朝、電車で開いた検索アプリの履歴は幽霊のことばかりが並んでいて、同じアプリの関連記事には歴代の事件のニュースがずらりと並んでいた。
「なに、見たの?」
面白半分で聞いているんだろうなとわかるような、ほとんどが笑いの声。
私だってそうだと信じてるよ。慶汰くんがおばけなわけないって。おばけがあんなにイキイキしていてたまるかと。
「なんとなく、ちょっと気になっちゃって」
珍しく座れた椅子に隣同士で座っている。見覚えがある構図。そうだ。一緒に電車に乗った。そのとき、別に隣にいたけどその上から誰かが座ることはなかった。
それを思い出して、ほっとした。やっぱりそんなわけなかったと。
きっと私の見間違い。勘違い。そうじゃないとおかしい。
「怖いの嫌いなのに、珍しいな」
「そうだよ。おかげで寝不足」
目が冴えてウトウトはしないけど、頭の中は慶汰くんのことでいっぱい。
やっぱりいじめられているという話なのか、はたまた全く別の、予想もしなかったことを話されるのか。
倒れるかもしれないほど驚く話となると、やっぱりおばけ説が出てきてしまうけど、そう出ないことを全力で願っている。
もしそうなら、お別れをする日が来るってことになるだろう。何らかの原因で成仏できていないというのが、この世にいる幽霊の一般的な理由な気がする。あんなにキラキライキイキしているのに、そんなことないだろう。
実は同い年とか。それなら留年したというだけだから、私は別に気にしない。確かに驚くけど、まぁ、せいぜい「えっ、そうなの?」程度だ。
「例のココアの件はどうなったの?」
そうだ、と思い出したように、考え込んでできてしまった沈黙を破った。
「まだ、なんとも。昨日は私が準備不足で。今日聞くことになってるんだけど」
「けど?」
「うん。やっぱりちょっと、聞かなければよかったなって。こんなに安易に聞いていいものじゃない気がしてきちゃって」
踏み込まれたくない秘密を、先輩だから、彼女(仮)だからという理由で話そうとしているのなら、それはもう、年上の圧だ。苦しいだけ。
「考えすぎかもよ。眉間に皺、寄ってる」
私の眉間をつついて、ふはっと空気を吐き出すように笑った。
「そうなのかな。無理させてないかな?」
自分が話したとき、泣いていたこともあったからだろうけど、すごく苦しかった。覚悟を決める時間がいるような話は、話すのに力を使うし、便乗して話すと言ってくれた慶汰くんが、一緒に話す苦しみを味わうという意味なら、やめてほしいと思う。
「私、今すごくブランコで話したときの幸輝の気持ちがわかる」
大切な人には、無傷でいてほしい。それが好きな人でも、友達でも。
私は楽になったけど、相手もそうとは限らない。もしかしたら、ただ辛いだけで終わるかもしれない。
「じゃあ、その人のことは大事にしないとね」
「うん」
今後も友達でいたい。慶汰くんの存在は、八重ちゃんと同じくらい大きくて、幸輝と同じくらい大切な人。
「おはよう」
特に中身のない話をしながら登校して、いつも通り幸輝と教室の前で別れる。いつもと違うのは、花楓が落ち着いた雰囲気で私に話しかけたこと。
「おはよう。どうかした?」
「いや、特にないけど」
「そう?」
首を何度も縦に振って、「そう」とだけ言うと、そのままこちらに背を向けて自分の席へと戻っていった。
なんだろうと、疑問に思いつつ、私も席につく。
昨日のことが影響しているのはわかるけど、寝たら忘れるタイプだと思っていた。なんだか意外だ。
昨日と同様、昼休みまでの間に花楓が話しかけてくるわけでもなく、もちろん他の誰かも私に話しかけることなく、時間が過ぎた。
恋愛の話をしなくていいと思う安心と、そこに隠れた名前の分からない不安が私の心の中で見えたり見えなかったりを繰り返す。
別に花楓に対して、不安に思うところは良くも悪くもないはずなのに。
階段をのぼりながら考えるけど、その不安要素がどこから来たものなのかはやっぱりわからないまま。
「あれ、ゆき先輩お昼は?」
「早めに食べたよ。慶汰くんの真似」
いつも通りのテンションで、昨日と同じく正座をする。途中で姿勢を崩す未来は見えているけど、初めくらいちゃんとしたい。
