「俺?幽霊だけど」
あなたは誰?と聞いてこう答えた人はこの世の中でどれだけいるのだろうか。
そして、どれだけの人が正気を保てるだろうか。
私は全速力で逃げた。
幻覚だ。高校生にありがちな幻覚作用だ。
一呼吸置いてあたりに誰もいないことを確認する。
ホラー映画にありがちな振り返ったらソレがいる展開は来ないはずだと、現実を生きる私は願っていた。
願いは叶わない。夢や目標と同じだとその時思った。
「逃げなくてもいいじゃんか」
「誰だって幽霊なんか見たら逃げますけど!」
「えー、やっぱり?」
学校付近にあるビルの近く。
ビル風が通らない壁際。浜松駅付近では高い建物が多くそのエリアを街とか言ったりする。
こんな見ず知らずの幽霊と仲良くなりたくはない。
「君、名前は?」
この世の中に幽霊にナンパされたことがあると言える人はどれくらいいるだろう。私は言える。
そもそもこいつは本当に幽霊なのか?ただの幻覚。疲れてるだけかもしれない。
学校サボって昼間からここにいる罰なのかもしれない。
「磯貝衣織」
「衣織ね!よろしく。ところでどうして俺のことが見えるの?」
「どうしてって……」
学校サボった罰が当たっただけ?
そもそも私霊感ないし。
「この辺の幽霊みんな成仏しちゃってさ。俺だけ残されてんだよね」
当たり前のように話を続けないで。
意味わかんないし、ついていけない。
「ねぇ、本当に幽霊なの?」
ここまでくると聞くほかない。
「うん。さっきも言ったじゃん」
笑いながらいう彼は、ほら見てと車道に出る。
僕は死にません!となんのジョークかもわからない言葉と共にすり抜けていく。
冬だというのに余計寒くしてどうするんだ。
マフラーに顔を埋める。
「ほらね。ドラマにあるセリフだったんだけどわかった?」
わかるわけがない。アニメしか見ていないのだから。
ただこいつが本当に幽霊だと証明されたわけだ。それこそ意味がわからない。
しかし、これがアニメの物語ならあり得る話だ。
「どうして成仏しないの?」
「それは俺にもわからない」
「何それ」
「わかってたら、君に声かけないよ」
「声かける意味もわかんないけど」
「うーん、似てたからじゃない?」
「私と?……え、ヤダ。普通に嫌。あなたと一緒にしないで。ていうか、一緒にしないほうがいい」
「素直だなぁ」
なのに彼は笑うだけ。
私なんかと一緒にされて嫌じゃないのだろうか。
「私、帰る」
やっぱり関わらないほうがいい。ただの幻覚だ。
「えぇ!ちょっと待ってよ。それ、映画見に来たんじゃないの?」
カバンにつけているキャラグッズを指していた。
「そんなんじゃない。あなたに知られたいと思わないから」
これ以上詮索されたくなくて、それが声に出てしまった。
こんな声で……。
嫌いだ。自分の声なんか大嫌いだ。
幽霊を無視して帰路に着いた。
翌日、また学校をサボって街に来ていた。
やりたいことがあるわけじゃない。目的があるわけでもない。
ただここは街に行かなきゃ何にもない。
大人みたいに車を持ってるわけじゃないのだから。
住みにくい町。
住んでる場所の近くに飲食店もない。
だからここに来ているだけ。
学校に友達なんていない芋女の私にそんなものできるわけがなかった。
ましてや、今時なりたいものがある人なんていない。
マイノリティでハブられる。それが現実。
向かう先が違う人は排除される。
クラスの人気者が夢があるとか言えば別だろうけど。
私はそんなのない。
クラスの端でただひっそりと生活するだけでよかったのに。なのにあいつのせいで。
クラスの人気者は嫌いだ。
学校にいなくたって問題ない。
どうせ見向きもされないのだから。
「どうも〜、幽霊で〜す!相席いいですかー?」
いうよりも先に席に着いているこいつを殴りたい。
「今日はマックにいるんだな」
当たり前のように話ふっかけないでもらいたい。
「こんなブスに話しかけるより、もっと可愛い子いると思うけど」
辺りを見渡し首を傾げる幽霊。
「幽霊の趣味なめんなよ」
と、別角度から怒られた。理不尽だ。
「女の顔なんか求めてないから。一番そういうの興味ない」
つまりそれは私のこと可愛いと思って話しかけてきたわけじゃない。何それ。それはそれで不服だ。
幽霊でも顔がいいわけだし、他でも通じると思う。
いや無理か。
じゃああれか。私は通じるバカな女だと思われたわけだ。殺す。
死んでるんだった、こいつ。
「で、なんで今日はここに?」
親に心配かけたくないからとは言えなかった。
ちゃんと学校に行っていると思ってもらいたい。
「……ん?それこっちのセリフ!なんであなたがここに?」
「俺ずっとこの辺いるから」
「見つけたから声かけた?」
頷く彼にドン引きの私。
「来ないでもらえる?」
「どうせ暇でしょ?話し相手になるぜ」
「暇なのはあなたでしょ」
ウゲェと苦い顔をした。わかりやすいのは彼も一緒だ。
「じゃあさ、あなたはなんで死んだの?」
「突然だね」
「話すことなんてないから」
「俺の話だけでいいと?」
頷く私にドン引きの彼。
どうして立場が逆転したのか。蹴りを入れるがすり抜ける。そうだ、今私は死者と相対しているのだ。攻撃が当たるわけない。
「脳震盪起こして死んだ」
案外素直に答える彼に驚いた。
そういう過去は言いたくないモノだと思ってたから。
私が聞かれたら間違いなく答えないのに。
「飄々と答えることじゃないと思うけど」
自分のプライドがダサくて、下手なプライドのなさがちょっとカッコよく見えた彼の足を引っ張りたくなった。
「調べれば出てくるんじゃないかな」
スマホを取り出す。
「同じ高校生だよね?」
「僕は三年」
将来のこととかあるだろうにそのタイミングで死んじゃうなんて人生は残酷だ。
……将来。
サラッと出た言葉。彼も将来のことを考えていたのだろうか。
「私も今、3年生。あなたは夢とか目標とかあったの?」
表情は変わらないくせに雰囲気がドッと変わった気がした。
「あるよ。でも死んじゃったからね」
また飄々と答える彼。気のせいだったのかもしれない。
「俺らしくいたかったかな」
俺、らしく?
言葉の真意まではわからなかったけど、話していくうちにわかる気がして深くは聞かないことにした。
「あとはそうだな。色々な物語が見たかったかも」
「物語?」
「映像演技とか舞台とかアニメとか」
「……」
「どうかした?」
「……聞かないほうが良かった気がして。酷じゃない?」
自分は死んでるのに現実でやりたいことがあるというのは。
それは未練じゃないか。
「そんなことないかな。自分でも受け入れてるところあるから。仕方ないことだったんだって」
「私もあるよ。受け入れちゃってるところ。みんなから受け入れられないことも」
「何か、やりたいことでもあるの?」
幽霊のくせに話しやすい。まるで友達と話している時みたい。
中学生の頃にいた女子友達みたいに。
でも、目の前にいるのは男で幽霊だ。
奇妙な体験をしているなと今、初めて感じた。
昨日の今日で彼に対する壁が消えていくのを感じる。
それは多分、彼がふざける割に優しいと見抜けたからだと思う。
見抜く力はあるので。
でもまさか見抜かれるとは……。
「あるけど……、でも言わない」
「それでいいよ」
「いいの?」
「なんでちょっと驚いているの?」
やっぱり優しい人なんだなと思う。
「ううん、別に」
言葉の割に優しい口調になってしまった。
夕方、家に帰るとスマホで気になる記事を見た。
これがあの幽霊のことだとは思えないけど聞けなくてちゃんと調べようと思ったのだ。
男子生徒が数人の男子生徒にいじめられ鈍器で複数回殴られ脳震盪を起こし、放置されて死亡。
この男子生徒が高校三年生で浜松市内の高校だったことから可能性を感じた。
でも、この記事は三年前のものだ。
もし生きてたら大学二年生になっていただろう。
春が来たら大学三年生の歳。二十歳を過ぎる。
他にないか調べるけど、それらしき記事はない。
わざわざ脳震盪って単語を使ったあたり可能性が高い。記事になるほどだから尚更。
死んだ以降、歳はそのままなのか。
電話の着信だ。
たまに電話をしてくる中学生の頃からの友達である鈴木真香。
「おっはー。学校行ってるー?」
「行ってないけど。真香に言われたくない」
ゲラゲラと笑う彼女。
まさかあれだけ真面目な中学生が今や学校をサボっているとは思うまい。
中学の教師が知ったら泣くかもしれない。
「名古屋来なよー。楽しいよ?」
「なんで名古屋?」
「遊べるじゃーん」
口を閉ざしていると。
「衣織だって行ってないんでしょ?少しくらい外の景色を見ようよ。学校なんてちっぽけだって気づくからさー」
「……」
真香に聞いてみたいと思った。
「……夢ってある?」
「ん?どしたー、急に」
「ほら、中学生の時は真面目ちゃんだったから。あるのかなって」
「……ないよ。夢なんて叶いっこない。叶えられないと思うなぁ」
そうだよね、やっぱりみんな夢も目標もなくなんとなく生きてるよね。
大学だって適当に選んじゃう人もいるくらいだもんね。
「今日さ、三年前の記事を読んでたの」
「三年前?」
興味のありそうな声音だった。
彼女もまた私と同じで記事やニュースに興味がある。
「いじめにあってた男子高校生が同じクラスの男子に暴行されて死んじゃったんだって」
「殺人じゃん」
「捕まったみたいだけどさ。なんか、夢っていうかやりたいことあったみたいなの」
「報われないって話?」
察しがいい。言いたいことはそういうことだ。うんと返事をした。
「夢なんてないからわかんない。どんな気持ちだったんだろうね」
私の意見が聞きたいのだろう。
「やるせないなって」
「同情するの?」
話を変えた。
「真香はさ、なんで学校行かなくなったの?頭よかったじゃん」
「行く意味ないじゃん。やりたいこともないし。遊んでみたいって思っただけ。大学は行くよ?親に言われてるから」
「私も行くと思う。だけど、もしさやりたいことがあったんなら、悔しいなって思う」
どうしてだろう。気持ちが言葉に出てしまった。
自分にもやりたいことなんてないって思わせられなかった。
「そっか。衣織はすごいね。やりたいことがあって」
「気づいてた?」
うんと頷かれた。
隠そうと思ってた。将来の夢なんて。馬鹿にされるだけ。嗤われるだけ。泣きたくなんかないから言わない。
「深く聞こうと思わないけど頑張ってね」
優しい声だった。
親友っていいなと思った。
だけど、悩みを彼女には言えなかった。
こんな声でなれるわけない。ましてや顔を求める今の時代に私はなれると思えない。
言いたい。彼女の言葉を聞きたい。
でも、その日は出来なかった。
臆病な私が嫌いだ。
それから幽霊と出会い一週間近くが経過した頃。
「都会に行かないか?」
彼は馬鹿げたことを言い出す。
「東京に行きたいんだ」
「1人でどうぞ」
マックの角の席。平日は人がいないから良い。いくらでも声を出せる。
店員が品を持ってきた時、不審がられたのは恥ずかしかったけど。
前に真香が外の世界を見たほうがいいと言った。
彼も同じ気持ちなのだろうか。
「なんで私と?」
「学校行ってないし暇だろ」
「そんなことないけど」
「よし、じゃあ行こう」
話を聞かない彼に舌打ちをする。
「こんなブスと行かないほうがいいよ」
マックシェイクをチューっと飲む私。
「デブだしブスだしおまけに声もキモい。やめときな私なんか。東京なんて可愛い子しかいない」
「偏見じゃん!」
なんで楽しそうなんだ。
「まぁこういう曲があるんだよ」
「知らん」
と、そこに。
「衣織!!」
真香が遠くから声をかけてきた。
どうしてここにいるんだろう。
「久しぶり!まさかここで会うなんてね!」
「なんで」
「これから名古屋に行こうと思って」
電車で行けば二千円程でいけるとは聞いたけど。
それより、中学生の頃の面影どこにいった?
髪染めて化粧して派手な服まで着て。
あの頃の知ってる真香じゃない。
「それよりなんでそんな芋っぽいの?美容院でいい感じにしてもらったら?」
そんなことしてアニメグッズにお金使えなくなったらどうするんだ。
「メガネじゃなくてコンタクトにしたらよくなりそう」
突然評価まで始めてさ。
だいぶ変わっちゃったなぁ。
私も人のこと言えないかも。
「これから買いに行こうよ。化粧品もさ」
腕を引っ張る彼女。
幽霊と話したかったけど、いつの間にか彼は消えていた。
気が利くというかなんというか。
まず美容院に連れて行かれ、1時間半という長い時間と一万円が消えた。
アニメ三話分は見れるし、グッズだってそれなりに買える。tシャツだって二枚か三枚は買えるはず。
服も私好みで大人っぽいものを。
「自分で買うよ」
払おうとする彼女を止めた。
「私が勝手に始めたんだからこれくらいいいでしょ?誕プレってことで」
そう言えば、少し前に誕生日がきてたっけ。忘れてた。
その服装に着替えると彼女はうん、良しと満足そうだった。
コンタクトまで買うと言い出して時間がかかり過ぎるからと止めたのに暇だからと突撃した。
なんでもコンタクトを買うには眼科に行かないといけないらしい。
初めて買うモノだから知らなかったし、彼女もそれに怒っていた。カラーコンタクトなら視力を知ってるだけで売ってくれるとかなんとか言っていた。
世間知らずな私は置いて行かれている気さえした。
その頃には夕方でそれでも彼女は化粧品を買いに行こうとするので流石に止めた。
ならばうちに来てメイクだけでもしようと言う。
どうしてそこまでしてくれるのかわからなかったけど流れに身を任せた。
彼女の部屋に入るのは久しぶりだ。
ロックバンドのタオルとかあってこういう趣味だっけ?と疑問符が浮かぶ。おまけにギターまである。
座らされ、向かい合いメイク道具を用意する彼女にいう。
「人のこと言えないけどさ。なんか変わったね」
「……」
返事はなかった。まずいことを言ってしまった気がして慌てて謝る。
「ほら、ギターとか中学生の頃興味なさそうだったじゃん」
音楽の授業で弾いても難しいからと弾きもせず駄弁ってたはずなのに。
「やめよ、その話」
地雷を踏んでしまったと知って、また謝った。
「メイクに集中できないから」
「ごめん、色々今日はなんでもしてくれたのに」
「違うよ。しなきゃいけないって思ったの」
「え?」
そんな風に思わせる何かがあっただろうか?
