それから、5分程経過した。
 シャルロッテの眼前に、大量のフォークだったもの(・・・・)が、山積みになっている。
 最後の一本を手にしたが、

 メキッ! と、音を立て折れてしまって。
 これで、すべてのフォークが、天に召された。
 スワードは思わず目を丸くし、食事の手を止める。

「一応、50本用意していたんだが……君はかわいい物に弱いようだな」

「そ……そのようです……」

「自分でも知らなかったのか?」

「かわいい食べ物を見たのは、はじめてだったので。シルト家(うち)はなんというか……渋い? 趣向の家でして」

 思い返してみれば、我が家(シルト侯爵家)にあるかわいい物は、ごくわずかだ。
 例えば…………あれ、思いつかない。
 自分の家にあるかわいい物が、思いつかない。
 要するに、そのくらい、かわいい物がないのである。だから、昂って壊す機会がなかったのだ。

 ──まさか、事前対策? 
 怪力の被害を最小限に抑えるために、かわいい物を、あらかじめ排除したのかもしれない。
 石橋を叩いて渡るタイプの父が、考えつきそうな事である。
 シャルロッテは長嘆息した。

「わたしがいながら食べ物の方に昂るとはな。大したご令嬢さまだ」

 スワードはシャルロッテの手を取り、自分の方へと引き寄せた。そして顔を突き合わせ、くまのミートボールを、彼女の口に押しつける。

「むぐ!?」

(はい!? えっ!? 何!?)

 わけも解らないまま、ひとまず受け入れる。
 ミートボールを口にするシャルロッテは、恐る恐る咀嚼した。

 口中に旨みが広がる。歯がなくても食べられそうなほど柔らかく、肉汁が溢れた。
 くまの色の正体は、デミグラスソースだ。
 よく煮込まれたソースなのだろう、甘くて少しほろ苦い。

(なんて美味しいの!? タコさんはどんな味かしら?)

 無意識のうちに、タコウィンナーへ熱い視線を送るシャルロッテ。
 視線を追うスワードは、ウィンナーをフォークで刺した。そして、花のような笑顔で、シャルロッテに告げる。

「訓練のルールを決めた。今後、カトラリーの交換は、『一度の食事につき10本まで』とする」

「え!? じゅ、10本って……こう言ってはなんですが、10本なんてサクサク逝って(・・・)しまいます!」

「だろうな。だからそれ以降は、わたしが君に食べさせる」

「ふぁむ!?」

 シャルロッテが大きく口を開けた瞬間、スワードは間髪入れず、ウィンナーを押し込んだ。

「なにか言ったか? ん?」
 
 なにも言えないシャルロッテは、恨みがましくスワードを見やる。
 するとスワードは、殊更楽しそうに破顔した。

「こっちは訓練用の予算まで組んでいるんだ。たかがカトラリーのために、予算消化するわけにはいくまい。そうは思わないか?」

 シャルロッテの口にミートボールを押し込みながら、スワードは言った。
 当のシャルロッテは、ミートボールの美味しさに耽っている。



「それが好きか?」

「はい! やっぱり王宮のシェフは腕が良い……」

「そうじゃない。わたしの食べさせ方が上手いんだ」

 フォークの先でシャルロッテの唇を優しくつつき、言い含む。
 ひんやりとした感触が、シャルロッテの唇に残った。同時に、このフォークが、スワードが使っていた物だと思い出す。

 ──これが間接キス!?

 恋愛未経験のシャルロッテでも知っている。
 これは恋愛の初級ハプニング、間接キスである。
 恋愛小説によると、間接キスは、恋に火をつける着火剤なのだとか。

 これは、模擬恋人として実施される訓練だ。
 スワードは模擬恋人として、シャルロッテと間接キスをした。おそらく、昂りを促進させようとしたのだろう。そして怪力化の制御を訓練させようとした、と。
 ……出だしから難易度が高すぎる。
 心臓が痛いほど跳躍し、シャルロッテは渋顔となった。
 
「どうした」

「いえ、ただ、恋人って命懸けだなと……」

「ふっはははっ! 君は本当に面白いな!」

 スワードは声を上げて笑う。
 その笑顔は、先程までの意地悪さが無く毒気が抜けており、まるで無邪気な子供のようでもあった。

 シャルロッテがその笑顔に見惚れると、スワードはおもむろに手を伸ばす。
 そして、シャルロッテの口角についたソースを指で拭い、自分の口に運んだ。

「美味い。シェフのことは褒めておこう」

「ちょっ……!!」

 シャルロッテは目にも止まらぬ速さでナプキンを広げ、慌てて面隠しした。
 今のは、何という名前の行為だろうか。
 口元を間接的にペロリと舐めたから、間接ペロリと名付けよう。
 シャルロッテは、興奮と羞恥のあまり、小さく震える。
 
「──シャルロッテ」

 シャルロッテはハッと顔を上げた。
 ──はじめてスワードが、自分の名を呼んでくれた。たったそれだけなのに、驚くほど胸が弾む。

 どの花よりも美しい青の瞳を細め、スワードは、喜悦の眉を開いた。そして赤いうさぎ型リンゴを摘み、おもむろに、ぽってりとしたシャルロッテの唇に付けた。
 ──キス、だ。りんご味のキス。
 シャルロッテが目を丸くすると、スワードは白い歯を溢す。

「かわいいな」

「あ、殿下もうさぎが好き……あむ!?」

「うさぎさんが待ちくたびれたようだ。早く食べろ」

「んんーっ!?」

 昂るシャルロッテは懸命に咀嚼した。
 甘くほのかに酸っぱい赤りんご。
 仄聞したところによると、初恋の味は甘酸っぱいのだとか。
 つまり、これが、初恋の味なのだろうか。
 そんな事を、おぼろに思考する。

 爽やかな風が吹いた。
 希少な花も、どこからか咲きにやってきた野花も、皆一様に美しくなびいていた。