「レモン、落ちろ」と念力を送ったら、小さめの黄色い果実が木からぽろりと落ちた。
カリフォルニアはたいていは晴れているのだけれど、わたしが到着してからというもの、朝から夕方みたいな曇り空が続いている。
レモンが落ちたから驚いて、ちょっと足を止めたけれど、偶然に決まっているから、驚き続けることも大げさに考えることはやめよう。
まだ2月だというのに、黄色いレモンは落ちて、木の根元の雑草の上にいくつもころがっている。
レモンが落ちたのはただの偶然。わたしに念力なんてあるはずがないよね、頭を下げながら坂道をあがる。心臓がばくばくいっている。運動不足のせいだ。
わたしに念力があったら、こんな人生は送っていない。
わたしに念力があったら、別のことに使う。
わたしは山口有里《ヤマグチユリ》、27歳。
もう27歳なのか、まだ27歳というべきなのか、わからない。
わたしは父の還暦を祝うために、サンフランシスコに住んでいるマイクおじさんのところに来ている。マイク叔父は順次といって父の弟だ。
マイク叔父は54歳で独身、保険会社の部長で、一度も結婚したことがない。顔は日本人なのに、名前がカタカナなのは、米国で生まれて育ったからだ。
ところでわたしの父の名前は山口一郎で、日本で生まれ育ったから、カタカナの名前はない。
父の亡くなった両親は一郎を置いて渡米したから、父は祖父のもとに預けられた。兄弟なのに、兄は日本で、弟はアメリカで育った。
その弟、つまりマイク叔父が、兄の還暦を祝ってくれるというのである。それに、父と娘、つまり父とわたしとの関係がよくないので、その間を取り持ってくれようとしているようなのだ。
おじさんの計画に乗って、わたしはおととい、イタリアから飛んできた。なぜイタリアなのかは、そのうちに語ることになると思う。仕事が忙しいから、1週間の休みしか取れなかった。マイク叔父は3日間のタホでのスキー旅行を計画している。スキーとコンピュータゲームが、彼の趣味らしい。
話は、そう、わたしに念力がないということだった。
念力があったら、勝負時にばんばん使って、別の道に進んでいたはずだ。もしかしたら、わたしの念力は、どうでもよい時だけに出るのかもしれない。
思うのだけれど、一度だけ念力が使えたら、あることに使いたい。でも、それはこわいから、誰にも言えない。
**
小学校の時、とても気の合った男の子がいた。名前は悠途(ユウト)。
わたしは生まれが日本で、小学校にはいってから5年生まではロスアンジェルスで、それからまた日本に戻り、中学卒業まで日本にいて、高校と大学はニューヨークで、今はイタリアというマイナーな生き方をしている。アウトラインだけを聞いたら、優雅な生活なんて言うかもしれないけど、わたしは優雅とは正反対のところにいる。
どうしてそういうふうなのかというと、父母の離婚が原因だ。両方とも日本人だけれど、離婚した後、母はアメリカへ行き、それからフランスに渡り、わたしはそっちに引き取られたり、返されたり、またそっちへ行ったり、そんな人生なのだ。
わたしは母とも合わない。
クラスに母みたいなタイプの子がいたらむかついて、いじめてしまったかもしれない。その子はきっと先生にいいつけて、わたしは叱られるだろう。
その母のことも、後で、話すことになるだろう。気が合わないのは、母が自己中心の子供っぽい性格のせいだとわたしは思っている。でも、母の方には、別の意見があることだろう。
わたしは父のことはよく知らない気がする。父は寡黙で、口をひらけば説教だった。そういうやり方しか知らないのだろうか。テレビを観たら、仲のよう父娘がよく出てくるというのに。ああいうのを見かけた時には、涙がでたわ。
わたしには友達がたくさんいる。数だけはね。わたしは友達しかいないから、友達優先のところがあるけれど、みんなは誰かひとりを選ぶとすると、わたしを選んでくれないだろう。わたしはどこか欠けているのだろうか。何が足りないのだろうか。
また話がそれてしまった。
言おうとしていたのは、わたし生い立ちが普通の人とは違うということ。では、普通とはなんだ。それがどうしたという話になるだろうけれど。人の話なんか、聞きたくないよね。でも、聞いてくれた人がいる。それがユウト。
わたしとユウトくんの境遇が似ていて、それより何より、アメリカの学校では、クラスで日本語が話せるたったひとりの人だった。ユウトの日本人の両親も離婚したが、ママはアメリカ人と再婚したから、ユウト・アルバートソン。
