私はいつもまんなかを歩いている。
 右と左には必ず誰かいて。それは学校に行く時も、ご飯を食べる時も、学校から帰る時も。私はいつも二人の間に挟まれている

(よつ)()、今日のお弁当ってなに?」
「今日は私が作った焼肉弁当だよ。あと昨日の夕飯残り物のポテトサラダ」

 答えると、私の左隣にいる彼は笑う。今年入学したばかりでピカピカの名札には『(しの)(みや)』と書いてある。一年生の(しの)(みや)(かける)だ。
 入学してすぐの時、『あともう一年離れていたらお下がりの名札がもらえたのにね』と話したら、『兄貴のお下がりはいらねー』とつっぱねていた。名札だけじゃなく制服やかばんもぜんぶ、お下がりは嫌だと主張している。

「それは楽しみだ。四葉が作ったお弁当を食べると午後も頑張れるよ、うん」

 口元を緩めてお弁当箱の蓋を開けているのは、私の右隣。こちらも名札には『篠宮』と書いてあるけれど、名札にはヒビが入っている。本人も気づかぬ間に亀裂が入ったそうで、いつ頃からあるものかはわからない。
 そんな三年生の(しの)(みや)(いつき)。翔のお兄ちゃんだ。

「うんうん。とっても美味しい。四葉はいいお嫁さんになれるね」

 樹がそう言った瞬間、翔が「お前……」と呆れた様子で呟いた。けれど樹は弟を無視して、にっこりと笑顔で続ける。

「明日はどんなお弁当なのかな。今から楽しみだよ」
「兄貴、いい加減にしろって。俺たちの分まで作るの大変だろ――四葉も無理しなくていいぞ。俺たちは購買で買えばいいんだし」

 樹を制した後、翔が私に向けて言う。

 話題の中心にあるのは私たちのお弁当のことだ。私と篠宮兄弟、計三つのお弁当は私が作ってきたもので。

 その理由は、篠宮兄弟の家庭環境だった。二人は幼い頃にお母さんを亡くして、お父さんと三人で暮らしている。中学校までは給食があったからよかったけれど、私たちが通う数名高校に給食はない。

 それならと手をあげたのが我が家だった。年齢は違うけれど篠宮兄弟と幼馴染で、家族同士も付き合いがある。篠宮兄弟のお父さんが残業の時は、我が家に来て夕飯を食べるような間柄だ。
 母曰く、お弁当が二つ増えたところで平気らしい。篠宮兄弟のことを可愛がっていたから特に問題はない様子で。最近は母に代わって私もお弁当を作っている。今日は私が作ったお弁当だった。

 我が家のことを心配してくれているのだろう翔に向けて微笑む。

「大丈夫だよ。母さんも私も、二人のお弁当を作るのが楽しいから」
「……それなら、いいんだけど」
「でも、二人だってお友達と食べたいでしょ? 無理して二年の教室にこなくたって――」

 篠宮兄弟はバスケ部に入っていて、朝練があるからと家を出るのが早い。朝練のない時は一緒に登校しているけれど、そうじゃない時は二人が先に行ってしまう。お弁当を受け取るため、昼休みになると私の教室にきていた。そのまま二年の教室で食べていくのがいつものことで。

 気心知れた幼馴染と一緒にいられるから私は嬉しいけど、二人は友達と一緒にいたいだろう。
 樹はバスケ部だけじゃなくて生徒会にも入っているから知り合いは多いし、翔だって同じ一年生のバスケ部の子と仲がいいって聞く。

「うんうん。無理して僕たちに付き合わなくていいよ。翔は明日から一人で食べればいい」

 私の言葉をどう解釈したのか、樹は頷きながら言ったのは予想外のもので。それを言われた翔は「はあ?」と眉間にしわを寄せていた。

「一緒にご飯を食べるような友達いるだろう? 一ノ瀬とか。あと二年の二見沢も翔が声をかけたら喜ぶぞ」
「いいって! 俺はここで飯食うの。余計なこと言うなクソ兄貴」
「四葉、今の聞いたかい? 可愛い弟にクソなんて言われてしまった。僕の心が折れそうだよ」
「おい! 四葉に絡むな! っつーか離れろ、くっつこうとするな!」

