慶汰くん。慶汰くん。今すぐ会いたい。顔を見たい。
会って、謝りたい。私のせいでできた溝を、早く修復したい。その勢いだけで一つ上の階にある一年生のフロアに上る。
窓から見える風景とか、廊下の見晴らしに懐かしさを感じつつ、それに浸る時間はないからとりあえず一組から歩いて覗いていく。
そういえば、私は慶汰くんのクラスも知らなかったんだなと、寂しくなる。申し訳なくなる。
いつも私の話ばかりだったから、聞く暇がなかった。私が少し黙ればそれを聞く頭もあっただろうけど、今日まで知らないことにさえ気付いていなかった。
「あの、天野慶汰くんが何組にいるか、知りませんか?」
全クラス見て回っても、各クラスじっくり探してもいなかったから、近くにいた人に尋ねてみた。絶対に今までしなかったことができてしまうことに、自分でもびっくりしてしまう。
「あー……。ちょっと、わかんないです」
バツの悪そうな顔をしながら、それだけ言って歩いていってしまった。他数人に聞いても、反応は同じようなものだった。
「ゆき先輩、なにしてるんですか?」
屋上へ続く階段の前を通ったとき、探していた声が聞こえた。どうせ来てくれないだろうからって、お弁当を置くこともせず、手に持ったままこのフロアをうろついていた。
「来て、くれてたの?」
「僕、ゆき先輩に謝りたくて」
なんで、慶汰くんが謝るの?謝るのは、私の方なのに。慶汰くんは何も悪くないのに。
「とりあえず、行きましょう」
そう、手招きをしてくれる慶汰くんの後をついて行って、いつもの場所に落ち着く。
「ごめんなさい。昨日はあんなに酷いこと言っちゃって」
「怒らせるようなこと言ったのは、僕なんで。ゆき先輩は気にしないでください」
私よりも深く深く頭を下げる。意味わかんない。あの場からいなくなるくらい、嫌だったはずなのに。
「全部私が悪い。慶汰くんは、私のためにアドバイスをくれただけだよ」
ただ、私が勝手に不安に駆られただけ。誰がどう見ても、悪いのは私一人。
「僕も焦ってたんです。一人で勝手に。だから、おあいこです」
なんでそんなに寂しそうに微笑むんだろう。たまに、消えてしまいそうに笑う姿に、手を差し伸べたくなる。
そっとゆっくり、目を逸らした慶汰くんに手を伸ばすと、くるっとこちらを向いた。
「ゆき先輩?」
やばいと思って引き戻した腕を見て、不思議そうな顔をしていた。私も、なにかしてはいけないことをしてしまったみたいな、変な焦りで心臓がドクドクと、頭が痛くなりそうなペースで働き始めた。
「あの、虫……。虫がね、飛んでたから。つい」
自分でもわかる。焦ってる。嘘をついているのが丸わかり。
「そうですか……?」
「うん。そう。まだ蚊って飛んでるんだね」
あはは、なんて笑って誤魔化して、やっとお弁当を開けた。雑穀米と、卵焼き。生姜焼き。今日はいつも通りの中に、いつもと違うものも入っている。
「もし返事に困ってるなら、僕のこと使ってもいいですからね。彼氏がいるからって。会うのはちょっと、無理ですけど」
「ありがとう」
花楓にもまだ、言わずになんとかやってこれているから、あまり慶汰くんのことを利用しないで三年生に上がりたい。そうしたら、クラスは進学の花楓と就職の私で確実に別れることになるから。
それに、幸輝に伝えて八重ちゃんにも知られたら、勘違いされちゃう。それだけは避けたい。
「私、やっぱり今日言おうと思って。幸輝とは付き合えないって」
「そうですか」
うん、と頷いた。待たせて待たせて、待たせている時間に比例して、期待を持たせることになる気がするから。
「頑張ってください。きっと振るほうも、すごく力を使うと思うので」
「ありがとう。ちゃんと伝える」
帰り道で?お互いの家の前で?場所は決めてないけど、あまり誰かに聞かれないところがいい。
「はい」
