「はい。白雪姫先輩にパズルの1つのピースだけでも渡していただければ」
「スコールからひさしぶりに電話があったのは、彼女が大学に進学してから2年目の冬だった…あさひ、そのころは携帯電話、ってものがあったのよ。スマホじゃない。携帯電話ってね、話しかできなかったんだよ。知ってた?」
「いや、そのぐらい知ってます」
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「さやか先輩。こんにちは。レイです。突然、電話してすみません…いま、お話しできますか?」
「いいわよ。ひさしぶりね、スコール。元気でやってる?」
「あ、はい。あの、彩ちゃんはどうですか…」…スコールの声がちょっとためらいがち。どうしたんだろう?
「うん。ちゃんとまじめに勉強してるよ。わたしが厳しく監督してるから心配いらないよ…レイ、どうしたの?」
「はい」
「なにか困ったこと?」
「困ってはいないんですけど、さやか先輩にご相談したいことが」
「なに?」
「恋をしてるんです」
「あら。…幸せな恋じゃないの?」
「とても幸せで、とてもつらい恋、なんです」
「レイ、それって…フツーじゃない恋? 相手のオトコの人に誰かほかの?」
「ちがいます」
「そうね。レイだもんね。ヘンなことを考えたわたしがバカね。でも、それなら、どうして『つらい恋』なの?」
「期間限定の恋、なんです。来年の8月になったら、彼は外国にいってしまうんです。だから、それまでの恋なんです。わたしたちは、今年の10月に出会ったんです。でも、来年の8月が終わるころ、別れなくちゃならない。11か月間の期間限定の恋なんです」
彼が外国にいってしまう…既視感、むかし同じような恋があったことを、わたしは、ふと思いだした。
「それで? 相談って?」
「年末年始を金沢ですごしたいんです。二人だけでひっそりと。たった一度きりの…最初で最後の新年を二人だけで迎えたくて」
「ご家族には内緒で?」
「だって、期間限定の恋人を家族に紹介するのはちょっと…」
「まあそうね。紹介できないね。じゃ、もう一つ、どうして金沢なの? 2人で沖縄とか北海道にいくんじゃない? そういう家族に紹介できない人と旅行するときは、おたがいの故郷を避けるのがふつうでしょ?」
「あ、あの、それは…」
「レイ、なにか隠してるね」
「そ、それは、金沢に着いてから」
「どうしても金沢ですごしたい理由があるのね」
「はい。どうしても金沢ですごしたいんです」
「で、ゲストハウスに泊まりたい、っていうのが、今日の相談ね」
「すみません。厚かましいことを…」
「いいよ。年末年始は空いてるから、2人を招待してあげる」
「ありがとうございます…さやか先輩」
「レイが人生で一度だけの大切な日をどうすごそうか、って考えたときに、わたしを頼ってくれたことがうれしいの。だから、いいわよ。招待するわ」
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「でもね、12月30日、雪が降りしきる中、スコールがつれてきた『彼氏』を見て、わたし、ちょっと怒っちゃった」
「なぜですか?」
「わたしがよく知っているオトコだったのっ! あきれちゃった。連絡してくる人が逆じゃない? スコールじゃなくて、彼が先に報告してくるべきだった『じつは、このたび、松浦令さんとわりなき仲になってしまいました』ってね」
「『わりなきなか』って、白雪姫先輩もそんな昭和のことば使うんですね」
「悪かったね」
「誰だったんですか?」
「それはいえないって最初にいったでしょっ!」
「すみません」
「とにかくわたしは、ちょっと怒った。でも、あさひにいえない。くやしい」
「はあ」
「ま、そこは怒ったけど、二人の様子は、見ていて切なかった。二人が初めてで最後の金沢の冬をひっそりとまるで宝石のように大切に思ってすごしていることがわかったから。だからわたし、元旦の朝、若水を汲んで、この茶室に二人を呼んでお茶をたてたの。この茶室の初釜は、毎年1月6日って決めているんだけど、その年、たった一度だけ、元旦から釜を開いた。ちょうどあさひがいるところに彼がいて、ラピスが座ってるところにスコールが座ってた。いまでもはっきり思い出すの。わたしは、なんだか声をかけにくくて、彼らもほとんど話さなくて、3人で無言の行をしてるみたいだった。ちょっと可笑しいね。その年の元旦は、すばらしく晴れて…寒い朝だった」
「二人は、ずっとその…ゲストハウス…に、こもってたんですか」
「ううん。大晦日も元旦も出かけたよ」
「どこにいったんでしょうね」
「たぶん兼六園と高校ね」
「兼六園?」
「そう。だって金沢市民が兼六園にいくことって、ほとんどないじゃない。お客さんを案内するときぐらいかな。特に若い人が自分からいこう、って思うことはないんじゃない? それでも『いこう』って思うのは、特別な思い出をつくりたいと思ったとき。彼との初めてのデート、最後のデート、金沢での最初で最後のデート…」
うーん。だからなぎさは、初めてデートしたとき、どうしても兼六園に行くっ!って言いはったのかな。あいつ、ぼくとの最初のデートだから絶対に忘れない思い出をつくりたい、って思ってたのかな。なんてカワイイやつなんだ! きっとそうだ…なぎさって、そういうコだよ。自分に自信をもって、自分の決めたことに確信をもって行動する。だから、最初のデートでぼくを兼六園に誘って、自分の『想い』を見事に成就させちゃった…だから…あれから、兼六園にいこう…なんて一度もいわないもんな。
「…30日に雪が積もって、大晦日と元旦は晴天だった。だから二人はすばらしい雪景色の兼六園を一緒に見たはず」
「高校っていうのは」
「旭丘高校まで手をつないで歩いていって、年末年始だから、正門は鉄の柵で固く閉じられてたはずだけど、その柵に二人もたれて、おたがいの高校時代の話をしたのね…そこで二人はステキなアイディアを思いついた」
「え、どんな?」
「それはね…わたしがいっちゃいけないコト。スコールに直接聞いてごらん」
「またですか!」
「あのね。なぎさとあさひみたいに毎日、仲よく二人で通学できる恋人たちなんてめったにいないんだからね。あんたたち幸せだよ」
「い、いや、そうですかね」
「…元旦の夜は、外に出ないでここでゆっくりすごして、って。おせち料理の重箱と一升瓶をデリバリーしてあげた。『じゃ、二人でごゆっくり。今夜はいい初夢をみてね』って帰ろうとしたら、スコールに引き留められて、3人で酒盛り」
「えー、スコール先輩ってお酒飲むんですか?」
「なにいってるの。あのコ、うわばみよ」
「ウワバミって、蛇ですよね?」
「大きな大蛇よ。神話の時代からウワバミはお酒が大好き、ってことになってる」
「大きな大蛇、ですか。トートロジーですねっ」
「うるさい。スコールはね、どんなに飲んでも全然酔わない。バケモノなんだからね。あんたも気をつけなさい、一緒に飲んで酔いつぶされないように」
「まだ高校生ですから飲みません。で、白雪姫先輩も大ウワバミでしょ? へへ」
「ま、わたしは小さめのウワバミね」
「で、彼は?」
「中ウワバミ」
「へえ、どんな人かなあ」
「ダメ。いわないっていったでしょ! このわたしをひっかけようとしてもムダ」
「すみません」
「で、それから3人で大宴会になっちゃった。朝の無言の行とはうって変わって、いろいろおしゃべりしちゃった。でもね、それはあの二人の気持ちだったんだと思う」
「どういうことですか?」
「二人にはね、期間限定の恋だから、このまま誰にも知られず、ひっそりと終わろう、っていう気持ちとね、期間限定のこの恋だから、自分たち以外の誰かにしっかりと記憶しておいてほしい、っていう気持ちが…矛盾する二つの気持ちがあったんだと思う。自分たちのホントの恋を決して『なかったこと』にはしたくない、って。で、その唯一の証人に選ばれたのが、このわたし、ってわけ。だから、ゲストハウスに滞在したい、っていってきた。まったく調子いいんだから!」
「白雪姫先輩は、それを怒ってらっしゃるんですか?」
「怒ってはいない。わたしはあの二人に信認された。それはうれしいこと。だからもてなした。まさか、そのことを、何十年もたってから聞きにくる人がいるとは思ってもみなかったけど」
「…そして、1月2日の朝、二人のリクエストで、わたしは、また茶室でお茶をたてて、それから3人でお雑煮を食べて、ウフフ…また朝から、ちょっと飲んで…東京に帰る二人を見送った」
「…あさひ…わたしが話せるのはここまで。これ以上のことは、あさひが直接スコールから聞かなければならないの。いい?」
「話してもらえるでしょうか」
「たぶん」
「なぜ?」
「いったでしょ? スコールには『この恋をなかったことには、したくない』って気持ちがある。いまでも。誰かに話したい、知ってほしい、って」
「ぼくに話してくれるでしょうか?」
「スコールはあなたに話したいと思ってるの」
「なぜですか?」
「それは…うん、あのね、あさひがカワイイからよ」
「えー」
「なに?」
「白雪姫先輩まで、そんなことおっしゃると思いませんでした」
「ウフフ…」
「あの、質問してもいいですか?」
「なあに?」
「あの、ゲストハウスって何ですか?」
「ここよ」
「ここ?」