「あの男の子と一緒にいたいならさ、これくらい身なりはよくしておきなよ」
「……え!?見えてたの!」
「見えてた。けど、消えたから幻覚だと思ったよ」
「……」
「同じ学校?」
「違うよ。……変な話だけどね、彼、死んじゃってるみたいなの」
「幽霊なんだ」
受け入れられている意味がわからない。
おかしなことが起きているのに驚きもしない。
「変だと思わないの?」
「別に思わないかな」
霊感とかあるじゃん?と満更でも無さそうだ。
そんなありふれた話じゃないと思うけど。
「でもさ」
「私もあるから。そういう経験」
「え?」
「ギターを始めたのは、好きなバンドのギターがかっこよかったから。始めるまでは悩んだよ。変に思われないかって。趣味って馬鹿にされるし」
言い返せなかった。
クラスの人たちもバカにしてきたくらいだから。どこにでもある話なんだなと思った。
それ以上に嘘のようなニュアンスがあって違和感を抱く。
「学校行けてないのってそれが理由なんじゃない?好きなものがあって、その好きなものになりたくて。だからそれをバカにされることが怖いんじゃない?」
「……うん、なんでわかったの?」
「それこそ、幽霊に言われたの。周りの目を気にしてるんじゃないの?ってさ」
彼女もまた私と同じ経験をしていた。
じゃあ、幽霊って誰にでも見えるものなんだ。見えて悪いモノじゃないんだ。
パウダーを顔にトントンやる彼女。
目を閉じて待つ。
「その幽霊はさ、なんで成仏できないんだろうね。前に電話で話してくれたのってその人でしょ?」
パウダーが終わり目を開ける。
頷いたけど、確かにどうして成仏できていないのかわからない。彼もわからないと言っていた。
「真香の時はどうやって成仏したの?」
「特に何も。未練も別にあったみたいで私は話を聞いてもらってただけ……」
都合のいい時に利用されたと思わないのだろうか。
私ならだいぶ怒るかもしれない。人のことは言えないが。
あの時だってそうだ。
クラスの人気者が話しかけてきて、アニメが好きってこと馬鹿にしないで沢山話を聞いてくれた。
単純だった私はいつの間にか好意を寄せていた。
だから今度アニメイト行ってみない?って興味を持ち始めた彼に伝えてみたんだ。
だけど、断られて段々とLINEの返信が遅くなっていった。
そんなある日、他の女子生徒の群れにトイレへと連れ込まれた。
どうして彼と話すのか。彼はあんたのなんなのか。
私が好きになってしまっていただけ。それがこの女子たちを怒らせてしまった。
クラスでは省かれる対象に変わった。
最初こそ彼はこんなことになってしまったことを気に病んでいるのか連絡をくれたけど、その優しさが苦しかった。
LINEで文句を言った。『私があなたのことを好きだって知ってるくせに、今私に優しくしないで』、『これ以上好きにさせて楽しいの!?』。八つ当たりだった。
けど、もう遅かった。本当はそれでも守って欲しかった。クラスの前でやめろよって言って欲しかった。
それ以降彼からの連絡は途絶えた。
自業自得なのに。
クラスの和を乱し、挙句イジメの的。
学校にいくことが怖くなった。
それから親には内緒で学校に通っていない。
都合がよかったんだ。
自分にとって。彼にとって話し相手の一人にすぎない。そんな私がしてしまった愚行を彼はどう思っているのだろう。
話し相手にすら今はもうなっていない。
これでよかったんだと思う。
都合良く私は、彼を利用した。
逃げるための理由に彼を利用して、連絡手段を絶っている。
「衣織は?その幽霊、どうして成仏できてないの?」
「さぁ、何も言ってくれないからわからない」
「嘘はつかないで。あんたわかりやすいんだから」
「……」
あなたもわかりやすいくせに。
「仲良いのに嘘がバレないと思った?」
「なら、嘘を見過ごさないのは今まで通りじゃないね」
「そんなもんじゃない?中学の頃なんて、こんなメイクしなかったし」
時間が経てば、好きなものができる。
状況が変われば、求めるものが変わる。
今、私は真香に変化を求めなかった。
いつまでも同じ環境でいたい、周りが誰も変化しないでいてほしい。そう、思っているのかもしれない。
「でも、ギターの話は嫌がったよね」
「……」
変化する彼女に、それを聞くことを許さない。なのに、私には変化が見てわかる。
「ごめん、無理に聞かないよ」
たとえ、人の変化があったとしてもそれはきっと聞いていい時というのがあって、聞いちゃいけない空気感が聞いて仕舞えば、関係は壊れる。
壊れた関係が戻らないことは、好きな男子と連絡を取らなくなったことで理解した。
友人と学校が違うからなんて理由だけじゃ、関係は壊れない。どこかで出会う。今みたいに再会する。
でも、関係はこの一瞬で壊れることを二度も経験したくはない。
「ひどいね、私は」
真香は、持っていた化粧道具を机に置いた。
「今の、聞かなかったことにしていい?」
それは、ギターの件だろう。
「うん」
関係を壊さないための線引き。
いつからこんなにも素直でいられない環境が出来上がったのだろう。
いつから人の目を気にして生きているのだろう。
「鏡、見てみて」
彼女の声に鏡を見てみると、そこには綺麗になった自分がいる。
思わず声がこぼれる。
だけど、目は笑ってない。
作り物で、なのにそれが良い。本当の自分を隠しているようで、本当の自分を見なくていいようで。
クラスの輪に擬態できそうな気持ちになった。
「綺麗だね」
「化粧は武器だから。隠したいところは隠せるんだよ」
隠したいことを隠す武器。
「強がって見せたい時にもいいけどね」
「攻めが最大の防御、みたいな?」
「そういうこと……」
含みのある言い方に少し気になった。
もしかして、彼女は隠したいことを隠して強くあろうとしているのだろうか。
そのくせに、人には触れられたくない。
わかってくれる人に触れてほしいのか。
ならそのわかってくれる人に、私はなれないだろうか。
長い友人だ、久しぶりに再会したんだ。
きっと何か運命にも似た理由があるんだ。
だけど、それでもし関係が壊れたら?
今の私に、友達なんて真香くらいしかいないのに。
なのにスッと、あの幽霊の顔を思い出した。
彼も私の味方?友達?まさか。
彼女に集中することにした。
あのね、と片手を両手で覆うように触れる。
ハッとして私をみる彼女。
わかるよ。その顔。泣いていたんだね。
その驚き方も、悲しい感情も全てが時間と共に変化することはなかった。
彼女は、外見だけが変わった。内面はいつまでも変わらない彼女のままだった。
まるで私を見ているようで、虚しくなる。
どうして、あなたがそんな思いをしているの?
「そこに置いてあるギター、あなたのものじゃないでしょ」
「……」
やっぱり。
「派手な格好してても、真香の好みは大体わかるよ。でもさ、そのギターは似合ってない気がする。少し違うなって」
ちょっとは引いたけど、それも仕方ない。初見で引かない人いないと思う。
「ロックバンドが好きならさ、どうして、街にいたときに楽器屋さん行かないの?CDショップかな」
「それは、でも」
「だって、この部屋、グッズはあるのにCDとかないよ?」
「今は、売らないバンドだって」
「嘘だよそれは」
スマホをぽちぽちっと検索かけるとそのバンドのCDは売っていた。その画面を見せると、彼女は目を逸らした。
「真香が見た幽霊ってさ、彼氏さん、だよね?」
彼女は答えなかった。
だけど、何重にも作った壁が壊れるよう。メイクしたその頬に滴る涙を彼女は必死に抑えてる。
どうして?と小さく聞こえた。
「どっから話そうかな。そのバンドのことをあの幽霊が知ってたの。だから、二人でいろんなところみてる隙間に調べたの」
「……調べたなら、わかると思うけど」
「解散してるね」
「……」
「……真香が好きだったの?」
首を横にふる彼女。
「彼氏さんは、直感だけどね。真香なら流石にもう彼氏くらいいるよなって思っただけ」
「……あのギターは、さ……。ずっと彼氏が私の前で弾いてくれてたんだよ。ずっと楽しそうにバンドの曲を弾いてさ、よくそれに合わせて歌ってた」
それがどうしてこうなったのか。
「でも、解散してから変わった。彼の中心にはそのバンドがいた。私を好きでいる時もバンドがいたから彼女もできたと思ってる。解散以降曲を聞くどころかギターも弾かなくなって、私と会話することも減った。LINEも返さない時が増えた」
彼氏の全てにバンドがあった。
「別れようって言い出した。今の自分じゃ私を愛せないって」
それ以降返信は3日に一回一週間に一回と減っていった。
「不安になって会いに行った。家の外に車はなかったけど彼の自転車はあったからいるだろうって。でも」
私をみる目は酷く苦しそうで。
「玄関の鍵が開いていて、開けて入ったの」
ギターに目をやると声が消え入るように。しかし、しっかりと聞き取れた。
「泡をふいて死んでた」
のちに市販薬の多量摂取が原因だったと知ることになるらしい。
昔からいつか消えてしまいそうな危うさを彼から感じていたそうだ。
それが現実になるとは思いもしなかったそう。
聞くべきじゃなかったと、踏み込むべきじゃなかったと後悔した。
同時に身近な人間がこんな出来事にあうこともあるのだと知った。
みんなどこかで生きることが当たり前で死ぬことは非現実的で理解できない分野だと思うかもしれない。私はその1人だ。
幽霊に出会ったあの日、そんなわけがないと思ってた。身内の死を経験したこともなかったのだから。曾祖母も曾祖父も私が生まれる前に死んでる。会ったことなんてない。
同じ歳や近い歳の人が死にゆくことに現実性を感じない。
それどころか現実にあって良いわけがないと思ってた。
命なんてものは年老いるまで三、四十代になるまでは自分の中で無縁のものだと思っていたのだから。
今はそうじゃない。どこにでも死というのは存在する。きっと今もこうして話している間にも誰かが死んでいて、事故に遭っていて、病に蝕まれていて。静かに死が訪れようとしている。
私もいつ死ぬのかわからない。
でも、今の私には何も問題がない。事故以外はどうせ何もないのだから。
今を生きれば良い。
今ある時間を大切にしていれば良い。
だけど、私には真香になんて言ってやればいいのかわからなかった。
きっと後からわかるのだろう。
普通に自分らしくいつも通りに接してあげればよかったのだと。
今の私にそれはできなかった。
ただ黙って泣き止むのを待って静かに背中を撫でる。
どかされそうに思ったけど彼女はそうはしなかった。
「ごめんね、こんな話」
泣き止む頃、私は彼女に気を遣わせてしまった。
泣きたい時にたくさん泣けば良い。私はそれを悪いとは思わない。
「ううん。踏み込んだ話してごめん」
「大丈夫」
彼女は鼻を啜りながら、ギターを手に取り言った。
「そのあとで彼が私に会いにきた。墓の前に座る私の横にいたの」
彼女が見た幽霊は確かに彼氏さんだったらしい。
『気に病むなよ。俺はずっとこんな調子だった。君のことをもっと考えていたらこの選択はしなかったかもしれない。でもね、俺はこの選択間違えてないと思ってる。今は気持ちが良い』
澄んだ瞳に澄んだ声で言ったそうだ。
『置いてくなよ、バカ』
彼は笑っていた。
『ごめんな。死んでから一番後悔したのは君を1人にしてしまったことだよ』
ならなんで?と怒る彼女。
『ずっと自分の世界にいたから。檻の中に1人でいるのが当たり前で。でも君が今も苦しいのなら僕はきっと間違えたんだと思う。心残りだよ』
『……』
『君は特別強い人でもないからさ。でもこの先もちゃんと生きててほしいな』
自分勝手な男に彼女は言う。
『置いて行ったくせに。許さない』
ケラケラと笑う彼。
『そりゃあ、置いてくよ。死んでほしくないから』
睨みつけたところで澄んだ瞳は色を変えない。
『まぁ、なんだかんだ生きてくれそうで安心した。その瞳はまたどこかで見れたら良いな』
『私をまた置いてくの?』
『こればっかりは連れていけないよ。ライブじゃないんだから』
『最低』
『久々に聞いた。出会った時もそんなこと言ってたね』
彼女の気持ちも置いていく彼。
もう充分だと言わんばかりに立ち上がる彼は、伸びをすると笑顔で告げた。
『もう行かなきゃな。早めに成仏しないと呪いに変わっちゃうらしい』
『待って!まだ話したい!お願い!!』
『僕はもう満足してるので!じゃあ!また80年後に会おうか!!』
彼は満足げに寺の方へと歩いていく。
追いかけて抱きしめようにも彼は幽霊だからすり抜ける。
彼だけが心残りを解消し成仏していった。
きっと今、真香は少しの霧か靄が晴れたんだと思う。
涙でくしゃくしゃの彼女が等身大らしく抱きついて泣くのだから。
「衣織は、勝手に死なないでね」
ギュッと力が加わる。
突然の死ほど嫌なものはないのだと経験者は語る。
「そんなことしないよ」
確証もないのに口からでまかせを言う。
どうにでもなってしまえばいいと思う私にその言葉は残酷なものだった。
「また辛くなったら言ってよ。いつでも駆けつけるから」
暇だしと付け加える。
こんなにも可愛くしてくれた彼女を、親友を見捨てるわけがない。
そう強く思った。
彼女には幸せになってほしいと強く願った。
さて、家に着くとふと思うことがあった。
幽霊は成仏できないと呪いになるという真香の亡き彼氏の言葉。
では、あの幽霊はどうして成仏できないのか。
彼自身もわかっていない。
つまり、彼はいつか呪いに代わってしまう。
呪いがなんなのかもわからないけど、彼がこのまま私の近くにいるのも危ないのではないだろうか。
私を呪い殺したり……、まぁ別に良いか。
部屋の扉にノック音が3回。わざわざノックするなんて珍しい。
返事をすると眉間に皺を寄せる母親の姿があった。
それはつまり私が学校に行っていないことがバレたのだと勘が働く。
「もしかして……」
軽く聞いてみると想像通りであった。
「学校から連絡があった。学校行ってないの?」
「……」
やっぱり、行っていないことがバレてしまった。
仕方がない。
「そのメイクは何?学校にも行かないで遊びに行ってたの?」
「……別に」
「別にって何?何度か連絡あってそんなわけないと思ってたけど、ずっと学校行ってなかったんでしょ?」
「うるさいなぁ……」
「はぁ?」
「いいじゃん、私がどうしようが」
「ダメに決まってるでしょ。何が、いいのよ」
「……」
「嫌なことでもあったの?ちゃんと話して」
「別に」
クラスメイトから嫌われているだなんて誰が親に言えるものか。
ましてや、告白して振られた挙句、女子生徒から反感を買うなんて。
「言わないなら、なぜ言えないのか言って」
それ、もう言わせる気じゃん……。
「明日から、学校行くから」
適当に返すと母親はそれ以上言葉を返すことはしなかった。
代わりに風呂入ってと促し、部屋から出ていく。
明日、学校に行けばいい。それで十分だ。
荷が重い。足がこんなにも動かなくなることがあるだろうか。
まだ、明日になったわけでもないのに。
とりあえず、風呂に入る。事を済ませると部屋のベッドにダイブする。
面倒臭い。なぜ学校なんてものがあるのか。
当たり前に日常が過ぎていくなか、真香は、きっと今も苦しいんじゃないだろうか。
彼が亡くなったこの世界は、今も何事もないような顔して時が進む。
街歩く人の中で、他にも同じように誰かを失う経験をする人がいるのだろう。
もしくは、この先誰かを失う。
それが遅かれ早かれ誰にでも起こることで、自分自身が死ぬこともある。
こんなことあまり考えたくないな。
別に、自分が死のうが死なないがどうでもいいさ。
ただ、身近の誰かが死ぬのは耐えられそうにない。
真香は死なないよね?