その場で一緒に帰ろうと幸輝にメールを送り、午後の授業を上の空で受けながらなんて言おうか必死に考えた。
「さよーなら」を揃えて言ったあと、花楓に捕まる前に急いで教室を出た。あとは伝えるだけ。
大丈夫。きっと言える。
「ゆき、お待たせ。遅くなってごめん」
「大丈夫。待ってないよ」
緊張して、救いを求めるように校舎を見上げると、パチッと目が合った慶汰くんが頑張れと握りこぶしを小さく振って、私が同じ動作をすると、微笑んで手を振ってくれた。
「ゆき?」
立ち止まって校舎を見上げている私を不思議そうに見つめて、「どうした?」と付け加える。
「なんでもない。帰ろ」
「うん」
気付いてるかな。私がこれから、返事をすること。なんだかよそよそしい気がする。幸輝も、私も。
きっと伝わる。大丈夫。
さっきの握りこぶしにお守りをもらった感覚だから。緊張が少し解けたから。
歩いて、改札を抜け、電車に揺られ、マンションの近くまで歩く。小さいころよく遊んだ公園は、ちょうど十六時を過ぎていたこともあってか子どもは誰もいなかった。
「ねぇ、ブランコ、懐かしくない?」
昨日、慶汰くんと行った学校の近くにある公園で感じた新鮮さとは別の、ほっこりする場所。
「確かに。もうしばらく乗ってないね」
「久しぶりに乗っていかない?子どももいないし」
「いいね」
カバンをベンチに置いて、二人して一直線にブランコへと駆け寄る。
「小学生のときも、よくランドセル置いて来てたよね」
「うん。幸輝、足速いから。私も幸輝に引っ張られて走ってるときは足が速くなった気分になれたんだよね」
少し先を走る幸輝。それに引かれて走る私。懐かしいな。本当に。
「あのときも今も、ゆきの手はちっちゃくて柔らかいよな」
手を引かれることはなかったけど、今朝繋いだ幸輝の手は、あのころとは違って骨ばっていて、骨格がハッキリしている男の人の手。
「幸輝は、すっかり大人びたよね。背格好とか、それこそ手とか」
「一気に伸びたからな。ゆきに越されなくてよかったよ」
「私はちょっと身長分けてほしいけどね」
どうせなら同じくらいの身長で、あのころのまま大きくなれたらよかったのに。二人とも恋なんて、知らないまま大人になれたらよかったのに。
「私、幸輝のこと好きだよ」
「えっ」
ブランコに座って、揺れることもないまま。幸輝は驚いていたけど、その顔につい笑いそうになったけど。今は、いつもの調子で笑ったらいけない。
「ずっと好き。きっと、物心ついたときにはもう、大好きになってた。一緒にいて楽だし、幸輝がいてくれるって思うと怖気付くようなことも挑戦できた」
いつだって、私の一番の味方でいてくれた幸輝を、好きにならないはずはない。
「私は幸輝のこと、人混みの中でもすぐに見つけられる。半分こして、大きい方をあげたくなる。いつも、笑っていてほしいって思う。それほど幸輝は、私にとって大切な存在だよ」
「じゃあ……」
幸輝の目が輝いた。今から言うであろう言葉が予測できる。わかるよ。期待でいっぱいだよね。こんな話し方をしたら、私も好きって捉えられてもおかしくないことくらいわかる。
ごめんね。本当に、ごめん。期待させてごめん。好きになれなくてごめん。まだ、幸輝をどう頑張っても恋愛感情で好きになれない理由を話す勇気だけはどうしても出なくて、ごめん。
「でも本当にごめんなさい。私、幸輝とは付き合えない」
言った。言ってしまった。
幸輝の目の奥は真っ黒になっていた。さっきまでの輝きはどこかへ消えて、次に何を言ったらいいのかわからなくなる。どう話しても言い訳がましく聞こえてしまいそうだった。
「私、付き合ってる人がいる」
つい、言ってしまった。本当は言うつもりなんてなかったのに。もう、口から出たら誤魔化せない。やっぱり、言わなければよかった。
「そうなんだ。だから最近、朝早かったんだね」
「……うん」
早く、何か言わないと。でも、なんて?
