私はふかふかの布団に倒れ込んだ。「はぁ」と息を吐き、仰向けのまま天井を見つめる。
疲れたなぁ。今日の出来事を思い返す。
帰り際、突然みんなが謝り出した。慌てる私を囲むように、「俺も」「私も」と次々に声が上がる。
私が勝手に距離を取っていただけだった。ちゃんと向き合えば、みんな話してくれる人たちだったのに。
本当に、楽しかった。私はしばらく、その余韻に浸っていた。
電気の消えた部屋は真っ暗で、外からはコオロギの音だけが聞こえる。寝転がったまま窓に目を向けると、そこには薄暗い空が映っていた。
夜は嫌いだ。考えてしまう。
私に生きている意味はあるのか。答えは、いつも見つからない。
不安が胸に広がる。蒼空に会いたい。会えるはずもないのに、そう思ってしまう。
私はその考えを振り払うように布団を顔までかぶり、目を閉じた。
「ピーンポーン」
眠れないまま過ごしていると、突然の音に体が跳ねる。反射的に時計を見る。
こんな時間に、誰だろう。
少し怖さを感じながら、ゆっくり立ち上がる。足音を殺してドアに近づき、のぞき穴を覗いた瞬間慌ててドアを開ける。
「そ、蒼空!」
「寝てたか」
「起きてたけど……どうしたの、こんな時間に」
ドアの向こうに立っていたのは蒼空だった。
夢? いつの間にか寝てしまったのかもしれない。そう思って、私は自分の頬を思いきり引っ張る。
「痛い」
「なにしてんだ」
呆れたような声でそう言われて、ようやく現実だと分かった。
会いたいとは思っていたけれど、本当に会えるなんて思っていなかった。
「星、見に行こうぜ」
「……今?」
「おう、今」
あまりにも当たり前みたいに言われて、私はぽかんとする。
蒼空を見上げると、いつもと変わらないその表情がそこにあった。
その顔を見た途端、さっきまで胸を占めていた不安は、嘘みたいに消えていた。
◆
蒼空はそう言うと、自転車を漕ぎ出した。
結局、私は急いで着替え、今は蒼空の自転車の後ろに座っている。二人乗りなんて初めてで、最初は少しふらついたけれど、今はもう安定していた。
少し迷ってから、蒼空の背中にそっと手を回す。
自分でも分かるくらい、やけに彼を意識している。
「夜は涼しいな」
静まり返った道に、蒼空の声が落ちた。昼の暑さが嘘みたいに、夜風はひんやりとしている。街灯だけが、暗い道を等間隔に照らしていた。
「どこに向かってるの?」
「内緒」
振り返らずにそう答える蒼空の背中を、私はじっと見つめる。
いつの間にか、道は川沿いになっていた。右には黒く流れる川、左には住宅街の灯りが遠くに見える。
車も、人もいない。
この世界には、蒼空と私だけしかいない気がして、胸が少しだけ弾んだ。
風に乗って、蒼空の匂いがふわりと届く。
それが、どうしようもなく落ち着く。
どれくらい走ったのだろう。言葉はほとんど交わさないまま、ただ風に揺られていた。
「着いたぞ」
そう言って、蒼空は自転車を止めた。私も後ろから降りる。
「気をつけろよ」
蒼空の手を掴みながら、川沿いの斜面をゆっくり降りていく。足元には芝生が広がっていて、私たちはそこに並んで腰を下ろした。
耳に届くのは、川のせせらぎだけ。
ふと目を向けると、水面に月が揺れている。
そして、私は空を見上げた。
「……綺麗」
思わず、声が漏れた。
夜空いっぱいに散らばる星。視界を埋め尽くすほどの光に、息をのむ。中には、色の違う星や、ひときわ強く輝く星もあって——
想像していたより、ずっと綺麗だった。
「綺麗だな」
「うん。すごく……普段とは全然ちがう」
「ここ、港のほうだからさ。住宅街から離れてて、星がよく見えるんだ」
「そうなんだ……こんな場所、知らなかった」
そう言うと、蒼空も空を見上げた。
「俺も最近知ったんだよ。で、一番にお前に見せたいって思った」
その瞬間、蒼空の瞳が揺れた気がした。
星の光を映したその横顔が、あまりにも綺麗で——私は、言葉を忘れて見つめてしまう。
「お前と見れてよかった」
そう言って、蒼空は私のほうを向いて笑った。
それは、本当は私が言いたかった言葉だ。
蒼空がいなければ、こんな星空を見ることもなかった。
「蒼空……星、見せてくれてありがとう」
「俺、本当にお前のこと好きみたいだわ」
「えっ、なに、いきなり」
「好き」という言葉に心臓が跳ねた。私は恥ずかしさを誤魔化すように、つい強めの口調になる。
「今日さ。お前がクラスの奴らに可愛いって言われてんの聞いて、すげぇ妬いた」
蒼空は少し照れたように、でも正直そうに続ける。
「で、思った。俺って、こんなに心狭かったんだなって」
蒼空が、私に妬いた。
その事実に戸惑いながら、私は黙って蒼空を見つめた。
「今までお前に見向きもしなかった奴らが、急に騒ぎ出すのもムカついたし……」
蒼空はむすっとした顔で言い、私をちらりと見た。
「お前もだよ」
「私?」
「可愛いって言われて、嬉しそうにして」
「べ、別に嬉しそうになんか……」
「その間だよ」
図星を突かれて、言葉に詰まる。
女として可愛いと言われて、嬉しくない人なんていない。
「……まぁ、お前がみんなと仲良くなれたなら、それでいいけどな」
そう言って、蒼空は少し照れたように視線を逸らした。
蒼空は、いつだって私のことを考えてくれる。
高校に入って、友達と呼べる人がいなかった私。
クラスのみんなと話せるようになったのも、笑えるようになったのも、全部蒼空のおかげだ。
気づけば、私は蒼空を探している。
隣に蒼空がいる時間が、当たり前になっていて、その当たり前が嬉しかった。
心臓が早くなって、でも落ち着いて、そばにいてほしくて。
――あぁ、私。
蒼空のこと、好きなんだ。
「……好き」
一度自覚してしまうと、言葉は溢れるように口から零れた。
「私も蒼空が好き。ずっと前から」
精一杯の想いを、そのままぶつける。
本当は気づいていた。でも、認めるのが怖かった。
今言わなかったら、きっと後悔する。そう思った。
けれど、蒼空は何も言わない。
恥ずかしさに耐えきれなくなって、私は口を開いた。
「ちょっと……なにか言ってよ」
顔を上げて蒼空を見ると、思わず息をのむ。
蒼空の瞳には涙が浮かんでいて、それは頬を伝ってぽつりと落ちた。
蒼空は気づいたように視線を逸らし、腕で乱暴に目元を拭う。
「俺今……死んでもいい」
下を向いたまま、そう呟いた。
蒼空が泣いているところなんて、初めて見た。
それって、泣くほど嬉しいってこと?
戸惑っていると、蒼空が顔を上げる。
「俺も、お前が好きだ」
まっすぐな視線。
たったその言葉だけで、胸がいっぱいになった。
「うん……私も、好きだよ」
微笑むと、蒼空はそっと私の手に自分の手を重ねた。
温かくて、大きくて、しっかりした男の人の手。
今まで、この距離になるまでに、どれだけの時間がかかったんだろう。
私たちはまた星を見上げる。
月明かりの下で、笑い合いながら、時々手を伸ばして。
あぁ、幸せだ。
このまま時間が止まってしまえばいい。
本気で、そう思った。