またいつでも相談くらいのる。いくらでも頼ってほしいと思う。
あの幽霊は、大丈夫なのだろうか。
夢もあったはずで、死にたくなかっただろうに。
どうして、当たり障りもなく飄々としていられるのだろう。
普通は、誰も死にたくないものじゃないのだろうか。
だってまだ、十代だよ?死にたくないでしょ。夢とかあるでしょ。生きたいって願うことくらいあるでしょ。それが、普通ってやつじゃないの?
あぁ、だめだ。
これ以上考えても答えは出ない。結論はない。
当たり前に人が死ぬ世界で、周りで誰も死んでいなかったのがありえないのか。
真香の彼氏だって会ったことないし、他人だし。
やめよう。止そう。さっき、答えは出ないと思ったばかりじゃないか。
今日一日、動いたせいかいつの間にか眠っていた。
スマホの目覚ましで目が覚める。
今日こそ学校に行かないといけない。
億劫だ。どうして学校なんか。
狭い鳥籠の中に三十人も人を入れたら合わない人くらいいることわかるだろうに。
なぜ、昔と変わらず続けられると思えるのか。
不平不満を頭の中でぶつぶつ言う。
制服を着て一階のリビングで朝食を取る母親の前に立つ。
父親は、ソファで新聞を読んでいる。
「学校行かない」
ここまで準備してこの様だ。
やはり私は学校に行きたくないのだ。
「どうして?行きたくない理由があるならちゃんと言って。話聞くよ」
「そんなの嫌。でも、行かない」
「なんで?」
父親が新聞を畳みながら聞いてくる。
「学校、嫌い」
「そうか。今日くらい」
「あなた、衣織は、ずっと学校に行ってないのよ?今日も休ませたらまた行かなくなる」
「今日は行かなきゃ、って毎日思いながら生活するのは大変じゃないか」
「でも」
「なら、学校に行くだけ行ってみてはどうだ?その後でやっぱりきついと思えば、帰ってこればいい。保健室にいるのもいいと思うがな」
母親は、口を閉じた。
こう言う時は大抵、何かを抑えている時だ。
「それでも嫌だって言うなら、ちゃんと話してくれないか?」
父親の諭す言い方は今まで何度も聞いてきた。
苦しいな。毎回こんなこと言わせてしまってはいつか父親の気持ちも爆発させてしまいそうだ。
なのに、心の奥底でもしも二人が死んでしまったらと考えている。
この二人が、死んで後悔するなら、今の学校に行きたがらない私のことを思うのかな。
二人の愛は知ってる。だから、二人が喧嘩する。わかってる。
「……衣織?」
母親が、私の顔を覗く。
どんな顔していただろうか。わからない。
「わかった。いく。いくから、帰ってきたら生きててよ」
二人は驚いたような顔して破顔する。
父親は、最近仕事に行っているような姿はない。
車もそのままだし、昼間に帰ってこれないのは父親がいるからだ。
転職でも考えているのかタブレットで職探しのサイトを開いているがこの前見えた。多分、転職が決まり有休消化中といったところだと思ってるけど。
「どうしたんだ、急に」
父親が、笑いながらコーヒーを啜る。
「生きててほしいって思っただけ」
死は、意外と身近にあるのだと知ったばかりだから。
高校生の思春期真っ只中。人の死に触れたらこうなってしまうものなのだろうか。
あの幽霊だって生きていたら、殺されるようなことがなければ、今頃夢を追っていたのだと思う。
「行ってきます」
行きたくない学校に歩を進める。
普段の登校に利用するバスに乗る。
同じクラスメイトの男子が私をみている。
女子生徒はまだこのバスには乗っていないけど、どうせ二駅もすれば乗ってくる。
「隣、いい?」
声をかけてきた主に、私はビクッと体を震わせる。
声だけでわかる。彼だ。
飯塚碧だ。
「いい、けど……。なんで」
メガネではなく、コンタクトにしたからバレてないと思ったのに。
「衣織さん、雰囲気変わったよね」
「え、あ、うん。でも」
「メガネじゃなくて、コンタクトにしただけ……じゃないか……」
そこまでわかってしまうなんて、この男やっぱり罪だ。
「なんで」
「……学校、来なかったから。心配で」
「心配って、でも私」
あなたに告白したんだよ?
目で訴える。それに気づいた彼は、視線を逸らした。
「気持ちは変わらないよ。僕は、別に……」
言いかけて止める彼に、何を言えばいいだろうか。これ以上嫌われたくはない。だから何も言えなかった。
しかし、よく近くで見てみると彼に対して違和感を抱いた。
彼って、私は言ったけど、でも……。
気にしてみると、声もやはり作っているような感じ。
もしかして。
いやでも、確信はない。
「まぁ、学校来てくれて安心した。じゃあまた、学校で」
クラスの男子の元へ戻る彼。
みんな普通に話してる。
あの男子は知っているのだろうか。
疑問を抱きながら、学校に到着する。
バスに乗ってきた女子生徒にはコソコソと話されて居心地が悪かったせいか、外に出た時の空気はまだよかった。それでも生ぬるさが気持ち悪い。
「今日は、学校に行くのかい?」
よく声をかけられる日だなと思う。
「何よ、幽霊」
思えば、名前を知らない。ネットで調べた時も名前は伏せられていたし、どこにも情報はなかった。
「名前は?」
「覚えてない。それより、東京に行かないか」
「なんで?」
「なんとなく。暇なんだ。付き合ってよ」
「悪いけど、私、学校あるから」
「君の通ってる学校ね……」
校舎に目を向ける彼の目は、とても苦しそうなものがあった。
でも、彼の学校はここじゃない。
「無理に行くべきじゃないと思うけど?」
「親にバレたから」
「それでわざわざ?いいのに、そんなことしなくて」
「なんで?」
「自分の気持ちには素直になるべきだよ」
「そんなこと言うあなたは、自分に素直なの?」
「素直だよ。今も東京に行こうって誘ってる」
「ずるいねそれ」
「何が?」
「何もかもが。あなたは、どうして殺されたのに澄んだ瞳で笑えるの?」
いじめにあって、脳震盪を起こした。それはもう殺されたも同然だ。
「……気になる?」
「それはそうでしょ。あんな意味のわからない出会い方してさ。それから何度も一緒にいるけど。あなたの顔は変わらない」
「……」
「どうして?東京に行きたいのはどうして?」
「……今日、君に会ったことを後悔してるよ。どうして、君は自分の気持ちを最優先してないの?」
言い返された挙句、私は返す言葉がなかった。
「ずっとそうじゃない?君は、自分の気持ちに素直になってない。そんな人に、どうして僕が僕の話をしないといけないの?」
「……それは」
「人の死を昨日、間近にしてどうだった?明日は我が身、だと君は思わなかっただろう?」
やはり、言い返す言葉がなかった。
確かに、苦しかったし悲しい話だと思った。でも、自分がもしそうなると想像しても特に何も思わなかった。
図星だった。
「君は、生きることを諦めてるよね。中学生の頃みたいな完璧さが今の自分にはないから」
中学の頃の先生が知ったら悲しむと考えたばかり。それをどうとも思わない。優等生だった自分はどこにもいない。どこか投げやりだと言われている気がした。
「それ、関係ある?」
「自分の死はどうでもよくて、人の死は苦しい。僕の死因もわかっていて、君の気持ちも今理解していて。僕は、君の生き方が怖いよ」
「死人に言われたくない」
ひどく冷たい声で私は言っていた。
くだらない。自分のことなんてどうでもいい。それの何が悪いのか。
「夢がある割に何もしない君に腹が立ってるよ。どうして、できることをしないのかって」
「それは……」
こんな顔で、こんな声で、こんな性格で産まれてしまったからだろう。
「自己肯定感の低さゆえに顕著に表れてるよ」
「……何が言いたいの?」
「自分を否定することで、自分の夢も否定して諦めようとしてる」
ズバッと言われるとどうして、言葉が出なくなるのだろう。
こんなやつになんで言われないといけないのだろう。
「でも、あなたが素直だと言う話からはズレてる」
「ズレてないさ。こんなにボロクソに言ってるのに」
今の会話は全て本心で、嘘じゃない。それこそ素直だと言っているのだろう。
当たり前のことを言われている。それが余計にイラつかせる。
「碧って人に言われてるだろう?少し雰囲気が変わったって。信じてみればいいじゃないか」
「黙れ」
「無理だね。東京に行こう。そしたら、黙ってやる」
「あなたに、そんな親身になってもらいたいと思ってない」
「……それを言われたら、おしまいだ。また今度、日を改めるよ。また会いにくるからその時また答えを聞かせてよ」
校舎とは反対方向に歩き、スーッと消える彼。
名前は聞けなかったし、聞きたくないことをたくさん言われた。
なんなんだ、本当に。
教室に入ると、クラスメイトがジロジロと見てくる。
明るい男子のグループの一人が、私に声をかけてきた。
「学校、くるなんてすごいな。周りになんて言われるか、わからんぞ?」
「そうだね」
心配してるのか、いじめに来ているのか。
「いや、あのね。碧に告白した話は、知ってるけど別に、そう言うことが言いたいんじゃなくてさ」
どうやら、心配の類らしい。
「お前、碧のこと聞いてないの?」
「え?」
この教室に碧はいない。
その男子は見渡し、確認すると小声で言った。
「あいつ、女子だぞ?」
「やっぱり」
合点がいった。どうりで、服装に違和感があるなと思った。女子には思えないほど、中性的な顔立ちをしてる。
男らしさがある。声も男っぽくしてるし。
「え?あれ……、え?」
「今日、知った。そりゃ、みんな怒るよね。なに、女子に告白してんだって」
拍子抜けしたような顔にフッと笑みが浮かぶ。
「私も馬鹿馬鹿しいなって思った。思えば、この学校は男女共に制服の指定はないから、男子もスカート履けるし、女子もズボンを履ける。気づかなかった」
それが、この高校に入った時からなら、なおさらだ。
「碧の感じも男っぽいしな」
「そうだよね。ずっと男だと思ってた」
「体育も男女合同だからわからんだろ」
「ねぇ、もしかして」
私のことを問い詰めたあの女子たちは……。
「碧の恋愛対象が誰なのかわからなかったからな。一歩引くしかないんだよな、みんな」
私は、一歩も引くどころか何十歩も踏み込んだわけだ。
「でもそれでよかったと思うけどね。一対一で向き合ってる感じが」
「向き合ってる?」
「人と向き合えるってすごいことだろ。俺はできないね」
彼の名前を見ると、木之原というらしい。
「木之原くん、ありがと。少し、心が落ち着いた」
「あの後、誰も寄り付かなかったしな。勇者だよ、普通に。なんて話しかければいいか戸惑ってただけなのに、いじめみたいな雰囲気になってごめんな。お前が来なくなった教室でずっと話し合ってたからさ」
「……そうなんだ」
「それでさ、お前は、男子が好きなのか?それとも女子?」
「わかんない。碧さんだからよかったんだと思うな」
「むず。また今度聞かせろ」
碧が教室に入ってきたことに気づいた木之原は、すっとグループに戻っていった。
気持ちが凪ぐような感じ。
授業を終えて、五限目の教室に向かっているところで放送で呼ばれた。
学校に行っていなかったために、怒られるのだろうと身構え職員室に向かう。
担任が、荷物を持ってもう一度来いと言うので、生徒指導確定だとため息が出た。
荷物を持ち、戻ると担任は、こっちに来いと生徒指導室とは逆方向に歩き始めた。
何が起きているのかわからなかった。
後部座席に座り、荷物を抱き抱える。車が発進したところで担任は口を開いた。
「あなたのお父さんが、病院に運ばれた」
言葉を飲み込めず、口が開いたのに言葉が出なかった。
「状況は詳しく知らないけど、危篤状態らしい。あの一直線の坂道登ったとこに病院あるだろ?そこに入院されたみたいだから」
どう言うこと?ドッキリ……っていうわけでもなさそう。
父親が、危篤状態で入院。
でも、今朝はコーヒーを飲んでた。
体の異変に気づいていたら、病院くらい行くべきだ。
なんで、しなかったの?
