一夜明けて。
 万が一を考えて夜通し警戒に当たっていた俺たちの下へ、火竜がやって来た。

『わき目もふらず、南に向かっておる。引き返そうとする船もなければ、人間もおらぬ』

 それを聞いてほっと胸を撫でおろす。
 それと同時に眠気が一気に襲って来た。

「みんな、お疲れ様。もう帰って休んでもいいよ」
「その前にご飯モグな」
「わたしは風呂に入りたいよ」
「じゃあ沸かしておくか」

 大人たちが安堵した表情で集落の方へと戻っていく。
 夜中のうちに疲れて眠ってしまったアスの傍には、ルーシェとシェリルに居て貰っている。
 ここに残ったのは俺とバフォおじさんだけ。

「ありがとう、火竜。わざわざ見に言ってくれて」
『……童は?』
「寝てるよ。起こしてくる?」
『いや……よい』

 結局「おじちゃん」のまま、アスには本当のことを伝えてない。
 このままおじちゃんで通すつもりなのかな。

「あの、余計なお世話かもしれないけど……アスに本当のこと話さないのか?」
『……確かに余計なお世話だ。今更名乗りでてどうなる。我が傍にいなかったことが原因で、アースは命を落としたのだぞ』
「分かってんなら、せめてこれからはアス坊の傍にいてやんなよ」
『許して貰えると思うのか? 我のせいで母親を失ったのだぞ』

 確かに。俺だったら許せないかもしれない。
 それでも。

「アスの本当の家族は、あなたしかいないんだ。時間はかかるかもしれないけど、いつか全部を許してくれる日が来るだろう。だから……父親であってくれよ」
『父……我にその資格は……』
「資格とかどうとか、関係ないじゃん! あんたはアスのことが心配で、ここに来てくれたんだろうっ。それはアスを大事に思っているからじゃないか。それで充分だよ、それで」

 本当の意味で失ってしまってからじゃ、もう手遅れなんだからさ。
 今でも時々、ひとりになるのを嫌がることがある。
 母親を失って、寂しいからだろう。
 俺たちが家族だって言っても、血のつながり以前に種族すら違う。
 どう頑張ったって俺たちは、アスの本当の家族にはなれないんだ。

 せっかく本当の家族がもうひとりいたってのに、家族にならないなんて悲しすぎるだろ。

 なんてことを、全部ぶちまけた。

「火竜の旦那ぁ。こいつはな、家族をみーんな亡くしたんだとさ。だからアス坊の気持ちが痛いほど分かるし、家族の大切さってのも誰よりもよぉく知ってんだ。今すぐとは言わねぇ。いつかアス坊に、自分が父親だって名乗り出てやってくれよ」
『……ここでは悪魔もお節介になるのか』
「ベヘヘ」

 あ、やっぱりバフォおじさんの正体に気づいていたのか。

「バフォおじさんの言う通り。今すぐじゃなくていい。でも、アスのことが大切だと思うなら、いつか名乗り出て欲しい。全てを失う前に」
『……人間。なぜそこまで気に掛けるのだ。種族も違えば、我はドラゴン……汝ら人間が恐怖し、嫌悪するモンスターぞ』
「恐怖? そりゃまぁ、初対面の時はそっちが激オコだったし、まぁ少しは怖かったけど。今はこうして普通に会話してるし、怖いとは全く思わないけど」
『あ、あの時はすまないと、少しは思って……おる』

 うん。そういうところがまったく怖くない原因だから。

「種族とかもさ、関係ないと思わないか? 言葉が通じて話し合いも出来る相手なら、モンスターだからって嫌悪する必要はないと思うし。その典型的な例はここにいるだろ」
「オレか!?」
「そうだよ、おじさんだよ。普通に考えて、悪魔と仲良くしてるって変だろ」
「まったくだ。オレの正体が分かっても変わらず接してくる人間なんざ、早々いやしねぇよなぁ」
「「はっはっは」」

 まるで俺が変わり者みたいな言い方してるけどなおじさん、変わり者はそっちだからな。

『ふん……変わった人間だ』
「え、俺の方!? 心外だなぁ」
『ふはは。ふははははははは』
「しーっ、しーっ。子供たちはどの種族の子でも、みんな寝てんだからさっ」
『むぐ。失敬』