 樹はわざとらしすぎる泣きまねをしてこちらにすり寄ろうとしたけれど、翔が声を荒げてそれを止める。

「兄貴こそ教室戻れよ。変人たちと飯食ってろ」
「僕の友達を変人呼ばわりするのはいただけないね……いい奴らだと思うけど」
「どこがだ! 女みたいな美術部部長に、顔以外残念の生徒会長だろ。そして甘ったれクソ兄貴の変人三連星だろ」
「うーん。改めて言われると僕の友達は変わっているねえ」

 翔がヒートアップしそうになったところで私が間に入る。

 二人が顔を合わせるといつもこうで、穏やかなお昼ご飯といかず、ささいな出来事を見つけては言い争う。本気の喧嘩じゃなくて、子猫がじゃれ合っているようなものだからいいけれど、でも止めないと美味しくお昼ご飯を食べられない。

「二人ともストップ。樹は翔を煽らない、翔も怒らない」
「……ごめん」
「あと部長のこと悪く言わないこと。私、美術部員の(ひら)()(よつ)()だからね? うちの部を悪く言うのは許しません」

 美術部部長が変わり者ってことは認めるけど、女っぽいとかそういう言葉はちょっと許せなくて。
 じっと睨むと、翔は気まずそうに視線をそらして二度目の「ごめん」を呟いた。

「ほら。仲良く食べよ?」
「四葉の言うとおりだ。翔は反省するように」
「お前も怒られたんだからな!? あと四葉の方にすり寄ろうとすんな!」
「あー、もう! 二人とも騒がない!」

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人を止めて、ため息をつく。二人と一緒にいるのは楽しいけれど、最近は翔がイライラしていることが多い気がする。樹もそれを煽るからよくない。

 逃げるように黒板の日付を見る。もう夏休みに入ってしまう。
 樹は三年生だから、高校生でいられるのはあと半年。幼馴染の三人が同じ教室でご飯を食べていられるのもわずかなのに。

「仲良くご飯を食べたいんだけどなあ……」

 樹と翔はまだ騒いでいたから、私の独り言は聞こえていない。

***

 夏休みはあっという間にやってきて、毎日着ていた制服も休める時期――と思えばそういかないのが高校生活。部活だの夏期講習だの、夏休みでもなんだかんだ制服に袖を通す。
 今日も制服を着て学校へ。待ち合わせの時間に家を出ると、樹が待っていた。

「おはよう。今日は呼び出してごめんね」
「暇だったから大丈夫。今日は生徒会のお手伝いだっけ?」

 今日は部活も休み、夏期講習もない。学校に行くのは樹に生徒会の手伝いを頼まれたからだ。9月に行われる学校祭に向けて、今のうちから準備をしているらしい。

「四葉の書く字は綺麗だからね。引き受けてくれて助かるよ」
「任せて。こう見えても美術部だし!」
「頼もしいねえ。四葉が生徒会に入ればよかったのに」

 数名高校は家の近くにあるから、自転車で通っているけれど今日は樹と二人で徒歩。しばらく二人で並んで歩き、学校の敷地内に入る。夏休みだというのに体育館やグラウンドは騒がしかった。

「翔は部活?」
「今日はバスケ部が体育館おさえているから。朝から夕方まで練習かな」
「じゃあ翔の分、お弁当作ってくればよかったね」
「はは。夏休みまで無理しなくていいよ。あいつはコンビニでおにぎりでも買えば十分」

 体育館の横を通るとボールの弾む音や部員たちの声が聞こえた。覗いてみたい気はしつつも通り過ぎて校舎へ。

 教室に入るも誰もいなかった。他の生徒会部員がいるのかと思っていたけれど、私と樹の二人だけ。机を避けて、床に模造紙を広げる。
 書く内容は樹が考えて、私はそれを清書するだけ。