必死に頭を働かせて、考える。予定外のことをしてしまったから、もう考えていたことは全部飛んでしまった。
「幸輝とは、ずっと仲のいい幼なじみでいたい。今まで通りの関係でいたい。お互いが一番の味方でいたい。今までもらった分の愛を、同じ形で返すことはできないけど、ずっと大好きで、幸輝のことが大切なのは変わらないから」
で?それで?結局は私の希望を押し付けてるだけじゃん。
今まで通りでいたいとか、やっぱり無理かもしれない。全然幸輝のこと、考えてなかった。
気付いちゃった。一番大事なこと。
幸輝にとって私は、幼なじみである前に好きな人だったから、私のことを考えてくれていたし、私にとってはすごく心地よかった。でも、その好きを受け取らないとなると、今まで通りなんて酷だ。言い換えたら、告白は受け入れられないけどずっと私のことを好きでいてって、他の女の子を好きになるなと言っているのと同じだ。
それに、今まで通りにしてほしいって、きっと私に振り向いてもらうためのあれこれも変わらず続けてほしいということで、わがままもいいところだ。
「今の話、全部忘れて。伝えたいことが、他にあるから」
うんもすんも言わないけど、きっと聞いてくれてる。これが最後になっても構わない。傷つくのは、幸輝だけじゃなくて、私も。
「幸輝。大切な幸輝。大切なのはこの先ずっと変わらないけど、そばにいてほしいなんてもう思わない。今まで通りになんてしなくていい。だから、前に進んで。この失恋をバネにして、もっと幸輝のことを大切にしてくれる人を探して。それで、ちゃんと幸せになって」
まるでこれから死ぬ人みたいになってしまった。大袈裟かもしれないけど、永遠の別れになるかもしれないのなら同じことのように思えた。
「付き合ってる人がいるのは、嘘。嘘に近い。私がその人を利用してる。友達ごっこのために。本当は彼氏なんていない。いないし、今後一生彼氏なんてできることはない」
「そんなこと」
「ある。全部ほんとのこと。幸輝が傷つくなら、私も一緒に傷を負うって決めた」
手は震えるし、こんなことを話したらもう、本当に絶縁になるかもしれない。
「私、好きな人がいる。ちっちゃいときからずっと、その人のことが好きなの」
ドクン、ドクン、ドクン。
話すのが怖くて、額の汗がこめかみを、頬を伝ってポタリと地面に落ちて色を変えた。
息の仕方も曖昧で、動いていないのに息が切れる。
早く。早く話さないと。
焦れば焦るほど手汗が滲み、制服のスカートに何度も塗りつけた。
「無理しなくていいから。そんなふうになってまで、俺はゆきに傷ついてほしくない。なんなら、ゆきには無傷のままでいてほしい。もう、さっき話してくれたことで十分だよ」
ブランコから降りて、私の背中をそっと摩ってくれる。ちょっと待っててと、自販機で水を買って、キャップも外して手渡してくれる。
今までと変わらないその優しさが、なんだか痛かった。
「ダメだよ。幸輝だけ痛いのは、私が辛いの」
「もう十分だよ。ゆきも心が痛いんでしょ?だから泣いてるんでしょ?」
ぬるいハンカチで、私の頬を優しく拭いてくれる。そんなに優しくしないでよ。私は、振った上にわがままを言って、こんなにも幸輝のことを困らせているのに。
「振るのも辛いよな。ましてや俺なんか、ずっとゆきの隣にいたんだから。必死に考えて、答えてくれてるの、わかってるから。ゆきが俺のこと大切に思ってくれてること、ちゃんと伝わってるから。だからまた、その話はまた、ちゃんと笑顔で話せるときに教えて。何年先になってもいいから」
幸輝は笑っていた。その笑顔はなんだか清々しかった。鼻がツンとした。痛くて痛くて、涙が流れていることがやっとわかった。
「ごめんね。ありがとう」
「こちらこそ。俺のことちゃんと考えてくれてありがとう」
私たちは笑って握手を交わした。
これは、今までとは同じようで違う、私たちの本当の幼なじみとしての関係が始まる、親愛と始まりの握手。
「これからもよろしくね」
「おう。ゆきの幼なじみは俺しかいないからな」
いつか笑って話せるといいな。私は八重ちゃんが好きってこと。
