ピンポーン。
ドキドキしながら、隣の家のチャイムを鳴らす。
「はーい、今開けるね」
ドキッ。心臓が跳ねた。
もう十二月に入って、街中はクリスマスムード。たまに、その先を行くお正月。
「どうしたの?」
ガチャっと扉が開いて、八重ちゃんが顔を覗かせた。
オフィスカジュアルの服装に、シンプルなイヤリング。厚手のコートを片手に持ち、足元は黒いパンプス。
可愛い。綺麗。やっぱり私は、八重ちゃんのことが大好きだ。
でも、今日は八重ちゃんに会いに来たわけじゃない。八重ちゃんが仕事に行くということは、計画通りということ。
「幸輝って、いますか?」
休日にわざわざ会いに出向くことは、最近あまりなかったから、なんだかソワソワする。それと同時に、一定にトクトクと鳴り続ける心臓の音が耳まで届く。
「うん。さっき起きてきて、顔洗ったとこかな。上がる?私はもう仕事に行かないといけないけど」
「いいの?」
「うん。ついでに、休みの日はいつもぐうたらしてる幸輝の話し相手にでもなってやって」
ぽん、と私の頭に手を乗せて、「いつもありがとね」と微笑んで、パタパタと私と入れ替わりで家を出て行った。
「お邪魔します」
長谷川家は、土日は大体みんな仕事に行っているから、今この家にいるのは幸輝だけ。
靴を揃えて、自分の家のように染み付いている間取りを歩き、洗面所でまだ眠そうにしている幸輝のところへと顔を出す。
「おはよう」
「うわっ!……ゆき、驚かすなよ」
普通に挨拶しただけだけどな、と思いつつ、こういうことには冷静沈着な幸輝のことをビビらせたことにどこから湧いてくるのかわからない達成感を味わえた。
「顔洗ったくせに、眠そうだね」
「休みの日くらい寝たいだろ」
そんなことを言いつつも、寝巻きのままキッチンへ向かい、食パンをトースターで焼いて、目玉焼きを作って私の前に置いた。
「え、私の分も?」
「ついでだし。こんな早くに来て、まだ食べてないでしょ?」
朝ごはんはヨーグルトだけでいいかと、毎朝ヨーグルトを食べているし、それは今日も例外ではないからもちろん胃に入れてきたけど、言わなくていいか。
「ありがとう。いただきます」
バターを塗り、はちみつを垂らした温かいパンと、とろりと黄身が流れ出す塩コショウの目玉焼き。
「幸輝は塩コショウだよね」
「なに、不満?」
カリッとパンの耳をかじりながら、睨む真似事をしながら私の方を見る。
「そうじゃなくて。幸輝と目玉焼き食べる頻度のが多いから、目玉焼き論争は塩コショウ一択なんだなって」
正確には、長谷川家の目玉焼きが私の中での目玉焼きの味になっている、ということで、もっとざっくり言うと食べに来すぎってことだ。
「美味いだろ、塩コショウ」
「うん。最高」
美味しい美味しいとちゃんとした朝食をいただいて、そのお礼に洗い物は私が引き受けた。
「それで、どうかした?」
キュッと水道を止めると、いつの間にか着替えていた幸輝が横でお皿を拭きながら、探りを入れてきた。
「ちょっと、聞いてほしい話があるの」
切り出し方に困っていたから、向こうから寄ってきてくれて助かった。あとは、ちゃんと話すだけ。
心にはお守り。勇気。気合い。
さっきの椅子にまた座り直して、なぜか話す側の私よりも緊張した様子で目の前に腰かけた。
「ドンと来い」
そう、机に腕を預けて前のめりになると、じっと私の目を見た。いや、口元かもしれない。
話し始めるのを今か今かと待ちわびているような、そんな顔。
「ちょっと、びっくりするっていうか、聞く人によってはちょっと、嫌な気持ちにさせちゃうかもしれないけど、いい?話しても」
変に動悸はしない。ただ一定に、心臓がいつもより活発に働いている。
「おう。どんな話も受け止めるから、安心して」