「僕、話したくないとは思っていないので。そこら辺は安心して聞いてほしいんですけど」
昨日話す場を奪ったからか、にこにこと目尻を提げた慶汰くんは前置きから話し始めた。
「はい」
「とりあえず、驚いて頭ぶつけないように、壁に背中つけてください」
そうだった。
言われるがまま壁に背中をくっつけて、慶汰くんと目を合わせる。飲み込まれてしまいそうなほど、綺麗な目をしているなと思った。
「結論から話しちゃうんですけど、実は僕……」
僕、からの間がやけに長く感じる。視界に入った慶汰くんの手は、小刻みに震えていた。それに触れなかったのは、前置きがあったから。触れられなかった。
慶汰くんの口がゆっくり開いた。ゴクリと唾を飲む。
「実は、幽霊なんです」
どんな反応をしたらいいのかわからなくて、固まってしまう。そんなわけないでしょ、と思う気持ちと、やっぱりかと納得する気持ち。そして、一番違うと思っていたし、違っていてほしかった予想が当たってしまった絶望感。
「なんか複雑そうな顔してますね」
「いや、だって。……ごめん、続けて」
つい、一番言ってはいけないことを言いそうになってしまった。「冗談だよね?」と。こんなに必死に話してくれているのに、こんなことを言ったら、なによりも私が慶汰くんを言葉のナイフで切りつけることになる。
「安心してください。まだ新入り幽霊なんです。僕、今年の六月に交通事故で死んだんです。線香の煙を辿ってお盆に帰ってきたんですけど、いつも通りの夏休みと変わらずに自分の部屋に居座ってたら、そのまま帰りそびれてしまったんです」
幽霊に新入りとかあるんだ。そこに驚いたけど、なによりもお盆に帰ってきて、あの世に帰りそびれてしまうなんて、ドジなところがあったのかと、慶汰くんの意外な一面を見てつい笑みが浮かんでしまう。
「ゆき先輩、信じてます?僕の話」
思わず緩む私の表情を見て、慶汰くんは不安そうに声色を暗くする。大丈夫だよ。そんなに不安そうにしないで。
「……まぁ、うん。そうかもしれないって思ってはいたから」
心の中で思っていることも含めて、今思っていることを素直に伝えた。ここで勘づいていたことを誤魔化すのは、違う気がした。
「え、なんでですか?やっぱり服装とか、ゆき先輩が気になってたことでバレてましたか?」
私よりも慶汰くんのほうがひっくり返りそうになっていた。目を大きく見開いて、声のボリュームも一気に上がった。
「そのときは、こんなふうに思って申し訳ないんだけど、いじめられてるのかなって思ってた。しかも結構悪質なやつ」
「じゃあ、なんで」
「昨日、声かけたのに振り向かなかったから、肩叩いたの。そしたら、手がすり抜けた。そんなわけないだろうって思ってたけど、頭のどこかではもしかしてって。一晩中、慶汰くんのことで頭がいっぱいだった」
なんとなく触れなかった理由はこれだったんだね。慶汰くんが私に指一本も触れないから、触れられないから。私もそんな慶汰くんを見て、触れないようにしていた。
ほかにも、彼氏として名前を出すのは構わないけど、実際会えないこと。電車の中で、慶汰くんと話しているときは周りから見られている気がしたこと。足音が無音なところ。そして、この話をするきっかけとなった疑問も全て、慶汰くんの口から聞いた事実で納得できた。
憶測だけだと、そんなわけないと可能性を潰していたから、そのこともあって私は結構スッキリした。
「だから、ちょっとホッとしてるところもあるの。慶汰くんが誰かにいじめられているわけじゃくてよかったって」
「やっぱり、ゆき先輩は優しいですね」
慶汰くんは儚い笑顔で、話を続ける。
「ダメ元で声をかけたんです。あの日、誰かと話したくて。誰も僕のことが見えないから、どうせゆき先輩もって思っていたんですけど。話せたとき、嬉しくて。本当は話そうと思ったんですけど、仲良くなるにつれて、もう少し、あと少しって、期限を伸ばしてました」
その気持ち、わかる。離れていくかもしれない恐怖は、考えただけでもゾッとするほどだよね。このままズルズルと話さずに友達関係をつづけることもできたけど、そうしなかった選択を取れた私たちは、ひとつ強くなれた。間違いなく。