「アイス食べて帰ろ」
ググッと伸びをして立ち上がった幸輝は、子どもみたいに笑った。こういうときでもアイス好きは変わらないのかと、安心した。
「うん。私、お芋のアイスがいい」
「じゃあ俺は……」
「ソーダバニラの棒アイス、でしょ?」
「わかってんじゃん」
「幼なじみだからね」
私もブランコを降りて、ベンチに置いたカバンを持ってコンビニへ向かった。
空を染める夕焼けが、普段の何十倍も綺麗に見えた。
会って、謝りたい。私のせいでできた溝を、早く修復したい。その勢いだけで一つ上の階にある一年生のフロアに上る。
窓から見える風景とか、廊下の見晴らしに懐かしさを感じつつ、それに浸る時間はないからとりあえず一組から歩いて覗いていく。
そういえば、私は慶汰くんのクラスも知らなかったんだなと、寂しくなる。申し訳なくなる。
いつも私の話ばかりだったから、聞く暇がなかった。私が少し黙ればそれを聞く頭もあっただろうけど、今日まで知らないことにさえ気付いていなかった。
「あの、天野慶汰くんが何組にいるか、知りませんか?」
全クラス見て回っても、各クラスじっくり探してもいなかったから、近くにいた人に尋ねてみた。絶対に今までしなかったことができてしまうことに、自分でもびっくりしてしまう。
「あー……。ちょっと、わかんないです」
バツの悪そうな顔をしながら、それだけ言って歩いていってしまった。他数人に聞いても、反応は同じようなものだった。
「ゆき先輩、なにしてるんですか?」
屋上へ続く階段の前を通ったとき、探していた声が聞こえた。どうせ来てくれないだろうからって、お弁当を置くこともせず、手に持ったままこのフロアをうろついていた。
「来て、くれてたの?」
「僕、ゆき先輩に謝りたくて」
なんで、慶汰くんが謝るの?謝るのは、私の方なのに。慶汰くんは何も悪くないのに。
「とりあえず、行きましょう」
そう、手招きをしてくれる慶汰くんの後をついて行って、いつもの場所に落ち着く。
「ごめんなさい。昨日はあんなに酷いこと言っちゃって」
「怒らせるようなこと言ったのは、僕なんで。ゆき先輩は気にしないでください」
私よりも深く深く頭を下げる。意味わかんない。あの場からいなくなるくらい、嫌だったはずなのに。
「全部私が悪い。慶汰くんは、私のためにアドバイスをくれただけだよ」
ただ、私が勝手に不安に駆られただけ。誰がどう見ても、悪いのは私一人。
「僕も焦ってたんです。一人で勝手に。だから、おあいこです」
なんでそんなに寂しそうに微笑むんだろう。たまに、消えてしまいそうに笑う姿に、手を差し伸べたくなる。
そっとゆっくり、目を逸らした慶汰くんに手を伸ばすと、くるっとこちらを向いた。
「ゆき先輩?」
やばいと思って引き戻した腕を見て、不思議そうな顔をしていた。私も、なにかしてはいけないことをしてしまったみたいな、変な焦りで心臓がドクドクと、頭が痛くなりそうなペースで働き始めた。
「あの、虫……。虫がね、飛んでたから。つい」
自分でもわかる。焦ってる。嘘をついているのが丸わかり。
「そうですか……?」
「うん。そう。まだ蚊って飛んでるんだね」
あはは、なんて笑って誤魔化して、やっとお弁当を開けた。雑穀米と、卵焼き。生姜焼き。今日はいつも通りの中に、いつもと違うものも入っている。
「もし返事に困ってるなら、僕のこと使ってもいいですからね。彼氏がいるからって。会うのはちょっと、無理ですけど」
「ありがとう」
花楓にもまだ、言わずになんとかやってこれているから、あまり慶汰くんのことを利用しないで三年生に上がりたい。そうしたら、クラスは進学の花楓と就職の私で確実に別れることになるから。
それに、幸輝に伝えて八重ちゃんにも知られたら、勘違いされちゃう。それだけは避けたい。
「私、やっぱり今日言おうと思って。幸輝とは付き合えないって」
「そうですか」
うん、と頷いた。待たせて待たせて、待たせている時間に比例して、期待を持たせることになる気がするから。
「頑張ってください。きっと振るほうも、すごく力を使うと思うので」
