新緑が美しい季節の、昼下がり。
葉もれびが輝く白亜のガゼボで、シャルロッテは、趣味の読書に熱中していた。
お気に入りの小説の、最新刊である。
この作家が書くヒロインは、ひと味違う。
前々作のヒロインは天然パーマ、前作はそばかすに悩む、コンプレックスがある女の子だった。
現実世界では嫌厭される容姿の彼女たちだが、最後は必ず、ヒーローと結ばれる。
「──わたしも、ヒロインになれないかしら」
そう嘆息したシャルロッテは、本を閉じた。
設えられたティーテーブルに手を伸ばし、カップとソーサーを持つ。
その瞬間、カップとソーサーの2つが、同時にぱっくりと割れた。
「ヒロイン、無理よねっ……!!」
冷たいお茶が盛大にこぼれ、シャルロッテは渋顔になる。
シャルロッテは、シルト侯爵家の長女である。
ミルクティー色の髪とエメラルドの瞳、男受けのする、ビスクドールのような目鼻立ちをした娘だ。
身分も容貌も申し分ない彼女だが、求婚される事は滅多にない。
その理由は、一にも二にも、彼女の体質にある。
「シャルロッテお嬢さま! この1時間で、すでに三つお壊しですよ!?」
シャルロッテのそばに控える、メイドのマーサが吃驚した。
「ごっ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」
「はあ、今日にはじまった事じゃないですが、お嬢さまの怪力体質も困ったものですねぇ」
「おかげで婚約破棄もされたしね」
シャルロッテとマーサは揃いで、嘆息した。
『怪力体質』こそ、シャルロッテが求婚されない諸悪の根源で。
シャルロッテは、極度の「緊張」を感じたり、「怒り」「恐怖」「驚き」「悲しみ」「幸福」それら感情が昂ぶると、怪力化してしまう体質なのだ。
過去の事例をあげれば……お茶会でドレスを褒められた歓喜で、ティーカップを割った事がある。またある時は、舞踏会でダンスを申し込まれた驚喜で、シャンパングラスを割った。
平民を轢こうとした馬車に憤怒し、車体を持ち上げた事もある。
それと、嵐で倒伏してきた大木を、恐怖のあまり、真っ二つに割った事もあった。その時は、期せずして子供を救出していたそうで。
そして「怪力令嬢」という異名が認知され、求婚が激減したのも、その頃である。
それでも、シャルロッテの見目形に惹かれた男がいて、婚約もした。
けれど、次から次へと明るみに出る怪力エピソードに、愛想を尽かしたのだろうか。半年を待たずして、シャルロッテは婚約破棄されてしまったのだ。
『僕は、か弱くて守ってあげたくなるような淑女が好きです。シャルロッテ嬢は、見た目に反し怪力なので……いただけませんね』
(わたしだって、心は繊細でか弱い女ですけれどーっ!?)
などと、シャルロッテは胸中で叫んだりもした。
仄聞したところ、彼は現在、華奢でか弱そうな平民の娘と交際しているという。
公爵令息という身分でありながら、侯爵令嬢のシャルロッテより、「か弱さ」を選んだのだ。
か弱さは身分を超える。国境をも超えるかもしれない。か弱さこそ世の正義であり、真理である。
「神さま、わたしもか弱くなって恋がしたいです」
シャルロッテは合掌し天をあおいだ。
しかし見えたのはガゼボの天井だけである。
すると、マーサがおもむろに口を開いた。
「お作りになった生ショコラケーキが、そろそろ冷えた頃ですね。本当に王宮へ持って行かれるのですか?」
「ええ! 王宮にずっと泊り込みで、お父さまもお疲れでしょう? だから、サプライズで差入れするの。喜んでいただけるといいけど」
「きっとお喜びになられますよ。なにせ、お嬢さまが調理用具を壊さずに作られた、貴重おーーなケーキですから」
「……そ、そこなのね」
◇◇◇
王宮に到着したシャルロッテは、父のいる会議室へ向かった。飛び跳ねる雀のごとく、軽やかに、長廊下を進んでいく。
どんな顔をして父は喜んでくれるだろう。
天井まで届く巨大な会議室の扉を、衛兵が開いた。
「ご機嫌ようお父さま! お疲れだと思ってケーキをお持ちしっ……きゃっ!?」
軽快なステップを踏み、シャルロッテは入室した──その時。室外へ出る人物とぶつかり、よろけたところを、咄嗟に支えられた。
「──すまない。平気か?」
頭上から、甘やかで艶のある男声がした。
「いいえっ、わたしこそ!」
上目でその人を見て、シャルロッテは謝罪する。すると、蛇に睨まれたかのように固まってしまった。
(う、嘘でしょう? まさかそんなっ……!)
シャルロッテは、その人を1度だけ見たことがあった。
舞踏会の人だかりの中で冷然と、しかし、誰よりも美しく微笑む人。彼は──
「スワード殿下!! うちの娘が大変申し訳ございません!!」
シャルロッテの父、シルト侯爵が大声で謝罪した。
シャルロッテがぶつかったその人は、この国の王太子、スワード・シュッツ・ラズルシェーニだった。