「ずっと隠しきれるわけじゃないってわかっていたんですけど。幽霊だって話したら、きっと怖がらせて離れていくって思っていたので、今日まで話せなくてごめんなさい。騙したみたいになって、日に日に後ろめたくなってたんです」
「大丈夫、私も一緒。ずっと騙してたのと同じ。私たち同士だね」
少しでも慶汰くんの気分が明るくなればと思って、声色を明るくしてピースしてみせる。
慶汰くんも、私を見て笑った。
「こんなにもスッキリして、心が軽くなるものなんですね。大切な人に話を聞いてもらえるのって」
「よかった。私と一緒」
私が楽になって、慶汰くんはただ苦しいだけなんてことにならなくて本当によかった。
「一緒……」
「え、嫌だった?」
「そんなことないです。嬉しいです」
顔の前で手を振って、首も横に何度も振って否定するけど、なぜかさっきのすっきりした顔からモヤモヤしているした顔に変わってしまった。
「こんなので彼氏のフリとか調子乗りました。どうしても力になりたかったんですけど、こんなこと聞かされたら逆に詰められたときに困りますよね」
「十分もらったよ。ちゃんと向き合う勇気とか。慶汰くんにもらってばっかりで、その上でまた、慶汰くんを利用するなんてことできないよ」
もちろんそれは、慶汰くんだけじゃなくて幸輝の力もあってのこと。そう考えたら、もう十分だった。もし向き合って花楓と友達に戻れなかったとしても、私には幸輝がいる。慶汰くんがいる。それでいいじゃないか。大切な人は、無理して作るものじゃない。無理してつづけることじゃない。一人でもそういう存在の人がいれば十分だ。
ここでもう一歩踏み出したら、自分の恋心に胸を張れる日が来るかもしれない。一生伝えることはできなくても、大切な思い出として、胸にしまって飾っておくことはできるだろう。
「もう、ただの友達に戻りましょう」
「……うん。そうしよっか」
元からただの友達で、恋人というのは偽装の関係だったくせに、いざ戻るとなると寂しいものだ。呼称が変わるだけで、関係は変わらないだろうけど。
次のお盆までまだ時間があるのに、お別れの準備をされているみたいに感じてしまう。
「そんな顔しなくても、そばにいますよ。お別れまで、まだ一年近く時間はあるんですから」
同じことを思っていた。その時を思ってか、慶汰くんはすでに寂しそうな顔をしていた。
「それに僕、すごいんですよ。こういう身体なだけあって、心細いときはいつでも隣にいられます」
「ほんとだ。慶汰くんが不安なときに隣にいてくれたら、どんなときも心を強く持っていられそう」
でもそうしたら、いつまでも手放せなくなってしまう。慶汰くんが帰る日に、小さい子供みたいに泣いて縋って困らせる。
「慶汰くんのおかげ」と、笑顔でその日を迎えるには、今までみたいな関わり方をするのがきっと一番いい。
おばけの友達との最適な関わり方なんて、誰かに聞いたところで教えてもらえない。この関係が特別なものだから。
「……嘘ついて、ごめんなさい」
「え?そんなの気にしなくていいよ。ほら、さっきも言ったでしょ?私も騙してたのと同じだって」
そんなに深刻な顔で謝らなくていいのに。
「慶汰くんが私の話を聞いて、そばにいるって、この関係は変えないですって言ってくれて嬉しかった」
笑ってほしい。気にしてないって伝わってほしい。罪悪感に潰されそうになっている、苦しそうな顔は、慶汰くんには似合わない。
「私も同じ気持ちだよ。別に慶汰くんが人間だろうが幽霊だろうが関係ない。最後までそばにいるし、もし帰ったとしても、私の中ではずっと大切な友達だよ」
慶汰くんは、泣いていた。初めて見る慶汰くんの涙は、ガラスのように煌めいて、まっすぐ頬を伝った。拭おうと、手を伸ばす。
「そうだった。ごめん、痛かった?」
すっと、私の手は慶汰くんをすり抜けて、軽く向こう側の壁にぶつかった。
「僕は全然大丈夫です。でも、ゆき先輩の手が」
今度は、引き戻した私の手に慶汰くんが触れようとする。また、すり抜ける。
「大丈夫だよ。ほら、赤くもなってないし、痛くもないから」
「よかった……」
そう、目を見合わせる。ふつふつと笑いが込み上げてきて、二人して笑った。
「幽霊だって、話したあとなのに」と、そう言って笑いに拍車をかけていた。
このまま時間が止まればいいのに。