「9月はやることがたくさんあるからね、早めに準備しておいた方が楽なんだ。でも一、二年生は部活があるから、生徒会にばかり時間をかけていられない。引退して手が空いた三年生たちから準備をはじめるんだよ」
「そっか。樹も引退しちゃったもんね」

 ちらりと見ると樹は少し寂しそうにしていた。

 数名高校バスケットボール部はどちらも地区大会で敗退。三年生たちは引退し、今は一、二年生たちが練習をしている。バスケ部員として活躍する樹を見ることはなくなった。

「僕以外の三年生は顔を出しているみたいだけどね。マネージャーの子なんて引退後も部活漬けだ」
「樹は行かなくていいの?」
「そこはほら、僕には生徒会もあるから。それに頼もしい二年生たちがいるから僕が行かなくたって」
「そうかなあ……翔は寂しがってると思うけど」

 と私が言った瞬間、樹が吹き出して笑い出す。思ってもいなかった一言らしく、肩をふるわせてケタケタと笑っていた。

「ないない。むしろ焦ってるだろうね、あれは」
「最近の翔、イライラしてるみたいだから何かあったのかな……焦るようなことがあったのかな。相談してくれたらいいのに」
「さあ。どうしてだろう――でもあれだね。こうして書いてばかりじゃ疲れるね、眠い」

 隣に座っていた樹が、床に寝転がる。手伝ってと言ったのは樹のくせに、このやる気のなさだ。どうしたもんかと見守っていると、樹が私を見上げた。

「ここは膝とか貸してくれる場面だと思うんだけど」
「貸しません。それより早く終わらせちゃおうよ?」
「ゆっくりでいいよ。四葉とのんびりするのが楽しいんだから」
「もー。私は樹の手伝いできたのに、これじゃ作業になりません」

 注意しても樹が起き上がる気配はなくて、その姿に呆れてため息をつく。

「……翔の話ばかりしていたら拗ねちゃうよ」
「え?」
「こっちの話。四葉が書く字は綺麗だなって言っただけ」

 小さな声で喋っていたから聞こえなかったけれど、字の話はしていなかったと思う……ような。そのうちに樹は目を閉じてしまった。

 無視して書き進めたい、けど。油断すればいつ膝に乗ってくるかわからないほどすぐ隣で、樹が寝転んでいる。それになんだか緊張してしまって。

「喉渇いちゃったから自販機で何か買ってくる。樹も何か飲む?」
「緑茶がいい」
「わかった。行ってくるね」

 まだ寝転がってサボっている樹を残して教室を出る。

 夏休みだから購買は開いていないけれど、自販機は営業中。自販機の前には何人かの生徒がいて、野球部や吹奏楽部の子たちも飲み物を買いにきていた。

 樹が好きなメーカーの緑茶を買って次は私の――と自販機に小銭を入れようとしたところで、名前を呼ばれた。

「四葉! なんで学校にいるんだよ」

 振り返るとそこには翔がいた。部活の休憩だったのか、首にスポーツタオルをさげている。

「今日は美術部なかったよな。忘れ物でもしたのか?」
「ううん。樹に頼まれて生徒会のお手伝い」
「は……? 樹が?」

 樹から聞いているのかなと思ったけれど、その反応を見るに知らなかったらしい。私を見つけて驚いていた顔は次第に曇っていく。

「なんだよそれ。四葉は生徒会と関係ねーだろ」
「そうだけど。手伝っちゃだめだった?」
「だめじゃねーけど……でもなんで樹と……」

 樹の手伝いを、翔はよく思っていないらしい。苛立っているのがわかる。
 いや樹の手伝いではなく、樹に関わっていることが嫌なのかもしれない。一緒にご飯を食べている時だって、樹に突っかかってばかりいたから。
 どうしたらいいのだろうと言葉に悩んでしまう。何も言えずに翔と私、二人うつむいたまま。