「ここはね、ちょっと前までウチのゲストハウスだったの。東京から取引先の人が出張してきたときの宿泊施設だったのよ…っていってもあさひにはピンとこないと思うけどね。明治から昭和の終わりまで、金沢って東京からとっても遠かったの。だから、金沢の企業は、あまり首都圏に進出しようという気持ちが強くなかったの。江戸時代から、金沢の人にとって大都市といえば、京都のことだった。それと上方…大阪ね。だから、金沢の会社は関西圏に取引先を探すのが普通だった。でもね、お菓子屋はダメ。金沢のお菓子は京都じゃ全然売れない。京都の人たちには、京菓子が世界一、っていうめちゃくちゃ強いプライドがあるから。かといって、北陸だけじゃマーケットは限られてる。それで、ウチはね、かなり早い時期から首都圏に販路を開拓した店の一つで、そのために東京から出張してくる取引先の人をもてなすための宿泊施設をつくったの。当時は、東京から金沢まで移動するだけで丸1日かかったの」
「そんなに」
「わたしの高校時代になっても、上野から金沢まで『北陸』っていう寝台特急が走ってくらいだからね」
「寝台特急…乗ってみたかったです」
「とにかく、お客さまには、金沢に宿泊してもらわなくちゃならない。じゃあ、しっかり金沢らしいおもてなしをして、取引先の人に金沢を気にいってもらって、金沢のお菓子も気にいってもらっちゃおう、っていう戦略。それで、当時の当主がこのすばらしい庭園と茶室がある武家屋敷を買いとって、ゲストハウスにした。いま、あさひが通ってきた茶房がね、昔はゲストハウスだったの。縁側から日本庭園と茶室を見晴らせたの…金沢のお菓子屋らしい接待でしょ」
「なるほどー」
「高校から大学時代まで、ゲストハウスが空いている週末によくお友だちを呼んで、お茶会やお泊り会をして遊んでたの。スコールやマリを呼んだことも何度もあったの。レインボーなんか中学生のときから出入りしてた。あのどうしようもないイタズラっ子!」
「ぜいたくな遊びですねー。お嬢さまの遊び」
「それをマネしたのが、スコールの『超絶美少女』アーカイブなの! あさひたち、この前、パーティしたんでしょ? ぜいたくな遊びしてるねー、あさひ」
「あ、いえ、ぼくは召使いとして料理係と洗濯係によばれたんです。遊んだのは『超絶美少女』のお嬢さまたちです。あれ? じゃ、スコール先輩、自分のアーカイブに泊まればよかったのに」
「家族に秘密にしたかったんだよ。あのコは」
「あー、そうでした」
「あさひ、もう一服いかが?」
「あ、は、はい…いただきます」
白雪姫先輩は、また、心をこめてお茶をたててくれた。でも今度は、ぼくだけに。
「どうぞ」
「あの」
「なに?」
「今度は、ぼく一人です、か?」
「あさひ。お茶ってなんだと思う?」
「えっ?」
「わたしがお茶をたてる。あなたがそれを飲む、なぜそんなコトすると思う?」
「い、いや、わかりません」
「あのね、あさひ」と、ラピス先輩が話を引きとってくれた。
「みんな、お茶ってね『作法』だと思ってるでしょ? 茶道って決められた作法をキチンと守って『お茶を飲むコト』だ、ってね」
「は、はい」
「ちがうの。ホントのお茶はね、コミュニケーションなの」
「コミュニケーション??」
「人々の間に身分や階級の差があって、争いが絶えなかった室町時代に茶道が始まった。こうやって小さな簡素な茶室で主人と客が向きあって対話する。その出会いに感謝をこめて主人はお茶をたてる。そして、客も主人との『一期一会』に想いをこめてお茶をいただく。『出会いと対話』それが茶道なの」
「…今日のこの席は、あさひとおば…白雪姫先輩が対話するために設けられた…だから、あさひ、作法なんか気にしないで、白雪姫先輩との『一期一会』に感謝をこめてお茶をいただけばそれでいいの」
「は、はい」…なんだかよくわからないけど、先輩との『一期一会』に感謝しながらお茶を飲む。作法は…無視するわけにいかないから…さっきラピス先輩が教えてくれたことを必死に思いだしてなぞる。
「……」
「あさひ!」…白雪姫先輩が突然、すごく怖い声をだした!
「は、はははいっ!!」
「あなた、筋がいいわ」
「は、はいっ?」
「わたしの弟子にしてあげる。これから毎週、教室に通いなさい」
「はいっ?」
「わたしの弟子として週1回、お茶の修行をしなさい」
「しゅ、週1回? い、いい、一期一会でしょ?」
「あさひは見どころがある。特別に弟子にしてあげます」
…えー、もしかして、ぼく、また仔犬の目しちゃった?
「で、弟子なんて恐れ多い…そんなー」
「あさひ、よかったわねー。これからは白雪姫先輩じゃなくて『お師匠さま』とおよびするのよ。できるだけカワイイ声で『お師匠さまぁー』ってね。わたしのことは『ルリおねえさまぁー』とよんでいいわ」
「なんで『おねえさまぁー』なんですかっ」
「あさひは、わたしの弟弟子になったのよ。だから、わたしはルリおねえさま、よ。いい?」
「じゃ、失礼してわたしは先に着替えにいく。どうせ、あさひ、立てないでしょ?」…白雪姫先輩がニヤッと笑って立ちあがる「お先に…茶房で待ってる」
後に残ったラピス先輩がいった「あさひ、立てる?」
「む、ムリです」…脚がしびれて…っていうより、もう感覚がなくなってて動かない。
「やっぱりねー」ラピス先輩は、ものすごくうれしそうにいうと、いきなりぼくの肩を突き飛ばした! そのまま転がってしまうぼく。脚が動かずなにもできないぼく。
「うつぶせになって足をのばしなさい」…というのと同時にラピス先輩がぼくの脚をむりやり引っぱってのばす。
「え、えええー」
ラピス先輩は、ぼくの足首の上に座って、いきなり太ももとふくらはぎをマッサージしはじめた!
「な、ななな、なんなんですか、このサービスは! お、お師匠さまぁー!」
一瞬なにかとんでもなく恐ろしいことがおきたと思った。けど、ラピス先輩のマッサージは、正統派のスポーツマッサージだった。練習の後、トレーナーが選手の筋肉をほぐすマッサージだ。
「どお?」
「ありがとうございます。すごくスッキリしました」
「歩ける?」
「もちろん」
「わたし、茶室でおばさまがあんなにおしゃべりに熱中するの初めてみた。やっぱりあさひって、レインボー先輩に選ばれただけあるね」
「選ばれた、ってなんですか」
「うふふ」
茶房に戻ると白雪姫先輩は、もう、カジュアルなシャツとパンツに着替えて待ってた。茶室にいたときのオーラを消して普通の人に戻ってる。まあ、美しさと気品は隠せないけど「上品な奥さま」程度のフツーのヒトに見せてる。見事に化けるところ、やっぱり弓美に似てる。
「どうだった? あさひ。ルリおねえさまのマッサージ、上手でしょ?」
「はい。とても」
「来週からあなたもおねえさまについて習うのよ」
「えええ? お茶じゃないんですか? マッサージの修行なんですか?」
「お師匠さまがお茶を伝授してくださる。その後、わたしがマッサージの指導をする、ってプログラムよ」
「2つも修行ですかぁ?」…なんか、このパターン『暮らしのアトリエ』と『雨と虹』のバイト掛け持ち、ってのと同じだな。さてはパクったんですね。
「あさひには、木曜の教室にきてほしいんだけど。木曜日、いい?」
「もちろん放課後ですよね、なぎさが予備校にいく曜日だから…まあ…しようがな…、いや、はい…」
「教室は6時からなの。生徒さんは主にオフィスワーカー。仕事の後、6時から45分間お茶で心を引きしめて、そのあと、30分間マッサージで身体をほぐして、時間のある人は、この茶房でゆっくりお茶を飲んで」
「また飲むんですか!」
「…そんなふうにすごす…『いつも忙しく働いている人のための木曜日の夜のリフレッシュ茶会withマッサージ』っていうのをやってみたの。でね、この企画が当たったの。希望者がだんだん増えて、しかもね、フツーお茶をやりたい人って女性が圧倒的に多いんだけどね、このクラスは男性も多いの。それで対策が必要になったの」
「なんですか?」
「わたしのようなチャーミングな女性がマッサージを担当してる、ってことが評判になると、淫猥な邪念をもったオトコが現れるんじゃないかって」
「『淫猥な邪念』なんておどろおどろしい!…だいたい茶道教室になんでマッサージつけるんですかっ。おかしくないですか?」
「あのね、ある調査によると、忙しすぎる日常の中で精神の平静を保つ修養としての茶道に興味がある、っていう人が65%もいるの。その一方、茶道をしたくない理由をあげてもらうと95%の人が脚がしびれてつらいから、って答えるの。でもね、わたしは思ったの。脚のしびれがつらい、っていうよりもね、他人に脚がしびれて立てなくなってるようなカッコ悪いところを見せたくないんじゃないか、って。だからね、この教室では、茶道を習う場面では、お師匠さまに思いっきり圧をかけてもらって、しっかり精神修養してもらう。で、その後、お師匠さまが出ていった後、茶室にみんなでころがって『わー、大変だったー。怖かったー。すっかり脚がしびれて立てないよー』って笑いあうような…75分のレッスン時間に、ものすごーい緊張と弛緩を体験する、っていうプログラムを創ってみたの。で、幸いこのわたしにはマッサージの技術があったから、茶会withマッサージということにしたわけ…思ったとおりこの企画はあたった」
「そんなわけでね」白雪姫先輩が話を続ける「茶道の心得があって、マッサージができるオトコの弟子が必要になったから募集してたの。でも、だれも応募してくれなかったの」
「そりゃそーですよ。そんな都合のいい人来ません!」
「でも、あさひが来てくれた!」
「ありがとう、あさひ。あなたステキ」
「2人で仔犬を罠にかけたんですね」
「でも、あさひ、決してソンはさせないわ。無料で茶道とマッサージが習えるのよ」…でもー…もう料理も習ってるし。高3生がこんなに手広く習い事やってていいのか?