そうしたら、涙を流してしまうお別れも、迎えなくていいのにと、無謀なことを思った。
「なに、見たの?」
面白半分で聞いているんだろうなとわかるような、ほとんどが笑いの声。
私だってそうだと信じてるよ。慶汰くんがおばけなわけないって。おばけがあんなにイキイキしていてたまるかと。
「なんとなく、ちょっと気になっちゃって」
珍しく座れた椅子に隣同士で座っている。見覚えがある構図。そうだ。一緒に電車に乗った。そのとき、別に隣にいたけどその上から誰かが座ることはなかった。
それを思い出して、ほっとした。やっぱりそんなわけなかったと。
きっと私の見間違い。勘違い。そうじゃないとおかしい。
「怖いの嫌いなのに、珍しいな」
「そうだよ。おかげで寝不足」
目が冴えてウトウトはしないけど、頭の中は慶汰くんのことでいっぱい。
やっぱりいじめられているという話なのか、はたまた全く別の、予想もしなかったことを話されるのか。
倒れるかもしれないほど驚く話となると、やっぱりおばけ説が出てきてしまうけど、そう出ないことを全力で願っている。
もしそうなら、お別れをする日が来るってことになるだろう。何らかの原因で成仏できていないというのが、この世にいる幽霊の一般的な理由な気がする。あんなにキラキライキイキしているのに、そんなことないだろう。
実は同い年とか。それなら留年したというだけだから、私は別に気にしない。確かに驚くけど、まぁ、せいぜい「えっ、そうなの?」程度だ。
「例のココアの件はどうなったの?」
そうだ、と思い出したように、考え込んでできてしまった沈黙を破った。
「まだ、なんとも。昨日は私が準備不足で。今日聞くことになってるんだけど」
「けど?」
「うん。やっぱりちょっと、聞かなければよかったなって。こんなに安易に聞いていいものじゃない気がしてきちゃって」
踏み込まれたくない秘密を、先輩だから、彼女(仮)だからという理由で話そうとしているのなら、それはもう、年上の圧だ。苦しいだけ。
「考えすぎかもよ。眉間に皺、寄ってる」
私の眉間をつついて、ふはっと空気を吐き出すように笑った。
「そうなのかな。無理させてないかな?」
自分が話したとき、泣いていたこともあったからだろうけど、すごく苦しかった。覚悟を決める時間がいるような話は、話すのに力を使うし、便乗して話すと言ってくれた慶汰くんが、一緒に話す苦しみを味わうという意味なら、やめてほしいと思う。
「私、今すごくブランコで話したときの幸輝の気持ちがわかる」
大切な人には、無傷でいてほしい。それが好きな人でも、友達でも。
私は楽になったけど、相手もそうとは限らない。もしかしたら、ただ辛いだけで終わるかもしれない。
「じゃあ、その人のことは大事にしないとね」
「うん」
今後も友達でいたい。慶汰くんの存在は、八重ちゃんと同じくらい大きくて、幸輝と同じくらい大切な人。
「おはよう」
特に中身のない話をしながら登校して、いつも通り幸輝と教室の前で別れる。いつもと違うのは、花楓が落ち着いた雰囲気で私に話しかけたこと。
「おはよう。どうかした?」
「いや、特にないけど」
「そう?」
首を何度も縦に振って、「そう」とだけ言うと、そのままこちらに背を向けて自分の席へと戻っていった。
なんだろうと、疑問に思いつつ、私も席につく。
昨日のことが影響しているのはわかるけど、寝たら忘れるタイプだと思っていた。なんだか意外だ。
昨日と同様、昼休みまでの間に花楓が話しかけてくるわけでもなく、もちろん他の誰かも私に話しかけることなく、時間が過ぎた。
恋愛の話をしなくていいと思う安心と、そこに隠れた名前の分からない不安が私の心の中で見えたり見えなかったりを繰り返す。
別に花楓に対して、不安に思うところは良くも悪くもないはずなのに。
階段をのぼりながら考えるけど、その不安要素がどこから来たものなのかはやっぱりわからないまま。
「あれ、ゆき先輩お昼は?」
「早めに食べたよ。慶汰くんの真似」
いつも通りのテンションで、昨日と同じく正座をする。途中で姿勢を崩す未来は見えているけど、初めくらいちゃんとしたい。
「僕、話したくないとは思っていないので。そこら辺は安心して聞いてほしいんですけど」
