「じゃあ、また帰りな」
「うん。またね」
手を振り、私の教室の前で別れる。
きっと周りから見たらいつも通り。でも私たちは、変わった。前よりも親密になった。
はぐれそうになると手を繋ぐし、何かを食べていて「一口ちょうだい」と言うようになった。きっと今まで、幸輝が遠慮してきた部分が幼なじみとして深まったから、お互い気が楽になった。
「やっぱり付き合ってるんじゃないの?」
花楓は懲りることなく、近づいてくる。飽きないなー、それ。
「付き合ってないよ。大切な幼なじみ」
「ほんとに?」
しつこいなぁ。本当に。
「ほんと。花楓が自分で恋したら、臨場感あって楽しいんじゃない?」
やば。ちょっと突き放しすぎた?
「それはそうかもしれないけど、好きな人とかできないからさ。ほんと、私のトキメキはゆきにかかってるから!」
「それ、なんで?」
幸輝と話したあの日から、少し私は前を向いて話すようになった気がする。いい風が吹いているような、そんな感じ。
だっていつもなら、頷いて聞くだけ。自分の中で収めて収めて、無理だったら逃げてた。初めて言い返して、聞き返した。それは夏が明けてから、友達として見られなくなってからは更にできなくなっていたから、余計にそう感じるのかもしれない。
「え?」
「なんで、好きな人できないって決めつけるの?できるかもしれないじゃん」
踏み込んだらいけなかったかな。でも、踏み込んだら、もう少し花楓のことを知ることができたら。そうしたら、前みたいな友達に戻れるかもしれない。
「夏休み明けからだよね。やけに人の恋バナに縋るようになったの。なんで?」
問い詰めるのは違うかもしれない。でも、きっとちゃんと聞かないと答えてくれない。
「ただ、恋バナ聞きたいだけだよ。深い意味なんてない」
「本当に?」
「嘘なわけないじゃん。どうしたの?今日なんか、いつもと違う。なに、探偵ごっこ?」
バカにしたように、空気混じりの笑いを吐き出して、教室を出ていった。教室中が、ザワザワしているのに注目されているように感じた。いたたまれない感じ。まだホームルームまで時間があったから、私も教室から出た。
特に行くところもなくて、とりあえず屋上前の踊り場へ忍び込む。
幸輝の告白を断ってから、まだ慶汰くんには会えていない。土日を挟んだし、一年生は週明けに遠足があって、その次の日は私がお昼に委員会の集まりに出ることになり、毎日の登下校はあれから約束をしそびれているから幸輝と満員電車に揺られている。
いい結果になったことを早く報告したいのに、こういうときに限って色々重なる。ついてない。
スマホを見てある程度時間を潰して、ホームルームの三分前に急いで階段を駆け下りた。
教室にはもう、きっと全員集まっていて、あとは皐月先生が来るだけに見える。
ちょうど席に座ると、始業を知らせるチャイムが鳴って、そのあと少しして皐月先生が入ってきた。
「起立、礼、おはようございます」から始まり、皐月先生が今日の連絡を話している。終盤に近づくにつれて嫌な予感がして、パッと顔を上げると、皐月先生は淡々と連絡を進めていき、最後に出席簿をパタリと閉じたあと、思い出したように口を開いた。
「美化委員の人は、お昼に集まりがあるので視聴覚室へ行ってください」
またか。また掴まってしまった。今日こそは話せると思っていたのに。
クラスもわからないし、連絡先もわからない。
私、意外と慶汰くんのことを知らないよな。知っているのは慶汰くんのフルネームと、優しい性格くらい。あとは、いつも手ぶらで、まだ夏服を着ていること。知りすぎるのも友達としてほどよい距離感ではなくなるかもしれない。でもせめて、校内での連絡手段があればいいのに。
……あれ?なんか、変。
慶汰くんは、そういえばいつも手ぶらだ。一緒に帰るときも、一緒に登校するときも。もちろんお昼も何も持っていない。
未だに夏服なのは、衣替えの季節が決まっていないから別に、どう見ても十一月に入って夏服なのは違和感があるけど、極度な暑がりだと思えば納得がいく。
私は頭が悪いけど、それでもさすがにおかしいと思う。置き勉をしているにしても、登校するときに何一つ荷物を持っていないのは変。
もしかして実は、どこかの社長のお坊ちゃまだったりするのかな。お付きの人が全部荷物を持ってくれていたとか。それなら、一番可能性は低そうだけど、一番信ぴょう性があると言われたら、まぁ、ないことはない。
次会えたときに聞いてみようかな。
知りたいような、聞いてはいけないような。
でも今日は会えないから、付箋に️『委員会で来れません』とだけ書いて、とりあえずノートの一ページ目に張った。
これが今の私たちの連絡手段で、それをするのはまだ、私だけだけど。
「じゃあ今日も一日頑張りましょう」
皐月先生はそう、なぜかいつもは言わないようなことを言って、ホームルームを締めた。
また、休み時間に貼りにいかないと。今日こそって、意気込んで来たのに。
はぁ。ついため息が出てしまう。
伝えたいことも、気付いたばかりの疑問も、慶汰くんに聞くことはまたお預けだ。
「あ」
皐月先生の声が、まだあまり騒がしくない教室に響いた。何事かと、みんなが皐月先生を注目する。もちろん私もその一人。
「ごめんなさい。今日の委員会、美化委員 じゃなくて図書委員でした。図書委員さんはお昼休み、図書室へ行ってください」