ロスアンジェルスの学校にはいった最初の頃、わたしはすべてがこわかった。
そんなわたしの前にユウトがつかつかとやってきて、
「うまくいく、だいじょうぶ」
と女の子みたいなかわいい声で言った。
ユウトはいつも光っていた。
東洋人はその人だけを見れば充分魅力的なのに、西欧人の中にはいるとその骨格のかよわさのせいでかすんでしまうことが多い。けれど、ユウトは大勢の中に立っても魅力を失うことなく、堂々としていた。彼は生まれた瞬間も、堂々とした赤ちゃんだったと思う。
えっ、こんな子がここにいるんだ、って奇跡みたいに思った。この子、イエス・キリストなかもしれないと思った。
うん、わたしは大丈夫なんだ、とうなずいた。
わたしは早くもソールメートを見つけた、ラッキーだと思った。もちろん、その時は「ソールメート」なんていう言葉は知らなかったけれどね。
でも、その後、わたしは日本に戻ったから、思っていたようにはことは進まなかった。時々、わたしの人生には韓国ドラマみたいに、予測しない悲劇が起きる。それは誰でもそうなのかもしれないし、わたしは平均より運が悪いのかもしれない。
**
わたしは小学5年の時、母に連れられて、アメリカから日本に帰った。夏だったから、夏休みの一時帰国なんだと思っていた。日本に着いたら、母が「ユリはパパと住みなさい」と言って、ひとりで戻っていった。
なんだい、これは。
そんなのないよ、とわたしは混乱して泣いた。すごく裏切られた気がした。
わたしはユウトに「さよなら」だって言っていなかったんだよ。Email だって、スマホだってなくて、国際電話が高すぎた時代。それは、ほんとちょっと前のことなのだけど。
母は当時、アメリカ人の歯医者とデートをしていて、わたしが邪魔になったのだと思う。こんな奇襲作戦を立てて娘を捨てるなんて、ますます母が嫌いになった。
わたしにはどこかで生き方を間違えてしまったようだ。小学校の5年まではよかった。あの頃は勉強もがんばっていた。それから後の生活は荒れていた。あの中学時代は、できればやり直したい。
どうしてあんな生活をしてしまったのだろう。
わたしにはわかっている。寂しすぎたからだ。でも、それを理由にはしたくはないけれど、本当に、寂しくて、狂っていたのよ。
突然父とふたりの生活が始まった。
父は最初、商社に勤めていたが、途中でやめて、自分で小さな工場を始めた。
わたしの幼稚園はけっこう難関だったけど、塾に通ってパスした。入学式での両親はばりっとスーツで決めていて、門前で記念写真を撮ったのを覚えている。あの写真はもうない。
ただそういう時もあったというだけで、あのセレブ的な道を進んでいけたらよかったとは、決して思ってはいない。そういう意味では、わたしはカリフォルニアの自由な気質に合っている。
父は仕事で忙しくて、帰りはいつも遅かった。学校から帰ると、部屋はシーンとしていた誰もいない。音がないのが寂し過ぎて、はじめは音楽をがんがんかけた。
父のアパートは繁華街の近くにあり、食べ物屋がたくさんあった。そのうちに外で食べるほうが簡単で、おいしいとわかった。一度外に出ると、帰りたくなくなった。外で、不良の友達といるほうが楽しかった。楽しいというより、苦しいことを考えないで済む。
そんなことをしている場合ではないとはわかっていたよ。日本での勉強は進んでいて早く追いつかなければならなかったのに、その種類のエネルギーはちっとも湧かなくて、友達と会ってだらだらと過ごしていた。その日がうまく過ぎたら、それでよかったのだ。
ある日、父が父母面談に行き、わたしの成績が悪いことを知り、驚愕した。まさか、これほどひどいとは想像していなかったから。
アメリカの小学校では、娘は成績がよいと聞かされていたのに、日本の学校では、実は落ちこぼれだと知って、父は逆上した。夜に飲んで、般若の顔で帰ってきて、布団からわたしを叩き起こした。
「おまえのはいる高校は、どこにもないと言われたぞ」
「いいよ、働くから」
「何ができるんだ」
わたしは何もできない。現実を見せつけられて恥ずかしかったから、家を出ていこうとした。
狂気の赤い目をした父がわたしの顔を殴った。矯正中のブリッジで口の中が切れて、恐ろしいほどの血がどくんどくんと出てきた。