「ありがとう。ちゃんと伝える」
帰り道で?お互いの家の前で?場所は決めてないけど、あまり誰かに聞かれないところがいい。
「はい」
その場で一緒に帰ろうと幸輝にメールを送り、午後の授業を上の空で受けながらなんて言おうか必死に考えた。
「さよーなら」を揃えて言ったあと、花楓に捕まる前に急いで教室を出た。あとは伝えるだけ。
大丈夫。きっと言える。
「ゆき、お待たせ。遅くなってごめん」
「大丈夫。待ってないよ」
緊張して、救いを求めるように校舎を見上げると、パチッと目が合った慶汰くんが頑張れと握りこぶしを小さく振って、私が同じ動作をすると、微笑んで手を振ってくれた。
「ゆき?」
立ち止まって校舎を見上げている私を不思議そうに見つめて、「どうした?」と付け加える。
「なんでもない。帰ろ」
「うん」
気付いてるかな。私がこれから、返事をすること。なんだかよそよそしい気がする。幸輝も、私も。
きっと伝わる。大丈夫。
さっきの握りこぶしにお守りをもらった感覚だから。緊張が少し解けたから。
歩いて、改札を抜け、電車に揺られ、マンションの近くまで歩く。小さいころよく遊んだ公園は、ちょうど十六時を過ぎていたこともあってか子どもは誰もいなかった。
「ねぇ、ブランコ、懐かしくない?」
昨日、慶汰くんと行った学校の近くにある公園で感じた新鮮さとは別の、ほっこりする場所。
「確かに。もうしばらく乗ってないね」
「久しぶりに乗っていかない?子どももいないし」
「いいね」
カバンをベンチに置いて、二人して一直線にブランコへと駆け寄る。
「小学生のときも、よくランドセル置いて来てたよね」
「うん。幸輝、足速いから。私も幸輝に引っ張られて走ってるときは足が速くなった気分になれたんだよね」
少し先を走る幸輝。それに引かれて走る私。懐かしいな。本当に。
「あのときも今も、ゆきの手はちっちゃくて柔らかいよな」
手を引かれることはなかったけど、今朝繋いだ幸輝の手は、あのころとは違って骨ばっていて、骨格がハッキリしている男の人の手。
「幸輝は、すっかり大人びたよね。背格好とか、それこそ手とか」
「一気に伸びたからな。ゆきに越されなくてよかったよ」
「私はちょっと身長分けてほしいけどね」
どうせなら同じくらいの身長で、あのころのまま大きくなれたらよかったのに。二人とも恋なんて、知らないまま大人になれたらよかったのに。
「私、幸輝のこと好きだよ」
「えっ」
ブランコに座って、揺れることもないまま。幸輝は驚いていたけど、その顔につい笑いそうになったけど。今は、いつもの調子で笑ったらいけない。
「ずっと好き。きっと、物心ついたときにはもう、大好きになってた。一緒にいて楽だし、幸輝がいてくれるって思うと怖気付くようなことも挑戦できた」
いつだって、私の一番の味方でいてくれた幸輝を、好きにならないはずはない。
「私は幸輝のこと、人混みの中でもすぐに見つけられる。半分こして、大きい方をあげたくなる。いつも、笑っていてほしいって思う。それほど幸輝は、私にとって大切な存在だよ」
「じゃあ……」
幸輝の目が輝いた。今から言うであろう言葉が予測できる。わかるよ。期待でいっぱいだよね。こんな話し方をしたら、私も好きって捉えられてもおかしくないことくらいわかる。
ごめんね。本当に、ごめん。期待させてごめん。好きになれなくてごめん。まだ、幸輝をどう頑張っても恋愛感情で好きになれない理由を話す勇気だけはどうしても出なくて、ごめん。
「でも本当にごめんなさい。私、幸輝とは付き合えない」
言った。言ってしまった。
幸輝の目の奥は真っ黒になっていた。さっきまでの輝きはどこかへ消えて、次に何を言ったらいいのかわからなくなる。どう話しても言い訳がましく聞こえてしまいそうだった。
「私、付き合ってる人がいる」
つい、言ってしまった。本当は言うつもりなんてなかったのに。もう、口から出たら誤魔化せない。やっぱり、言わなければよかった。
「そうなんだ。だから最近、朝早かったんだね」
「……うん」
早く、何か言わないと。でも、なんて?