 そこへ声をかけてきたのは翔の友達らしい男子生徒だった。バスケ部員共通のTシャツを着ていることから同じ部活だろう。彼はいちごミルクの紙パックを手にしていた。

「何してんだよ、早く戻るぞ」

 声をかけられて我に返ったのか、翔が顔をあげた。そして。

「あとで行くから」
「部活あるんじゃないの?」
「なんとかする」

 それってなんとかなるものかな。疑問に思ったけれど、詳しく聞くことはできず、翔は友達と一緒に歩き出してしまった。

 翔がきてくれたら、サボっている樹を叱ってくれるかもしれないけれど、そのために部活を抜け出してくるのは嬉しくはない。

 樹と翔は仲がよかったはずなのに最近はかみ合っていない。いつからこんな風になってしまったんだろう。


 教室に戻ると樹は椅子に座って待っていた。

「おかえり。ずいぶん遅かったね」
「自販機のところで翔に会ったの。あとで行くから、って言ってたけど」
「やだなあ。あいつ来なくていいのに」

 やっぱり。樹も翔を遠ざけるようなことを言う。

「樹は翔のことを煽りすぎ。兄弟なんだから仲良くしないと」
「ううーん。それは難しいなあ。いくら兄弟だからって譲れない時もあるんだよ」

 私は一人っ子だから兄弟がいる気持ちはわからない。譲れない時というものを想像してみるけれど、どんなものかいまいちわからなくて。首を傾げていると樹が笑った。

「四葉は気にしなくていいの。だから膝枕してよ、僕は眠いんだ」
「サボろうとしない! 膝枕もしません!」
「じゃあ肩でいいから。四葉にもたれかかって眠ったらいい夢が見られそう」
「私は枕じゃありません!」
「じゃあ膝にしよう」

 反論するも樹は聞かず。隣に座ったと思いきや、膝に頭を乗せた。生徒会の仕事はどこへ消えたというぐらい潔くサボっている。

「四葉は可愛いなあ」
「もー! これじゃあ進まないよ」
「終わらなかったらまた明日学校に来ればいい。僕も来るから」

 開き直っている樹をどうすべきか迷っていると、廊下の方から足音が聞こえた。慌ただしく階段を上る音。そして。
 がらりと教室の扉が開き、そこにいたのは翔だった。体育館から着替えずに走ってきたらしくTシャツは汗で濡れている。

「げ。もう来ちゃったのか」

 膝で寝転んでいる樹がうんざりとして呟く。翔はというと、私と樹の状況を見て固まっていた。

「……兄貴、何してんだよ」

 翔の声は低く、わかりやすいほど怒気がこもっている。対する樹はというと、開き直って飄々としていた。

「四葉と生徒会のお手伝いだよ」
「そうじゃなくて。何で、四葉にくっついてんだって話」
「僕が眠たくなっちゃったから仕方ない」
「いいから離れろクソ兄貴」
「はいはい、わかった」

 翔の苛立ちをようやく受け止めたらしい樹が起きあがり、私の膝も解放される。

「部活はいいの?」
「抜けてきた。俺も手伝うから、さっさと終わらせよう」
「翔はこなくてもいいよ、僕と四葉で頑張るから」

 ぶちぶちと不満をたれている樹だったけど、翔がきたことで気持ちが切り替わったのか、先ほどのようにサボることはなくなった。作業も順調に進んでいく。

 マーカーを握りしめて、模造紙に字を書いていた翔が言った。

「四葉。今度から、兄貴が変な頼み事したら断っていいからな」
「私は平気だよ。今日も部活なかったから手伝えたんだし」
「そうやって甘やかすから兄貴がつけあがるんだ。この仕事だって四葉がやらなくても他のやつがやる。あと膝枕だってしなくていい」

 ちらりと見れば翔はまだ怒っているみたいだった。樹も口数が減った。あんなに楽しそうにしていたのに、翔が来てからつまらなさそうにしている。

 この空気を払拭できないかと考え、思いだしたのは明日の夏祭りだった。

「明日の夏祭り、二人とも行く?」

 近くの神社で行われるお祭りで、毎年三人で回っていた。今年も三人で行きたかったけれど、ここ最近の二人はあまり仲がよくないから誘い辛かったのだ。

「行く。四葉も一緒に行こう」

 先に答えたのは翔だった。続いて樹もこちらを見る。

「僕も行くよ。翔と四葉だけじゃ心配だからね、うんうん」

 よかった。今年も三人で回れそう――なんて安堵するも、数秒後にそれは崩れた。翔は握りしめていたマーカーを置いて、樹をにらみつける。

「兄貴は家にいていいよ。さっき膝枕してもらったんだろ、空気読めよ」
「空気って読むものじゃないでしょ。ちょっと僕にはわからないなあ。どうやって空気を読むのか見本を教えてもらいたいねえ」
「うだうだうるせーな。家にいろって」
「翔こそ部活で忙しいだろう。家で休んだ方がいい」