「そうよー、あさひ、茶道の心得があって、マッサージが上手なオトコのコって、なかなかいないからモテるわよー」
「別にモテなくていいんです。これ以上…でも、白雪姫先輩…」
「お師匠さまでしょ」
「あ、すみません。お師匠さま」
「なに?」
「ぼく、マッサージの技術なんかありません」
「だから、夏休み中に特訓よ。マッサージもお茶も」
「えー、そんなー」
「いいわね。ま、あさひなら2・3日でマスターできるでしょ。形と手順だけなら。レインボーがあさひの吞みこみの速さを絶賛してた」
「それに…ぼく、来年4月から東京の大学に進学するつもりなんです」
「心配ない。もう後任は決めてある」
「誰ですか?」
「わたしのムスコとスコールのアニキのムスコ」
「え、白雪姫先輩…」
「お師匠さまでしょ!」
「お師匠さまってムスコさんいらっしゃるんですか?」
「いるわよ。おかしい?」
「い、いえ、全然おかしくないです。おいくつですか?」
「女性に歳を聞いてはいけないのよ、あさひ。そんなことしてると撃たれるよ」
「違います! ムスコさんの歳です!」
「高1よ。竹田ゆかりのクラス」
「え?」
「ゆかりと同じクラス、1年2組。スコールのアニキのムスコはその隣のクラス。3組」
「えー、ぼくの後輩だったんですか。それに白雪姫先輩―」
「お師匠さま」
「あー、めんどくさいなー」
「なにーっ!!!」
「い、いまのひとり言です」…怖いよー。急に魔女にもどるのヤメてくださいお師匠さま。
「…あの、お師匠さま、スコール先輩のおにいさんのコト、ご存じなんですか?」
「ご存じに決まってるでしょ。わたしが部長で彼が副部長だったんだから」
「はあ?」
「わたしたちの高校時代。スコールのアニキが副部長だったのっ」
「お師匠さま、スコール先輩のおにいさんと同じ学年だったんですか、じゃあ、2組の親子そろって? それってキセキですね」
「そうでもないわよ。同級生2人が石川県にずっと住んでるんだから、キセキっていうほどじゃない」
「えーと、なに部?」
「茶道部に決まってるでしょ!」
「あ、そうか。スコール先輩のおにいさんも茶道やってたんですか」
「当然でしょ。窯元のムスコだからね。彼は高校に入学したときには、もう、将来は陶芸家になる、って決めていたから茶道部に入った。老舗の和菓子屋のムスメにとっても、伝統ある窯元のムスコにとっても茶道は常識として知ってなくちゃならない習い事だからね。でも、わたしは子どものころからやってたけど、彼は高校に入ってからはじめた…わたしの厳しい指導の下に。だからアイツはわたしの最初の弟子ってわけ」…お師匠さまドヤ顔です。ゆかりみたいです。
「なるほど。じゃあ、スコール先輩と知りあう前からおにいさんを知ってたんですね」
「あさひ、意外と察しが悪いね」
「はあ」
「卒業前、わたしが次の代の『超絶美少女』を探しはじめたら、彼が『ウチの妹、結構イケると思うんだけどなあ…さやかとタイプは全然違うけど』って推薦してきたのよ」
「あ、そういうコトか」
「あさひ、知らないみたいだから、ついでにいっとくけどね。スコールのアニキってね、背がスラっと高くてイケメンなの。あさひと違ってね」
「もー、いちいちいわなくていいです。まったく」
「だから、交通整理が大変だった」
「なんの交通整理ですか?」
「茶道部の! 『超絶美少女』のわたし目当てに入部希望の男子が殺到してくる、スコールのアニキ目当てにお茶会に女子が殺到してくる、もう、部室が渋谷スクランブルみたいになっちゃって、それをさばくだけで大変だったんだから」
「ご苦労さまでした。お察し申し上げます…あの、じゃあ次にお師匠さまがいいたいこと、当ててみせましょうか?」
「なによ」
「きっと、お師匠さまのムスコさんもスコール先輩の甥御さんも、すごいイケメンなんでしょ…で、そこで『あさひと違って!!』っていいたいんでしょ?」
「なんでわかったのよ」
「そりゃ、弟子だからわかります」
「あら、あさひ、もうすっかり弟子になったのねー。いいコよ」
「はいっ。ルリおねえさま。どうせ逃れられないんでしょっ! この罠からは」
「とうとう観念したみたいね」
「でも、どうして最初からそのイケメン2人を弟子にしないんですか」
「理由は3つある。第1に味変よ」
「ん?」
「美女とイケメンだけでずっと教室を開いてると飽きがくるでしょ。間にちょっと変な味を入れたいの」
「変な味! じゃ、それ味変じゃないです、変味です!!」
「第2にオトリ」
「オトリ?」
「わたしがあの2人に『弟子にしてやる』っていっても『ヤダ』っていうに決まってる」
「そりゃそうです。どっちかっていうと、高校生になってもママのいいつけどおり素直に弟子になっちゃうようなムスコだったら将来が心配です」
「だから、2人を捕まえるために、もう一つ罠が必要なの、そのオトリがあさひ。あの2人、あさひに憧れてるから」
「なんですか。ぼくそんな下級生が憧れるようなコトしたおぼえありません。イケメンじゃないし!」
「愛の告白全校放送事件」
「あっ」
「あの日、2人ともその放送をしっかり聞いた。入学早々、高校ってすごいところなんだ、っておどろいた。その翌週、それはそれは幸せそうに手をつないで登校するなぎさとあさひを見た」
「手はつないでません! 学校の周囲300m以内に入ったら、決して手をつないではいけないと、なぎさに固くいい渡してます!」
「そうなの? とにかく、肩を並べて幸せそうに登校する2人を目撃して、ムスコがしみじみとわたしにいった…『ぼくもあんなふうに恋をしたいんだ』って。その後ろでスコールの甥もキラキラの瞳…わかった?あさひ」
「そんなー」
「だから、ある日、あさひが2人をよびだしていうの『ぼくはもうすぐ東京へいく。その前にキミたちに頼みがある。ぼくの弟弟子になってくれないか。茶道の心得があって、マッサージが上手なオトコのコって、なかなかいないからものすごーくモテる。キミたちにも、きっとすばらしい彼女ができる』ってね」
「それって、罠っていうより、ほぼ詐欺だと思います」
「いいの。やってね」
「はーい」
「そして、お師匠さまには、もう一つ、あさひを弟子にしたかった理由がある」…と、ラピス先輩。
「盛りだくさんですねー」
「お師匠さまは、レインボー先輩がうらやましかったの」
「なぜに?」
「ある日突然、レインボー先輩が『暮らしのアトリエ』でボーイフレンドを2人も公開しちゃった。お師匠さまは『レインボーのくせに、わたしに無断でハーレムつくった!』ってもう大層なご立腹」
「ハーレム!っていわれてるんですかっ!!」
「それも、ものすごーいイケメンの大学生と人なつっこくてカワイイ男子高校生っていう理想的な組み合わせ…それに最近、まなざしがシャープなスポーツマンタイプも取り込まれた、っていうじゃない」
「あのヒトは、現役の東大生ですから夏休み期間限定です」
「えー、彼、東大生なの、すばらしいじゃない。ますます理想のハーレムね。お師匠さまっ!」
「まったくレインボーのヤツ! ちょっと前までネンネの小娘だったくせに!」…ちょっとちょっとお師匠さま、そんなことで怒ってるんですか、あなた『超絶美少女』業界のボスキャラでしょ!