昨日話す場を奪ったからか、にこにこと目尻を提げた慶汰くんは前置きから話し始めた。
「はい」
「とりあえず、驚いて頭ぶつけないように、壁に背中つけてください」
そうだった。
言われるがまま壁に背中をくっつけて、慶汰くんと目を合わせる。飲み込まれてしまいそうなほど、綺麗な目をしているなと思った。
「結論から話しちゃうんですけど、実は僕……」
僕、からの間がやけに長く感じる。視界に入った慶汰くんの手は、小刻みに震えていた。それに触れなかったのは、前置きがあったから。触れられなかった。
慶汰くんの口がゆっくり開いた。ゴクリと唾を飲む。
「実は、幽霊なんです」
どんな反応をしたらいいのかわからなくて、固まってしまう。そんなわけないでしょ、と思う気持ちと、やっぱりかと納得する気持ち。そして、一番違うと思っていたし、違っていてほしかった予想が当たってしまった絶望感。
「なんか複雑そうな顔してますね」
「いや、だって。……ごめん、続けて」
つい、一番言ってはいけないことを言いそうになってしまった。「冗談だよね?」と。こんなに必死に話してくれているのに、こんなことを言ったら、なによりも私が慶汰くんを言葉のナイフで切りつけることになる。
「安心してください。まだ新入り幽霊なんです。僕、今年の六月に交通事故で死んだんです。線香の煙を辿ってお盆に帰ってきたんですけど、いつも通りの夏休みと変わらずに自分の部屋に居座ってたら、そのまま帰りそびれてしまったんです」
幽霊に新入りとかあるんだ。そこに驚いたけど、なによりもお盆に帰ってきて、あの世に帰りそびれてしまうなんて、ドジなところがあったのかと、慶汰くんの意外な一面を見てつい笑みが浮かんでしまう。
「ゆき先輩、信じてます?僕の話」
思わず緩む私の表情を見て、慶汰くんは不安そうに声色を暗くする。大丈夫だよ。そんなに不安そうにしないで。
「……まぁ、うん。そうかもしれないって思ってはいたから」
心の中で思っていることも含めて、今思っていることを素直に伝えた。ここで勘づいていたことを誤魔化すのは、違う気がした。
「え、なんでですか?やっぱり服装とか、ゆき先輩が気になってたことでバレてましたか?」
私よりも慶汰くんのほうがひっくり返りそうになっていた。目を大きく見開いて、声のボリュームも一気に上がった。
「そのときは、こんなふうに思って申し訳ないんだけど、いじめられてるのかなって思ってた。しかも結構悪質なやつ」
「じゃあ、なんで」
「昨日、声かけたのに振り向かなかったから、肩叩いたの。そしたら、手がすり抜けた。そんなわけないだろうって思ってたけど、頭のどこかではもしかしてって。一晩中、慶汰くんのことで頭がいっぱいだった」
なんとなく触れなかった理由はこれだったんだね。慶汰くんが私に指一本も触れないから、触れられないから。私もそんな慶汰くんを見て、触れないようにしていた。
ほかにも、彼氏として名前を出すのは構わないけど、実際会えないこと。電車の中で、慶汰くんと話しているときは周りから見られている気がしたこと。足音が無音なところ。そして、この話をするきっかけとなった疑問も全て、慶汰くんの口から聞いた事実で納得できた。
憶測だけだと、そんなわけないと可能性を潰していたから、そのこともあって私は結構スッキリした。
「だから、ちょっとホッとしてるところもあるの。慶汰くんが誰かにいじめられているわけじゃくてよかったって」
「やっぱり、ゆき先輩は優しいですね」
慶汰くんは儚い笑顔で、話を続ける。
「ダメ元で声をかけたんです。あの日、誰かと話したくて。誰も僕のことが見えないから、どうせゆき先輩もって思っていたんですけど。話せたとき、嬉しくて。本当は話そうと思ったんですけど、仲良くなるにつれて、もう少し、あと少しって、期限を伸ばしてました」
その気持ち、わかる。離れていくかもしれない恐怖は、考えただけでもゾッとするほどだよね。このままズルズルと話さずに友達関係をつづけることもできたけど、そうしなかった選択を取れた私たちは、ひとつ強くなれた。間違いなく。
「ずっと隠しきれるわけじゃないってわかっていたんですけど。幽霊だって話したら、きっと怖がらせて離れていくって思っていたので、今日まで話せなくてごめんなさい。騙したみたいになって、日に日に後ろめたくなってたんです」