「じゃあ、遠慮なく」
心に手を添える。ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐く。私には、慶汰くんがいる。今もきっと、隣にいてくれている。
うん、大丈夫。もう、きっとあんなにぐちゃぐちゃになることはないだろう。
「あのとき。幸輝に返事をしたとき、最後まで話せなかったことを、今から話すね」
幸輝は、ゆっくり頷いた。私も、同じようにこくりと頷く。
「私は、生まれてこの方ずっと、女の子が好き。恋愛対象は、幸輝とかほかの子とは違って、同性なの」
ぽかんとしていた。なんだか少し、間を置いた方がよさそうだ。
一秒、二秒、三秒……。
十秒ほど時間を置くと、「え、そうだったの?」と目を見開いて、机に手を置いて立ち上がった。
「うん。まぁ、とりあえず座ってもらって」
まるで自分の家のように幸輝を催促して、ここまで理解できているかを確認する。
別に難しい話をしているわけじゃないから、そこまで時間は必要なさそうだ。
「うん。いいよ、つづけて」
少し待つと、ちゃんとゴーサインがでて、私も口を開く。
「本当に、幸輝がロケットみたいに飛び上がることになるかもしれないんだけど、簡潔に、サクッと話しちゃうね」
そうしないと、八重ちゃんが仕事を終えて帰ってきてしまう。おじさんとおばさんも、いつ帰ってくるかはわからないけど、とりあえず何よりも、遅くなったら困る。
「うん。頼むわ」
なんだか引くよりもむしろ興味津々というその姿勢が、私の口の重さを一気に軽くした。
「私、八重ちゃんのことが好きなんだよね」
ケロッと話せてしまった。あのときはあんなに、話すことが苦しかったのに。涙がこぼれて、辛かったのに。あの気持ちが嘘のように、軽かった。
「え、姉ちゃんなの?もっといい人いただろ」
理解できない、というのが丸わかりだけど、その割には普通にいつも通り、誰かと恋バナをするテンションで会話をつづけてくれる。
「八重ちゃん、いい所いっぱいあるよ?知らないの?」
たかが幼なじみの分際で、知ったような感じで話すなと思われてもおかしくないような言動だけど、幸輝はむしろ私の好みが理解できないみたいだった。
「いや、まぁあるとは思うけど。姉ちゃんのどこがいいの?」
「優しいところでしょ?声が綺麗なところ、幸輝のことを大切に思っているところ、ふわっとしていて、でも包容力があるところ」
指折りで話していくと、頷いて聞いてくれてはいるけど、「あぁ」「まぁ、確かに?」「うーん」とたまに声を漏らしながら、首を傾げながら、それでもちゃんと私の話を聞いてくれている。
「そんなにいいところないと思うけど」
「一緒に暮らしてるからじゃない?八重ちゃんと幸輝は姉弟だし」
「それもあるか」
そう、半ば強引に理解させたみたいな感じではあるけど、それでも幸輝は変わらない笑顔を私に向けてくれていた。
「話してくれてありがとな。でも、なんかあった?」
心配そう、というよりも、不思議そうに、まじまじと私の顔を見た。じっと、何かを知るためのような、そんな目線を感じる。
「なんで?」
「いや、最初話そうとしてくれたときは、今にも死にそうなくらい苦しそうにしてたのに、今日はなんか、清々しいというか、スッキリした顔してるからさ」
なるほど、そういうことか。
確かに、いきなりあのぐちゃぐちゃな姿から一変してスッキリした感じになると、誰でも驚くよね。私も、自分に対して、「よくこんなにちゃんと話せたね」と声をかけたくなるほどだ。
「約束したでしょ?笑顔で話せるようになってから話すって」
「そうだけど、意外と早かったし、想像以上に笑顔だからさ。ちょっと、驚いた」
私の話よりも、そっちに驚いているの?本当に?