「ねっ? あさひ、わかった?」
「わかりました。お師匠さまって、負けず嫌いで…意外とこどもっぽいんですねっ」
「そう。お師匠さま、レインボー先輩に嫉妬しちゃってるの。カワイイとこあるでしょ」
「そうですねー。なんかまるで現役のJKみたいですねー」
「そうそう」
「少女マンガの…可憐なヒロインをいじめる高慢なお嬢さまキャラですねっ」
「それでお師匠さまは、レインボー先輩のハーレムからあさひを略奪しようと決心した、ってわけ」…そうかー、白雪姫先輩もスコール先輩もすごくステキなオトナ女性だけど、気持ちはまだまだオンナのコなんだ。ははは。
「あんたたち、なにコソコソしゃべってるのっ! あさひ、あんたは今日からわたしの弟子だからねっ!!それ忘れたら許さないからね!! レインボーとデートしたくなったら3週間前までにデート許可申請書を提出するんだよっ。それにお師匠さまがハンコ押すまでデート禁止だよっ!」
「はいはい。お師匠さまぁー」
「あさひ。この茶房、いい雰囲気でしょ?」
「はい。老舗の格式を感じるのに重たすぎなくて、庭園の緑を見ながら話が自然にはずむ、って感じがします」
「誰のデザインか、もちろんわかるでしょ?」
「もちろんスコール先輩です」
「そう。あのね、2015年に北陸新幹線が開業して、東京-金沢は日帰り圏になった。もうゲストハウスは必要なくなっちゃった、ってスコール先輩に相談したの。ゲストハウスを閉じる前に彼女に了解してもらわなくちゃならないと思って。スコール先輩にも大切な思い出のあるところだから」
「そしたら、スコールがね、ここに直営店と茶房を開きましょう、って提案してきたの」
「はあ」
「でも、ここ、ちょっと奥に引っ込んでるでしょう。だから客が入らないだろう、ってわたしがいったら、スコールは『これからは、みんなスマホで、わたしだけのヒミツのお店を探してやって来る時代がきます。そういうヒミツのお店をつくりましょう』って、ちょうどFacebookがすっかり普及して、インスタが流行りはじめたころだった。彼女、そんな時代の動きをしっかり把握してたの。スコールとレインボーが表通りに開いた『雨と虹』がすっかり軌道にのって…彼女はその次の一手を考えていたのね。わたし、高校時代から彼女のセンスはすごいと思ってたの。だから彼女のいうとおり、裏路地にヒミツのお店を開くことにした。スコールに、あんたはこのゲストハウスに恩があるんだから、デザイン料は格安にしてよ、っていたら、ニコッと笑って『一流のデザイナーはデザイン料を値引きしません』って。でもね、建築士も工務店も大工さんも全部スコールが信頼する人たちに声をかけてくれて、外観はもとのお屋敷のまま、庭に面した内側だけを新築してステキな茶房と店舗を造ってくれた。もちろんメニュー設計とデザインはレインボーに。そして、映像の専門家と組んで印象的なリール創って、SNSで上手に情報を発信してくれた。つまり、この茶房は『松浦令プロデュース』ってわけ。おかげさまで、この通り」
平日の「昼下がり」というには遅く、「夕暮れ」というにはちょっと早い中途半端な時刻なのに店内は6割の席が埋まっている。観光客と地元の人が半々ぐらいだろう。
「繁盛してるのにざわついた感じがないところがいいですね」
「そうなの。わたしたちが自慢できるお店ができたの」
「スコール先輩、すごいセンスですね…ところで、この茶房、名前はあるんですか?」
「あのねー、あさひ。入るとき看板をちゃんと見なかったの」
「あ、はい。ちょっと緊張してて…あんまり余裕なくて…レインボー先輩も道順しか教えてくれなかったんで」
「あのね『雪瑠璃』っていうのよ。それもスコール先輩のアイディア。ステキでしょ?」
「えー、それって『雨と虹』とまったく同じパターンじゃないですか」
「それに気づくのは、あさひみたいな業界内部の人間だけ」
「…まあ知らない人は「雪瑠璃」って文字を見ても、音の響きを聞いてもロマンティックだな、って思うだろうから、いいことにしましょうか。なんとなく金沢っぽいし、ステキですねっ!」
「でしょ!」
あや「明日の14時でいい?」
あさひ「だいじょうぶです」
あや「お菓子屋さんのとなりに茶房がある」「そこにラピスがいるから声かけて」
あさひ「了解です」
あや「清潔な真っ白い靴下はいていきなさい」
あさひ「???」
あや「あさひ茶席に招待された」
あさひ「えー」「心得ありません」
あや「ラピスがとなりに座ってくれるからそのとおりマネしなさい」
あさひ「はい」
あや「脚がしびれてもがんばって!」「ラピスがケアしてくれる」
翌日14時、ぼくは白い靴下でラピス先輩が待つ茶房にいった。道路に面した正面は、初見の人には、入りづらい隠れ家風…っていうか、外からみると格式のあるお屋敷、って感じ。一瞬、ホントに入っていっていいのかな、って思っちゃう。隣が和菓子屋さんだから間違いないよね? ちょっとだけ勇気を出してL字型に引っ込んだところにある重たい木のドアを押して入る。『雨と虹』は、通りがかりの観光客がフラっと入ってきやすい開放的な明るいファサードだけど、こちらは、その反対にインスタなんかで「金沢にホントは教えたくないヒミツのお店があります」的な投稿を見てくる人をターゲットにしてるんだろう。
中は思ってたよりだいぶ広い。入ると正面に長いカウンター、その後ろにワイドスクリーンみたいな横に長い窓がある。そして…その窓のむこうに上品な日本庭園が広がっている! すばらしい。入った瞬間に「わざわざ探してくる価値あった!」って思わせる光景だ。
ここは住宅が密集してる旧市街なのに、なんでこんな広い庭があるんだ…庭師がていねいに手入れしていることがはっきりわかる美しい庭。それだけじゃなくって、その庭の中央に小さな茶室。雅な光景がスクリーンの外に広がってる。さすが金沢でも指折りの老舗、その歴史が伝わってくる光景。
店内は、完全に和の設えなんだけど、その印象はものすごくモダン。広く明るいワイドスクリーンみたいな窓から見晴らす庭園。それと対比的に一つ一つのテーブルがロウソクにひっそりと照らされたみたいな仄暗い室内…この空間もスコール先輩のデザインに違いない。
「いらっしゃいませ…ああ、あさひ! いらっしゃい」
「こんにちは。今日はお世話になります。ラピス先輩」…教室のように「吉岡さん」じゃなくってコードネームでよんだのは、昨日レインボー先輩に聞いたとおり「じつは、ぼくも身内なんです」っていう意味をこめたつもり。今日は、料理教室の河住さん、じゃなくて、スコール先輩のインストラクターだった白雪姫先輩に会いにきたのだから。
ぼくが『超絶美少女』だったら、中村博士の理論どおり「先輩、美しくてあこがれちゃいます」的なあいさつをして、もっとはっきり「身内の人間です」ってことを宣言するところなんだけど、さすがにオトコのぼくがいきなりそれをすると微妙なんで、フツーの男子は使わないコードネームを使ったことで感じてもらえるかな、って。
「あさひ、コードネームの意味がわかってるのね」…うん。ラピス先輩は感じとってくれた。
「はい。ぼくは、恋人も姉も妹も『超絶美少女』っていう…フツーの男子にとっては、信じられない環境にいますから」
「わかった。じゃ、今日は身内として話そうね」
「ありがとうございます」
「叔母が…白雪姫先輩が待ってる。わたしについてきて」
「はい」
茶房の奥に目立たない引き戸があって、そこから庭園に出られる。ワイドスクリーンから眺めた老舗の歴史の中にぼくが入っていくなんてちょっと申しわけないような気分。
飛び石を渡って、茶室の前の蹲でラピス先輩に倣って手を清める。躙り口の前でラピス先輩がいう。
「おばさま…白雪姫先輩。ラピスです。あさひさんがいらっしゃいました」
一瞬、沈黙があった。ラピス先輩がいきなりコードネームを使ったので、白雪姫先輩は、その意味を一瞬測りかねたのかもしれない。
「お待ちしていました。ラピス、あさひをこちらにご案内して」…よかった。白雪姫先輩もわかってくれたみたい。ぼくは、ラピス先輩に導かれて茶室に入り、上品な和服を着ている白雪姫先輩の前に正座する。彼女がぼくをジッと見つめる。茶釜に静かにお湯が沸いていて、その音が静寂の茶室に響く。
「ようこそ。お待ちしていました。あさひ」
白雪姫先輩は、高校時代には、弓美みたいに「妖艶華麗」な、っていうか…もう、弓美のはるか上をいっちゃう、「豪華絢爛」な美少女だったんだ、って思う。大きな目、くっきりと形のいい唇、そして雪のように白い肌。そんな美少女が『わたしお嬢さまなの』っていう深紅のオーラを校内にまき散らしちゃってたんだろうなー。もう、フツーの男子には、まったく手が届かない『超絶美少女』だったはず。その華やかな美少女が年齢を重ねて、美しさに深みを重ねていった。漆芸家がものすごく手数を重ねて…深紅の薔薇の上に漆黒の漆を施していったみたいな。
それにしても、スコール先輩のインストラクターなのに…スコール先輩の一つ前の『超絶美少女』なのに、スコール先輩みたいに気軽に声をかけられる感じがしない。なんだ…彼女のこの圧倒的なパワーは…。レインボー先輩が「ちょっとコワい」っていってたのがわかる。「暮らしのアトリエ」では、感じなかったんだけど…このお嬢さま白雪姫じゃなくて継母の魔女だったんじゃないの? 料理教室では魔力を抑制してた? ひょっとしてラスボスはこのヒトか?
