君のために生きたい



 私はふかふかの布団に倒れ込んだ。「はぁ」と息を吐き、仰向けのまま天井を見つめる。

 疲れたなぁ。今日の出来事を思い返す。

 帰り際、突然みんなが謝り出した。慌てる私を囲むように、「俺も」「私も」と次々に声が上がる。
 私が勝手に距離を取っていただけだった。ちゃんと向き合えば、みんな話してくれる人たちだったのに。

 本当に、楽しかった。私はしばらく、その余韻に浸っていた。

 電気の消えた部屋は真っ暗で、外からはコオロギの音だけが聞こえる。寝転がったまま窓に目を向けると、そこには薄暗い空が映っていた。

 夜は嫌いだ。考えてしまう。
 私に生きている意味はあるのか。答えは、いつも見つからない。

 不安が胸に広がる。蒼空に会いたい。会えるはずもないのに、そう思ってしまう。
 私はその考えを振り払うように布団を顔までかぶり、目を閉じた。

「ピーンポーン」

 眠れないまま過ごしていると、突然の音に体が跳ねる。反射的に時計を見る。
 こんな時間に、誰だろう。

 少し怖さを感じながら、ゆっくり立ち上がる。足音を殺してドアに近づき、のぞき穴を覗いた瞬間慌ててドアを開ける。

「そ、蒼空!」

「寝てたか」

「起きてたけど……どうしたの、こんな時間に」

 ドアの向こうに立っていたのは蒼空だった。
 夢? いつの間にか寝てしまったのかもしれない。そう思って、私は自分の頬を思いきり引っ張る。

「痛い」

「なにしてんだ」

 呆れたような声でそう言われて、ようやく現実だと分かった。
 会いたいとは思っていたけれど、本当に会えるなんて思っていなかった。

「星、見に行こうぜ」

「……今?」

「おう、今」

 あまりにも当たり前みたいに言われて、私はぽかんとする。
 蒼空を見上げると、いつもと変わらないその表情がそこにあった。

 その顔を見た途端、さっきまで胸を占めていた不安は、嘘みたいに消えていた。



 蒼空はそう言うと、自転車を漕ぎ出した。

 結局、私は急いで着替え、今は蒼空の自転車の後ろに座っている。二人乗りなんて初めてで、最初は少しふらついたけれど、今はもう安定していた。

 少し迷ってから、蒼空の背中にそっと手を回す。
 自分でも分かるくらい、やけに彼を意識している。

「夜は涼しいな」

 静まり返った道に、蒼空の声が落ちた。昼の暑さが嘘みたいに、夜風はひんやりとしている。街灯だけが、暗い道を等間隔に照らしていた。

「どこに向かってるの?」

「内緒」

 振り返らずにそう答える蒼空の背中を、私はじっと見つめる。
 いつの間にか、道は川沿いになっていた。右には黒く流れる川、左には住宅街の灯りが遠くに見える。

 車も、人もいない。
 この世界には、蒼空と私だけしかいない気がして、胸が少しだけ弾んだ。

 風に乗って、蒼空の匂いがふわりと届く。
 それが、どうしようもなく落ち着く。

 どれくらい走ったのだろう。言葉はほとんど交わさないまま、ただ風に揺られていた。

「着いたぞ」

 そう言って、蒼空は自転車を止めた。私も後ろから降りる。

「気をつけろよ」

 蒼空の手を掴みながら、川沿いの斜面をゆっくり降りていく。足元には芝生が広がっていて、私たちはそこに並んで腰を下ろした。

 耳に届くのは、川のせせらぎだけ。
 ふと目を向けると、水面に月が揺れている。

 そして、私は空を見上げた。

「……綺麗」

 思わず、声が漏れた。
 夜空いっぱいに散らばる星。視界を埋め尽くすほどの光に、息をのむ。中には、色の違う星や、ひときわ強く輝く星もあって——

 想像していたより、ずっと綺麗だった。

「綺麗だな」