「ゆきは今まで、一人で葛藤してきたんだなって、この前の姿を見て、今日のこの姿も見て、よくわかった。恋愛に悩みはつきものだもんな」
「うん。でも、ひとりじゃないよ」
信じてもらえないかもしれないけど、幸輝には聞いてほしかった。話したかった。
「この手紙をくれた慶汰くんって子と、友達になったの。その子が私に、命懸けで色んなものをくれたの。向き合う勇気とか、大切な人に思いを伝えるために背中を押してくれたり、他にもいろいろ、十分すぎるくらい色々もらった」
『命懸け』という表現が合っているかはわからないけど、最後まで私の背中を押すことを考えてくれていたし、未練を晴らしつつ、私のこともめいっぱい考えてくれていたから、やっぱり『命懸け』というのが一番しっくりくる気がした。
「誘っておいて、来なかったやつじゃん。そっか、会えたのか」
「うん。一応、会えた。友達になって、今は心の中にいる」
私の言葉に、幸輝の顔が曇った。「え?」と、やけに暗い声で呟いている。
「それで、その慶汰くんは?」
恐る恐る問いかけてくる。そんなにビビらなくてもいいのに。
「亡くなった。というか、成仏した。未練を晴らして、きっと笑顔で旅立った」
「そうだったんだ。じゃあ、その慶汰くんもゆきも、お互いが頑張れる、幸せな道を選んだってことか」
いい感じにまとめてくれる。でもまぁ、そういう事か。
「いい関係だね。その証拠に、ゆきは変わったよ。顔色が明るくなった」
幸輝は笑った。ほっとしたように、優しく笑った。
「幸輝にそう言ってもらえると、よかったなって思うよ」
生まれてからずっと一緒にいるからこそ、話しにくいと思うこともたくさんあったけど、いまはもう、それよりもずっと聞いてほしいことがたくさんあった。
慶汰くんのことを、幸輝にたくさん知ってもらいたかった。私だけの思い出に留めておきたくなかった。
慶汰くんと私の思い出を、誰かの心にも残しておきたかった。
「ジュース飲もう。慶汰くんの成仏記念に、乾杯しよう」
一旦、話に区切りをつけるために、それを了承した。
トポトポと、コップにりんごジュースが注がれて、「慶汰くんありがとう」と、成仏記念の乾杯は、感謝の乾杯に名を変えた。
「それで、またなんでおばけである慶汰くんと出会うことになったの?」
私の呼び方が移って、慶汰くん呼びのまま話は進む。
望むのならと、事細かに、慶汰くんとの奇跡的な出会いを話した。
始業式をサボっていたら起こされたこと。そのときの行動は話さなくてもいいかと思って割愛したけど、一番大切な出会いの話は、話していてとても懐かしかった。
「そのさ、出会いは素敵だけど、ちゃんと始業式出席しないとダメだろ」
顔を少し歪ませたと思ったら、真面目な幸輝には引っかかるらしい。確かに、サボりはよくないと思う。今はちゃんと気をつけてるよ、一応。
「そうだけど、サボったから今の私があるんだよ。あのときサボらなかったら、今ここで笑って話すこともなかったかもしれないから、そんなふうに思わないで」
「そっか、ごめん」
なんか、正しいことを言っているのに謝らせるのは違ったな。
「私も。ごめんね。幸輝のが正しいもん。」
完全に拭い切れるわけじゃないけど、一旦本気で謝って、もう一度話しを戻す。
こういう経緯で、恋人のふりをしてもらうことになって、充実した時間を過ごしたからちゃんと幸輝を振れた。内容はぐちゃぐちゃで、幸輝は疲れたかもしれないけど、今この幼なじみという関係が残っているのも、慶汰くんがいてくれたからというのが大きい。
今日話が出来たのも、思いを伝える準備が出来ているのも、全部慶汰くんがいてくれたから。私は変わることができた。
全てを話終わる頃には、お昼を回っていた。
「それで、ゆきは姉ちゃんに告白するんだよな?」
あっけらかんとした顔で、私に聞いた。
「うん。伝えたいって思ってる。慶汰くんから、願いをたくされているからさ」
それに、伝えられたらなにか変わるかもしれない。
すぐにじゃなくても、少しずつ変わっていくことが出来るといいなと思っている。
「そう。それなら、俺は応援するよ。前を向いているゆきを、全力で応援する。命懸けで伝えた慶汰くんには敵わないかもしれたいけど、それでも俺は俺なりに、大切な幼なじみのゆきの背中を押すから」