隣にラピス先輩がいてくれる。ぼくがすがりつくように彼女をみると、こちらをみてニコッと笑ってくれる。それで、やっと息ができた。
ラピス先輩も叔母さんと同じ『お嬢さま』なのに、叔母さんとは正反対。夏の日の海風みたいに爽やかな美人。年齢不詳なのは他の『超絶美少女』たちと同じ。外見じゃリンクス先輩とどっちが上か下かわかんない。しなやかに伸びた腕と脚が魅力的。そしてベリーショートヘア。はじめてスコール先輩のショートヘアを見たときに思ったけど、ショートヘアって「わたしの顔立ちって魅力的でしょ?」って自信もってる『確信犯』じゃなくちゃできないヘアスタイルだと思う。そのショートヘアをなぎさよりちょっと明るい亜麻色に染めてる。耳たぶから下がる水滴型のピアスが魅力的。ピアスの素材は…もちろん瑠璃。金の枠で縁どりされた鮮やかなブルーの石がすっきりとした横顔に映える。ラピス先輩は、鼻がツン、と上をむいていて、上唇も生意気にツン、と上をむいていて「ねっ、わたしにキスしたいっ?」って感じ。思わずその生意気な唇を奪っちゃいたくなる…でも、そんな「間違い」をしちゃったら次の瞬間、鼻血がでちゃうほど強烈な平手打ちが飛んでくること必至!…オトコを惑わせちゃうタイプのお嬢さま。
このおウチのお嬢様、2人とも強烈で、個性的で、圧倒されちゃう。
「よく来てくれたわ、あさひ…今日、あなたはお客さまだけど、いつものように『あさひ』ってよんでもいいわね。あなたがわたしたちをコードネームで呼ぶのなら、そのほうが話しやすいから」
「ありがとうございます。もちろん、あさひ、ってよんでください」
「じゃあ、まず一服。お茶の経験は?」
「すみません。まったく心得がありません。緊張してます」
「うふふ。じゃあ、あさひとラピス、2人一緒にお茶をたててあげる。ラピスに習ってめしあがれ」
そういって、白雪姫先輩は2つの茶碗を前において、お茶をたてはじめた。あたりの空気が凛と引き締まる。まったく茶道の心得がない高校生を前にしているのに、気持ちを込めてお茶をたててくれているのがわかる。作法も茶道具も…ぼくには、その価値を見抜く目がないけど、まったく乱れのない作法と一流の道具でもてなしてくれていることが、ヒシヒシと伝わってくる。やっぱりちょっと怖い。
「ウチの味、どうかな?」…前に美しい和菓子の鉢が置かれる。ラピス先輩が懐紙を渡してくれる。この調子じゃお菓子の味もわかんないぞ…と思いながら口にしたけど、ちゃんとおいしかった…さすがに老舗がつくる上生菓子は違う。
そして、2つの茶碗がぼくとラピス先輩の前におかれる。
「じゃあ、あさひ。わたしのマネをしてね。まず…」
ラピス先輩が動作を示しながら、わかりやすく口でも説明してくれる。白雪姫先輩の真剣さが伝わっちゃったから、すごく緊張しちゃう。抹茶の味のほうは、あまりわかんなかったけど…っていうより、抹茶を「飲んだ」コトがあまりない。抹茶アイスならわかるけど…とにもかくにも、なんとか一服する。
「さて、あさひ、スコールのコト、聞きたいんだって?」
「はい。…じつは、この数日、スコール先輩の様子がおかしくて、いつものような、明るくて自信に満ちた…スコール先輩じゃなくなっちゃったんです、なんだか、悩んでいるみたいなんです。それに、レインボー先輩とぼくが2人で食材を買い出しにいくのが気に入らなくって、レインボー先輩とケンカしちゃったんです。それで、レインボー先輩が、ぼくになんとかしろ、っていうんです」
「なぜ、あさひなのかしら?」
「レインボー先輩が、スコール先輩は、ぼくに、なにか、特別な気持ちをもっているに違いない、って…問題のモトはあさひにある、って、そういうんです。それから、この前、ぼくが姉の悩みを解決した、ってこともあって…おまえがなんとかしろ、って」
「それで、スコールには、直接聞いてみたの?」
「はい。ポツンと…『失くしてしまった昔の恋の思い出につまずいてしまって…どうすればいいのかわかんなくって、でも、どうしようもない、ってこともわかってて』って。それで、それ以上のことは、スコール先輩の『失くした恋』のことを知っているヒトに話を聞くしかないだろうと思って…『超絶美少女』がなにかあったときに真っ先に相談するのは、コーチかインストラクターですから。なぎさも、ぼくの姉もそうだったので、スコール先輩もコーチかインストラクターに聞いてみれば、なにか解決のカギがもらえるんじゃないか…って思ったんです」
「あさひ。確かにわたしは、スコールの大学時代の恋の1ページを知っている。他の誰も知らないことを…でも、まさか、あさひが、それを聞きにくるなんて…想像もしてなかった…スコールは、彼のコト…失くした恋の相手のコトを、あさひになにか話した?」
「ぼくと同じように『イケメンじゃなかった』そうです」
そのことばに白雪姫先輩は小さく吹きだした、失礼な…「それから、おしゃべりが上手で楽しいヒトで、だから、ぼくとレインボー先輩が楽しそうに話しているのを見てイラっとしたらしいです」
「そう、あなた、雰囲気が似てる。彼にそっくりなの」
「えっ!白雪姫先輩は、会ったことがあるんですか、その人に」
「スコールは、あさひと会って、高校時代の彼はこんな感じだったんだろうな、って想像してたのね。ずっと。ところが、後輩のレインボーが、その『高校時代の彼』と女子高生みたいに無邪気に楽しそうに話してるの見て、思わず嫉妬しちゃったんだよ。自分も高校生のオンナのコになっちゃって。スコールもまだカワイイところあるんだね」
「…でもね、あさひ。この件については、わたしが知ってるコトのほんの一部しか話せない。一番重要なコトをあさひに話すかどうかは、スコールが決めなくちゃならないことだから。スコールがそれをあさひに話せるようになったとき、スコールは自分で自分の恋のゆくえを決めることができたってことになる…それがわたしにはわかる。だから、ここでわたしが全部話すことはできないの。いいかしら?」
「はい。白雪姫先輩にパズルの1つのピースだけでも渡していただければ」
「スコールからひさしぶりに電話があったのは、彼女が大学に進学してから2年目の冬だった…あさひ、そのころは携帯電話、ってものがあったのよ。スマホじゃない。携帯電話ってね、話しかできなかったんだよ。知ってた?」
「いや、そのぐらい知ってます」
-----------------------------------------------------------------------
「さやか先輩。こんにちは。レイです。突然、電話してすみません…いま、お話しできますか?」
「いいわよ。ひさしぶりね、スコール。元気でやってる?」
「あ、はい。あの、彩ちゃんはどうですか…」…スコールの声がちょっとためらいがち。どうしたんだろう?
