「私」と言う物語は、父と母を失ったあの日。光という眩いものを見せなくなった。光という輝きを、忘れてしまった。

***

 キー、キーとブランコを揺らすと、何処か昔に戻ったような錯覚を覚える。

 昔は鳴らなかった鯖による独特な音。このブランコは今日まで大切に使われてきたんだな、と実感させられる。それと同時に、もうあの頃から七年は経つのだと時間の呆気なさも感じて虚しい気持ちになる。

 小さい頃、よく家族で来ていた公園。

 滑り台、砂場、そしてこのブランコ。小さな広場で遊ぶのが楽しくて……大好きだった。

 何より、お父さんもお母さんも遊び回る私を笑顔で見守りながら付き合ってくれていたから。

 そう、私たちは絵に描いたような幸せな家族だった。夜になるとその日の楽しかったことを話し合って、おやすみと言ってベットに潜る。朝には当たり前のようにどちらかがおはようと言って起こしてくれる。

 優しくて仕方がない日々の暮らし。とにかく暖かくて、私の世界はずっと明るくて。これからもそんな幸せは続いていくと信じていた。むしろ周りが真っ暗な、音もない空間になるなんて考えもしなかったのだ。

 だけど……今私の周りにあるのは考えてもいなかったそんな空間。昔の明るい世界は焦がれる、もう戻らない日々。

 一人が寂しくないわけではない。でも隣に誰もいない日々に慣れてしまったから。勿論最初は辛くて仕方がなかったけど、それすらもうわからなくなってきつつある。

 夜空を見上げて手を伸ばすと、暗闇の中にある唯一の光、淡く光る星がいつもより眩しいものに感じた。そのまま目を閉じて強く願ってみる。

 どうか明日も、普通の日常を過ごせますように。

 これ以上幸せが消えませんように。

 嫌なことが起こりませんように。

「はぁ……」

 ため息が出る。

 疲れた。

 もう、疲れてしまった。

 こんな懇願も切望もきっと届きはしない。願いながらもそんな風に思う。

 あの日から私の世界は、ずっと真っ暗な夜に支配されているのだから。

 いっそこの夜の暗闇が私を飲み込んで、存在ごとなかったことにして欲しい。ここではない何処かへと、遠い場所に行きたい。何も考えずに笑っていられる、そんな手に入れるのが難しい幸福を手に入れたい。
 
 こんな〝欲〟ならいくらでも出てくるのに……。

 もう懲り懲りだ。神様がいたとしたら、なぜこんな意地悪ばかりするのだろう。なぜ私をこんな半端な夜に閉じ込めるのだろう。

 
 目に涙が滲み、それが頬を伝って地面へと落ちていく。月明かりが涙を星のように光らせて、きらきらと瞬く。

 星も月もまだ私を照らそうとするなんて……可哀想だな。もっと輝いた人を照らせばいいのに。

 私だって、どうせなら小さな光ではなく、何万個も輝くイルミネーションのような光が良かった。集まってきらきらと輝く、明るい世界にいたかった。

 もしくはそんな光もない、本当に何もない真っ暗な夜に。

 少しの光があるからこそ……少しの希望を抱いてしまう。それが今の私には一番辛いことだった。

「……かっこ悪い」

 そう言って強がりに微笑んでみるけど、虚しい気持ちが強くなるだけ。手で拭って、拭って。目が真っ赤になっているかも知れないけど気にしない。何度も繰り返す。

 止まれ、止まれと繰り返す。

 でもまだ止まらなくて……止まってくれなくて。ぴちゃん、と。

 また涙が地面に落ちた瞬間だった。

(かのう)さん?」

 どこかで聞いたことのある、私の名前を呼ぶ声が響いたのは。

「……?」

 状況を理解できなくて俯いた顔をあげてみると、最初に見えたのは色素の薄いマッシュの髪。全て遺伝してなのか、琥珀色のように輝く綺麗な瞳。私と同じ高校の制服。全体的に色素が薄く、少し儚げな雰囲気も纏っている。

 そこには……明日遠くへ〝転校〟するのだという彼がいた。

「橋本くん?」

 同じクラスの橋本想(はしもとそう)が。人付き合いがよく、誰にも優しく接する。決して明るくて中心にいる人とは言えないけれど、確実に他の誰かが持っていない魅力を持つ人だった。

「うん。こんな暗い時間に何してるのって聞こうとしたんだけど……」

 彼はそれ以上言葉を続けず、ゆっくりと私の方へと歩み寄ってくる。

 一歩一歩近づいて、見上げれば直ぐそこに綺麗な瞳がある。私が反射して写っている。そんな距離になったとき、こう言われ見つめられた。

「きらきらと、光る場所に行きたいね」

 光る……場所。

 その言葉をなぞると、疑惑と期待が私の胸の中で渦巻かれる。

 え……橋本くんも、そんな場所に行きたいの?