それに、転職サイト漁ってたじゃん。それは別?なんで?え?
元々、転職は嘘で私を安心させるために?
スマホをカバンから出し、母親に電話する。
すぐに反応がくる。
「もしもし、なんで言ってくれなかったの?」
「……」
母親は、知っているんだろうってことくらいはすぐに理解できた。
父親が、母親にも黙っているはずがないのだから。
「ごめんね」
「謝るんじゃなくてさ」
「とにかく今向かってるから、その時話して」
ブチっと切るとため息が出た。
イライラする。
あの幽霊が望むように東京に行かなくてよかった。
病院に到着すると、母親が待っていた。
担任は、学校に帰っていった。
「どういうこと?なんで?普通だったじゃん」
昨日の今日で、頭がおかしくなりそうだ。
人の死を身内の死をこんなにも早く知りたくない。
「普通だったのは、安静にしてたからよ。コーヒー飲むのもあなたの前だけ」
「は?」
「本当は、やめてって言ってたけど、不安にさせたくないからって」
「意味わかんない」
「こっちきて」
父親のいる病室に着くと、今朝とは全く違う父親の姿があった。
病院服まで着ている。なんで、父親が。
「学校はどうした」
「倒れたって聞いて、駆けつけたんだけど」
普通でいようと必死な私を見透かしているようだった。
声が震える。
なんでこんな人の死を……。
「そうか。……学校、いけそうか……?」
「うん。いけるよ。ちょっとサボってただけなんだから。大袈裟だよ」
「たまにはサボっても、いいかもな……。そうだ……、今度、旅行にでも……いこう……」
声に力が入っていないせいで、掠れている。
何、一人死にいこうとしてんだ。
「そうだよ。全然、行けてないじゃん。父さん、まだ……」
今朝、自分のいった言葉を思い出す。生きててほしいって思っただけ。
「まだ、早いんじゃない?悲観的になるのもさ」
自分に言い聞かせるべくいう。
「…………」
「ねぇ?」
何、弱気になってんだ、ばか。
旅行行こうって自分で言い出したじゃんか。
「なにしてんの?」
目を閉じようだなんて、口を閉じようだなんてさせない。
「……元気、でな……」
手を握る。
ピーピーと音がなる。
意味がわからなかった。
倒れただけだ。危篤とは言え、回復したんならまだ生きてるものじゃん。
ほら、小説とかたいていそうでしょ?
父親に心臓マッサージを施す医者たち。
30分以上施されたにも関わらず、父親は目を覚さなかった。
死んだ。
受け入れられなかった死を、どうしてこうなったのかわからない私は母親にぶつけた。
「なんで?危篤状態としか聞いてない」
「倒れたのは、あなたが学校に言ってすぐの時かな。胸が痛いって言い出して、すぐ救急車を呼んだ。救急車が来る前に倒れてしまって、搬送されてなんとか一命を取り留めた。でも、もう長くないって」
「……いつから」
「病を患ってたの。いつ倒れてもおかしくなかった。薬も服用してたしその頃から休職してた」
「だから、いつも家に。でも、転職」
「あれは、元々転職希望があったからよ」
その中で病を知らされた。
「それから、休職してた?」
反芻する。
「辞めることは事前に伝えてたから、仕事に影響はないみたいね」
「なんで、こんな状態になっても仕事のことを考えられるの?」
「考えたくないことができると、他のことを考えてしまうものよ」
なんで、そんな普通でいられるの?とは、どうしても聞けなかった。
医者が来る。残念ですが……、の声は綺麗に耳に入ってくる。聞き流してくれない。
命は、消えていた。
それでも遠くから子供の笑い声が聞こえる。鼻に管を通している子供の姿。
きっとこの子たちも近い将来死んでしまったりするのだろうか。
……なんだよそれ。
車で家に帰る道中、静かな空気だけが流れていた。
涙は流れなかった。
意味がわからないと頭が一杯になる。
葬儀は、一週間後に行うことになった。
お通夜は、家族葬にしたらしい。
その辺のことは全部、母親が執り行った。
親戚の人もたくさんくる。どうして、出会い、笑い、会話ができるのだろう。
そのくせ、葬儀が始まると泣いている。
私はどうして、泣けないのだろう。
父親の顔に手を当てる。冷たい。異様なまでに冷たい。
最期に触れた手の温もりがそこには何もなかった。
あるのは冷たい感情と、体だけ。
泣けない私は、最低だ。
葬儀が終わり、母親と一緒に片付けを始める。
次に葬儀を行う人が来ていた。
きっとこうしている間にも誰かは笑ってるし、泣いてるし、出会いがあるし、別れがある。
その当たり前が不快だった。
片付けも済んで、遺影を手に取り墓にいく。
さっきも行ったけど、もう一度向かおうと母親が言ったのだ。
叔父の墓と一緒に骨を置いているらしい。
先祖もここにある。私もいつか死んだら一つの立派な墓よりもここに入れられるんだろうなと思った。
手を合わせ終えると車で帰路に就く。
「母さんはさ、後悔してないの?」
ずっと泣かずに葬儀を行っていた。
私も同じだった。
「私はさ、すっごい後悔してる。もっと早くに知ってたら、もっと何かできたんじゃないかって」
思い出作りとか、馬鹿話して笑い合うとか。
「もうこれ以上の思い出ができないなんておかしいよ」
刹那、真香の顔を思い出す。
彼女もまた彼氏との別れにこんなことを思ったんだろうか、と。
「足りないよ。なんで」
言ってくれれば、もっといろんなことができたはずなのに。
「もう、何も」
仕事に向かう後ろ姿ばかりを思い出す。
どうして、父親なんだろう。
死ぬって何?なんで、死ぬの?どうして、誰かが死ななきゃならないの?
それから、一ヶ月が経った。
相変わらず、父親の死に立ち直れずにいるけど、何もしないほうが嫌で学校に行っていた。
そんな帰り道、あの幽霊に出会った。
「どう?将来のこと考える気になった?」
「……」
「無理だろうね。君は、ずっとそうやって悩み続ける」
「……」
こんな時に出会ってしまうなんて。
あの時の答えを聞こうとしている。
そして、彼は私が思っていることをきっと知っている。
「君は、父親の死を悲しむというより、友達の彼氏の死に同情するというより、死ぬのが自分じゃないという悲しみを抱いているんだろう?」
図星だった。
ずっとそうだった。
だから、肝心なところで思考をシャットアウトして自分の人生を他人事のように生きてた。
「僕は気になるよ。どうして、君はそんなことを思っているのか」
「……」
無視して早歩きする。だけど。
「君は、昔から人と違うことに悩んでた」
「……」
やっぱり彼は、あの時の彼だ。
知っているんだ、自分のことを。そのくせに。
「直感だけどね」と。
「考え方が違うから、聞いている分には楽しいけど。君は、周りと違う考え方を嫌ったね。マイノリティだから」
「……」
「繊細で、優しいから、君は誰かの代わりになりたいとも思ってる。誰かが死ぬくらいなら私が死んであげるなんていう自己犠牲。君は、優しさの常軌を逸してる」
「……昔、あなたに会ったことあるよ。ねぇ、なんで今更私に会おうなんて思ったの?」
「君が心配だからかな」
あの頃はまだ、中学生だった。
人との違いに悩んで、周りと歩幅をあせようとしていた頃。
優等生すぎる私は、周りが理解できていない問題をすぐに理解できたし、ちょっと集中してみればすぐにテスト範囲は覚えられた。
でも、それだけじゃなかった。
考え方も人と違った。違うというか、ちょっとした変化というか。
自分でも言語化できていないことだけど。
中学一年生の頃、そんな稚拙な言葉を高校三年生の君は、公園のベンチの隣で聞いてくれた。
「雅彦くんだよね」
「……」
「ずっと会いたかった。なのに、私はあなたのことを忘れてしまってた」
「それでよかったのに……」
「変装なんかするからでしょ!」
「君だって、化けてたじゃん」
「化け物みたいに言わないで」
「言ってないよ。可愛くなったし、綺麗になった」
「そんな……」
「自信持ってよ。君は、すごいんだから」
「……」
「自己犠牲は、自分のためにして。人のためにしないで。みんな、望まないよ。今のクラスメイトを見ても望んでいるように見える?」
「……でも」
「確かに、僕は死んじゃったけどさ。後悔はしてないよ。君が、それでも生きてくれてるから」
「あの後、会えなくなってから、どれだけ心配して!悲しかったと思ってるの!なんで、置いてったの!」
真香の気持ちがよくわかる。
そうだ、雅彦みたいな優しさが碧にはあったんだ。
でも、それは碧の優しさで碧だからよかった。
「あなたが死んでるなんて、思うわけないじゃない」
「……ごめんね」
「許さない」
「でも、もう死んじゃったし?」
「私も、今から行く」
「だめだよ」
声のトーンが下がる。
「後追いは、させない」
「……なんで?」
「今はもう後悔はないけど、最初はすごい嫌だった。死にたくないのに死んだから」
「……」
「でも、起きてしまったことはしかたない。どうしようもない。実際、僕は脳震盪になる前触れはいじめの前からずっとあったし」
「嫌だ」
「どうして?」
優しい声音だ。昔、聞いたあの声と同じ。
「あなたを今の今まで忘れていたように、父さんの死を忘れてしまいそうだから。くだらない単語や授業、進路なんかに頭を使って人の死を忘れたくないから」
「それは無理だよ。忘れてしまうものだよ。人の死も、夢も、希望も、笑顔も、声も、涙も、思い出も、全部忘れていく。たまに思い出してくれたらそれでいいよ」
「よくない」
「いいんだよ、それで」
どうして、まだ優しい声を出せるのだろう。
私にはできない。
「この先、この経験を何度も何度もしたくない。こんな思い、したくない。たとえば、友達が、母親が、知り合いが……。忘れていくなんて嫌だ。死んでいくなんて嫌だ。ずっと生きていて欲しいのに、不平等に命が消えてく。短かったりする。そんなの嫌だ」
「生きてるよ。そう思えるなら、生きてる。今、君は君を生きてる」
「なんで……、あなたは、怖くないの?」
「死ぬこと?もう終わったことだしなぁ」
他人事みたいに言わないで。
「もう後悔したくない。誰も死んでほしくない。ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとそう思ってたのに」
今更、気づくんだ。
「死は、常に隣にあるんだって。私の隣にもある。そばにある。どこにだって死は存在する。真反対のものだと思ってた。なのに、この世界は時たまに現実を突きつける。……知りたくなかった。こんなにも人の死が近くにあるなんてこと」
「……」
「もう、嫌だよ」
「……」
「この気持ちに何度もさせられるなんて、生きていたくない」
「どうして?その気持ちがわかるなら、なんでもやってみようって思わない?」
「……」
「いろんなことやって、経験して、自分の人生に後悔しちゃいけない。まだ、人のこと考えてる?後悔したくないんじゃないの?」
「……そうだけど」
「できることからやっていきなよ。死は、いつ訪れるかわからないからね」
必死になって頷くと、彼は嬉しそうに笑った。
「さ、東京に行こうよ」
思い立ったが吉だというように。
彼は、歩を進める。
私も、歩を進めた。
後悔しないために、ね。
それから、2年が経った。
雅彦は、もう安心したと私の言葉も聞かずに成仏した。がむしゃらに今を生きているとあっという間に時間が過ぎている。
私は、今も生きている。この世に生きている。
存在している。
今日は、真香と会う予定があるため、カフェにいる。
真香は大学に進学して、私は専門学校に進学した。
とりあえず、やれることをやろうと決めた結果だった。
合わないと思えば、やめればいいし。親には反対されたけど、養成所にも通っている。
ボイトレはきついけど、やるだけ楽しいことを知った。
あの頃は、死から逃げるように必死だった。
今は、一生懸命に生きて夢を追っている。
道半ばで死にたくはないけど、十分やったと毎日思うように行うので死を恐れているわけでもないのかもしれない。
できるなら、叶えて死にたいけど。
「お待たせ!」
「遅いよ」
「友達と話してたらつい」
「大学楽しい?」
「楽しいよ、サークルっていいね」
彼女は、バンドサークルに入り、彼のギターを弾いているそうだ。
「衣織は?どう?」
「楽しいよ。毎日、全力でやってる」
「今の方がイキイキしてるね」
「真香こそ」
と、二人で笑う。
きっとこの先もずっとこうやって笑い合うのだろうと思う。
いつ死ぬかなんてわからない。
今かもしれない。明日かもしれない。
それでも怯えずに済むのは、彼らがいたからだと思う。
「そういえば、あの彼氏はどうなの?」
そうなのだ。私には今、碧という彼氏がいる。
「楽しいよ。地元の大学にいるから、不安だけどね」
「恋してるねぇ」
「うるさいな」
彼は、自分の性は男だと認識していて、木之原が、碧に碧として見てる、碧が好きなんだ、と伝えたらしい。
やってくれたなこの野郎、と思ったけど、運がいいのかもう一度歩み寄ることができて、付き合うことになった。
それから一年が経つ今。
「モテないと悩んでた衣織も今では告白されたと悩むんだもんねぇ」
「うるさい!碧以外と付き合うつもりないから」
「かっこいい」
「……うるさい」
その癖また目が合うと笑い合う。
雅彦や父さんのように最近は思い出す時間もないほどに充実させている今を、彼らは喜ぶだろうか。
いや、きっと喜んでくれる。
だって、父さんは元気でなと言ったんだから。
死んでから、元気にしてるか聞いてやる。
雅彦みたいに幽霊になって出会うことはなかったけど、死んだその時は迎えに来い、ばか。
だから、それまでは今を精一杯生きます。
生きて、叶えます。
時に悩むけど、それでも前を向きます。
また人の死を経験するかもしれないけど。
それでも、この生ある限り、生き続けます。
いつか、また会う日まで。
すぐそこにあるモノと二人三脚で歩んでいきます。
あなたは誰?と聞いてこう答えた人はこの世の中でどれだけいるのだろうか。
そして、どれだけの人が正気を保てるだろうか。
私は全速力で逃げた。
幻覚だ。高校生にありがちな幻覚作用だ。
一呼吸置いてあたりに誰もいないことを確認する。
ホラー映画にありがちな振り返ったらソレがいる展開は来ないはずだと、現実を生きる私は願っていた。
願いは叶わない。夢や目標と同じだとその時思った。
「逃げなくてもいいじゃんか」
「誰だって幽霊なんか見たら逃げますけど!」
「えー、やっぱり?」
学校付近にあるビルの近く。
ビル風が通らない壁際。浜松駅付近では高い建物が多くそのエリアを街とか言ったりする。
こんな見ず知らずの幽霊と仲良くなりたくはない。
「君、名前は?」
この世の中に幽霊にナンパされたことがあると言える人はどれくらいいるだろう。私は言える。
そもそもこいつは本当に幽霊なのか?ただの幻覚。疲れてるだけかもしれない。
学校サボって昼間からここにいる罰なのかもしれない。
「磯貝衣織」
「衣織ね!よろしく。ところでどうして俺のことが見えるの?」
「どうしてって……」
学校サボった罰が当たっただけ?