「ありがとう。じゃあ、期待してる」
確実に振られるから、全力で慰めてくれる方を期待している。なんて、悲観的すぎるかな。でも、幸輝は私の中で、八重ちゃんの弟であり、私のお互い大切な幼なじみだと思っているから、きっと受け止めてくれるに違いない。
「自分から話すから、まだこのことは私と幸輝の秘密ね」
「心配しなくても、ちゃんと黙ってるよ。こういうのは、直接本人が伝えるのが何よりも一番想いが強く、まっすぐ伝わると思ってるから」
告白経験者が話すのは、なんだか信ぴょう性がある。その相手が私だから、きっと尚更。
「聞いてくれてありがとう。ちゃんと幸輝に話せて、本当に良かった」
「俺も聞けてよかった。話してくれてありがとうな」
玄関先で、さっきも言ったようなことをもう一度言い合ってその扉を閉めた。
話せてよかった。本当に。
今日幸輝に話せたことで、八重ちゃんに思いを伝えるための勇気が、少しずつ湧いてきたような気がした。
ドキドキしながら、隣の家のチャイムを鳴らす。
「はーい、今開けるね」
ドキッ。心臓が跳ねた。
もう十二月に入って、街中はクリスマスムード。たまに、その先を行くお正月。
「どうしたの?」
ガチャっと扉が開いて、八重ちゃんが顔を覗かせた。
オフィスカジュアルの服装に、シンプルなイヤリング。厚手のコートを片手に持ち、足元は黒いパンプス。
可愛い。綺麗。やっぱり私は、八重ちゃんのことが大好きだ。
でも、今日は八重ちゃんに会いに来たわけじゃない。八重ちゃんが仕事に行くということは、計画通りということ。
「幸輝って、いますか?」
休日にわざわざ会いに出向くことは、最近あまりなかったから、なんだかソワソワする。それと同時に、一定にトクトクと鳴り続ける心臓の音が耳まで届く。
「うん。さっき起きてきて、顔洗ったとこかな。上がる?私はもう仕事に行かないといけないけど」
「いいの?」
「うん。ついでに、休みの日はいつもぐうたらしてる幸輝の話し相手にでもなってやって」
ぽん、と私の頭に手を乗せて、「いつもありがとね」と微笑んで、パタパタと私と入れ替わりで家を出て行った。
「お邪魔します」
長谷川家は、土日は大体みんな仕事に行っているから、今この家にいるのは幸輝だけ。
靴を揃えて、自分の家のように染み付いている間取りを歩き、洗面所でまだ眠そうにしている幸輝のところへと顔を出す。
「おはよう」
「うわっ!……ゆき、驚かすなよ」
普通に挨拶しただけだけどな、と思いつつ、こういうことには冷静沈着な幸輝のことをビビらせたことにどこから湧いてくるのかわからない達成感を味わえた。
「顔洗ったくせに、眠そうだね」
「休みの日くらい寝たいだろ」
そんなことを言いつつも、寝巻きのままキッチンへ向かい、食パンをトースターで焼いて、目玉焼きを作って私の前に置いた。
「え、私の分も?」
「ついでだし。こんな早くに来て、まだ食べてないでしょ?」
朝ごはんはヨーグルトだけでいいかと、毎朝ヨーグルトを食べているし、それは今日も例外ではないからもちろん胃に入れてきたけど、言わなくていいか。
「ありがとう。いただきます」
バターを塗り、はちみつを垂らした温かいパンと、とろりと黄身が流れ出す塩コショウの目玉焼き。
「幸輝は塩コショウだよね」
「なに、不満?」
カリッとパンの耳をかじりながら、睨む真似事をしながら私の方を見る。
「そうじゃなくて。幸輝と目玉焼き食べる頻度のが多いから、目玉焼き論争は塩コショウ一択なんだなって」
正確には、長谷川家の目玉焼きが私の中での目玉焼きの味になっている、ということで、もっとざっくり言うと食べに来すぎってことだ。
「美味いだろ、塩コショウ」
「うん。最高」
美味しい美味しいとちゃんとした朝食をいただいて、そのお礼に洗い物は私が引き受けた。
「それで、どうかした?」
キュッと水道を止めると、いつの間にか着替えていた幸輝が横でお皿を拭きながら、探りを入れてきた。
「ちょっと、聞いてほしい話があるの」
切り出し方に困っていたから、向こうから寄ってきてくれて助かった。あとは、ちゃんと話すだけ。
心にはお守り。勇気。気合い。
さっきの椅子にまた座り直して、なぜか話す側の私よりも緊張した様子で目の前に腰かけた。