「淡く光る、沢山の光に会いたいね。イルミネーションくらいもっと、もっと輝いて」

 突然言われた言葉に驚きが隠せなくて。

「橋本くん、何を言って……」

 だから正直な言葉が溢れた。

 なのに、

「ねぇ叶さん。僕と一緒に逃げませんか? ここじゃない場所。数え切れないくらい光が見える場所へ」

 私を見つめるその瞳が余りにも綺麗で、理由も問わず頷いてしまった。光に焦がれる私は、一瞬のうちにしてその提案に引き込まれてしまったのだ。



 持っているのは家の鍵にお財布とスマホだけ。こんな夜に出てきたものだから貴重品と呼べる最低限のものしか持っていない。

 幸いお財布の中にはそれほどの額が入っていて、電車に乗って移動するのには困らなかった。

 こんな夜中にあまり話したこともないクラスメイトと電車に乗り、遠くの何処かへと向かおうとしている。それだけで問題だ。明日の学校をどうするとか、そんなことは何も考えず飛び出してしまった。

 こう言うのを『家出』とか『駆け落ち』とか呼ぶのだろうか。

 でも私は高校生だけど一人暮らしだし、橋本くんとは付き合ってもお互い好き同士なわけでもない。だからそんな言葉たちは似合わないか。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、私は口を開いてみた。

「ねぇ、橋本くん」

「ん?」

「どうして逃げようなんて言ったの? あんまり話したこともない私なんかと」

 悩ましい質問だったのか、数秒考えるような仕草をして彼はこちらに笑みを返す。

「何でだろうね、僕にもわからないや」

「え、えっと……自分から言ったのに?」

「うん、わからない。でもなんか叶さんと逃げてみたくて」

「明日転校するのに?」

「転校するから……かな」

 ますます意味はわからなくなる。逃げてみたい、とは何なのだろうか。

「このままじゃ私たちどう考えても非行少年少女、ということになるけど……」

「でも、叶さんはそれを分かった上で僕に着いてきてるでしょ?」

「そう、だね」

「じゃあ僕たちは共犯関係、ね?」

「だって夜逃げ……夜の逃避行、だよ」

「かっこいいじゃん、夜の逃避行」

 そう更に楽しそうに笑った橋本くんを見て、完全に負けた気分になった。

 ふふっ、と穏やかに笑うものだからつい押されてしまう。それはかなりずるい。何も言えなくなってしまうではないか。

「叶さんって僕のことあまり知らないよね?」

「そうだね。ほとんど話したことなかったし」

「じゃあお互いに自己紹介しようか。そうすれば身元がわからない人より信頼できるでしょ?」

 確かに、と頷きながら体の向きを変えて向かい合った。

 橋本くんはにこにこと笑いながら軽く息を吸うと、落ち着いた声で話し出す。
 
「僕は橋本想。二年B組。好きなことは写真鑑賞かな。明日遠くの学校へと転校する、叶さんのクラスメイトです」

「叶……です。橋本くんと同じクラスで、えっと。好きなことは」

 あれ?

 私の好きなことって、なんだろう。

 言葉に引っかかってそう思った。昔だったら身体を動かすことが好きだと迷わず答えられたのに。

 公園の遊具が私のお気に入りで……難易度が高いアスレチックとかも大好きで。昔は好奇心がありすぎると注意されたこともあった。

 でも今は、全部思い出でしかなくて……。

「今はない、かな」

 迷った末、私にはそう答えるしかなかった。

 そっかと言う言葉と共に少しの沈黙が落ちてから、今度は橋本くんが呟いた。

白夜(びゃくや)

 言われた言葉を頭で理解すると、思わず声が溢れた。

「え……」

「叶さん、自分の名前言わなかったでしょ?」

「だ、だって」

 私の名前……変わってるし。

 覚えてくれる人のほうが少ないから。

 白夜。数えてもあまりいなくて、居たとしても多分男の子の方が多いんじゃないかな?という名前。高緯度地域で起こる、自然現象と同じ名前。

 「びゃ」ってついているからみんな呼びづらいのか、名字で呼ばれることの方が圧倒的に多かった。担任になった先生たちにだって、呼ばれたことがなかった。だからまず覚えていることが珍しい。

「……白夜ってね、すごく綺麗なんだよ。薄明かりがずっと夜を照らしてて。日本では見られないけど、空が桃色に見えたり橙色に見えたり」

「見たことあるの?」

「写真の中ではね。実際には見たことないけど、写真集の中に映った光景が凄く綺麗で印象に残ってた」

 白夜、か。

 薄明かり、光。実際に見ればきっと目を引くほど美しいのだろう。

 想像しているうちに『白夜』と私を呼ぶ声が思い出され、胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。

 これは、感動? 