 途端に小声になる。
 ほらみろ。話が通じる相手じゃないか。

『人間。お前は変わった奴だ。それも、この世界の者ではないからか』
「え……」
『少し前に、南東の方角で召喚魔法の波長を感じた。また愚かな人間どもが戦を始めるのだろうと思っていたが、汝はその際に呼ばれた者であろう』
「あ、うん……そうなんだよ」

 バレてらぁ。
 まぁバフォおじさんも見抜いてたしなぁ。

『あの不思議なスキルも、召喚の際に授かったものか』
「あぁ。そのせいで砂漠にぽ捨てされたんだけど、食糧難になったから連れ戻しに来たのさ」
『身勝手なものだ。私利私欲のために、異世界から人間を呼び出すのだからな』
「まぁ、俺は……召喚されたことに関しては、感謝しているよ。あっちの世界には家族はもういないし、家でひとりぼっちだったからさ。でもこの世界に来て……みんなに出会えたから、それだけは感謝しているんだ」

 いってきますと言えば、いってらっしゃいと返してくれる人がいる。
 ただいまと言えば、おかえりと言ってくれる人がいる。
 
 人に何かを頼んで嫌な顔をされるのが面倒で、それなら最初から自分で全部やる――ずっとそんなだった俺だけど、ここではみんなが率先して動いてくれる。
 みんながみんなのことを思いやって生きている。
 ここは俺にとって、すごく居心地がいいんだ。
 だから召喚されてよかったと、心から思ってるよ。

『変わった人間だ。だが……嫌いではない』
「ありがとう。でも俺、男からの告白はノーサンキューなんで」
『我とて雄に愛をっ――愛を囁いたりせんわ。きしょく悪い』

 怒鳴ろうとして、ハッとして小声になる史上最強と呼ばれるドラゴン。
 こんな人間臭いドラゴンもいるもんだな。

 異世界ってほんと、面白い。
 おもしろ――ふあぁあぁ。

「おいユタカ。お前丸一日起きてるだろ。オレらと違って、人間は一日一回は寝るもんだ。とっとと寝な」
『我ももう行こう』
「い、行くってどこに!?」

 アスを置いていくのか!?

 火竜は空を――いや、あの方角を見ている。

『我はあそこで……妻と共に見守ろう』
「そう、か」
『時折……時折、様子を見に来ても、よい、だろうか?』
「いいんじゃないか。きっとアスも喜ぶはずだ」
「優しいおじちゃんが来たってな」

 俺たちがそう言うと、火竜の顔が……顔が桃色に染まった!?
 もしかして元々赤いから、照れると赤く染まるんじゃなく、桃色に染まるとか?

『そ、そうか。喜ぶか。ふふ、ふふふふ』

 アスが嬉しそうに尻尾を振る姿はかわいいけど、デカいおっさんドラゴンが尻尾振ってピンクに染まってるのは怖いって。

『で、ではさらばだ』

 ぶわさっと翼を広げ、一度だけ羽ばたくと一気に上空へ舞い上がった。
 そのまま北の方角へと飛んで行って、見えなくなった。

「あの様子じゃ、すぅーぐ来そうだな。今日にでも来るんじゃねーか?」
「いやいや、まさかぁ。ふあぁぁ。じゃ、俺はひと眠りするよぉ」
「賭けてもいいぜぇ」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、バフォおじさんは家族の下へと向かった。
 俺も我が家に戻って、ルーシェとシェリルに声を掛けてからベッドに潜り込んだ。
 ・
 ・
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 気持ちよく眠っていたのに、外が騒がしくて目が覚める。

「んー……なんだぁ?」

 階段を踏み外さないよう気を付けて外へ出ると、嫌でも目に入るデカさの赤い塊が見えた。
 傍にはアスの姿も見える。

『童よ。優しいおじさんが飛び方を教えてやろう。ブレスの吐き方、威圧の仕方も教えてやるぞ』

 バフォおじさんの予想、大当たりしてんじゃん……。
 ドラゴンの『時々』って、数時間かよ!