 ああ、また。ただ夏祭りの話をしただけなのに、二人は小競り合いを始めてしまった。いつものように言い争うだけで済むならいいけれど今回は少し違っていて。

「明日は俺と四葉が行くから。兄貴は来なくていい」

 それは怒りとは違う、しんと冷えた声。翔の真剣な表情に応えて、樹も鋭くにらみ返す。

「そこまでして僕をおいていきたい理由ってなに?」
「それは……」
「うん? 言えないのかな。じゃあ大した理由じゃないんだろうね」

 苦しそうに言い淀む姿に、胸が苦しくなった。翔がそんな表情をしていることがつらくて、そうさせているのが樹ということもつらくて。
 いつもいつもこうして言い争ってばかり。その苛立ちが、ついに爆発した。

「二人ともいい加減にして!」

 私が声を張り上げると、驚いた二人の視線がこちらに集まる。

「最近二人とも喧嘩してばかり。どうして仲良くできないの!?」
「仲良くって言われても俺は……」
「樹も翔も! 私たち三人が同じ学校にいられるのは半年なんだよ、言い争いばっかりじゃやだよ」
「ごめんね、四葉。でもこれは――」

 樹が言いかけた言葉を遮って、宣言する。

「夏祭り。私一人で行く」

***

 家が近いと帰り道も一緒なもので。普段は気にならないけれど、喧嘩した後だと距離の近さが憂鬱になる。樹はまだやることがあるからと学校に残って、帰り道は私と翔の二人。
 夏祭りお一人様宣言から私たちは気まずいままだった。翔もその気まずさを認識しているらしく、おそるおそるといった様子で私に聞いた。

「四葉、まだ怒ってる?」
「うん」
「それって、俺と兄貴が仲良くしないから、だよな?」
「うん」

 うん、と短く答えているのは私の怒っていますアピールであって。それを受けて翔は困ったように頬をかく。

「だって。せっかく三人集まっているのに言い争ってばかりは嫌だもん。誰か一人はおいていくとか二人で行くとか、そういう話で喧嘩してほしくない」
「……四葉の言いたいことはわかる、けど」

 そこで翔の足が止まった。どうして立ち止まったのか気になって、私は振り返る。
 翔は、見たことないぐらい真剣な顔をして、でも少し照れているのか顔が赤い。そして、言った。

「俺は、三人じゃなくて四葉と二人がいい。四葉の特別になりたいから」
「特別? 私にとって二人とも特別な幼馴染だよ」
「そうじゃない。幼馴染じゃなくて、友達でもない。俺たちは――」

 翔が言いかけたものは、どれだけ待っても出てこなくて。私をじっと見つめていた翔は苦しそうに顔をゆがめて、それからうつむいた。

「……勝手に言うな、って兄貴に怒られそうだ」
「翔?」
「なんでもない。とにかく、俺と兄貴は仲良くできねーよって話だから」

 篠宮兄弟に仲良くしてほしい私と、兄弟仲良くできないと主張する二人。平行線のまま私たちは家について、そして。

 夏祭りの日になった。

***


「今日お祭りでしょ? 浴衣着ていくよね?」

 夕方になって、母が浴衣を持ってきた。今年も篠宮兄弟と夏祭りを回ると思っているらしく、浴衣から下駄、髪飾りまで準備はばっちりだ。

「あー……うん。行く、かも」
「じゃあ迎えが来る前に着ちゃいましょう。この浴衣、今年買ったばかりでしょ? 早く着ているところが見たかったの」

 一人で行くと言い出せないまま、新しい浴衣に袖を通すと悲しい気持ちになる。

 毎年三人で夏祭りに行って、私が浴衣を着ていると二人ともそれを褒めてくれた。
 去年は、樹はうんうん頷きながら『四葉可愛いねえ』と言って、翔だって照れて顔を赤くしながら『似合ってる』と言ってくれた。今年は新しい浴衣を買ったから、二人に見せたかったのに。