わたしは本当に死ぬかと思った。アメリカの母に電話をかけて、「死ぬ、死ぬ、ママ、助けて」と泣き喚いた。
その時、母はわたしを見捨てなかったから、そのことには感謝している。
**
このことがあって、わたしはまたアメリカに戻ることになったのだった。
向うの受け入れ準備やら、ビザやらの準備には3ヶ月かかったので、行くのは中学卒業直後になった。渡米までの3ヶ月間、父とは一度も口をきかなかった。父もわたしもきっかけを見つけられなかった。頑固で、不器用で、どうしようもないところはよく似ている。
母は娘とは同居したくなかったから、わたしを寄宿舎のある高校にいれた。年に2万ドルという高い授業料だったけれど、それは母方の祖母が払ってくれた。
祖母は未亡人で、夫の遺産がかなりあった。
祖母はわたしのことをとてもかわいがってくれて、死んだら、遺産はみんなユリのものだから心配するなと言ったことがある。
でも、今は認知症になり、わたしが電話をしても、誰なのかわからない。「あなた、どちらさま」なんて言う。でも1年に数回は正気に戻るらしい。
祖母の財産は、母の兄が管理していて、彼は1円だって他人には渡さない人だと母が言っていた。もちろん、祖母がわたしに財産をくれるなんて言ったなんてことは、母は全く知らない。
祖母が正気に戻った時に、遺言を書いてくれたらいいのだけれど。そんなことを思う自分が情けないけれど、少しお金があったら、わたしは今の道を修正できるかもしれないとは思う。今の仕事をやめて、もう一度、学校に戻りたい。
もしお金があったら、しばらく海の近くに住んで、将来の進むべき道をじっくりと考えたい。
わたしは走りながら考えているから忙しい。「たんま」の時間がほしい。でも、みんな、そうなんだよね。
アメリカに戻ってから、ユウトに連絡を取ったら、笑顔で会いにきてくれた。
英語も忘れかけていたので、不安でいっぱいだったけど、
「うまくいく。大丈夫だよ」
と言った声は、もう子供の時の声ではなかったけど、顔はかわいいままだった。
寄宿舎の友達が、「あの子が好きなのか」と訊いた。
「幼馴染み」
とわたしは答えた。
彼のことは好きなはずだけれど、彼と付き合うとか、いつかはこの人と結婚したいとか、そういうことではなかった。その時はまだ高校生だったしね。
いや、それは本当ではない。
ユウトわたしの「運命の人」のはずだった。彼はわたしの心の中を知っているはずだと思っていた。
女友達がボーイフレンドのことを話す時、わたしにはユウトがいるわと内心思っていたんだ、実はね。
大学時代、学費は自分で払っていたからバイトで忙しかったけど、たくさんの友達ができて、みんなわたしのことを「いいやつ」だと思っているようだった。けれど、「恋」の対象としては見くれなかった。
というか、わたしがそういうマイナスのオーラを出していたのかもしれない。
大学時代にはユウトと何度か会った。
わたしはニューヨークで、ユウトはボストン。
わたしはボストンに会いにいったこともある。彼がキャンパスで待っているところを見かけたとたん、足が駆け出しちゃって、派手に転んだことがあった。
彼は急いで、薬と絆創膏を買ってきてくれた。キティちゃんのバンドエイド。
「わたし、子供?」
「好きだろ、こういうの」
うん、好き。
「ニュートンが万有引力を発見した話、知ってるだろ」
「りんごがぽとりと落ちたのを見て、ビンときたまでしょ。運いいよね」
ははは、とユウトが笑った。わたしも笑っていた。
「別に目の前でリンゴが落ちなくても、ただ転んだとして、発見してたよ」
「物理学者は考えることが違うわね」
わたしはユウトには恋していたわけではないよね。恋って、もっと熱いもののはずだもの、なんて思ったりもした。思おうとしたのよね。
でも、わたしの前には、ユウト以上に、好きな人、好きになれそうな人すら現れなかった。
人を好きになることって、それって、どういうことなんだろうね。私はそんな基本的なこともわからない。話を聞いてくれる人がいなかったわけではないけど、話を聞いてほしい相手は、ユウトだけだったんだよね。
大学の4年の夏、ユウトは日本へ旅行に行った。
わたしも行きたかったけれど、バイトがあった。帰って来たユウトが、固い煎餅のお土産を届けてくれた。彼はやっぱりわかってる。わたしの大好物だから、うれしかった。
「婚約した」
ユウトはついでのように報告した。
え!