「うん。ちゃんとまじめに勉強してるよ。わたしが厳しく監督してるから心配いらないよ…レイ、どうしたの?」
「はい」
「なにか困ったこと?」
「困ってはいないんですけど、さやか先輩にご相談したいことが」
「なに?」
「恋をしてるんです」
「あら。…幸せな恋じゃないの?」
「とても幸せで、とてもつらい恋、なんです」
「レイ、それって…フツーじゃない恋? 相手のオトコの人に誰かほかの?」
「ちがいます」
「そうね。レイだもんね。ヘンなことを考えたわたしがバカね。でも、それなら、どうして『つらい恋』なの?」
「期間限定の恋、なんです。来年の8月になったら、彼は外国にいってしまうんです。だから、それまでの恋なんです。わたしたちは、今年の10月に出会ったんです。でも、来年の8月が終わるころ、別れなくちゃならない。11か月間の期間限定の恋なんです」
彼が外国にいってしまう…既視感、むかし同じような恋があったことを、わたしは、ふと思いだした。
「それで? 相談って?」
「年末年始を金沢ですごしたいんです。二人だけでひっそりと。たった一度きりの…最初で最後の新年を二人だけで迎えたくて」
「ご家族には内緒で?」
「だって、期間限定の恋人を家族に紹介するのはちょっと…」
「まあそうね。紹介できないね。じゃ、もう一つ、どうして金沢なの? 2人で沖縄とか北海道にいくんじゃない? そういう家族に紹介できない人と旅行するときは、おたがいの故郷を避けるのがふつうでしょ?」
「あ、あの、それは…」
「レイ、なにか隠してるね」
「そ、それは、金沢に着いてから」
「どうしても金沢ですごしたい理由があるのね」
「はい。どうしても金沢ですごしたいんです」
「で、ゲストハウスに泊まりたい、っていうのが、今日の相談ね」
「すみません。厚かましいことを…」
「いいよ。年末年始は空いてるから、2人を招待してあげる」
「ありがとうございます…さやか先輩」
「レイが人生で一度だけの大切な日をどうすごそうか、って考えたときに、わたしを頼ってくれたことがうれしいの。だから、いいわよ。招待するわ」
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「でもね、12月30日、雪が降りしきる中、スコールがつれてきた『彼氏』を見て、わたし、ちょっと怒っちゃった」
「なぜですか?」
「わたしがよく知っているオトコだったのっ! あきれちゃった。連絡してくる人が逆じゃない? スコールじゃなくて、彼が先に報告してくるべきだった『じつは、このたび、松浦令さんとわりなき仲になってしまいました』ってね」
「『わりなきなか』って、白雪姫先輩もそんな昭和のことば使うんですね」
「悪かったね」
「誰だったんですか?」
「それはいえないって最初にいったでしょっ!」
「すみません」
「とにかくわたしは、ちょっと怒った。でも、あさひにいえない。くやしい」
「はあ」
「ま、そこは怒ったけど、二人の様子は、見ていて切なかった。二人が初めてで最後の金沢の冬をひっそりとまるで宝石のように大切に思ってすごしていることがわかったから。だからわたし、元旦の朝、若水を汲んで、この茶室に二人を呼んでお茶をたてたの。この茶室の初釜は、毎年1月6日って決めているんだけど、その年、たった一度だけ、元旦から釜を開いた。ちょうどあさひがいるところに彼がいて、ラピスが座ってるところにスコールが座ってた。いまでもはっきり思い出すの。わたしは、なんだか声をかけにくくて、彼らもほとんど話さなくて、3人で無言の行をしてるみたいだった。ちょっと可笑しいね。その年の元旦は、すばらしく晴れて…寒い朝だった」
「二人は、ずっとその…ゲストハウス…に、こもってたんですか」
「ううん。大晦日も元旦も出かけたよ」
「どこにいったんでしょうね」
「たぶん兼六園と高校ね」
「兼六園?」
「そう。だって金沢市民が兼六園にいくことって、ほとんどないじゃない。お客さんを案内するときぐらいかな。特に若い人が自分からいこう、って思うことはないんじゃない? それでも『いこう』って思うのは、特別な思い出をつくりたいと思ったとき。彼との初めてのデート、最後のデート、金沢での最初で最後のデート…」
うーん。だからなぎさは、初めてデートしたとき、どうしても兼六園に行くっ!って言いはったのかな。あいつ、ぼくとの最初のデートだから絶対に忘れない思い出をつくりたい、って思ってたのかな。なんてカワイイやつなんだ! きっとそうだ…なぎさって、そういうコだよ。自分に自信をもって、自分の決めたことに確信をもって行動する。だから、最初のデートでぼくを兼六園に誘って、自分の『想い』を見事に成就させちゃった…だから…あれから、兼六園にいこう…なんて一度もいわないもんな。
「…30日に雪が積もって、大晦日と元旦は晴天だった。だから二人はすばらしい雪景色の兼六園を一緒に見たはず」
「高校っていうのは」
「旭丘高校まで手をつないで歩いていって、年末年始だから、正門は鉄の柵で固く閉じられてたはずだけど、その柵に二人もたれて、おたがいの高校時代の話をしたのね…そこで二人はステキなアイディアを思いついた」
「え、どんな?」
「それはね…わたしがいっちゃいけないコト。スコールに直接聞いてごらん」
「またですか!」
「あのね。なぎさとあさひみたいに毎日、仲よく二人で通学できる恋人たちなんてめったにいないんだからね。あんたたち幸せだよ」
「い、いや、そうですかね」
「…元旦の夜は、外に出ないでここでゆっくりすごして、って。おせち料理の重箱と一升瓶をデリバリーしてあげた。『じゃ、二人でごゆっくり。今夜はいい初夢をみてね』って帰ろうとしたら、スコールに引き留められて、3人で酒盛り」
「えー、スコール先輩ってお酒飲むんですか?」
「なにいってるの。あのコ、うわばみよ」
「ウワバミって、蛇ですよね?」
「大きな大蛇よ。神話の時代からウワバミはお酒が大好き、ってことになってる」
「大きな大蛇、ですか。トートロジーですねっ」
「うるさい。スコールはね、どんなに飲んでも全然酔わない。バケモノなんだからね。あんたも気をつけなさい、一緒に飲んで酔いつぶされないように」
「まだ高校生ですから飲みません。で、白雪姫先輩も大ウワバミでしょ? へへ」
「ま、わたしは小さめのウワバミね」
「で、彼は?」
「中ウワバミ」
「へえ、どんな人かなあ」
「ダメ。いわないっていったでしょ! このわたしをひっかけようとしてもムダ」
「すみません」
「で、それから3人で大宴会になっちゃった。朝の無言の行とはうって変わって、いろいろおしゃべりしちゃった。でもね、それはあの二人の気持ちだったんだと思う」
「どういうことですか?」
「二人にはね、期間限定の恋だから、このまま誰にも知られず、ひっそりと終わろう、っていう気持ちとね、期間限定のこの恋だから、自分たち以外の誰かにしっかりと記憶しておいてほしい、っていう気持ちが…矛盾する二つの気持ちがあったんだと思う。自分たちのホントの恋を決して『なかったこと』にはしたくない、って。で、その唯一の証人に選ばれたのが、このわたし、ってわけ。だから、ゲストハウスに滞在したい、っていってきた。まったく調子いいんだから!」
「白雪姫先輩は、それを怒ってらっしゃるんですか?」
「怒ってはいない。わたしはあの二人に信認された。それはうれしいこと。だからもてなした。まさか、そのことを、何十年もたってから聞きにくる人がいるとは思ってもみなかったけど」
「…そして、1月2日の朝、二人のリクエストで、わたしは、また茶室でお茶をたてて、それから3人でお雑煮を食べて、ウフフ…また朝から、ちょっと飲んで…東京に帰る二人を見送った」
「…あさひ…わたしが話せるのはここまで。これ以上のことは、あさひが直接スコールから聞かなければならないの。いい?」
「話してもらえるでしょうか」
「たぶん」
「なぜ?」
「いったでしょ? スコールには『この恋をなかったことには、したくない』って気持ちがある。いまでも。誰かに話したい、知ってほしい、って」
「ぼくに話してくれるでしょうか?」
「スコールはあなたに話したいと思ってるの」
「なぜですか?」
「それは…うん、あのね、あさひがカワイイからよ」
「えー」
「なに?」
「白雪姫先輩まで、そんなことおっしゃると思いませんでした」
「ウフフ…」
「あの、質問してもいいですか?」
「なあに?」
「あの、ゲストハウスって何ですか?」
「ここよ」
「ここ?」
「ここはね、ちょっと前までウチのゲストハウスだったの。東京から取引先の人が出張してきたときの宿泊施設だったのよ…っていってもあさひにはピンとこないと思うけどね。明治から昭和の終わりまで、金沢って東京からとっても遠かったの。だから、金沢の企業は、あまり首都圏に進出しようという気持ちが強くなかったの。江戸時代から、金沢の人にとって大都市といえば、京都のことだった。それと上方…大阪ね。だから、金沢の会社は関西圏に取引先を探すのが普通だった。でもね、お菓子屋はダメ。金沢のお菓子は京都じゃ全然売れない。京都の人たちには、京菓子が世界一、っていうめちゃくちゃ強いプライドがあるから。かといって、北陸だけじゃマーケットは限られてる。それで、ウチはね、かなり早い時期から首都圏に販路を開拓した店の一つで、そのために東京から出張してくる取引先の人をもてなすための宿泊施設をつくったの。当時は、東京から金沢まで移動するだけで丸1日かかったの」
「そんなに」
「わたしの高校時代になっても、上野から金沢まで『北陸』っていう寝台特急が走ってくらいだからね」
「寝台特急…乗ってみたかったです」
「とにかく、お客さまには、金沢に宿泊してもらわなくちゃならない。じゃあ、しっかり金沢らしいおもてなしをして、取引先の人に金沢を気にいってもらって、金沢のお菓子も気にいってもらっちゃおう、っていう戦略。それで、当時の当主がこのすばらしい庭園と茶室がある武家屋敷を買いとって、ゲストハウスにした。いま、あさひが通ってきた茶房がね、昔はゲストハウスだったの。縁側から日本庭園と茶室を見晴らせたの…金沢のお菓子屋らしい接待でしょ」
「なるほどー」
「高校から大学時代まで、ゲストハウスが空いている週末によくお友だちを呼んで、お茶会やお泊り会をして遊んでたの。スコールやマリを呼んだことも何度もあったの。レインボーなんか中学生のときから出入りしてた。あのどうしようもないイタズラっ子!」
「ぜいたくな遊びですねー。お嬢さまの遊び」
「それをマネしたのが、スコールの『超絶美少女』アーカイブなの! あさひたち、この前、パーティしたんでしょ? ぜいたくな遊びしてるねー、あさひ」
「あ、いえ、ぼくは召使いとして料理係と洗濯係によばれたんです。遊んだのは『超絶美少女』のお嬢さまたちです。あれ? じゃ、スコール先輩、自分のアーカイブに泊まればよかったのに」
「家族に秘密にしたかったんだよ。あのコは」
「あー、そうでした」
「あさひ、もう一服いかが?」
「あ、は、はい…いただきます」
白雪姫先輩は、また、心をこめてお茶をたててくれた。でも今度は、ぼくだけに。
「どうぞ」
「あの」
「なに?」
「今度は、ぼく一人です、か?」
「あさひ。お茶ってなんだと思う?」
「えっ?」
「わたしがお茶をたてる。あなたがそれを飲む、なぜそんなコトすると思う?」
「い、いや、わかりません」
「あのね、あさひ」と、ラピス先輩が話を引きとってくれた。
「みんな、お茶ってね『作法』だと思ってるでしょ? 茶道って決められた作法をキチンと守って『お茶を飲むコト』だ、ってね」
「は、はい」
「ちがうの。ホントのお茶はね、コミュニケーションなの」
「コミュニケーション??」
「人々の間に身分や階級の差があって、争いが絶えなかった室町時代に茶道が始まった。こうやって小さな簡素な茶室で主人と客が向きあって対話する。その出会いに感謝をこめて主人はお茶をたてる。そして、客も主人との『一期一会』に想いをこめてお茶をいただく。『出会いと対話』それが茶道なの」
「…今日のこの席は、あさひとおば…白雪姫先輩が対話するために設けられた…だから、あさひ、作法なんか気にしないで、白雪姫先輩との『一期一会』に感謝をこめてお茶をいただけばそれでいいの」
「は、はい」…なんだかよくわからないけど、先輩との『一期一会』に感謝しながらお茶を飲む。作法は…無視するわけにいかないから…さっきラピス先輩が教えてくれたことを必死に思いだしてなぞる。
「……」
「あさひ!」…白雪姫先輩が突然、すごく怖い声をだした!