「樹くんと翔くんの反応が楽しみね」

 母は知らないから、そう言って。
 私は言い出せないから、相づちを打つことしかできなくて。

 結局、『神社で待ち合わせだから』と嘘をついて家を出た。
 本当は家で閉じこもっていたかったけれど仕方ない。適当に屋台を回って時間を潰して帰ろう。

 履き慣れていない下駄は足が痛くなる。二人がいたらこの道のりだって楽しいから痛みだってわからなかっただろう。
 お祭りから帰る人たち、賑やかな声、屋台の匂い。あらゆるものが寂しくて、私は一人なのだと思わせる。
 いつも二人がいたから。こんな風に思ったことはなかった。

 神社の前に並ぶ屋台。大通りを歩こうとした時、人混みに懐かしい顔を見つけた。

「もしかして、眞人(まさと)さん?」
「……ん?……あー……四葉ちゃん、だよね、たぶん」

 彼は(しち)(じよう)眞人(まさと)さん。私の従兄(いとこ)だ。近くの大学に通っていると聞いたけれど会うのは久しぶりだ。

「眞人さんも夏祭りにきてたんだ?」

 聞くと、眞人さんは「んー?」と困ったように首を傾げた。それからあたりを見渡してぼそっと呟く。

「バイト行こうと思った、けど……考え事してたら、ここにいた」

 いわゆる迷子というやつで。これが翔とか樹なら『大丈夫?』と心配するところだけど、この眞人さんはちょっと変わっているから納得してしまう。
 いつもぼーっとしていて、何時に会っても眠そうな顔をして、歩きながら寝ているのかと疑いたくなるほどふらふらと歩く。親戚の間で『不思議宇宙人系』なんて呼ばれているような人だから、迷子というのも頷ける。

「眞人さん、どこでバイトしているの?」
「駅前のレストラン」
「……接客業? ちょっと想像がつかないっていうか、向いてなさそうな……」
「ん。だいじょうぶ」

 人と喋るのも億劫という、意思疎通さえ難しいこの人が、レストランで働くなんてできるのだろうか。まったく想像できない。

「あんたは? 一人でお祭り?」
「私は……」

 言いかけて、口ごもる。
 視界には眞人さんと、その向こうに夏祭りの屋台や人混みが見えていて。楽しそうに歩く人たちの姿が、胸中の寂しさを掻き立てる。

 だって、思い出がたくさんある。

 翔は射的が好きだったから毎年何かしらの景品を持ち帰ってきて、ある年は紙コップに入ったカブトムシを持ってきていた。翔も中身がカブトムシなんて知らなかったらしくて驚いていた。私たちが慌てている間に、それは飛んでいってしまって、翔は悔しがっていた。

 樹はりんご飴が好きで、お祭りに来ると必ず食べていた。最近はりんごだけじゃなくて、いろんな果物の飴があるから持ち帰りの分まで買うほど。なぜか運がいいので、くじびきをする時は樹に引いてもらっていた。
 少ないお小遣いで色んなものを食べたくて、焼きそばやポテトは一つ買って三人でわける。買いこんだものを公園のベンチで分けて食べたりもして。

 あの頃が、楽しかった。
 樹と翔。三人で一緒にいたかったのに。

 涙がにじむ。堪えようとうつむくと、眞人さんが言った。

「……泣きそうになってる。あんたを困らせること、言ってたらごめん」

 頑張って笑おうとするけれど、うまくできなくて。目端から涙がぽたりと落ちる。

「あ、あれ……やだ、泣くつもりじゃ……」

 一つ落ちれば次々と。そんな姿を人に見せるのが嫌で両手で顔を覆う。その瞬間――

「四葉!」

 はっきりと聞こえた声に、心臓がびくりと跳ねる。
 寂しさばかりが占めていた心は、少しずつ喜びが満ちていく。声がした方を振り返れば、人ごみをかき分けてやってくる二人の姿があった。

