皓矢(こうや)とルリカが封印を解いて入った部屋は、キレイサッパリ片付けられていた。
 研究所らしい机も本棚もパソコンも、もうここにはない。ただの白い箱の中のような光景だった。

「なんも……なんもないよ……」

 ルリカは珍しく落ち込んで皓矢の頭の上で呆然としている。

「やはり事を起こす前に片付けてしまっていたか……」

 皓矢も多少のショックを受けていた。

「おい、こーや……」

「ああ……」

 二人の間にシリアスな雰囲気が流れ……る訳がなかった。

「こぉの、バッカちんがァアァ!」

 ルリカは怒りにまかせて皓矢の頭から飛び立ち、部屋をぐるりと旋回した後、その遠心力でもって皓矢の脇腹にドロップキックをかます。

「ぎゃあ!」

 いかに皓矢の防御力を持ってしても齢360年越えの式神の底力を無力化するのは至難の技だ。さすがの皓矢も30センチほど後ずさった。

「まーったく、おまーがモタモタしてっからだろうが!」

「でも事を起こす前に処理されてたなら、僕のせいでは……」

「事前に察知できなかったおまーの失態なんだよ!いくら可愛い妹が瀕死のピンチだったからって、テンパリ過ぎなんだよ!」

「……返す言葉もない」

 落ち込む皓矢をルリカは労りもせずに暴言を吐きまくった。これはパワハラ認定案件かもしれない。だが銀騎(しらき)家では式神が主の優位に立つことがたまにある。そういう式神はだいたい歴史が古いもので、ルリカなどはその最たる例である。

「さあ、困ったよ。犯人の痕跡が途切れてしまったんだよ」

 ルリカは小さな体で腕組みして考え込んだ。そこで皓矢はある提案をする。

「やっぱり僕の研究室をもう一度調べたらどうかな?犯行現場を精査するのは捜査の基本だろう?」

「うむ……。こーや巡査の言う通りかもしれん」

「では、戻りましょう。ルリカ警部」

「うむ!……だが巡査よ。今回の失態はさてーにひびくからそのつもりでいるんだよ!」

「肝に命じまーす」

 何の査定かと言えば、ルリカ的ヒエラルキーのことだろう。だがそれはルリカが筆頭なのは絶対で、順位がどうあれルリカ的には皆下僕なので現状に変化はつかない。



「じゃあ、もっかい棚でも調べるかあ」

 研究室に帰ったルリカは当てが外れてやる気を無くしていた。棚の上下をぴょんぴょこ移動しながら中のものを物色する。

「うーん、あれ?」

 棚の奥から何かを取り出したルリカは弾んだ声を出した。

「やったあ、チョコみっけ!」

「うん?ああ、それバレンタインに女性職員からもらったやつだね」

「えっ!?バレンタイン……だと!?」

「うん。なんか有名なお店の生チョコらしいよ」

「生チョコ……だと!?」

 現在は真夏が近い七月である。生チョコは冷蔵保存が基本だし、賞味期限が短いのも常識だ。

「おあああああ!めちゃめちゃ切れてるぅううう!バカがあああああ!」

 ルリカは咽び泣いた。自分が満たされなかっただけではない。高級チョコを送ってゴマすろうとした女性職員の無駄な努力をも思いやって泣いた。

「ごめん、そうなんだ。知らなかったよ」

 皓矢はあっけらかんとして笑っている。ルリカは今度研究所内の女性職員にチェーンメールを送ってやると誓った。副所長は食べ物で釣ろうとしても無駄だぞ、と。

「あ、待てよ!?昨夜ここで食べたチョコももしかして期限切れだったんじゃ!?」

 ルリカははたと気がついた。つまみ食いを自供したようなものだが、自分の健康被害の方が大事である。

「え?棚に置いておいたチョコレートはそれだけだけど?」

「嘘言うなよ!ガラスの箱に入ったチョコが二粒あったんだよ!」

 ルリカの反論を皓矢はゆっくりと反芻した。

「ガラスの……箱?」

 それってシャーレって言うんじゃない?

「チョコが二粒……?」

 (やじり)は二つ。大きさも一口大。

「ルリカ、それ美味しかったかい?」

「全然!味がしなかったけどお腹空いたから丸飲みしてやったんだよ!」

「ル、リ、カ?」

「え?」

 一応皓矢とルリカは一心同体。その思考も一方的にルリカには共有される。

「え、まぢ?うそ……」




「あたちが食べちゃったのかよ!?」