「は、はははいっ!!」
「あなた、筋がいいわ」
「は、はいっ?」
「わたしの弟子にしてあげる。これから毎週、教室に通いなさい」
「はいっ?」
「わたしの弟子として週1回、お茶の修行をしなさい」
「しゅ、週1回? い、いい、一期一会でしょ?」
「あさひは見どころがある。特別に弟子にしてあげます」
…えー、もしかして、ぼく、また仔犬の目しちゃった?
「で、弟子なんて恐れ多い…そんなー」
「あさひ、よかったわねー。これからは白雪姫先輩じゃなくて『お師匠さま』とおよびするのよ。できるだけカワイイ声で『お師匠さまぁー』ってね。わたしのことは『ルリおねえさまぁー』とよんでいいわ」
「なんで『おねえさまぁー』なんですかっ」
「あさひは、わたしの弟弟子になったのよ。だから、わたしはルリおねえさま、よ。いい?」
「じゃ、失礼してわたしは先に着替えにいく。どうせ、あさひ、立てないでしょ?」…白雪姫先輩がニヤッと笑って立ちあがる「お先に…茶房で待ってる」
後に残ったラピス先輩がいった「あさひ、立てる?」
「む、ムリです」…脚がしびれて…っていうより、もう感覚がなくなってて動かない。
「やっぱりねー」ラピス先輩は、ものすごくうれしそうにいうと、いきなりぼくの肩を突き飛ばした! そのまま転がってしまうぼく。脚が動かずなにもできないぼく。
「うつぶせになって足をのばしなさい」…というのと同時にラピス先輩がぼくの脚をむりやり引っぱってのばす。
「え、えええー」
ラピス先輩は、ぼくの足首の上に座って、いきなり太ももとふくらはぎをマッサージしはじめた!
「な、ななな、なんなんですか、このサービスは! お、お師匠さまぁー!」
一瞬なにかとんでもなく恐ろしいことがおきたと思った。けど、ラピス先輩のマッサージは、正統派のスポーツマッサージだった。練習の後、トレーナーが選手の筋肉をほぐすマッサージだ。
「どお?」
「ありがとうございます。すごくスッキリしました」
「歩ける?」
「もちろん」
「わたし、茶室でおばさまがあんなにおしゃべりに熱中するの初めてみた。やっぱりあさひって、レインボー先輩に選ばれただけあるね」
「選ばれた、ってなんですか」
「うふふ」
茶房に戻ると白雪姫先輩は、もう、カジュアルなシャツとパンツに着替えて待ってた。茶室にいたときのオーラを消して普通の人に戻ってる。まあ、美しさと気品は隠せないけど「上品な奥さま」程度のフツーのヒトに見せてる。見事に化けるところ、やっぱり弓美に似てる。
「どうだった? あさひ。ルリおねえさまのマッサージ、上手でしょ?」
「はい。とても」
「来週からあなたもおねえさまについて習うのよ」
「えええ? お茶じゃないんですか? マッサージの修行なんですか?」
「お師匠さまがお茶を伝授してくださる。その後、わたしがマッサージの指導をする、ってプログラムよ」
「2つも修行ですかぁ?」…なんか、このパターン『暮らしのアトリエ』と『雨と虹』のバイト掛け持ち、ってのと同じだな。さてはパクったんですね。
「あさひには、木曜の教室にきてほしいんだけど。木曜日、いい?」
「もちろん放課後ですよね、なぎさが予備校にいく曜日だから…まあ…しようがな…、いや、はい…」
「教室は6時からなの。生徒さんは主にオフィスワーカー。仕事の後、6時から45分間お茶で心を引きしめて、そのあと、30分間マッサージで身体をほぐして、時間のある人は、この茶房でゆっくりお茶を飲んで」
「また飲むんですか!」
「…そんなふうにすごす…『いつも忙しく働いている人のための木曜日の夜のリフレッシュ茶会withマッサージ』っていうのをやってみたの。でね、この企画が当たったの。希望者がだんだん増えて、しかもね、フツーお茶をやりたい人って女性が圧倒的に多いんだけどね、このクラスは男性も多いの。それで対策が必要になったの」
「なんですか?」
「わたしのようなチャーミングな女性がマッサージを担当してる、ってことが評判になると、淫猥な邪念をもったオトコが現れるんじゃないかって」
「『淫猥な邪念』なんておどろおどろしい!…だいたい茶道教室になんでマッサージつけるんですかっ。おかしくないですか?」
「あのね、ある調査によると、忙しすぎる日常の中で精神の平静を保つ修養としての茶道に興味がある、っていう人が65%もいるの。その一方、茶道をしたくない理由をあげてもらうと95%の人が脚がしびれてつらいから、って答えるの。でもね、わたしは思ったの。脚のしびれがつらい、っていうよりもね、他人に脚がしびれて立てなくなってるようなカッコ悪いところを見せたくないんじゃないか、って。だからね、この教室では、茶道を習う場面では、お師匠さまに思いっきり圧をかけてもらって、しっかり精神修養してもらう。で、その後、お師匠さまが出ていった後、茶室にみんなでころがって『わー、大変だったー。怖かったー。すっかり脚がしびれて立てないよー』って笑いあうような…75分のレッスン時間に、ものすごーい緊張と弛緩を体験する、っていうプログラムを創ってみたの。で、幸いこのわたしにはマッサージの技術があったから、茶会withマッサージということにしたわけ…思ったとおりこの企画はあたった」
「そんなわけでね」白雪姫先輩が話を続ける「茶道の心得があって、マッサージができるオトコの弟子が必要になったから募集してたの。でも、だれも応募してくれなかったの」
「そりゃそーですよ。そんな都合のいい人来ません!」
「でも、あさひが来てくれた!」
「ありがとう、あさひ。あなたステキ」
「2人で仔犬を罠にかけたんですね」
「でも、あさひ、決してソンはさせないわ。無料で茶道とマッサージが習えるのよ」…でもー…もう料理も習ってるし。高3生がこんなに手広く習い事やってていいのか?