そもそも私霊感ないし。
「この辺の幽霊みんな成仏しちゃってさ。俺だけ残されてんだよね」
当たり前のように話を続けないで。
意味わかんないし、ついていけない。
「ねぇ、本当に幽霊なの?」
ここまでくると聞くほかない。
「うん。さっきも言ったじゃん」
笑いながらいう彼は、ほら見てと車道に出る。
僕は死にません!となんのジョークかもわからない言葉と共にすり抜けていく。
冬だというのに余計寒くしてどうするんだ。
マフラーに顔を埋める。
「ほらね。ドラマにあるセリフだったんだけどわかった?」
わかるわけがない。アニメしか見ていないのだから。
ただこいつが本当に幽霊だと証明されたわけだ。それこそ意味がわからない。
しかし、これがアニメの物語ならあり得る話だ。
「どうして成仏しないの?」
「それは俺にもわからない」
「何それ」
「わかってたら、君に声かけないよ」
「声かける意味もわかんないけど」
「うーん、似てたからじゃない?」
「私と?……え、ヤダ。普通に嫌。あなたと一緒にしないで。ていうか、一緒にしないほうがいい」
「素直だなぁ」
なのに彼は笑うだけ。
私なんかと一緒にされて嫌じゃないのだろうか。
「私、帰る」
やっぱり関わらないほうがいい。ただの幻覚だ。
「えぇ!ちょっと待ってよ。それ、映画見に来たんじゃないの?」
カバンにつけているキャラグッズを指していた。
「そんなんじゃない。あなたに知られたいと思わないから」
これ以上詮索されたくなくて、それが声に出てしまった。
こんな声で……。
嫌いだ。自分の声なんか大嫌いだ。
幽霊を無視して帰路に着いた。
翌日、また学校をサボって街に来ていた。
やりたいことがあるわけじゃない。目的があるわけでもない。
ただここは街に行かなきゃ何にもない。
大人みたいに車を持ってるわけじゃないのだから。
住みにくい町。
住んでる場所の近くに飲食店もない。
だからここに来ているだけ。
学校に友達なんていない芋女の私にそんなものできるわけがなかった。
ましてや、今時なりたいものがある人なんていない。
マイノリティでハブられる。それが現実。
向かう先が違う人は排除される。
クラスの人気者が夢があるとか言えば別だろうけど。
私はそんなのない。
クラスの端でただひっそりと生活するだけでよかったのに。なのにあいつのせいで。
クラスの人気者は嫌いだ。
学校にいなくたって問題ない。
どうせ見向きもされないのだから。
「どうも〜、幽霊で〜す!相席いいですかー?」
いうよりも先に席に着いているこいつを殴りたい。
「今日はマックにいるんだな」
当たり前のように話ふっかけないでもらいたい。
「こんなブスに話しかけるより、もっと可愛い子いると思うけど」
辺りを見渡し首を傾げる幽霊。
「幽霊の趣味なめんなよ」
と、別角度から怒られた。理不尽だ。
「女の顔なんか求めてないから。一番そういうの興味ない」
つまりそれは私のこと可愛いと思って話しかけてきたわけじゃない。何それ。それはそれで不服だ。
幽霊でも顔がいいわけだし、他でも通じると思う。
いや無理か。
じゃああれか。私は通じるバカな女だと思われたわけだ。殺す。
死んでるんだった、こいつ。
「で、なんで今日はここに?」
親に心配かけたくないからとは言えなかった。
ちゃんと学校に行っていると思ってもらいたい。
「……ん?それこっちのセリフ!なんであなたがここに?」
「俺ずっとこの辺いるから」
「見つけたから声かけた?」
頷く彼にドン引きの私。
「来ないでもらえる?」
「どうせ暇でしょ?話し相手になるぜ」
「暇なのはあなたでしょ」
ウゲェと苦い顔をした。わかりやすいのは彼も一緒だ。
「じゃあさ、あなたはなんで死んだの?」
「突然だね」
「話すことなんてないから」
「俺の話だけでいいと?」
頷く私にドン引きの彼。
どうして立場が逆転したのか。蹴りを入れるがすり抜ける。そうだ、今私は死者と相対しているのだ。攻撃が当たるわけない。
「脳震盪起こして死んだ」
案外素直に答える彼に驚いた。
そういう過去は言いたくないモノだと思ってたから。
私が聞かれたら間違いなく答えないのに。
「飄々と答えることじゃないと思うけど」
自分のプライドがダサくて、下手なプライドのなさがちょっとカッコよく見えた彼の足を引っ張りたくなった。
「調べれば出てくるんじゃないかな」
スマホを取り出す。
「同じ高校生だよね?」
「僕は三年」
将来のこととかあるだろうにそのタイミングで死んじゃうなんて人生は残酷だ。
……将来。
サラッと出た言葉。彼も将来のことを考えていたのだろうか。
「私も今、3年生。あなたは夢とか目標とかあったの?」
表情は変わらないくせに雰囲気がドッと変わった気がした。
「あるよ。でも死んじゃったからね」
また飄々と答える彼。気のせいだったのかもしれない。
「俺らしくいたかったかな」
俺、らしく?
言葉の真意まではわからなかったけど、話していくうちにわかる気がして深くは聞かないことにした。
「あとはそうだな。色々な物語が見たかったかも」
「物語?」
「映像演技とか舞台とかアニメとか」
「……」
「どうかした?」
「……聞かないほうが良かった気がして。酷じゃない?」
自分は死んでるのに現実でやりたいことがあるというのは。
それは未練じゃないか。
「そんなことないかな。自分でも受け入れてるところあるから。仕方ないことだったんだって」
「私もあるよ。受け入れちゃってるところ。みんなから受け入れられないことも」
「何か、やりたいことでもあるの?」
幽霊のくせに話しやすい。まるで友達と話している時みたい。
中学生の頃にいた女子友達みたいに。
でも、目の前にいるのは男で幽霊だ。
奇妙な体験をしているなと今、初めて感じた。
昨日の今日で彼に対する壁が消えていくのを感じる。
それは多分、彼がふざける割に優しいと見抜けたからだと思う。
見抜く力はあるので。
でもまさか見抜かれるとは……。
「あるけど……、でも言わない」
「それでいいよ」
「いいの?」
「なんでちょっと驚いているの?」
やっぱり優しい人なんだなと思う。
「ううん、別に」
言葉の割に優しい口調になってしまった。
夕方、家に帰るとスマホで気になる記事を見た。
これがあの幽霊のことだとは思えないけど聞けなくてちゃんと調べようと思ったのだ。
男子生徒が数人の男子生徒にいじめられ鈍器で複数回殴られ脳震盪を起こし、放置されて死亡。
この男子生徒が高校三年生で浜松市内の高校だったことから可能性を感じた。
でも、この記事は三年前のものだ。
もし生きてたら大学二年生になっていただろう。
春が来たら大学三年生の歳。二十歳を過ぎる。
他にないか調べるけど、それらしき記事はない。
わざわざ脳震盪って単語を使ったあたり可能性が高い。記事になるほどだから尚更。
死んだ以降、歳はそのままなのか。
電話の着信だ。
たまに電話をしてくる中学生の頃からの友達である鈴木真香。
「おっはー。学校行ってるー?」
「行ってないけど。真香に言われたくない」
ゲラゲラと笑う彼女。
まさかあれだけ真面目な中学生が今や学校をサボっているとは思うまい。
中学の教師が知ったら泣くかもしれない。
「名古屋来なよー。楽しいよ?」
「なんで名古屋?」
「遊べるじゃーん」
口を閉ざしていると。
「衣織だって行ってないんでしょ?少しくらい外の景色を見ようよ。学校なんてちっぽけだって気づくからさー」
「……」
真香に聞いてみたいと思った。
「……夢ってある?」
「ん?どしたー、急に」
「ほら、中学生の時は真面目ちゃんだったから。あるのかなって」
「……ないよ。夢なんて叶いっこない。叶えられないと思うなぁ」
そうだよね、やっぱりみんな夢も目標もなくなんとなく生きてるよね。
大学だって適当に選んじゃう人もいるくらいだもんね。
「今日さ、三年前の記事を読んでたの」
「三年前?」
興味のありそうな声音だった。
彼女もまた私と同じで記事やニュースに興味がある。
「いじめにあってた男子高校生が同じクラスの男子に暴行されて死んじゃったんだって」
「殺人じゃん」
「捕まったみたいだけどさ。なんか、夢っていうかやりたいことあったみたいなの」
「報われないって話?」
察しがいい。言いたいことはそういうことだ。うんと返事をした。
「夢なんてないからわかんない。どんな気持ちだったんだろうね」
私の意見が聞きたいのだろう。
「やるせないなって」
「同情するの?」
話を変えた。
「真香はさ、なんで学校行かなくなったの?頭よかったじゃん」
「行く意味ないじゃん。やりたいこともないし。遊んでみたいって思っただけ。大学は行くよ?親に言われてるから」
「私も行くと思う。だけど、もしさやりたいことがあったんなら、悔しいなって思う」
どうしてだろう。気持ちが言葉に出てしまった。
自分にもやりたいことなんてないって思わせられなかった。
「そっか。衣織はすごいね。やりたいことがあって」
「気づいてた?」
うんと頷かれた。
隠そうと思ってた。将来の夢なんて。馬鹿にされるだけ。嗤われるだけ。泣きたくなんかないから言わない。
「深く聞こうと思わないけど頑張ってね」
優しい声だった。
親友っていいなと思った。
だけど、悩みを彼女には言えなかった。
こんな声でなれるわけない。ましてや顔を求める今の時代に私はなれると思えない。
言いたい。彼女の言葉を聞きたい。
でも、その日は出来なかった。
臆病な私が嫌いだ。
それから幽霊と出会い一週間近くが経過した頃。
「都会に行かないか?」
彼は馬鹿げたことを言い出す。
「東京に行きたいんだ」
「1人でどうぞ」
マックの角の席。平日は人がいないから良い。いくらでも声を出せる。
店員が品を持ってきた時、不審がられたのは恥ずかしかったけど。
前に真香が外の世界を見たほうがいいと言った。
彼も同じ気持ちなのだろうか。
「なんで私と?」
「学校行ってないし暇だろ」
「そんなことないけど」
「よし、じゃあ行こう」
話を聞かない彼に舌打ちをする。
「こんなブスと行かないほうがいいよ」
マックシェイクをチューっと飲む私。
「デブだしブスだしおまけに声もキモい。やめときな私なんか。東京なんて可愛い子しかいない」
「偏見じゃん!」
なんで楽しそうなんだ。
「まぁこういう曲があるんだよ」
「知らん」
と、そこに。
「衣織!!」
真香が遠くから声をかけてきた。
どうしてここにいるんだろう。
「久しぶり!まさかここで会うなんてね!」
「なんで」
「これから名古屋に行こうと思って」
電車で行けば二千円程でいけるとは聞いたけど。
それより、中学生の頃の面影どこにいった?
髪染めて化粧して派手な服まで着て。
あの頃の知ってる真香じゃない。
「それよりなんでそんな芋っぽいの?美容院でいい感じにしてもらったら?」
そんなことしてアニメグッズにお金使えなくなったらどうするんだ。
「メガネじゃなくてコンタクトにしたらよくなりそう」
突然評価まで始めてさ。
だいぶ変わっちゃったなぁ。
私も人のこと言えないかも。
「これから買いに行こうよ。化粧品もさ」
腕を引っ張る彼女。
幽霊と話したかったけど、いつの間にか彼は消えていた。
気が利くというかなんというか。
まず美容院に連れて行かれ、1時間半という長い時間と一万円が消えた。
アニメ三話分は見れるし、グッズだってそれなりに買える。tシャツだって二枚か三枚は買えるはず。
服も私好みで大人っぽいものを。
「自分で買うよ」
払おうとする彼女を止めた。
「私が勝手に始めたんだからこれくらいいいでしょ?誕プレってことで」
そう言えば、少し前に誕生日がきてたっけ。忘れてた。
その服装に着替えると彼女はうん、良しと満足そうだった。
コンタクトまで買うと言い出して時間がかかり過ぎるからと止めたのに暇だからと突撃した。
なんでもコンタクトを買うには眼科に行かないといけないらしい。
初めて買うモノだから知らなかったし、彼女もそれに怒っていた。カラーコンタクトなら視力を知ってるだけで売ってくれるとかなんとか言っていた。
世間知らずな私は置いて行かれている気さえした。
その頃には夕方でそれでも彼女は化粧品を買いに行こうとするので流石に止めた。
ならばうちに来てメイクだけでもしようと言う。
どうしてそこまでしてくれるのかわからなかったけど流れに身を任せた。
彼女の部屋に入るのは久しぶりだ。
ロックバンドのタオルとかあってこういう趣味だっけ?と疑問符が浮かぶ。おまけにギターまである。
座らされ、向かい合いメイク道具を用意する彼女にいう。
「人のこと言えないけどさ。なんか変わったね」
「……」
返事はなかった。まずいことを言ってしまった気がして慌てて謝る。
「ほら、ギターとか中学生の頃興味なさそうだったじゃん」
音楽の授業で弾いても難しいからと弾きもせず駄弁ってたはずなのに。
「やめよ、その話」
地雷を踏んでしまったと知って、また謝った。
「メイクに集中できないから」
「ごめん、色々今日はなんでもしてくれたのに」
「違うよ。しなきゃいけないって思ったの」
「え?」
そんな風に思わせる何かがあっただろうか?