「樹! 翔!」

 夏祭りで二人に会えたことが嬉しくて笑顔で手を振った直後、二人の様子がいつもと違うことに気づく。普段飄々としている樹は珍しく慌てているし、翔なんて真っ青な顔をしてこちらに駆けてくるのだ。
 二人の鬼気迫る様子から何かあったのかもしれない。

「二人ともどうしたの?」

 到着した二人に聞く。すると翔は私の左手を掴んで引き寄せ、眞人さんとの間に割り込んだ。

「こいつはだめ。俺たちのだから、お前には渡さない」

 翔は警戒心むきだしにして眞人さんを睨み付けていた。その行動が理解できず固まっている私を守るように、右肩に触れたのは樹だ。樹は不安そうに私を見て言う。

「大丈夫かい?」
「い、樹までどうしたの?」
「だって泣いていただろう? この男に何か言われた?」

 そう言って樹と翔が眞人さんを見る。私も眞人さんを見る。眞人さんはなぜ注目されているのかわからないといった顔をしていた。

「違う。不審者じゃない。四葉ちゃんのいとこ」
「本当に四葉の従兄……なのか?」
「うん。挨拶していただけだから大丈夫だよ」

 私の説明を聞いて樹も翔も、深いため息をつく。緊張の糸が切れてしまったように、ぐったりと疲れた様子で翔はその場に座り込んだ。

「はー……なんだよ、従兄って」
「翔が『四葉が変なやつに泣かされてる』とか言うからだな」
「兄貴だって『どこかに連れていかれたらまずい』なんて慌ててただろ」

 どうやら篠宮兄弟は勘違いをしていたらしく、大事になる前に誤解がとけてよかった。

「……よくわかんないけど。バイトあるから、もう行く」
「アルバイト頑張ってね。迷子にならないように」
「ん。あんたも夏祭りがんばって」

 マイペースな眞人さんは歩き出し、ふらふらした後ろ姿は見ているだけで不安になってしまう。駅前まで無事にたどり着けるのを祈るばかりだ。

 さて。眞人さんが去ったところで翔に手を差し出す。私の左手を掴んで、翔は立ち上がった。

「二人ともお祭りにきていたんだね」
「だって、四葉一人じゃ心配だろ」

 次は樹に右手を。樹はためらっていたけれど、問答無用で手を繋ぐ。

「みんなで夏祭り回ろうよ。三人とも高校生でいられるのは今だけなんだよ」
「はあ。四葉には敵わないね……わかったよ」

 樹と私と翔と。三人で手を繋いで歩く。
 やっぱり三人でいるのが楽しくて、つい笑顔になってしまう。そんな私を見て、樹は呆れたように言った。

「僕と翔のどっちが好き――って聞いても、四葉は選べないだろうね」
「私は、樹も翔も、二人とも好きだよ」
「……それは、僕たちとは違うベクトルだねえ、うん」
「いいよ、三人で。お前が変なやつと話してるぐらいなら、クソ兄貴がいて三人の方がいい」
「僕も賛成だ。それまで休戦協定といこうか」
「だな」

 高校生が終わってしまったら。私たちはそれぞれの道に進んだり、二人の間にいられなくなるのかもしれない。左の道か右の道かどちらを選ばなきゃいけない日がくるのかもしれない。

「ねえ、りんご飴と射的、どっちから回る?」
「射的行こうぜ。今年も景品持って帰るぞ」
「うんうん。僕はりんご飴がいいと思うな。射的は翔しか楽しくないだろ、一人で行っておいで」
「あ? クソ兄貴こそ一人で――」
「喧嘩しない! 二人とも仲良くして!」

 まだ三人でいたい。左右てのひらに伝わるそれぞれの温度も、二人の笑顔も、私はまだ選べない。

 これは、私たち三人が高校生でいられる最後の夏。