「ただいま戻りましたー」

 手紙を出すために町へ行ったマリウスが、二時間ほどで帰って来た。

「ってことは、町まで……」
「はい……めちゃくちゃ悲鳴が上がってました」

 わざとだろうな……。

「ですが、大至急届けていただけることになりました」
「フレイが何かやったのか?」
「いえ、何も。勝手に商人が怯えてしまっただけです」

 早く届けないと喰われるとでも思ったのかな。
 なんかかわいそうだ。

「返事は冒険者ギルドで預かってもらうことにしています。町に行かれた時に、届いてないか確認していただけますか?」
「あぁ、わかったよ」
「それと」

 まだ何かあるのか?
 マリウスは笑みを浮かべて空を指さした。

「予言しましょう」
「予言?」
「はい。まもなく空から水が降り注ぐでしょう」

 空から、水……!?

 慌てて西側の高台に上がると、遠くに黒い雲が見えた。
 雨雲だ!

「ユ、ユタカ兄ちゃん、大変モググ」
「お兄ちゃん。お空に真っ黒なものが浮いてるの。こっち来るみたい」
「なんだか怖いよ……」
「え? いや、あれは……あぁ、そうか。子供たちは雨雲を知らないんだったな」

 ドリュー族や人間の子供たちが、怯えたように西の空を見ていた。
 白い雲だって滅多に流れてこないし、ましてや雨雲のように黒いと怖がるのも仕方ないか。

「大丈夫ですよ。あれは雨を降らせる雲です」
「マリウスのおじちゃん、雨が降る……の?」
「ハ、ハリュくん……おじちゃんじゃなく、せめてお兄さんって呼んでくれませんか?」

 マリウスは二十代後半だから、微妙なところだよなぁ。

「ユタカ、ここにいたのね」
「大変なんです! 西の空がっ」
「不吉な前兆よ。どうしようっ」

 ルーシェとシェリルが、血相を変えて高台に上がって来た。
 ここにもいたよ。黒い雲を怖がる子が。

「あの黒いのが雨雲だよ。初めてだとビックリするかもしれないが、心配ないから」
「あまぐも……雨をもたらす雲なのですか!?」
「あの黒いのが……恵みの雨を降らせるのに、なんて禍々しいのかしら」
「いや禍々しいって。そういうのじゃないから大丈夫だって」

 そう話すうちにも、次々と「世界が闇に染まる」だの「怨念が集まってできたもの」だの、子供から大人まで怖がって集まって来た。
 その度に俺とマリウスが大丈夫だと説明するハメに。

「本当に雨が降るのかい?」
「現に雨雲がこっちに向かって来ているんだから、降るはずだ。オーリなんかは十数年前の嵐だって経験しているんだろう?」
「その時は風邪が凄くて、岩塩洞窟にみんなで避難していたから外は見てないんだ」

 あぁそうか。元々テント暮らしだったし、嵐の時には洞窟に避難するよな。
 じゃ、ほぼほぼみんな、雨雲を見るのは初めてってことか。

 そうこうする間にも、雨雲はどんどん近づいて来る。
 同時に、雨雲の下では既に雨がシャワーのように降り注いでいるのが見えた。

 ついに、ついに雨が降る!

 日本にいたときには、雨なんて憂鬱で鬱陶しくて、雨の日はげんなりしていたのに。
 雨雲を見るだけで、こんなにワクワクする日が来ようとは。
 
 雨……これで砂漠の砂を、土に変えることができる。
 緑豊かな大地にしたいんだから、さっそく何か成長させてみるかな。
 暑さに強い植物がいいだろう。
 何かいい種あったかなぁ。

 そうだ。町の近くにあったオアシスに生えてた植物。
 あれの種を採取してきて植えればいいんじゃないのか?
 そうだよ。
 何も俺が持ってる種じゃなくてもいいんだ。
 元々この砂漠地帯にある植物で十分だよ。

 落葉樹がいいな。落ち葉が養分になるし。

 そんなことをひとりで考えていたら、頭にポツンと落ちてくる何かを感じた。
 見上げると、頬に雨粒が。

「雨だ!」
「え? あ……」
「ほ、本当に大丈夫なの? 空が真っ暗になったじゃな……」

 いまだ不安そうなシェリルの言葉も、ポツポツと落ち始めた雨によって止まった。

「お水だ」

 呟くような子供の声。
 やや間があって、

「雨モググゥー!」
「雨だぁ~っ」

 と、はしゃぐ声に変わった。
 ワンテンポ遅れて、大人たちも歓声を上げる。

「うおおおぉぉぉぉ、雨だ。雨だぁぁぁぁっ」
「こんな日がくるなんて……こんな日が……」
「他の集落や村でも、これで水の心配をしなくて済むようになるなぁ」
「雨が降って土もよくなるだろう。俺たちが頑張ってユタカくんの野菜を育てねぇとな」
「あぁ。たくさん実らせて、みんなにも分けてやらねぇと」

 そうだ。砂漠の緑化の前に、まずは他の集落の人たちの食料事情を改善しなきゃな。
 雨が降れば終わりじゃない。
 むしろここからが本番だ。

「ユタカさん」
「ユタカ」
「ん?」

 ルーシェとシェリルが俺の左右に、それぞれ立つ。

「雨です」
「雨よ」

 雨足が強くなりはじめ、小雨とは言えないぐらいになってきた。
 二人の頬を濡らしているのは、そんな雨だけじゃない気がする。

「あぁ。みんなで頑張ったから、この砂漠にも雨が降るようになったな」
「何を言っているんですか。全部ユタカさんのおかげなのに」
「そうよ。あんたがここに来てくれてなかったら、私たちが死ぬまでも、その先もずっと雨なんて降らなかったわ」
「だから感謝しています」
「ありがとう、ユタカ。私たちのところに来てくれて」

 そう言うと、二人は俺の腕を取り――
 そして頬に柔らかな感触が。

 二人から頬にキスされるとか、双子ならではのご褒美じゃん!

「うおぉぉ、がぜんやる気がでた!」
「おっ。女房にチューされてやる気が出るってのは、なんのやる気でぃ」
「うぉっ。バ、バフォおじさん」
「なんだ? なにをやるんだ? なぁ、なぁ?」

 ニマニマと笑うバフォおじさんが、鼻先で突いて来る。
 どうせロクなこと考えてないだろこのエロおやじ。

「砂漠の緑化計画だよ! おじさんが思ってるようなことじゃないからなっ」
「おぉ? オレが何を思ってるって? 言ってみるよ。言ってみよろぉ」

 あぁ、クッソ。そう来たか。

「ユタカさん、何のお話ですか?」
『ワーイ、雨ダァ……アレ? ミンナドウシタノ?』
「アスも来たのね。凄いでしょ、雨」
『ウン! デモドウシタノ?』
「さぁ? またバフォおじさんとユタカの二人が、通じ合ってるみたいよ」
「通じてない!」
「どうせなら雌を通じてぇなぁ」
『ンー。仲ガイイッテコト?』

 降りしきる雨の中、いつものようにワチャワチャとした日常が始まる。





 ……いや。

「土砂降りだあぁぁぁぁ。み、みんな、ツリーハウスに戻れっ」
「わっはっは。まるで風呂にいるようだ」
「このまま髪を洗ってしまおうか」
「それはいいなっ」
「わーい。お外でお風呂ぉ」

 笑ってないで、みんなさっさと家に入れよ!