「うん。すごく……普段とは全然ちがう」

「ここ、港のほうだからさ。住宅街から離れてて、星がよく見えるんだ」

「そうなんだ……こんな場所、知らなかった」

 そう言うと、蒼空も空を見上げた。

「俺も最近知ったんだよ。で、一番にお前に見せたいって思った」

 その瞬間、蒼空の瞳が揺れた気がした。
 星の光を映したその横顔が、あまりにも綺麗で——私は、言葉を忘れて見つめてしまう。

「お前と見れてよかった」

 そう言って、蒼空は私のほうを向いて笑った。

 それは、本当は私が言いたかった言葉だ。

 蒼空がいなければ、こんな星空を見ることもなかった。

「蒼空……星、見せてくれてありがとう」

「俺、本当にお前のこと好きみたいだわ」

「えっ、なに、いきなり」

 「好き」という言葉に心臓が跳ねた。私は恥ずかしさを誤魔化すように、つい強めの口調になる。

「今日さ。お前がクラスの奴らに可愛いって言われてんの聞いて、すげぇ妬いた」

 蒼空は少し照れたように、でも正直そうに続ける。

「で、思った。俺って、こんなに心狭かったんだなって」

 蒼空が、私に妬いた。
 その事実に戸惑いながら、私は黙って蒼空を見つめた。

「今までお前に見向きもしなかった奴らが、急に騒ぎ出すのもムカついたし……」

 蒼空はむすっとした顔で言い、私をちらりと見た。

「お前もだよ」

「私?」

「可愛いって言われて、嬉しそうにして」

「べ、別に嬉しそうになんか……」

「その間だよ」

 図星を突かれて、言葉に詰まる。
 女として可愛いと言われて、嬉しくない人なんていない。

「……まぁ、お前がみんなと仲良くなれたなら、それでいいけどな」

 そう言って、蒼空は少し照れたように視線を逸らした。

 蒼空は、いつだって私のことを考えてくれる。

 高校に入って、友達と呼べる人がいなかった私。
 クラスのみんなと話せるようになったのも、笑えるようになったのも、全部蒼空のおかげだ。

 気づけば、私は蒼空を探している。
 隣に蒼空がいる時間が、当たり前になっていて、その当たり前が嬉しかった。

 心臓が早くなって、でも落ち着いて、そばにいてほしくて。

 ――あぁ、私。

 蒼空のこと、好きなんだ。

「……好き」

 一度自覚してしまうと、言葉は溢れるように口から零れた。

「私も蒼空が好き。ずっと前から」

 精一杯の想いを、そのままぶつける。
 本当は気づいていた。でも、認めるのが怖かった。
 今言わなかったら、きっと後悔する。そう思った。

 けれど、蒼空は何も言わない。

 恥ずかしさに耐えきれなくなって、私は口を開いた。

「ちょっと……なにか言ってよ」

 顔を上げて蒼空を見ると、思わず息をのむ。

 蒼空の瞳には涙が浮かんでいて、それは頬を伝ってぽつりと落ちた。

 蒼空は気づいたように視線を逸らし、腕で乱暴に目元を拭う。

「俺今……死んでもいい」

 下を向いたまま、そう呟いた。

 蒼空が泣いているところなんて、初めて見た。
 それって、泣くほど嬉しいってこと?

 戸惑っていると、蒼空が顔を上げる。

「俺も、お前が好きだ」

 まっすぐな視線。
 たったその言葉だけで、胸がいっぱいになった。

「うん……私も、好きだよ」

 微笑むと、蒼空はそっと私の手に自分の手を重ねた。
 温かくて、大きくて、しっかりした男の人の手。

 今まで、この距離になるまでに、どれだけの時間がかかったんだろう。

 私たちはまた星を見上げる。
 月明かりの下で、笑い合いながら、時々手を伸ばして。

 あぁ、幸せだ。

 このまま時間が止まってしまえばいい。
 本気で、そう思った。