「ドンと来い」
そう、机に腕を預けて前のめりになると、じっと私の目を見た。いや、口元かもしれない。
話し始めるのを今か今かと待ちわびているような、そんな顔。
「ちょっと、びっくりするっていうか、聞く人によってはちょっと、嫌な気持ちにさせちゃうかもしれないけど、いい?話しても」
変に動悸はしない。ただ一定に、心臓がいつもより活発に働いている。
「おう。どんな話も受け止めるから、安心して」
「じゃあ、遠慮なく」
心に手を添える。ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐く。私には、慶汰くんがいる。今もきっと、隣にいてくれている。
うん、大丈夫。もう、きっとあんなにぐちゃぐちゃになることはないだろう。
「あのとき。幸輝に返事をしたとき、最後まで話せなかったことを、今から話すね」
幸輝は、ゆっくり頷いた。私も、同じようにこくりと頷く。
「私は、生まれてこの方ずっと、女の子が好き。恋愛対象は、幸輝とかほかの子とは違って、同性なの」
ぽかんとしていた。なんだか少し、間を置いた方がよさそうだ。
一秒、二秒、三秒……。
十秒ほど時間を置くと、「え、そうだったの?」と目を見開いて、机に手を置いて立ち上がった。
「うん。まぁ、とりあえず座ってもらって」
まるで自分の家のように幸輝を催促して、ここまで理解できているかを確認する。
別に難しい話をしているわけじゃないから、そこまで時間は必要なさそうだ。
「うん。いいよ、つづけて」
少し待つと、ちゃんとゴーサインがでて、私も口を開く。
「本当に、幸輝がロケットみたいに飛び上がることになるかもしれないんだけど、簡潔に、サクッと話しちゃうね」
そうしないと、八重ちゃんが仕事を終えて帰ってきてしまう。おじさんとおばさんも、いつ帰ってくるかはわからないけど、とりあえず何よりも、遅くなったら困る。
「うん。頼むわ」
なんだか引くよりもむしろ興味津々というその姿勢が、私の口の重さを一気に軽くした。
「私、八重ちゃんのことが好きなんだよね」
ケロッと話せてしまった。あのときはあんなに、話すことが苦しかったのに。涙がこぼれて、辛かったのに。あの気持ちが嘘のように、軽かった。
「え、姉ちゃんなの?もっといい人いただろ」
理解できない、というのが丸わかりだけど、その割には普通にいつも通り、誰かと恋バナをするテンションで会話をつづけてくれる。
「八重ちゃん、いい所いっぱいあるよ?知らないの?」
たかが幼なじみの分際で、知ったような感じで話すなと思われてもおかしくないような言動だけど、幸輝はむしろ私の好みが理解できないみたいだった。
「いや、まぁあるとは思うけど。姉ちゃんのどこがいいの?」
「優しいところでしょ?声が綺麗なところ、幸輝のことを大切に思っているところ、ふわっとしていて、でも包容力があるところ」
指折りで話していくと、頷いて聞いてくれてはいるけど、「あぁ」「まぁ、確かに?」「うーん」とたまに声を漏らしながら、首を傾げながら、それでもちゃんと私の話を聞いてくれている。
「そんなにいいところないと思うけど」
「一緒に暮らしてるからじゃない?八重ちゃんと幸輝は姉弟だし」
「それもあるか」
そう、半ば強引に理解させたみたいな感じではあるけど、それでも幸輝は変わらない笑顔を私に向けてくれていた。
「話してくれてありがとな。でも、なんかあった?」
心配そう、というよりも、不思議そうに、まじまじと私の顔を見た。じっと、何かを知るためのような、そんな目線を感じる。
「なんで?」
「いや、最初話そうとしてくれたときは、今にも死にそうなくらい苦しそうにしてたのに、今日はなんか、清々しいというか、スッキリした顔してるからさ」
なるほど、そういうことか。
確かに、いきなりあのぐちゃぐちゃな姿から一変してスッキリした感じになると、誰でも驚くよね。私も、自分に対して、「よくこんなにちゃんと話せたね」と声をかけたくなるほどだ。
「約束したでしょ?笑顔で話せるようになってから話すって」
「そうだけど、意外と早かったし、想像以上に笑顔だからさ。ちょっと、驚いた」
私の話よりも、そっちに驚いているの?本当に?
