どこだか理解(わか)らない海の中、大きな島に、彼は来ていた。人工島らしいが、億では済まないような金が掛かっているのは間違い無いだろう。この技術が導入されれば、沖ノ鳥島(おきのとりしま)ももっと安定するんじゃないか、とさえ思われる。
 まあ、無理だろうが。経済的にも、倫理的にも。
 それにしても、日本で最初に異能者(いのうしゃ)がメディアに出てきたのは、もう20年くらい前だが、それでも、こうやって身近にそういうものが無いと、彼みたいな普通の会社員にはその実感は湧かない。異能という業界の大きさに気付けない。
 むしろ、20年前当時の彼は、自分が納めた税金が「こんなもの」に使われていると思うと、不満が湧いていたものだ。今では、そんな気持ちは無いし、むしろ、内情を知っている身として――身を持って知った身としては、もっと金をかけても良いんじゃないか――むしろ、もっとかけた方が良いんじゃないかとさえ思われほどである。
 正直に言ってしまえば、異能の才覚があると判断されても、その子供たちのほとんどが、異能者には()れない。ほとんどの子供たちは、普通の学校には通ってこなかった事も(あい)まって、厳しい現実を知ることになる。
 直面することになる。
 しかし、いるのだ。
 ほんの一握(ひとにぎ)りの一摘(ひとつま)みだが、いるのだ。異能者と呼ばれる存在になる者が。
 では、異能者になれる子供と、異能者になれない子供の最大の違いは、決定的な差は何か。
 それは、科学に勝てるか、勝てないか、だ。
 ほとんどの異能は科学に勝てない。例えば、瞬間移動系の異能があったとする。しかし、たとえ1秒で東京から沖縄に行けたとしても、その異能を発動するのに1週間かかったり――ましてや――1年間も掛かったりするなら、それは役に立たない。
 科学に――文明に――新幹線(しんかんせん)に勝てない。
 これでは燃費が悪い。使えないスキルだ。
 異能者になる子供は、科学を上回るのだ。(たい)してエネルギーも時間も消費せずに、とてつもない力を生み出すものが。現在の科学では、永久機関は不可能とされている。実際、そうだ。
 これは正しい。
 それは何故(なぜ)か?端的(たんてき)に言えば、それは『生まれるエネルギー』が『失うエネルギー』を上回ることが無いからだ。エネルギーの総量が変わらないから、なんて言うことも出来るが。若干(じゃっかん)ニュアンスが違う。
 どちらにせよ、科学では無理なのだ。
 しかし、異能者が(から)むと、話は変わる。
 異能者は、永久機関を作ることが出来る。強いて言うなら、異能が使えるのは異能の使用者が生きている間だけなので、異能者が死ぬまでの永久機関だから、ある意味では永久機関ではない。
 しかし、例えば、電気を生み出す異能があったとしよう。もちろん、それは才能次第なのだが、二酸化炭素も(たい)して排出せずに日本の全ての電力を(まかな)うことが出来れば、日本は二酸化炭素の排出量削減にも大きく貢献できるだけでなく、原子力発電所の事故防止や、通称(つうしょう)(かく)のゴミ』なんて呼ばれてるあの問題も呆気(あっけ)なく解決する。
 異能は、もちろん発電だけではない。
 いろんな種類がある。
 20年前、当時は、人間はAIに取って代わられると叫ばれていたが、彼からすれば、異能こそが人間の仕事を奪っていくだろう、と、そういう可能性のほうが高く見えるのだった。