「大丈夫、私も一緒。ずっと騙してたのと同じ。私たち同士だね」
少しでも慶汰くんの気分が明るくなればと思って、声色を明るくしてピースしてみせる。
慶汰くんも、私を見て笑った。
「こんなにもスッキリして、心が軽くなるものなんですね。大切な人に話を聞いてもらえるのって」
「よかった。私と一緒」
私が楽になって、慶汰くんはただ苦しいだけなんてことにならなくて本当によかった。
「一緒……」
「え、嫌だった?」
「そんなことないです。嬉しいです」
顔の前で手を振って、首も横に何度も振って否定するけど、なぜかさっきのすっきりした顔からモヤモヤしているした顔に変わってしまった。
「こんなので彼氏のフリとか調子乗りました。どうしても力になりたかったんですけど、こんなこと聞かされたら逆に詰められたときに困りますよね」
「十分もらったよ。ちゃんと向き合う勇気とか。慶汰くんにもらってばっかりで、その上でまた、慶汰くんを利用するなんてことできないよ」
もちろんそれは、慶汰くんだけじゃなくて幸輝の力もあってのこと。そう考えたら、もう十分だった。もし向き合って花楓と友達に戻れなかったとしても、私には幸輝がいる。慶汰くんがいる。それでいいじゃないか。大切な人は、無理して作るものじゃない。無理してつづけることじゃない。一人でもそういう存在の人がいれば十分だ。
ここでもう一歩踏み出したら、自分の恋心に胸を張れる日が来るかもしれない。一生伝えることはできなくても、大切な思い出として、胸にしまって飾っておくことはできるだろう。
「もう、ただの友達に戻りましょう」
「……うん。そうしよっか」
元からただの友達で、恋人というのは偽装の関係だったくせに、いざ戻るとなると寂しいものだ。呼称が変わるだけで、関係は変わらないだろうけど。
次のお盆までまだ時間があるのに、お別れの準備をされているみたいに感じてしまう。
「そんな顔しなくても、そばにいますよ。お別れまで、まだ一年近く時間はあるんですから」
同じことを思っていた。その時を思ってか、慶汰くんはすでに寂しそうな顔をしていた。
「それに僕、すごいんですよ。こういう身体なだけあって、心細いときはいつでも隣にいられます」
「ほんとだ。慶汰くんが不安なときに隣にいてくれたら、どんなときも心を強く持っていられそう」
でもそうしたら、いつまでも手放せなくなってしまう。慶汰くんが帰る日に、小さい子供みたいに泣いて縋って困らせる。
「慶汰くんのおかげ」と、笑顔でその日を迎えるには、今までみたいな関わり方をするのがきっと一番いい。
おばけの友達との最適な関わり方なんて、誰かに聞いたところで教えてもらえない。この関係が特別なものだから。
「……嘘ついて、ごめんなさい」
「え?そんなの気にしなくていいよ。ほら、さっきも言ったでしょ?私も騙してたのと同じだって」
そんなに深刻な顔で謝らなくていいのに。
「慶汰くんが私の話を聞いて、そばにいるって、この関係は変えないですって言ってくれて嬉しかった」
笑ってほしい。気にしてないって伝わってほしい。罪悪感に潰されそうになっている、苦しそうな顔は、慶汰くんには似合わない。
「私も同じ気持ちだよ。別に慶汰くんが人間だろうが幽霊だろうが関係ない。最後までそばにいるし、もし帰ったとしても、私の中ではずっと大切な友達だよ」
慶汰くんは、泣いていた。初めて見る慶汰くんの涙は、ガラスのように煌めいて、まっすぐ頬を伝った。拭おうと、手を伸ばす。
「そうだった。ごめん、痛かった?」
すっと、私の手は慶汰くんをすり抜けて、軽く向こう側の壁にぶつかった。
「僕は全然大丈夫です。でも、ゆき先輩の手が」
今度は、引き戻した私の手に慶汰くんが触れようとする。また、すり抜ける。
「大丈夫だよ。ほら、赤くもなってないし、痛くもないから」
「よかった……」
そう、目を見合わせる。ふつふつと笑いが込み上げてきて、二人して笑った。
「幽霊だって、話したあとなのに」と、そう言って笑いに拍車をかけていた。
このまま時間が止まればいいのに。
そうしたら、涙を流してしまうお別れも、迎えなくていいのにと、無謀なことを思った。