「そうよー、あさひ、茶道の心得があって、マッサージが上手なオトコのコって、なかなかいないからモテるわよー」
「別にモテなくていいんです。これ以上…でも、白雪姫先輩…」
「お師匠さまでしょ」
「あ、すみません。お師匠さま」
「なに?」
「ぼく、マッサージの技術なんかありません」
「だから、夏休み中に特訓よ。マッサージもお茶も」
「えー、そんなー」
「いいわね。ま、あさひなら2・3日でマスターできるでしょ。形と手順だけなら。レインボーがあさひの吞みこみの速さを絶賛してた」
「それに…ぼく、来年4月から東京の大学に進学するつもりなんです」
「心配ない。もう後任は決めてある」
「誰ですか?」
「わたしのムスコとスコールのアニキのムスコ」
「え、白雪姫先輩…」
「お師匠さまでしょ!」
「お師匠さまってムスコさんいらっしゃるんですか?」
「いるわよ。おかしい?」
「い、いえ、全然おかしくないです。おいくつですか?」
「女性に歳を聞いてはいけないのよ、あさひ。そんなことしてると撃たれるよ」
「違います! ムスコさんの歳です!」
「高1よ。竹田ゆかりのクラス」
「え?」
「ゆかりと同じクラス、1年2組。スコールのアニキのムスコはその隣のクラス。3組」
「えー、ぼくの後輩だったんですか。それに白雪姫先輩―」
「お師匠さま」
「あー、めんどくさいなー」
「なにーっ!!!」
「い、いまのひとり言です」…怖いよー。急に魔女にもどるのヤメてくださいお師匠さま。
「…あの、お師匠さま、スコール先輩のおにいさんのコト、ご存じなんですか?」
「ご存じに決まってるでしょ。わたしが部長で彼が副部長だったんだから」
「はあ?」
「わたしたちの高校時代。スコールのアニキが副部長だったのっ」
「お師匠さま、スコール先輩のおにいさんと同じ学年だったんですか、じゃあ、2組の親子そろって? それってキセキですね」
「そうでもないわよ。同級生2人が石川県にずっと住んでるんだから、キセキっていうほどじゃない」
「えーと、なに部?」
「茶道部に決まってるでしょ!」
「あ、そうか。スコール先輩のおにいさんも茶道やってたんですか」
「当然でしょ。窯元のムスコだからね。彼は高校に入学したときには、もう、将来は陶芸家になる、って決めていたから茶道部に入った。老舗の和菓子屋のムスメにとっても、伝統ある窯元のムスコにとっても茶道は常識として知ってなくちゃならない習い事だからね。でも、わたしは子どものころからやってたけど、彼は高校に入ってからはじめた…わたしの厳しい指導の下に。だからアイツはわたしの最初の弟子ってわけ」…お師匠さまドヤ顔です。ゆかりみたいです。
「なるほど。じゃあ、スコール先輩と知りあう前からおにいさんを知ってたんですね」
「あさひ、意外と察しが悪いね」
「はあ」
「卒業前、わたしが次の代の『超絶美少女』を探しはじめたら、彼が『ウチの妹、結構イケると思うんだけどなあ…さやかとタイプは全然違うけど』って推薦してきたのよ」
「あ、そういうコトか」
「あさひ、知らないみたいだから、ついでにいっとくけどね。スコールのアニキってね、背がスラっと高くてイケメンなの。あさひと違ってね」
「もー、いちいちいわなくていいです。まったく」
「だから、交通整理が大変だった」
「なんの交通整理ですか?」
「茶道部の! 『超絶美少女』のわたし目当てに入部希望の男子が殺到してくる、スコールのアニキ目当てにお茶会に女子が殺到してくる、もう、部室が渋谷スクランブルみたいになっちゃって、それをさばくだけで大変だったんだから」
「ご苦労さまでした。お察し申し上げます…あの、じゃあ次にお師匠さまがいいたいこと、当ててみせましょうか?」
「なによ」
「きっと、お師匠さまのムスコさんもスコール先輩の甥御さんも、すごいイケメンなんでしょ…で、そこで『あさひと違って!!』っていいたいんでしょ?」
「なんでわかったのよ」
「そりゃ、弟子だからわかります」
「あら、あさひ、もうすっかり弟子になったのねー。いいコよ」
「はいっ。ルリおねえさま。どうせ逃れられないんでしょっ! この罠からは」
「とうとう観念したみたいね」
「でも、どうして最初からそのイケメン2人を弟子にしないんですか」
「理由は3つある。第1に味変よ」
「ん?」
「美女とイケメンだけでずっと教室を開いてると飽きがくるでしょ。間にちょっと変な味を入れたいの」
「変な味! じゃ、それ味変じゃないです、変味です!!」
「第2にオトリ」
「オトリ?」
「わたしがあの2人に『弟子にしてやる』っていっても『ヤダ』っていうに決まってる」
「そりゃそうです。どっちかっていうと、高校生になってもママのいいつけどおり素直に弟子になっちゃうようなムスコだったら将来が心配です」
「だから、2人を捕まえるために、もう一つ罠が必要なの、そのオトリがあさひ。あの2人、あさひに憧れてるから」
「なんですか。ぼくそんな下級生が憧れるようなコトしたおぼえありません。イケメンじゃないし!」
「愛の告白全校放送事件」
「あっ」
「あの日、2人ともその放送をしっかり聞いた。入学早々、高校ってすごいところなんだ、っておどろいた。その翌週、それはそれは幸せそうに手をつないで登校するなぎさとあさひを見た」
「手はつないでません! 学校の周囲300m以内に入ったら、決して手をつないではいけないと、なぎさに固くいい渡してます!」
「そうなの? とにかく、肩を並べて幸せそうに登校する2人を目撃して、ムスコがしみじみとわたしにいった…『ぼくもあんなふうに恋をしたいんだ』って。その後ろでスコールの甥もキラキラの瞳…わかった?あさひ」
「そんなー」
「だから、ある日、あさひが2人をよびだしていうの『ぼくはもうすぐ東京へいく。その前にキミたちに頼みがある。ぼくの弟弟子になってくれないか。茶道の心得があって、マッサージが上手なオトコのコって、なかなかいないからものすごーくモテる。キミたちにも、きっとすばらしい彼女ができる』ってね」
「それって、罠っていうより、ほぼ詐欺だと思います」
「いいの。やってね」
「はーい」
「そして、お師匠さまには、もう一つ、あさひを弟子にしたかった理由がある」…と、ラピス先輩。
「盛りだくさんですねー」
「お師匠さまは、レインボー先輩がうらやましかったの」
「なぜに?」
「ある日突然、レインボー先輩が『暮らしのアトリエ』でボーイフレンドを2人も公開しちゃった。お師匠さまは『レインボーのくせに、わたしに無断でハーレムつくった!』ってもう大層なご立腹」
「ハーレム!っていわれてるんですかっ!!」
「それも、ものすごーいイケメンの大学生と人なつっこくてカワイイ男子高校生っていう理想的な組み合わせ…それに最近、まなざしがシャープなスポーツマンタイプも取り込まれた、っていうじゃない」
「あのヒトは、現役の東大生ですから夏休み期間限定です」
「えー、彼、東大生なの、すばらしいじゃない。ますます理想のハーレムね。お師匠さまっ!」
「まったくレインボーのヤツ! ちょっと前までネンネの小娘だったくせに!」…ちょっとちょっとお師匠さま、そんなことで怒ってるんですか、あなた『超絶美少女』業界のボスキャラでしょ!
「ねっ? あさひ、わかった?」
「わかりました。お師匠さまって、負けず嫌いで…意外とこどもっぽいんですねっ」
「そう。お師匠さま、レインボー先輩に嫉妬しちゃってるの。カワイイとこあるでしょ」
「そうですねー。なんかまるで現役のJKみたいですねー」
「そうそう」
「少女マンガの…可憐なヒロインをいじめる高慢なお嬢さまキャラですねっ」
「それでお師匠さまは、レインボー先輩のハーレムからあさひを略奪しようと決心した、ってわけ」…そうかー、白雪姫先輩もスコール先輩もすごくステキなオトナ女性だけど、気持ちはまだまだオンナのコなんだ。ははは。
「あんたたち、なにコソコソしゃべってるのっ! あさひ、あんたは今日からわたしの弟子だからねっ!!それ忘れたら許さないからね!! レインボーとデートしたくなったら3週間前までにデート許可申請書を提出するんだよっ。それにお師匠さまがハンコ押すまでデート禁止だよっ!」
「はいはい。お師匠さまぁー」
「あさひ。この茶房、いい雰囲気でしょ?」
「はい。老舗の格式を感じるのに重たすぎなくて、庭園の緑を見ながら話が自然にはずむ、って感じがします」
「誰のデザインか、もちろんわかるでしょ?」
「もちろんスコール先輩です」
「そう。あのね、2015年に北陸新幹線が開業して、東京-金沢は日帰り圏になった。もうゲストハウスは必要なくなっちゃった、ってスコール先輩に相談したの。ゲストハウスを閉じる前に彼女に了解してもらわなくちゃならないと思って。スコール先輩にも大切な思い出のあるところだから」
「そしたら、スコールがね、ここに直営店と茶房を開きましょう、って提案してきたの」
「はあ」
「でも、ここ、ちょっと奥に引っ込んでるでしょう。だから客が入らないだろう、ってわたしがいったら、スコールは『これからは、みんなスマホで、わたしだけのヒミツのお店を探してやって来る時代がきます。そういうヒミツのお店をつくりましょう』って、ちょうどFacebookがすっかり普及して、インスタが流行りはじめたころだった。彼女、そんな時代の動きをしっかり把握してたの。スコールとレインボーが表通りに開いた『雨と虹』がすっかり軌道にのって…彼女はその次の一手を考えていたのね。わたし、高校時代から彼女のセンスはすごいと思ってたの。だから彼女のいうとおり、裏路地にヒミツのお店を開くことにした。スコールに、あんたはこのゲストハウスに恩があるんだから、デザイン料は格安にしてよ、っていたら、ニコッと笑って『一流のデザイナーはデザイン料を値引きしません』って。でもね、建築士も工務店も大工さんも全部スコールが信頼する人たちに声をかけてくれて、外観はもとのお屋敷のまま、庭に面した内側だけを新築してステキな茶房と店舗を造ってくれた。もちろんメニュー設計とデザインはレインボーに。そして、映像の専門家と組んで印象的なリール創って、SNSで上手に情報を発信してくれた。つまり、この茶房は『松浦令プロデュース』ってわけ。おかげさまで、この通り」
平日の「昼下がり」というには遅く、「夕暮れ」というにはちょっと早い中途半端な時刻なのに店内は6割の席が埋まっている。観光客と地元の人が半々ぐらいだろう。
「繁盛してるのにざわついた感じがないところがいいですね」
「そうなの。わたしたちが自慢できるお店ができたの」
「スコール先輩、すごいセンスですね…ところで、この茶房、名前はあるんですか?」
「あのねー、あさひ。入るとき看板をちゃんと見なかったの」
「あ、はい。ちょっと緊張してて…あんまり余裕なくて…レインボー先輩も道順しか教えてくれなかったんで」
「あのね『雪瑠璃』っていうのよ。それもスコール先輩のアイディア。ステキでしょ?」
「えー、それって『雨と虹』とまったく同じパターンじゃないですか」
「それに気づくのは、あさひみたいな業界内部の人間だけ」
「…まあ知らない人は「雪瑠璃」って文字を見ても、音の響きを聞いてもロマンティックだな、って思うだろうから、いいことにしましょうか。なんとなく金沢っぽいし、ステキですねっ!」
「でしょ!」