皐月先生は慌てて訂正すると、もう一度「ごめんなさい」とフランクな声色で伝えて、せかせかと教室から出ていった。
まじか、と肩を落とす図書委員の人たちとは裏腹に、私は心の中でガッツポーズをした。
さっき書いた付箋を破り、ひとまとめに丸めてゴミ箱に捨てた。
やっと話せる。ありがとうと、報告できる。
そして、聞こう。ふと抱いた疑問を。
朝少し反抗したからか、花楓が寄ってくることもなく昼休みまでを乗り越え、お弁当を片手に何食わぬ顔で立ち入り禁止の柵の横を通り、階段を登りきった。
「ゆき先輩」
先に着いていた慶汰くんが、ヒラヒラと私に手を振る。まだ、夏服を着ていた。
「慶汰くん、お待たせ。なんか久々だね」
いつもの定位置に座って、相変わらず手ぶらな慶汰くん。いつも通りなのに、一度気になると違和感はなくならない。
「この前はありがとう。無事、終わったよ」
とりあえず、この話から。一度違和感たちを頭から追い出して、いちばん話したかったことを聞いてほしい。
「よかったです」
「前より仲良くなった気がするんだ。要点だけだけど、伝えたいことも伝えられた。慶汰くんが応援してくれてたおかげ」
「いえ、ゆき先輩が幼なじみのその人のことをちゃんと考えていたからこそです」
慶汰くんは小さく手を叩いた。その音が聞こえないのは、この場で大きい音を立てたらバレてしまうから配慮してくれているのだろう。
「あんなに考えてもらって、その人は幸せものですね。ゆき先輩のそばにそういう人がいてくれて、よかったです」
「そう思ってもらえてるなら、ありがたいな」
「僕、ゆき先輩が優しい人って知ってますから」
「ほんと、ありがとう。慶汰くんのおかげ」
やっと話に一区切りついたのは、慶汰くんが私のお弁当の進み具合を気にし始めるころ。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
「慶汰くんって、もしかして暑がりなお坊ちゃま?」
色々混ざったけど、まぁ、まとまってるからいいか。
「へ?違いますけど、なんでですか?」
困惑したように笑って、首を捻っている。私も、それならなんでだろうと、首を捻った。
「だって、まだ夏服だし。それに登下校の待ち合わせもいつも手ぶらだから」
私の言葉に、慶汰くんは硬直した。数秒間シンとした、妙に張りつめた空気と時間が流れて、いきなり立ち上がった。
「あの、先輩。えっと、とりあえず、その、明日!明日話すんで!明日またここで!」
「え、ちょっと!」
手を伸ばした。届きそうで、届かなかった。まだ触れられそうな距離だったのに、私が触れたのはなんの変化もない空気。
「やっぱり後者だったのかなぁ」
あんなに必死に焦っている慶汰くんは初めて見た。触れられたくなかったことだとしたら、どうしよう。聞いたことを、後悔した。
手をつけたお弁当も、それ以上減らない。
もしかしたら、いじめられていたりするのかな。冬の制服が原型を留めていないとか、荷物を取られたとか。もしそうなら、相当悪質だ。
さすがにあんなに素敵な性格で、そんなことないとは思うけど、絶対とは言いきれないのが今の世の中だと思っているし。
なんにせよ、明日直接聞いてみる以外の方法はなさそうだ。クラスもわからないから、会いに行くこともできない。あの校舎越しに手を振ったとき、ちゃっかり何組辺りか見ておくべきだった。
「ごちそうさまでした」
まだそこまで減っていないお弁当の蓋をきせて、スマホを開く。十三時十分。あと二十分で昼休みも終わってしまう。
先生がいないことを確認して階段を降りて、やることもないから一階の自販機でホットココアを買った。もう一本買って、二年生のフロアに戻り、幸輝の席にココアを置いた。
「あれ、ゆき。どうした?」
「当たったから、おすそ分け」
特に深い意味はなかったけど、なんとなく。きっと慶汰くんに嫌われないために、身近な人を使って徳を積もうとか、そんな感じの潜在意識が働いているような気がしなくもない。
「まじ?持ってんじゃん」
「たまたまだけどね」
なんか、普通に嘘だって見透かされている気はするけど。合わせてくれているのなら、もうそのまま。別に、悪いことをしたわけじゃないから。
「じゃあ私、戻るね」
また、と手を振って、廊下に出る。少し歩くと、パタパタと私の後ろを走る足音が聞こえた。
「ゆき!」
振り向くと、ちょうど足音も止んで、ココアを片手に持ったまま追いかけてきた幸輝が、私との肺活量の違いを見せながら普通に話し始める。
「後悔しなくても、きっと大丈夫だよ。ゆきはゆきらしくしてな。俺を振ったときみたいにさ」
「え?」
「ゆきは、昔からちょっとでも後悔すると、なんかくれるもんな」
クシャッと私の頭を撫でて、ココアを振りながら私に背を向けて戻っていった。
やっぱりバレてたな。さすが幼なじみ。
「ありがとう」
届いてはいないだろうけど、幸輝の背中にそう言って、私も自分のクラスに戻った。
少し冷めたココアなのに、一口飲んだらほっと温かくなって、きっと大丈夫と信じられる。
私も幸輝みたいに、何があってもその人を受け止められるようになりたいな。自分がそうしてもらっているみたいに、私も慶汰くんを受け止めたい。
綺麗事かもしれないけど、それでいいって思った。綺麗事がないと、始まらないこともあるだろうから。