必死に頭を働かせて、考える。予定外のことをしてしまったから、もう考えていたことは全部飛んでしまった。
「幸輝とは、ずっと仲のいい幼なじみでいたい。今まで通りの関係でいたい。お互いが一番の味方でいたい。今までもらった分の愛を、同じ形で返すことはできないけど、ずっと大好きで、幸輝のことが大切なのは変わらないから」
で?それで?結局は私の希望を押し付けてるだけじゃん。
今まで通りでいたいとか、やっぱり無理かもしれない。全然幸輝のこと、考えてなかった。
気付いちゃった。一番大事なこと。
幸輝にとって私は、幼なじみである前に好きな人だったから、私のことを考えてくれていたし、私にとってはすごく心地よかった。でも、その好きを受け取らないとなると、今まで通りなんて酷だ。言い換えたら、告白は受け入れられないけどずっと私のことを好きでいてって、他の女の子を好きになるなと言っているのと同じだ。
それに、今まで通りにしてほしいって、きっと私に振り向いてもらうためのあれこれも変わらず続けてほしいということで、わがままもいいところだ。
「今の話、全部忘れて。伝えたいことが、他にあるから」
うんもすんも言わないけど、きっと聞いてくれてる。これが最後になっても構わない。傷つくのは、幸輝だけじゃなくて、私も。
「幸輝。大切な幸輝。大切なのはこの先ずっと変わらないけど、そばにいてほしいなんてもう思わない。今まで通りになんてしなくていい。だから、前に進んで。この失恋をバネにして、もっと幸輝のことを大切にしてくれる人を探して。それで、ちゃんと幸せになって」
まるでこれから死ぬ人みたいになってしまった。大袈裟かもしれないけど、永遠の別れになるかもしれないのなら同じことのように思えた。
「付き合ってる人がいるのは、嘘。嘘に近い。私がその人を利用してる。友達ごっこのために。本当は彼氏なんていない。いないし、今後一生彼氏なんてできることはない」
「そんなこと」
「ある。全部ほんとのこと。幸輝が傷つくなら、私も一緒に傷を負うって決めた」
手は震えるし、こんなことを話したらもう、本当に絶縁になるかもしれない。
「私、好きな人がいる。ちっちゃいときからずっと、その人のことが好きなの」
ドクン、ドクン、ドクン。
話すのが怖くて、額の汗がこめかみを、頬を伝ってポタリと地面に落ちて色を変えた。
息の仕方も曖昧で、動いていないのに息が切れる。
早く。早く話さないと。
焦れば焦るほど手汗が滲み、制服のスカートに何度も塗りつけた。
「無理しなくていいから。そんなふうになってまで、俺はゆきに傷ついてほしくない。なんなら、ゆきには無傷のままでいてほしい。もう、さっき話してくれたことで十分だよ」
ブランコから降りて、私の背中をそっと摩ってくれる。ちょっと待っててと、自販機で水を買って、キャップも外して手渡してくれる。
今までと変わらないその優しさが、なんだか痛かった。
「ダメだよ。幸輝だけ痛いのは、私が辛いの」
「もう十分だよ。ゆきも心が痛いんでしょ?だから泣いてるんでしょ?」
ぬるいハンカチで、私の頬を優しく拭いてくれる。そんなに優しくしないでよ。私は、振った上にわがままを言って、こんなにも幸輝のことを困らせているのに。
「振るのも辛いよな。ましてや俺なんか、ずっとゆきの隣にいたんだから。必死に考えて、答えてくれてるの、わかってるから。ゆきが俺のこと大切に思ってくれてること、ちゃんと伝わってるから。だからまた、その話はまた、ちゃんと笑顔で話せるときに教えて。何年先になってもいいから」
幸輝は笑っていた。その笑顔はなんだか清々しかった。鼻がツンとした。痛くて痛くて、涙が流れていることがやっとわかった。
「ごめんね。ありがとう」
「こちらこそ。俺のことちゃんと考えてくれてありがとう」
私たちは笑って握手を交わした。
これは、今までとは同じようで違う、私たちの本当の幼なじみとしての関係が始まる、親愛と始まりの握手。
「これからもよろしくね」
「おう。ゆきの幼なじみは俺しかいないからな」
いつか笑って話せるといいな。私は八重ちゃんが好きってこと。
「アイス食べて帰ろ」
ググッと伸びをして立ち上がった幸輝は、子どもみたいに笑った。こういうときでもアイス好きは変わらないのかと、安心した。
「うん。私、お芋のアイスがいい」
「じゃあ俺は……」
「ソーダバニラの棒アイス、でしょ?」
「わかってんじゃん」
「幼なじみだからね」
私もブランコを降りて、ベンチに置いたカバンを持ってコンビニへ向かった。
空を染める夕焼けが、普段の何十倍も綺麗に見えた。