「人参は細長くしてくれ。ああぁ、そいつは細すぎだ。歯ごたえってのが大事なんだからよ」

 翌朝。
 目を覚ました雌山羊と仔山羊のために、雄山羊の指示で食事の準備をする。
 やれ細いだの太いだの、注文が多い。

「その白菜は緑の部分と白い部分を切り分けてくれ」
「面倒くさいなぁ」
「ひと様の女房の乳を寄越せってんだ、それぐれぇで文句言うんじゃねぇっ」

 おい、言い方ってもんがあるだろう。

 面倒な野菜のカットを終わらせて山羊たちに食べさせた後で、ついに乳しぼりへ。

「おいお前。オレ様の女房たちの乳に触らせてやるがなぁ、変な気を起こすんじゃねえぞ」
「起こさねーよ!」
「ならいいが……まぁお前ぇも若い雄だ。女房たちの色気にくらっとすることも――」
「ねえから!!」

 何を言っているんだ、この山羊は。
 どうやらこいつ、めちゃくちゃ奥さんズ大好きみたいだ。
 歯の浮くようなセリフを、朝から何度聞かされたことか。

「ところでさ……俺、乳しぼり初めてなんだけど?」

 とルーシェ、シェリルに助けを求めると、当然彼女らも未経験な訳で。

「そ、そもそもち……ち、搾りなんて、どうやるのか分からないし」
「ユタカさんはやったことはなくても、どういうものなのかご存じなのでしょう?」
「だからあんたがやっていてよ」

 ってことになる。まぁ仕方ない、やるか。
 隣で「もっと優しく!」「そこだ! そこを引き絞れ!」と、雄山羊がうるさい。
 最初は全然出なかった乳も、だんだんとコツがつかめてなんとか鍋半分ぐらいの乳が搾れた。
 
「よし。そのまんまじゃお前ぇら人間は、腹を下してしまうだろう」

 そう言って雄山羊が鼻先を鍋にくっつける。
 なんかキラキラしたような気がしたが……太陽の光を反射した、のか?

「あとは一度沸かせ。そうすりゃ飲めるだろうよ」
「お、おう。ありがとう」
「なぁに、どうってことはねぇ。それよか、たったそれぽっちの乳で足りるのか?」
「いや、実は足りない。出来れば集落の人たちにも飲ませてやりたいし」

 それからチーズも作りたい。

「そうか。だったら物は相談だがなぁ」
「ん?」

 山羊が――山羊たちが、にぃっと笑って俺を見つめた。





「乳が欲しくなるたびに山に登んのは大変だろう。オレらだってその都度呼び出されるのは面倒くせぇ」
「ってことで、山羊が集落《ここ》に引っ越すことになったんだ」

 集落に戻ってくると、初めて見る山羊にみんな驚いた。

 山羊からの相談ってのは、ある意味提案みたいなものだ。
 こちらからは安定した食事の提供。
 あちらからは乳の提供。
 その取引をしやすくするために、人間の集落に移り住むというものだった。

「そ、それは構わないが、家はどうするんだい? 十人もいると、かなり大きな家が必要だろう」

 もしかしてオーリさん、山羊を人と同じ種族みたいに考えてるとか?
 喋ってるし、勘違いはするだろうけど。

「おぉ、ツリーハウスか。ありゃ古の時代に絶滅した植物だと思っていたが、まだ残ってたんだな」
「え、そうなのか?」
「オレ様も見るのはせん――いや、なんでもねぇ。オレらにもあの家をくれるってのか?」
「……小屋でよくね?」
「イヤだぁあぁぁぁ。ツリーハウスガいいぃぃぃぃぃ」

 駄々っ子かよ!
 急に雄山羊が跳ねだすから、他の山羊たちも一緒になって跳ねるから大騒ぎだ。

「分かった。分かったから跳ねるなってっ」
「大所帯だからな、二軒頼む」

 山羊のために家を成長させることになるとは、思わなかった。

 山羊たちの家は、岩塩洞窟のある場所に植えることになった。
 塩は山羊にとっても大事なもの。
 それに、少し高い所の方が落ち着くらしい。
 あと崖の上り下りを子供たちに練習させるのにも、いい位置だからと。

「ここからなら、お前ぇらの呼ぶ声も聞こえるだろ。女房の乳が欲しけりゃ、呼んでくれ」
「分かった」
「間違っても女房の乳に触りたいだけで呼ぶんじゃねーぞ!」
「呼ばねーよ!!」

 だからなんで人間が山羊に……。

「奥様をとても愛していらっしゃるのですねぇ」
「面白い山羊おじさんね。あ、ところで名前はないの?」

 おっと。この流れはまさか――命名式!?

「名前か……まぁあるっちゃーあるが……そうだな、バフォおじさん――とでも呼んでくれ」

 ……ん?

「バフォおじさんね、分かったわ」
「ふふ、よろしくお願いしますバフォおじさん」
「おう、よろしくな。お嬢ちゃんたちになら、オレの女房の乳はいつでも絞らせてやってもいいぜ」

 バ……フォ…・・・?

「本当!? でもまずは練習しなきゃ」
「そうですね。ユタカさんも最初は絞れていませんでしたし」
「まぁコツがいるからなぁ。な、若けぇの」

 バフォ……バフォって……。

「おう、どうした?」

 まさかバフォメットのことか!?

 その日の夜、俺は確かめるためにバフォおじさんの家を訪ねた。
 いつでもスキルを使う心の準備をして。

「やっぱり来たか。オレの名前を言ったとき、お前ぇの顔色が変わったのが分かってたからな。知ってんだろ?」
「バフォメット、だろ。悪魔の」
「おう、そうとも」

 隠す気もないらしい。それどころか奴は、体を形を変えやがった。
 首から下の胴の部分は人のように、頭と下半身は山羊のまま。

 バフォメットだ……。

「まぁ座れ」

 そう言ってバフォメットが胡坐をかいてその場に座る。
 心のどこかで怯えながらも、俺も習って座った。

「オレぁ悪魔だ」
「そう、ですね」
「俺たちバフォメット族は、頭と下半身が山羊なんだぜ」
「う、うん」
「だからよぉ、山羊として生きる選択肢があってもいいんじゃねえかって仲間に説いたわけよ」

 ……え?

「みんなオレを笑いやがった。だからオレぁひとりで山羊になってみた訳よ」

 ……え?

「そしたらどうだ。日がな一日のんびり草食ってりゃいい訳だし、山羊ライフは最高だったんだよ」
「や、山羊ライフ……」
「それにだ。オレんとこの女房、ありゃいい女だぜ。お前ぇもそう思うだろ?」
「……それに関してはノーコメントで」
「んだと! オレの女だぞっ。魅力がねぇっていうのかよ!」

 とバフォメットが声を上げた所で、ツリーハウス内から「ンベェッ」と雌山羊から抗議の声が上がった。

「あわわわ。すまねぇ。いや、うん、そうだ。小僧と今大事な話し中でな。うん、うん。静かにするから、うん、お前ぇは寝てろ。ん」

 なんだ、これ。
 雌山羊の尻に敷かれてるバフォメット……それでいいのか大悪魔!?

 その後、デレデレとしたバフォメットに奥様方との馴れ初めを聞かされることになった。
 つまりこの悪魔は……山羊フェチだった訳だ。