 そうだ、呼ばれたのなんて久しぶりすぎて……それで驚いて。

 ……うん。

「少しだけ好きになったかも。自分の名前」

「なら良かった」

 窓の外の景色が変わっていく。どんどん私の知らない違う景色が流れていく。ほとんど人が乗っていない電車の中で、彼は手を差し出した。

「今夜だけよろしくね、白夜ちゃん」

「うん、よろしくね」

 その手を、私は無意識にもしっかりと握り返して。

「あ、でも……ごめんなさい! やっぱり名字で読んで欲しいかも」

「なんで?」

「ちょっと恥ずかしい、から」

「ふふっ、そっか。じゃあ叶さん」

「……うん」

 本当に不思議な人だなって、そう思った。何なら話したことも数えられるくらいしかないのに一緒に逃げませんか?なんて。あと、名前覚えてくれてるなんて。

 ……そう言えば話していたから気づいていなかったけど、もう涙が止まっている。

 いつのまにか私の口元には綺麗な弧が描かれている、と彼の瞳に映った私自身が教えてくれている。

 何故かはわからない。

 だけど、橋本くんとなら沢山の光が。きらきらと輝いて止まない大きな光が。幸せが。

 少しでも見つかるのではないかと、そんな期待が膨らんでいった。


 電車に乗ること数時間。私たちは田舎と都会の境目くらいであろう駅で降りた。

 近くには住宅街や建物が多く見えるけど、それと同時に田んぼや山も多く見える。時刻は既に二十三時を回っていた。こんな時間に出歩くことなんて今までなかったし。

 ついに本当の非行少女になってしまった。

「これからどこに行くの?」

「特に決めてないよ。でも明るい場所に行きたいとは思ってるかな」

「そっか……」

「叶さんも行きたい場所は同じ?」

「うん、同じかな。イルミネーションくらい光っている場所に行きたい」

 よし、と心に決めて。
 
「とりあえず街の方へ行ってみる?」

「うん」

 たった二言を合図に私たちは歩き出した。


 時折話しながら歩くこと、数十分。

 一歩一歩近づく度に感じてはいた。

 お互いの口数が減るたびに、わかっていた。

「光」

 橋本くんがぽつりと呟いたその単語一つで確信に変わる。

 初めてたどり着いた街には沢山の暖かなものが灯っていて……その光景に胸が、色とりどりな感情に支配されていくのを感じる。

 きゅっと苦しくて、ただただ嬉しくて。

 私たちは同時に息を呑んだ。

「橋本くん……」

「うん」

 求めていたものが目の前にあるような気がして。思わず顔を見合わせて手を取り合った。
 
 信号機、街灯。何軒かの居酒屋さんからも溢れんばかりの光。橙、黄色、金色、白色……。真っ暗な夜に溶け込んで、淡く見えたそれらはいつもと違うものに感じられた。

 この光景はきっと……当たり前のもので、当たり前ではないものだと、そう思えて。

 雨が降ったら、この光も雫と一緒に溶けて落ちていくのだろうか。

 雪が降ったら、真っ白で無垢な地面に彩りを与えるのだろうか。

 晴天のもとだったら、曇った空の下だったら……。

 考えるとキリがないくらいこの光景はどこへでも溶け込んでいく。

「向こうの方へ行ってみない?」

「向こうって、あの山のことでしょ?」

「そう! あそこなら光がもっと見えるかなって」

「ふふっ、叶さんも同じこと考えてたんだ」

「橋本くんこそ」

 一体いつぶりなのだろうか。こんなに笑顔になれたのは。


 あの日。私があの公園で友達と遊んでいた日。

 夕方になって家に帰ると、そこに居たのは近くの家に住んでいる祖母と祖父で。

 いつも明るい二人の目には涙が浮かんでいて。まだ慣れていないであろうスマホを握りしめて、何かを祈っていた。

 何かがおかしいと思って、『どうしたの?』って震える声で尋ねた。