「あの男の子と一緒にいたいならさ、これくらい身なりはよくしておきなよ」
「……え!?見えてたの!」
「見えてた。けど、消えたから幻覚だと思ったよ」
「……」
「同じ学校?」
「違うよ。……変な話だけどね、彼、死んじゃってるみたいなの」
「幽霊なんだ」
受け入れられている意味がわからない。
おかしなことが起きているのに驚きもしない。
「変だと思わないの?」
「別に思わないかな」
霊感とかあるじゃん?と満更でも無さそうだ。
そんなありふれた話じゃないと思うけど。
「でもさ」
「私もあるから。そういう経験」
「え?」
「ギターを始めたのは、好きなバンドのギターがかっこよかったから。始めるまでは悩んだよ。変に思われないかって。趣味って馬鹿にされるし」
言い返せなかった。
クラスの人たちもバカにしてきたくらいだから。どこにでもある話なんだなと思った。
それ以上に嘘のようなニュアンスがあって違和感を抱く。
「学校行けてないのってそれが理由なんじゃない?好きなものがあって、その好きなものになりたくて。だからそれをバカにされることが怖いんじゃない?」
「……うん、なんでわかったの?」
「それこそ、幽霊に言われたの。周りの目を気にしてるんじゃないの?ってさ」
彼女もまた私と同じ経験をしていた。
じゃあ、幽霊って誰にでも見えるものなんだ。見えて悪いモノじゃないんだ。
パウダーを顔にトントンやる彼女。
目を閉じて待つ。
「その幽霊はさ、なんで成仏できないんだろうね。前に電話で話してくれたのってその人でしょ?」
パウダーが終わり目を開ける。
頷いたけど、確かにどうして成仏できていないのかわからない。彼もわからないと言っていた。
「真香の時はどうやって成仏したの?」
「特に何も。未練も別にあったみたいで私は話を聞いてもらってただけ……」
都合のいい時に利用されたと思わないのだろうか。
私ならだいぶ怒るかもしれない。人のことは言えないが。
あの時だってそうだ。
クラスの人気者が話しかけてきて、アニメが好きってこと馬鹿にしないで沢山話を聞いてくれた。
単純だった私はいつの間にか好意を寄せていた。
だから今度アニメイト行ってみない?って興味を持ち始めた彼に伝えてみたんだ。
だけど、断られて段々とLINEの返信が遅くなっていった。
そんなある日、他の女子生徒の群れにトイレへと連れ込まれた。
どうして彼と話すのか。彼はあんたのなんなのか。
私が好きになってしまっていただけ。それがこの女子たちを怒らせてしまった。
クラスでは省かれる対象に変わった。
最初こそ彼はこんなことになってしまったことを気に病んでいるのか連絡をくれたけど、その優しさが苦しかった。
LINEで文句を言った。『私があなたのことを好きだって知ってるくせに、今私に優しくしないで』、『これ以上好きにさせて楽しいの!?』。八つ当たりだった。
けど、もう遅かった。本当はそれでも守って欲しかった。クラスの前でやめろよって言って欲しかった。
それ以降彼からの連絡は途絶えた。
自業自得なのに。
クラスの和を乱し、挙句イジメの的。
学校にいくことが怖くなった。
それから親には内緒で学校に通っていない。
都合がよかったんだ。
自分にとって。彼にとって話し相手の一人にすぎない。そんな私がしてしまった愚行を彼はどう思っているのだろう。
話し相手にすら今はもうなっていない。
これでよかったんだと思う。
都合良く私は、彼を利用した。
逃げるための理由に彼を利用して、連絡手段を絶っている。
「衣織は?その幽霊、どうして成仏できてないの?」
「さぁ、何も言ってくれないからわからない」
「嘘はつかないで。あんたわかりやすいんだから」
「……」
あなたもわかりやすいくせに。
「仲良いのに嘘がバレないと思った?」
「なら、嘘を見過ごさないのは今まで通りじゃないね」
「そんなもんじゃない?中学の頃なんて、こんなメイクしなかったし」
時間が経てば、好きなものができる。
状況が変われば、求めるものが変わる。
今、私は真香に変化を求めなかった。
いつまでも同じ環境でいたい、周りが誰も変化しないでいてほしい。そう、思っているのかもしれない。
「でも、ギターの話は嫌がったよね」
「……」
変化する彼女に、それを聞くことを許さない。なのに、私には変化が見てわかる。
「ごめん、無理に聞かないよ」
たとえ、人の変化があったとしてもそれはきっと聞いていい時というのがあって、聞いちゃいけない空気感が聞いて仕舞えば、関係は壊れる。
壊れた関係が戻らないことは、好きな男子と連絡を取らなくなったことで理解した。
友人と学校が違うからなんて理由だけじゃ、関係は壊れない。どこかで出会う。今みたいに再会する。
でも、関係はこの一瞬で壊れることを二度も経験したくはない。
「ひどいね、私は」
真香は、持っていた化粧道具を机に置いた。
「今の、聞かなかったことにしていい?」
それは、ギターの件だろう。
「うん」
関係を壊さないための線引き。
いつからこんなにも素直でいられない環境が出来上がったのだろう。
いつから人の目を気にして生きているのだろう。
「鏡、見てみて」
彼女の声に鏡を見てみると、そこには綺麗になった自分がいる。
思わず声がこぼれる。
だけど、目は笑ってない。
作り物で、なのにそれが良い。本当の自分を隠しているようで、本当の自分を見なくていいようで。
クラスの輪に擬態できそうな気持ちになった。
「綺麗だね」
「化粧は武器だから。隠したいところは隠せるんだよ」
隠したいことを隠す武器。
「強がって見せたい時にもいいけどね」
「攻めが最大の防御、みたいな?」
「そういうこと……」
含みのある言い方に少し気になった。
もしかして、彼女は隠したいことを隠して強くあろうとしているのだろうか。
そのくせに、人には触れられたくない。
わかってくれる人に触れてほしいのか。
ならそのわかってくれる人に、私はなれないだろうか。
長い友人だ、久しぶりに再会したんだ。
きっと何か運命にも似た理由があるんだ。
だけど、それでもし関係が壊れたら?
今の私に、友達なんて真香くらいしかいないのに。
なのにスッと、あの幽霊の顔を思い出した。
彼も私の味方?友達?まさか。
彼女に集中することにした。
あのね、と片手を両手で覆うように触れる。
ハッとして私をみる彼女。
わかるよ。その顔。泣いていたんだね。
その驚き方も、悲しい感情も全てが時間と共に変化することはなかった。
彼女は、外見だけが変わった。内面はいつまでも変わらない彼女のままだった。
まるで私を見ているようで、虚しくなる。
どうして、あなたがそんな思いをしているの?
「そこに置いてあるギター、あなたのものじゃないでしょ」
「……」
やっぱり。
「派手な格好してても、真香の好みは大体わかるよ。でもさ、そのギターは似合ってない気がする。少し違うなって」
ちょっとは引いたけど、それも仕方ない。初見で引かない人いないと思う。
「ロックバンドが好きならさ、どうして、街にいたときに楽器屋さん行かないの?CDショップかな」
「それは、でも」
「だって、この部屋、グッズはあるのにCDとかないよ?」
「今は、売らないバンドだって」
「嘘だよそれは」
スマホをぽちぽちっと検索かけるとそのバンドのCDは売っていた。その画面を見せると、彼女は目を逸らした。
「真香が見た幽霊ってさ、彼氏さん、だよね?」
彼女は答えなかった。
だけど、何重にも作った壁が壊れるよう。メイクしたその頬に滴る涙を彼女は必死に抑えてる。
どうして?と小さく聞こえた。
「どっから話そうかな。そのバンドのことをあの幽霊が知ってたの。だから、二人でいろんなところみてる隙間に調べたの」
「……調べたなら、わかると思うけど」
「解散してるね」
「……」
「……真香が好きだったの?」
首を横にふる彼女。
「彼氏さんは、直感だけどね。真香なら流石にもう彼氏くらいいるよなって思っただけ」
「……あのギターは、さ……。ずっと彼氏が私の前で弾いてくれてたんだよ。ずっと楽しそうにバンドの曲を弾いてさ、よくそれに合わせて歌ってた」
それがどうしてこうなったのか。
「でも、解散してから変わった。彼の中心にはそのバンドがいた。私を好きでいる時もバンドがいたから彼女もできたと思ってる。解散以降曲を聞くどころかギターも弾かなくなって、私と会話することも減った。LINEも返さない時が増えた」
彼氏の全てにバンドがあった。
「別れようって言い出した。今の自分じゃ私を愛せないって」
それ以降返信は3日に一回一週間に一回と減っていった。
「不安になって会いに行った。家の外に車はなかったけど彼の自転車はあったからいるだろうって。でも」
私をみる目は酷く苦しそうで。
「玄関の鍵が開いていて、開けて入ったの」
ギターに目をやると声が消え入るように。しかし、しっかりと聞き取れた。
「泡をふいて死んでた」
のちに市販薬の多量摂取が原因だったと知ることになるらしい。
昔からいつか消えてしまいそうな危うさを彼から感じていたそうだ。
それが現実になるとは思いもしなかったそう。
聞くべきじゃなかったと、踏み込むべきじゃなかったと後悔した。
同時に身近な人間がこんな出来事にあうこともあるのだと知った。
みんなどこかで生きることが当たり前で死ぬことは非現実的で理解できない分野だと思うかもしれない。私はその1人だ。
幽霊に出会ったあの日、そんなわけがないと思ってた。身内の死を経験したこともなかったのだから。曾祖母も曾祖父も私が生まれる前に死んでる。会ったことなんてない。
同じ歳や近い歳の人が死にゆくことに現実性を感じない。
それどころか現実にあって良いわけがないと思ってた。
命なんてものは年老いるまで三、四十代になるまでは自分の中で無縁のものだと思っていたのだから。
今はそうじゃない。どこにでも死というのは存在する。きっと今もこうして話している間にも誰かが死んでいて、事故に遭っていて、病に蝕まれていて。静かに死が訪れようとしている。
私もいつ死ぬのかわからない。
でも、今の私には何も問題がない。事故以外はどうせ何もないのだから。
今を生きれば良い。
今ある時間を大切にしていれば良い。
だけど、私には真香になんて言ってやればいいのかわからなかった。
きっと後からわかるのだろう。
普通に自分らしくいつも通りに接してあげればよかったのだと。
今の私にそれはできなかった。
ただ黙って泣き止むのを待って静かに背中を撫でる。
どかされそうに思ったけど彼女はそうはしなかった。
「ごめんね、こんな話」
泣き止む頃、私は彼女に気を遣わせてしまった。
泣きたい時にたくさん泣けば良い。私はそれを悪いとは思わない。
「ううん。踏み込んだ話してごめん」
「大丈夫」
彼女は鼻を啜りながら、ギターを手に取り言った。
「そのあとで彼が私に会いにきた。墓の前に座る私の横にいたの」
彼女が見た幽霊は確かに彼氏さんだったらしい。
『気に病むなよ。俺はずっとこんな調子だった。君のことをもっと考えていたらこの選択はしなかったかもしれない。でもね、俺はこの選択間違えてないと思ってる。今は気持ちが良い』
澄んだ瞳に澄んだ声で言ったそうだ。
『置いてくなよ、バカ』
彼は笑っていた。
『ごめんな。死んでから一番後悔したのは君を1人にしてしまったことだよ』
ならなんで?と怒る彼女。
『ずっと自分の世界にいたから。檻の中に1人でいるのが当たり前で。でも君が今も苦しいのなら僕はきっと間違えたんだと思う。心残りだよ』
『……』
『君は特別強い人でもないからさ。でもこの先もちゃんと生きててほしいな』
自分勝手な男に彼女は言う。
『置いて行ったくせに。許さない』
ケラケラと笑う彼。
『そりゃあ、置いてくよ。死んでほしくないから』
睨みつけたところで澄んだ瞳は色を変えない。
『まぁ、なんだかんだ生きてくれそうで安心した。その瞳はまたどこかで見れたら良いな』
『私をまた置いてくの?』
『こればっかりは連れていけないよ。ライブじゃないんだから』
『最低』
『久々に聞いた。出会った時もそんなこと言ってたね』
彼女の気持ちも置いていく彼。
もう充分だと言わんばかりに立ち上がる彼は、伸びをすると笑顔で告げた。
『もう行かなきゃな。早めに成仏しないと呪いに変わっちゃうらしい』
『待って!まだ話したい!お願い!!』
『僕はもう満足してるので!じゃあ!また80年後に会おうか!!』
彼は満足げに寺の方へと歩いていく。
追いかけて抱きしめようにも彼は幽霊だからすり抜ける。
彼だけが心残りを解消し成仏していった。
きっと今、真香は少しの霧か靄が晴れたんだと思う。
涙でくしゃくしゃの彼女が等身大らしく抱きついて泣くのだから。
「衣織は、勝手に死なないでね」
ギュッと力が加わる。
突然の死ほど嫌なものはないのだと経験者は語る。
「そんなことしないよ」
確証もないのに口からでまかせを言う。
どうにでもなってしまえばいいと思う私にその言葉は残酷なものだった。
「また辛くなったら言ってよ。いつでも駆けつけるから」
暇だしと付け加える。
こんなにも可愛くしてくれた彼女を、親友を見捨てるわけがない。
そう強く思った。
彼女には幸せになってほしいと強く願った。
さて、家に着くとふと思うことがあった。
幽霊は成仏できないと呪いになるという真香の亡き彼氏の言葉。
では、あの幽霊はどうして成仏できないのか。
彼自身もわかっていない。
つまり、彼はいつか呪いに代わってしまう。
呪いがなんなのかもわからないけど、彼がこのまま私の近くにいるのも危ないのではないだろうか。
私を呪い殺したり……、まぁ別に良いか。
部屋の扉にノック音が3回。わざわざノックするなんて珍しい。
返事をすると眉間に皺を寄せる母親の姿があった。
それはつまり私が学校に行っていないことがバレたのだと勘が働く。
「もしかして……」
軽く聞いてみると想像通りであった。
「学校から連絡があった。学校行ってないの?」
「……」
やっぱり、行っていないことがバレてしまった。
仕方がない。
「そのメイクは何?学校にも行かないで遊びに行ってたの?」
「……別に」
「別にって何?何度か連絡あってそんなわけないと思ってたけど、ずっと学校行ってなかったんでしょ?」
「うるさいなぁ……」
「はぁ?」
「いいじゃん、私がどうしようが」
「ダメに決まってるでしょ。何が、いいのよ」
「……」
「嫌なことでもあったの?ちゃんと話して」
「別に」
クラスメイトから嫌われているだなんて誰が親に言えるものか。
ましてや、告白して振られた挙句、女子生徒から反感を買うなんて。
「言わないなら、なぜ言えないのか言って」
それ、もう言わせる気じゃん……。
「明日から、学校行くから」
適当に返すと母親はそれ以上言葉を返すことはしなかった。
代わりに風呂入ってと促し、部屋から出ていく。
明日、学校に行けばいい。それで十分だ。
荷が重い。足がこんなにも動かなくなることがあるだろうか。
まだ、明日になったわけでもないのに。
とりあえず、風呂に入る。事を済ませると部屋のベッドにダイブする。
面倒臭い。なぜ学校なんてものがあるのか。
当たり前に日常が過ぎていくなか、真香は、きっと今も苦しいんじゃないだろうか。
彼が亡くなったこの世界は、今も何事もないような顔して時が進む。
街歩く人の中で、他にも同じように誰かを失う経験をする人がいるのだろう。
もしくは、この先誰かを失う。
それが遅かれ早かれ誰にでも起こることで、自分自身が死ぬこともある。
こんなことあまり考えたくないな。
別に、自分が死のうが死なないがどうでもいいさ。
ただ、身近の誰かが死ぬのは耐えられそうにない。
真香は死なないよね?