「ゆきは今まで、一人で葛藤してきたんだなって、この前の姿を見て、今日のこの姿も見て、よくわかった。恋愛に悩みはつきものだもんな」
「うん。でも、ひとりじゃないよ」
信じてもらえないかもしれないけど、幸輝には聞いてほしかった。話したかった。
「この手紙をくれた慶汰くんって子と、友達になったの。その子が私に、命懸けで色んなものをくれたの。向き合う勇気とか、大切な人に思いを伝えるために背中を押してくれたり、他にもいろいろ、十分すぎるくらい色々もらった」
『命懸け』という表現が合っているかはわからないけど、最後まで私の背中を押すことを考えてくれていたし、未練を晴らしつつ、私のこともめいっぱい考えてくれていたから、やっぱり『命懸け』というのが一番しっくりくる気がした。
「誘っておいて、来なかったやつじゃん。そっか、会えたのか」
「うん。一応、会えた。友達になって、今は心の中にいる」
私の言葉に、幸輝の顔が曇った。「え?」と、やけに暗い声で呟いている。
「それで、その慶汰くんは?」
恐る恐る問いかけてくる。そんなにビビらなくてもいいのに。
「亡くなった。というか、成仏した。未練を晴らして、きっと笑顔で旅立った」
「そうだったんだ。じゃあ、その慶汰くんもゆきも、お互いが頑張れる、幸せな道を選んだってことか」
いい感じにまとめてくれる。でもまぁ、そういう事か。
「いい関係だね。その証拠に、ゆきは変わったよ。顔色が明るくなった」
幸輝は笑った。ほっとしたように、優しく笑った。
「幸輝にそう言ってもらえると、よかったなって思うよ」
生まれてからずっと一緒にいるからこそ、話しにくいと思うこともたくさんあったけど、いまはもう、それよりもずっと聞いてほしいことがたくさんあった。
慶汰くんのことを、幸輝にたくさん知ってもらいたかった。私だけの思い出に留めておきたくなかった。
慶汰くんと私の思い出を、誰かの心にも残しておきたかった。
「ジュース飲もう。慶汰くんの成仏記念に、乾杯しよう」
一旦、話に区切りをつけるために、それを了承した。
トポトポと、コップにりんごジュースが注がれて、「慶汰くんありがとう」と、成仏記念の乾杯は、感謝の乾杯に名を変えた。
「それで、またなんでおばけである慶汰くんと出会うことになったの?」
私の呼び方が移って、慶汰くん呼びのまま話は進む。
望むのならと、事細かに、慶汰くんとの奇跡的な出会いを話した。
始業式をサボっていたら起こされたこと。そのときの行動は話さなくてもいいかと思って割愛したけど、一番大切な出会いの話は、話していてとても懐かしかった。
「そのさ、出会いは素敵だけど、ちゃんと始業式出席しないとダメだろ」
顔を少し歪ませたと思ったら、真面目な幸輝には引っかかるらしい。確かに、サボりはよくないと思う。今はちゃんと気をつけてるよ、一応。
「そうだけど、サボったから今の私があるんだよ。あのときサボらなかったら、今ここで笑って話すこともなかったかもしれないから、そんなふうに思わないで」
「そっか、ごめん」
なんか、正しいことを言っているのに謝らせるのは違ったな。
「私も。ごめんね。幸輝のが正しいもん。」
完全に拭い切れるわけじゃないけど、一旦本気で謝って、もう一度話しを戻す。
こういう経緯で、恋人のふりをしてもらうことになって、充実した時間を過ごしたからちゃんと幸輝を振れた。内容はぐちゃぐちゃで、幸輝は疲れたかもしれないけど、今この幼なじみという関係が残っているのも、慶汰くんがいてくれたからというのが大きい。
今日話が出来たのも、思いを伝える準備が出来ているのも、全部慶汰くんがいてくれたから。私は変わることができた。
全てを話終わる頃には、お昼を回っていた。
「それで、ゆきは姉ちゃんに告白するんだよな?」
あっけらかんとした顔で、私に聞いた。
「うん。伝えたいって思ってる。慶汰くんから、願いをたくされているからさ」
それに、伝えられたらなにか変わるかもしれない。
すぐにじゃなくても、少しずつ変わっていくことが出来るといいなと思っている。
「そう。それなら、俺は応援するよ。前を向いているゆきを、全力で応援する。命懸けで伝えた慶汰くんには敵わないかもしれたいけど、それでも俺は俺なりに、大切な幼なじみのゆきの背中を押すから」
「ありがとう。じゃあ、期待してる」
確実に振られるから、全力で慰めてくれる方を期待している。なんて、悲観的すぎるかな。でも、幸輝は私の中で、八重ちゃんの弟であり、私のお互い大切な幼なじみだと思っているから、きっと受け止めてくれるに違いない。
「自分から話すから、まだこのことは私と幸輝の秘密ね」
「心配しなくても、ちゃんと黙ってるよ。こういうのは、直接本人が伝えるのが何よりも一番想いが強く、まっすぐ伝わると思ってるから」
告白経験者が話すのは、なんだか信ぴょう性がある。その相手が私だから、きっと尚更。
「聞いてくれてありがとう。ちゃんと幸輝に話せて、本当に良かった」
「俺も聞けてよかった。話してくれてありがとうな」
玄関先で、さっきも言ったようなことをもう一度言い合ってその扉を閉めた。
話せてよかった。本当に。
今日幸輝に話せたことで、八重ちゃんに思いを伝えるための勇気が、少しずつ湧いてきたような気がした。