 幼かった私でも分かるくらい何か嫌な予感がして。頭に浮かんだ疑問を投げかける。

『お父さんとお母さんは……?』

 その言葉を聞いた瞬間、祖母は目元を押さえて泣き喚いた。

『あのね、白夜ちゃん』

 脳にこびりついている、あのときの声。

『お父さんとお母さんはね』

 酷く空気が重くて。もう察してしまった。そんなわけないと思いたかったけど。だけど……

『お星様になったんだよ』

 
 そのとき以来真っ暗になった私の世界は、たった今光という輝きを取り戻しつつあった。

「橋本くん、ありがとう」

「ん?」

「本当に……ありがとうね」

「叶さん、もしかして泣いて……」

 あぁ、バレたか。

 つい数時間前。公園でも泣いてしまっていたし、泣き虫だと思われたくなかったのだけど。

「泣いてない! 気のせいだよ」

 私はその手を掴んだまま走り出す。

「早く行こう? 歩いてたらお巡りさんに見つかっちゃうかもよ?」

「それもそうだね」

 そう返してくれた微笑みを確認してから、前を向く。

 眩しい……眩しいな。

 凄く楽しくて。嬉しくて、暖かくて。

 感謝が、この高鳴りが、別のものへとなっていくのを感じる。

 私の名前を覚えていてくれた珍しい人。

 私を連れ出してくれた変わった人。

 微笑んだときの瞳がすごく綺麗な人。

 この光景も、それに溶け込む彼もとにかく眩しかった。

 これでもかというくらい笑い合いながら、私たちは街を駆けていった。


 山に行くなんて、無茶な選択だったのだろう。頭ではわかっている。走って登って、慣れない夜の中で沢山笑って。身体には勿論限界がきている。

 でも私たちの目的は『光』を求めて遠くへと行くことだったから。諦めずに、長い時間をかけてここまで辿り着いた。

 息を切らしながら上を目指して登っていく。日付はとっくに変わっていて、段々と朝へと近づいてきた。

「あ、見えたよ……!」

「! 本当?」

 街を見下ろせそうな山の一層に辿り着くまであと少し。

 一歩。もう一歩。

 最後は一気に登っていく。


 その先に、見えたものは。

「わぁ……」

「凄い、綺麗だね」

 イルミネーションくらい、沢山の光。

 空との距離が更に近いからか、先ほどよりも星も瞬いていて……とても美しかった。

 私を照らす星があんなに可哀想に思えていたのに、今はただ嬉しかった。

 祖母と祖父の言葉を借りると、あの日お星様になったという父と母が、私たちを照らしてくれているのだから。


 横に視線を逸らすと、ここまで一緒に夜を過ごしてきた橋本くんがいた。

 そこにいて……沢山の光と私を交互に見つめてから、彼は噛み締めるように言った。

「僕、叶さんを連れ出して良かったよ」

 良かったって。

「こんなに光は、綺麗なんだね」

 沢山貰ったのは私の方なのに。

 そういう前に、橋本くんが重ねて言う。

「最後に一緒に居られるのが叶さんで……本当に良かった」

「あ……」

 そうだ。彼は明日……いや、今日転校するんだ。
 
 遠くへ行ってしまうんだった。

「そう、だったね」

 胸が……また苦しくなる。締め付けられる。

 こんなにも恵まれた、たくさんの光で溢れた夜なのに。

 あぁ、そうか。気づいた。気づいてしまった。

 もう遅いのはわかってる、けど。

「で、でも! 海外とかに行くわけではないんだもんね? だったら、また……」

「叶さん」

 夜風が吹いた。少し肌寒くて、でも……暖かい風だった。

 真っ直ぐな瞳が私を見つめる。また透き通った色が私を写して、揺らしている。

 橋本くんは惜しむように俯いて、そしてまた顔を上げてから。

「っ……」

 泣き出しそうな顔で、私に笑いかけた。

 ……え?