またいつでも相談くらいのる。いくらでも頼ってほしいと思う。
あの幽霊は、大丈夫なのだろうか。
夢もあったはずで、死にたくなかっただろうに。
どうして、当たり障りもなく飄々としていられるのだろう。
普通は、誰も死にたくないものじゃないのだろうか。
だってまだ、十代だよ?死にたくないでしょ。夢とかあるでしょ。生きたいって願うことくらいあるでしょ。それが、普通ってやつじゃないの?
あぁ、だめだ。
これ以上考えても答えは出ない。結論はない。
当たり前に人が死ぬ世界で、周りで誰も死んでいなかったのがありえないのか。
真香の彼氏だって会ったことないし、他人だし。
やめよう。止そう。さっき、答えは出ないと思ったばかりじゃないか。
今日一日、動いたせいかいつの間にか眠っていた。
スマホの目覚ましで目が覚める。
今日こそ学校に行かないといけない。
億劫だ。どうして学校なんか。
狭い鳥籠の中に三十人も人を入れたら合わない人くらいいることわかるだろうに。
なぜ、昔と変わらず続けられると思えるのか。
不平不満を頭の中でぶつぶつ言う。
制服を着て一階のリビングで朝食を取る母親の前に立つ。
父親は、ソファで新聞を読んでいる。
「学校行かない」
ここまで準備してこの様だ。
やはり私は学校に行きたくないのだ。
「どうして?行きたくない理由があるならちゃんと言って。話聞くよ」
「そんなの嫌。でも、行かない」
「なんで?」
父親が新聞を畳みながら聞いてくる。
「学校、嫌い」
「そうか。今日くらい」
「あなた、衣織は、ずっと学校に行ってないのよ?今日も休ませたらまた行かなくなる」
「今日は行かなきゃ、って毎日思いながら生活するのは大変じゃないか」
「でも」
「なら、学校に行くだけ行ってみてはどうだ?その後でやっぱりきついと思えば、帰ってこればいい。保健室にいるのもいいと思うがな」
母親は、口を閉じた。
こう言う時は大抵、何かを抑えている時だ。
「それでも嫌だって言うなら、ちゃんと話してくれないか?」
父親の諭す言い方は今まで何度も聞いてきた。
苦しいな。毎回こんなこと言わせてしまってはいつか父親の気持ちも爆発させてしまいそうだ。
なのに、心の奥底でもしも二人が死んでしまったらと考えている。
この二人が、死んで後悔するなら、今の学校に行きたがらない私のことを思うのかな。
二人の愛は知ってる。だから、二人が喧嘩する。わかってる。
「……衣織?」
母親が、私の顔を覗く。
どんな顔していただろうか。わからない。
「わかった。いく。いくから、帰ってきたら生きててよ」
二人は驚いたような顔して破顔する。
父親は、最近仕事に行っているような姿はない。
車もそのままだし、昼間に帰ってこれないのは父親がいるからだ。
転職でも考えているのかタブレットで職探しのサイトを開いているがこの前見えた。多分、転職が決まり有休消化中といったところだと思ってるけど。
「どうしたんだ、急に」
父親が、笑いながらコーヒーを啜る。
「生きててほしいって思っただけ」
死は、意外と身近にあるのだと知ったばかりだから。
高校生の思春期真っ只中。人の死に触れたらこうなってしまうものなのだろうか。
あの幽霊だって生きていたら、殺されるようなことがなければ、今頃夢を追っていたのだと思う。
「行ってきます」
行きたくない学校に歩を進める。
普段の登校に利用するバスに乗る。
同じクラスメイトの男子が私をみている。
女子生徒はまだこのバスには乗っていないけど、どうせ二駅もすれば乗ってくる。
「隣、いい?」
声をかけてきた主に、私はビクッと体を震わせる。
声だけでわかる。彼だ。
飯塚碧だ。
「いい、けど……。なんで」
メガネではなく、コンタクトにしたからバレてないと思ったのに。
「衣織さん、雰囲気変わったよね」
「え、あ、うん。でも」
「メガネじゃなくて、コンタクトにしただけ……じゃないか……」
そこまでわかってしまうなんて、この男やっぱり罪だ。
「なんで」
「……学校、来なかったから。心配で」
「心配って、でも私」
あなたに告白したんだよ?
目で訴える。それに気づいた彼は、視線を逸らした。
「気持ちは変わらないよ。僕は、別に……」
言いかけて止める彼に、何を言えばいいだろうか。これ以上嫌われたくはない。だから何も言えなかった。
しかし、よく近くで見てみると彼に対して違和感を抱いた。
彼って、私は言ったけど、でも……。
気にしてみると、声もやはり作っているような感じ。
もしかして。
いやでも、確信はない。
「まぁ、学校来てくれて安心した。じゃあまた、学校で」
クラスの男子の元へ戻る彼。
みんな普通に話してる。
あの男子は知っているのだろうか。
疑問を抱きながら、学校に到着する。
バスに乗ってきた女子生徒にはコソコソと話されて居心地が悪かったせいか、外に出た時の空気はまだよかった。それでも生ぬるさが気持ち悪い。
「今日は、学校に行くのかい?」
よく声をかけられる日だなと思う。
「何よ、幽霊」
思えば、名前を知らない。ネットで調べた時も名前は伏せられていたし、どこにも情報はなかった。
「名前は?」
「覚えてない。それより、東京に行かないか」
「なんで?」
「なんとなく。暇なんだ。付き合ってよ」
「悪いけど、私、学校あるから」
「君の通ってる学校ね……」
校舎に目を向ける彼の目は、とても苦しそうなものがあった。
でも、彼の学校はここじゃない。
「無理に行くべきじゃないと思うけど?」
「親にバレたから」
「それでわざわざ?いいのに、そんなことしなくて」
「なんで?」
「自分の気持ちには素直になるべきだよ」
「そんなこと言うあなたは、自分に素直なの?」
「素直だよ。今も東京に行こうって誘ってる」
「ずるいねそれ」
「何が?」
「何もかもが。あなたは、どうして殺されたのに澄んだ瞳で笑えるの?」
いじめにあって、脳震盪を起こした。それはもう殺されたも同然だ。
「……気になる?」
「それはそうでしょ。あんな意味のわからない出会い方してさ。それから何度も一緒にいるけど。あなたの顔は変わらない」
「……」
「どうして?東京に行きたいのはどうして?」
「……今日、君に会ったことを後悔してるよ。どうして、君は自分の気持ちを最優先してないの?」
言い返された挙句、私は返す言葉がなかった。
「ずっとそうじゃない?君は、自分の気持ちに素直になってない。そんな人に、どうして僕が僕の話をしないといけないの?」
「……それは」
「人の死を昨日、間近にしてどうだった?明日は我が身、だと君は思わなかっただろう?」
やはり、言い返す言葉がなかった。
確かに、苦しかったし悲しい話だと思った。でも、自分がもしそうなると想像しても特に何も思わなかった。
図星だった。
「君は、生きることを諦めてるよね。中学生の頃みたいな完璧さが今の自分にはないから」
中学の頃の先生が知ったら悲しむと考えたばかり。それをどうとも思わない。優等生だった自分はどこにもいない。どこか投げやりだと言われている気がした。
「それ、関係ある?」
「自分の死はどうでもよくて、人の死は苦しい。僕の死因もわかっていて、君の気持ちも今理解していて。僕は、君の生き方が怖いよ」
「死人に言われたくない」
ひどく冷たい声で私は言っていた。
くだらない。自分のことなんてどうでもいい。それの何が悪いのか。
「夢がある割に何もしない君に腹が立ってるよ。どうして、できることをしないのかって」
「それは……」
こんな顔で、こんな声で、こんな性格で産まれてしまったからだろう。
「自己肯定感の低さゆえに顕著に表れてるよ」
「……何が言いたいの?」
「自分を否定することで、自分の夢も否定して諦めようとしてる」
ズバッと言われるとどうして、言葉が出なくなるのだろう。
こんなやつになんで言われないといけないのだろう。
「でも、あなたが素直だと言う話からはズレてる」
「ズレてないさ。こんなにボロクソに言ってるのに」
今の会話は全て本心で、嘘じゃない。それこそ素直だと言っているのだろう。
当たり前のことを言われている。それが余計にイラつかせる。
「碧って人に言われてるだろう?少し雰囲気が変わったって。信じてみればいいじゃないか」
「黙れ」
「無理だね。東京に行こう。そしたら、黙ってやる」
「あなたに、そんな親身になってもらいたいと思ってない」
「……それを言われたら、おしまいだ。また今度、日を改めるよ。また会いにくるからその時また答えを聞かせてよ」
校舎とは反対方向に歩き、スーッと消える彼。
名前は聞けなかったし、聞きたくないことをたくさん言われた。
なんなんだ、本当に。
教室に入ると、クラスメイトがジロジロと見てくる。
明るい男子のグループの一人が、私に声をかけてきた。
「学校、くるなんてすごいな。周りになんて言われるか、わからんぞ?」
「そうだね」
心配してるのか、いじめに来ているのか。
「いや、あのね。碧に告白した話は、知ってるけど別に、そう言うことが言いたいんじゃなくてさ」
どうやら、心配の類らしい。
「お前、碧のこと聞いてないの?」
「え?」
この教室に碧はいない。
その男子は見渡し、確認すると小声で言った。
「あいつ、女子だぞ?」
「やっぱり」
合点がいった。どうりで、服装に違和感があるなと思った。女子には思えないほど、中性的な顔立ちをしてる。
男らしさがある。声も男っぽくしてるし。
「え?あれ……、え?」
「今日、知った。そりゃ、みんな怒るよね。なに、女子に告白してんだって」
拍子抜けしたような顔にフッと笑みが浮かぶ。
「私も馬鹿馬鹿しいなって思った。思えば、この学校は男女共に制服の指定はないから、男子もスカート履けるし、女子もズボンを履ける。気づかなかった」
それが、この高校に入った時からなら、なおさらだ。
「碧の感じも男っぽいしな」
「そうだよね。ずっと男だと思ってた」
「体育も男女合同だからわからんだろ」
「ねぇ、もしかして」
私のことを問い詰めたあの女子たちは……。
「碧の恋愛対象が誰なのかわからなかったからな。一歩引くしかないんだよな、みんな」
私は、一歩も引くどころか何十歩も踏み込んだわけだ。
「でもそれでよかったと思うけどね。一対一で向き合ってる感じが」
「向き合ってる?」
「人と向き合えるってすごいことだろ。俺はできないね」
彼の名前を見ると、木之原というらしい。
「木之原くん、ありがと。少し、心が落ち着いた」
「あの後、誰も寄り付かなかったしな。勇者だよ、普通に。なんて話しかければいいか戸惑ってただけなのに、いじめみたいな雰囲気になってごめんな。お前が来なくなった教室でずっと話し合ってたからさ」
「……そうなんだ」
「それでさ、お前は、男子が好きなのか?それとも女子?」
「わかんない。碧さんだからよかったんだと思うな」
「むず。また今度聞かせろ」
碧が教室に入ってきたことに気づいた木之原は、すっとグループに戻っていった。
気持ちが凪ぐような感じ。
授業を終えて、五限目の教室に向かっているところで放送で呼ばれた。
学校に行っていなかったために、怒られるのだろうと身構え職員室に向かう。
担任が、荷物を持ってもう一度来いと言うので、生徒指導確定だとため息が出た。
荷物を持ち、戻ると担任は、こっちに来いと生徒指導室とは逆方向に歩き始めた。
何が起きているのかわからなかった。
後部座席に座り、荷物を抱き抱える。車が発進したところで担任は口を開いた。
「あなたのお父さんが、病院に運ばれた」
言葉を飲み込めず、口が開いたのに言葉が出なかった。
「状況は詳しく知らないけど、危篤状態らしい。あの一直線の坂道登ったとこに病院あるだろ?そこに入院されたみたいだから」
どう言うこと?ドッキリ……っていうわけでもなさそう。
父親が、危篤状態で入院。
でも、今朝はコーヒーを飲んでた。
体の異変に気づいていたら、病院くらい行くべきだ。
なんで、しなかったの?