 嫌な予感が募る。次の言葉を聞くのが怖くなった。

 けれど……予感したその言葉は、真っ直ぐに。真っ直ぐに紡がれて、私の鼓膜に響いた。


「もう、会えない」


 また風が吹いた。今度は、悲しみに満ちていて肌に纏わりつくような風だった。
 

「会えないんだ」

 
 何も言えない私の手を握ると、橋本くんは心に決めたように問いかける。

「僕の話、聞いてくれる?」

 私はただ、何も言わずに頷いた。

「僕の……。いや、橋本想の家族は、五年前。中学に入って少しした頃に」

 不慮の事故で、亡くなった。

 当時の橋本くんは、精神的ショックによって学校に行けなくなってしまったらしい。

 引き取り手はすぐに決まったけど立ち直ることができず、食さえとることができなくなってしまった。

「そんなときに生まれたのが……僕。彼が立ち直ることができるまでの数年間、橋本想として過ごすことになった、もう一つの人格」

 医師の判断もあり、代わりに橋本くんとして生活をするようになったのが、目の前にいる彼。

 性格も以前とは異なってしまうため、橋本想という一人の人間自体を偽るために、転校して昨日まで私と同じ高校で過ごしていた。

 でも……

「想はね、もう戻って来れる。五年の月日が経って、帰って来れるんだ」

 それが、今日。この夜が明けたときに。

「やっと……やっと前を向けたんだ」

 
 頭の中がごちゃごちゃしていて、整理がつかなかった。目の前にいる彼が、私を含めたクラスメイトが見てきた橋本想が、本物ではないことを理解するだけで精一杯だった。

「君は……、君は、どうなるの?」

「僕は」

 私が、この夜を通して好きになった君は。

「お星様になる、かな」


 そうか……。そう、なんだね。


「もう、会えないんだね」
 
 
 やっと見つけた光は、痛いほど眩しかった。眩しすぎて、うまく見ることができなかった。

「嫌だ、嫌だなぁ……」

「うん」

「もっと、話したかったな」

「……うん。僕もだよ」

 こんなのは、欲張りだと。

 私の我儘だと分かっている。

 でも、でもどうしても。


 このたった一夜の記憶が、光が。溢れて止まないから。
 
「……好きに、なったよ」


 精一杯のこの想いを、最後に伝えたい。


「君のことを、好きになりました」

 
 少しの間が空いてから、

「っ……!」

 気づくと私は、彼に抱きしめられていた。
 
「ずるいなぁ、白夜は」

「え……」

「ずるいよ、本当に。行かないとなのに、行きたくなくなるじゃん」

 この夜に溢れた三度目の涙は、彼が流したものだった。彼が、この世界にいたという証だった。

「僕はね、大好きになったよ。同じクラスになったときから……ずっと、僕の夜を照らしてくれていた君のことを」

「同じ、クラス……?」

「うん。初めて話したとき、君は微笑んでた。『一年間よろしくね』って。普段は見せないけど、時折見せるあの笑顔に僕は……ずっと惹かれていました」

 嬉しかった。

 私が、君の夜を照らすことができていたと知れて。

 最後に、この夜が明けるときに知ることができて嬉しかった。

「白夜は、僕にとっての光だったよ」

「うん……」

「これからもどうか僕の夜を、その優しい光で照らし続けて」

 本物の、白夜のように。

「私は……忘れない。君がいたっていう事実を。君が一緒に過ごしてくれたこの夜を、忘れません」

 絶対に、絶対に忘れないから。

「橋本くんにも伝えるね。君がここにいたこと」

 最後にもう一度強く抱きしめる。

 同時に、強く願った。

 今なら届くと思ったから。届かないと諦めることはやめたから。

 どうか、お星様になったとしても。

 私の夜を、その光で照らし続けて。どうか、私を導いて。

「じゃあ……」

 好きになった人。

 橋本くんの代わりに頑張ってくれていた、強くて優しい不思議な人。

 名前も知らない、私を好きになってくれた人。


「「おやすみなさい」」


 ……本当に、ありがとう。


 その瞬間、橋本くんの身体から一気に力が抜けて、崩れ落ちた。

 私はその身体を必死に抱える。

 朝日が昇り切ったのを見て、呟いた。

「夜が……明けちゃったね」


***


 数日後。

「行ってきます」

 玄関に飾ってある両親の写真にそう挨拶をし、私は学校へと向かった。

 歩いて向かうその通学路に、何も変わりはない。

 罪悪感はあるけれど、しばらく体調不良で休みということになってたから……やや久しぶりの登校だ。


 教室に入っても、やはりいつもと変わらぬ光景が目の前に広がっていた。

 それぞれ仲のいい人の机に集まって雑談したり、楽しそうに本を読んでいたり、課題が終わらないと頭を抱えながら勉強していたり。

 いつもと違うことがあるとすれば、

「あれ! 叶じゃん」

「叶さん大丈夫だった?」

 そう声をかけてくれる人がいるくらい。

「うん、もう大丈夫だよ」

 ありがとうと返事をして、ゆっくりと自分の席へと歩いていく。

 辿り着いたその席の少し前には、教科書も入っていない、空席が残っていた。

 あぁ……。

 私はその席を見て、そっと胸に手を当てる。


 
「叶白夜」という物語は、あの一夜の逃避行を経て、光という眩いものを取り戻した。名前も知らない彼のおかげで私の心は輝き始めた。

「あのね、」

______間違いなく君は、私にとっての「光」でした。