それに、転職サイト漁ってたじゃん。それは別?なんで?え?
元々、転職は嘘で私を安心させるために?
スマホをカバンから出し、母親に電話する。
すぐに反応がくる。
「もしもし、なんで言ってくれなかったの?」
「……」
母親は、知っているんだろうってことくらいはすぐに理解できた。
父親が、母親にも黙っているはずがないのだから。
「ごめんね」
「謝るんじゃなくてさ」
「とにかく今向かってるから、その時話して」
ブチっと切るとため息が出た。
イライラする。
あの幽霊が望むように東京に行かなくてよかった。
病院に到着すると、母親が待っていた。
担任は、学校に帰っていった。
「どういうこと?なんで?普通だったじゃん」
昨日の今日で、頭がおかしくなりそうだ。
人の死を身内の死をこんなにも早く知りたくない。
「普通だったのは、安静にしてたからよ。コーヒー飲むのもあなたの前だけ」
「は?」
「本当は、やめてって言ってたけど、不安にさせたくないからって」
「意味わかんない」
「こっちきて」
父親のいる病室に着くと、今朝とは全く違う父親の姿があった。
病院服まで着ている。なんで、父親が。
「学校はどうした」
「倒れたって聞いて、駆けつけたんだけど」
普通でいようと必死な私を見透かしているようだった。
声が震える。
なんでこんな人の死を……。
「そうか。……学校、いけそうか……?」
「うん。いけるよ。ちょっとサボってただけなんだから。大袈裟だよ」
「たまにはサボっても、いいかもな……。そうだ……、今度、旅行にでも……いこう……」
声に力が入っていないせいで、掠れている。
何、一人死にいこうとしてんだ。
「そうだよ。全然、行けてないじゃん。父さん、まだ……」
今朝、自分のいった言葉を思い出す。生きててほしいって思っただけ。
「まだ、早いんじゃない?悲観的になるのもさ」
自分に言い聞かせるべくいう。
「…………」
「ねぇ?」
何、弱気になってんだ、ばか。
旅行行こうって自分で言い出したじゃんか。
「なにしてんの?」
目を閉じようだなんて、口を閉じようだなんてさせない。
「……元気、でな……」
手を握る。
ピーピーと音がなる。
意味がわからなかった。
倒れただけだ。危篤とは言え、回復したんならまだ生きてるものじゃん。
ほら、小説とかたいていそうでしょ?
父親に心臓マッサージを施す医者たち。
30分以上施されたにも関わらず、父親は目を覚さなかった。
死んだ。
受け入れられなかった死を、どうしてこうなったのかわからない私は母親にぶつけた。
「なんで?危篤状態としか聞いてない」
「倒れたのは、あなたが学校に言ってすぐの時かな。胸が痛いって言い出して、すぐ救急車を呼んだ。救急車が来る前に倒れてしまって、搬送されてなんとか一命を取り留めた。でも、もう長くないって」
「……いつから」
「病を患ってたの。いつ倒れてもおかしくなかった。薬も服用してたしその頃から休職してた」
「だから、いつも家に。でも、転職」
「あれは、元々転職希望があったからよ」
その中で病を知らされた。
「それから、休職してた?」
反芻する。
「辞めることは事前に伝えてたから、仕事に影響はないみたいね」
「なんで、こんな状態になっても仕事のことを考えられるの?」
「考えたくないことができると、他のことを考えてしまうものよ」
なんで、そんな普通でいられるの?とは、どうしても聞けなかった。
医者が来る。残念ですが……、の声は綺麗に耳に入ってくる。聞き流してくれない。
命は、消えていた。
それでも遠くから子供の笑い声が聞こえる。鼻に管を通している子供の姿。
きっとこの子たちも近い将来死んでしまったりするのだろうか。
……なんだよそれ。
車で家に帰る道中、静かな空気だけが流れていた。
涙は流れなかった。
意味がわからないと頭が一杯になる。
葬儀は、一週間後に行うことになった。
お通夜は、家族葬にしたらしい。
その辺のことは全部、母親が執り行った。
親戚の人もたくさんくる。どうして、出会い、笑い、会話ができるのだろう。
そのくせ、葬儀が始まると泣いている。
私はどうして、泣けないのだろう。
父親の顔に手を当てる。冷たい。異様なまでに冷たい。
最期に触れた手の温もりがそこには何もなかった。
あるのは冷たい感情と、体だけ。
泣けない私は、最低だ。
葬儀が終わり、母親と一緒に片付けを始める。
次に葬儀を行う人が来ていた。
きっとこうしている間にも誰かは笑ってるし、泣いてるし、出会いがあるし、別れがある。
その当たり前が不快だった。
片付けも済んで、遺影を手に取り墓にいく。
さっきも行ったけど、もう一度向かおうと母親が言ったのだ。
叔父の墓と一緒に骨を置いているらしい。
先祖もここにある。私もいつか死んだら一つの立派な墓よりもここに入れられるんだろうなと思った。
手を合わせ終えると車で帰路に就く。
「母さんはさ、後悔してないの?」
ずっと泣かずに葬儀を行っていた。
私も同じだった。
「私はさ、すっごい後悔してる。もっと早くに知ってたら、もっと何かできたんじゃないかって」
思い出作りとか、馬鹿話して笑い合うとか。
「もうこれ以上の思い出ができないなんておかしいよ」
刹那、真香の顔を思い出す。
彼女もまた彼氏との別れにこんなことを思ったんだろうか、と。
「足りないよ。なんで」
言ってくれれば、もっといろんなことができたはずなのに。
「もう、何も」
仕事に向かう後ろ姿ばかりを思い出す。
どうして、父親なんだろう。
死ぬって何?なんで、死ぬの?どうして、誰かが死ななきゃならないの?
それから、一ヶ月が経った。
相変わらず、父親の死に立ち直れずにいるけど、何もしないほうが嫌で学校に行っていた。
そんな帰り道、あの幽霊に出会った。
「どう?将来のこと考える気になった?」
「……」
「無理だろうね。君は、ずっとそうやって悩み続ける」
「……」
こんな時に出会ってしまうなんて。
あの時の答えを聞こうとしている。
そして、彼は私が思っていることをきっと知っている。
「君は、父親の死を悲しむというより、友達の彼氏の死に同情するというより、死ぬのが自分じゃないという悲しみを抱いているんだろう?」
図星だった。
ずっとそうだった。
だから、肝心なところで思考をシャットアウトして自分の人生を他人事のように生きてた。
「僕は気になるよ。どうして、君はそんなことを思っているのか」
「……」
無視して早歩きする。だけど。
「君は、昔から人と違うことに悩んでた」
「……」
やっぱり彼は、あの時の彼だ。
知っているんだ、自分のことを。そのくせに。
「直感だけどね」と。
「考え方が違うから、聞いている分には楽しいけど。君は、周りと違う考え方を嫌ったね。マイノリティだから」
「……」
「繊細で、優しいから、君は誰かの代わりになりたいとも思ってる。誰かが死ぬくらいなら私が死んであげるなんていう自己犠牲。君は、優しさの常軌を逸してる」
「……昔、あなたに会ったことあるよ。ねぇ、なんで今更私に会おうなんて思ったの?」
「君が心配だからかな」
あの頃はまだ、中学生だった。
人との違いに悩んで、周りと歩幅をあせようとしていた頃。
優等生すぎる私は、周りが理解できていない問題をすぐに理解できたし、ちょっと集中してみればすぐにテスト範囲は覚えられた。
でも、それだけじゃなかった。
考え方も人と違った。違うというか、ちょっとした変化というか。
自分でも言語化できていないことだけど。
中学一年生の頃、そんな稚拙な言葉を高校三年生の君は、公園のベンチの隣で聞いてくれた。
「雅彦くんだよね」
「……」
「ずっと会いたかった。なのに、私はあなたのことを忘れてしまってた」
「それでよかったのに……」
「変装なんかするからでしょ!」
「君だって、化けてたじゃん」
「化け物みたいに言わないで」
「言ってないよ。可愛くなったし、綺麗になった」
「そんな……」
「自信持ってよ。君は、すごいんだから」
「……」
「自己犠牲は、自分のためにして。人のためにしないで。みんな、望まないよ。今のクラスメイトを見ても望んでいるように見える?」
「……でも」
「確かに、僕は死んじゃったけどさ。後悔はしてないよ。君が、それでも生きてくれてるから」
「あの後、会えなくなってから、どれだけ心配して!悲しかったと思ってるの!なんで、置いてったの!」
真香の気持ちがよくわかる。
そうだ、雅彦みたいな優しさが碧にはあったんだ。
でも、それは碧の優しさで碧だからよかった。
「あなたが死んでるなんて、思うわけないじゃない」
「……ごめんね」
「許さない」
「でも、もう死んじゃったし?」
「私も、今から行く」
「だめだよ」
声のトーンが下がる。
「後追いは、させない」
「……なんで?」
「今はもう後悔はないけど、最初はすごい嫌だった。死にたくないのに死んだから」
「……」
「でも、起きてしまったことはしかたない。どうしようもない。実際、僕は脳震盪になる前触れはいじめの前からずっとあったし」
「嫌だ」
「どうして?」
優しい声音だ。昔、聞いたあの声と同じ。
「あなたを今の今まで忘れていたように、父さんの死を忘れてしまいそうだから。くだらない単語や授業、進路なんかに頭を使って人の死を忘れたくないから」
「それは無理だよ。忘れてしまうものだよ。人の死も、夢も、希望も、笑顔も、声も、涙も、思い出も、全部忘れていく。たまに思い出してくれたらそれでいいよ」
「よくない」
「いいんだよ、それで」
どうして、まだ優しい声を出せるのだろう。
私にはできない。
「この先、この経験を何度も何度もしたくない。こんな思い、したくない。たとえば、友達が、母親が、知り合いが……。忘れていくなんて嫌だ。死んでいくなんて嫌だ。ずっと生きていて欲しいのに、不平等に命が消えてく。短かったりする。そんなの嫌だ」
「生きてるよ。そう思えるなら、生きてる。今、君は君を生きてる」
「なんで……、あなたは、怖くないの?」
「死ぬこと?もう終わったことだしなぁ」
他人事みたいに言わないで。
「もう後悔したくない。誰も死んでほしくない。ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとそう思ってたのに」
今更、気づくんだ。
「死は、常に隣にあるんだって。私の隣にもある。そばにある。どこにだって死は存在する。真反対のものだと思ってた。なのに、この世界は時たまに現実を突きつける。……知りたくなかった。こんなにも人の死が近くにあるなんてこと」
「……」
「もう、嫌だよ」
「……」
「この気持ちに何度もさせられるなんて、生きていたくない」
「どうして?その気持ちがわかるなら、なんでもやってみようって思わない?」
「……」
「いろんなことやって、経験して、自分の人生に後悔しちゃいけない。まだ、人のこと考えてる?後悔したくないんじゃないの?」
「……そうだけど」
「できることからやっていきなよ。死は、いつ訪れるかわからないからね」
必死になって頷くと、彼は嬉しそうに笑った。
「さ、東京に行こうよ」
思い立ったが吉だというように。
彼は、歩を進める。
私も、歩を進めた。
後悔しないために、ね。
それから、2年が経った。
雅彦は、もう安心したと私の言葉も聞かずに成仏した。がむしゃらに今を生きているとあっという間に時間が過ぎている。
私は、今も生きている。この世に生きている。
存在している。
今日は、真香と会う予定があるため、カフェにいる。
真香は大学に進学して、私は専門学校に進学した。
とりあえず、やれることをやろうと決めた結果だった。
合わないと思えば、やめればいいし。親には反対されたけど、養成所にも通っている。
ボイトレはきついけど、やるだけ楽しいことを知った。
あの頃は、死から逃げるように必死だった。
今は、一生懸命に生きて夢を追っている。
道半ばで死にたくはないけど、十分やったと毎日思うように行うので死を恐れているわけでもないのかもしれない。
できるなら、叶えて死にたいけど。
「お待たせ!」
「遅いよ」
「友達と話してたらつい」
「大学楽しい?」
「楽しいよ、サークルっていいね」
彼女は、バンドサークルに入り、彼のギターを弾いているそうだ。
「衣織は?どう?」
「楽しいよ。毎日、全力でやってる」
「今の方がイキイキしてるね」
「真香こそ」
と、二人で笑う。
きっとこの先もずっとこうやって笑い合うのだろうと思う。
いつ死ぬかなんてわからない。
今かもしれない。明日かもしれない。
それでも怯えずに済むのは、彼らがいたからだと思う。
「そういえば、あの彼氏はどうなの?」
そうなのだ。私には今、碧という彼氏がいる。
「楽しいよ。地元の大学にいるから、不安だけどね」
「恋してるねぇ」
「うるさいな」
彼は、自分の性は男だと認識していて、木之原が、碧に碧として見てる、碧が好きなんだ、と伝えたらしい。
やってくれたなこの野郎、と思ったけど、運がいいのかもう一度歩み寄ることができて、付き合うことになった。
それから一年が経つ今。
「モテないと悩んでた衣織も今では告白されたと悩むんだもんねぇ」
「うるさい!碧以外と付き合うつもりないから」
「かっこいい」
「……うるさい」
その癖また目が合うと笑い合う。
雅彦や父さんのように最近は思い出す時間もないほどに充実させている今を、彼らは喜ぶだろうか。
いや、きっと喜んでくれる。
だって、父さんは元気でなと言ったんだから。
死んでから、元気にしてるか聞いてやる。
雅彦みたいに幽霊になって出会うことはなかったけど、死んだその時は迎えに来い、ばか。
だから、それまでは今を精一杯生きます。
生きて、叶えます。
時に悩むけど、それでも前を向きます。
また人の死を経験するかもしれないけど。
それでも、この生ある限り、生き続けます。
いつか、また会う日まで。
すぐそこにあるモノと二人三脚で歩んでいきます。