彼は東京で、まつ毛の長いやさしい女子と出会い、電撃婚約をしたのだった。
「なんせ、おれたち、いろいろ似ているんだよな」
いつも「ぼく」と言っていたのに、「おれ」になっていた。
ばか。
わたし達のほうが似ていたのに。
「おれが話すと笑ってくれて、風邪を引いたら、薬を買ってきてくれた。熱さまシートも勝手きてくれたんだ」
「何、それ」
「ここに貼るんだ」
ユウトはうれしそうにおでこを指さした。
「それはよかったね」
でも、わたしだって、ユウトの話に、笑ったでしょ。
わたしはやさしくなかった?
彼の後ろ姿を見ていたら、そこは学生で混んでいるコーヒーショップだったのに、涙が出た。涙って、場所を選ばないで、突然出るよね。
一度でたら、止まらなくなって、号泣みたいになったから、みんながじろじろ見たから、あわてて店を出た。
店にはいった時はふたりだったのに、出た時はひとり。
**
わたしは大学を出ると、母のいるフランスに行くことにした。勢いで、そういうことになった。
母は歯科医とはうまくいかず、パリでバイオリンを修理師、ではなくてその助手と住んでいるということだった。母の理想って、そんなに高くはないのだと思った。
飛び立つ飛行機の窓から遠ざかっていく摩天楼を見ながら、もうここには帰って来ないと思った。
悲しくはなかった。自分で決めたことだから。ただやり残したことがあるようで、とても悔しかった。
パリでは、母はキャビンアテンダントの若い男性と住んでいた。彼はマエルという名前で、身体を鍛えるのが趣味で、仕事の休みの時はジムにいりびたっていた。
母はわたしを見ると、一応母親らしいハグの後で、
「泊めてはあげるけど、なるべく早く出ていきなさいね」
問題があるたびに、来られるのは本当に困るとその顔が言っていた。
その意味はすぐにわかった。アパートは狭くて、ふたりの寝室の声がよく聞こえるのだ。母はこういう夜を過ごしているのだ。
母も迷惑だろうが、わたしも耐えられたものではなかった。
運よく、友達の紹介で、日本人大使館の子供に、日本語と英語を教えることになった。その家族がミラノに引っ越しすることになった時、ついて行くことにした。
狭いアパートでの、母と義父との同居はうまくいっていなかったから、「渡りに船」、というか、「地獄に仏」だった。
母にイタリアに行くと報告した。
「そんな不安定な生活でどうするの、援助はしないわ。将来はどうするの」
住まわせてはもらっていたけど、わたしは援助をしてもらったことなどなかった。
「バイトをしながら、美術の勉強もするつもり」
「できるものなら、やってみるといいわ。また泣きついてこないでちょうだい」
「野垂れ死んでも、ママのところには戻らないから、ご心配なく」
我ながら、かわいくない。また余計なことを言って、墓穴を掘った。
**
ミラノからサンフランシスコに飛んで来た日、マイク叔父が空港まで迎えにきてくれた。
東部で育ったわたしはこの叔父と会うのは初めてだった。日本にいた時、祖父の80歳の誕生日だったかに、マイク叔父の写真を見せてもらったことがある。背が高く、とても痩せていた。実際に会った彼はやせてはいるけれど、写真よりは太っていて、そんなに貧弱でも寂しそうでもなかった。
翌日、わたしはバート(電車)に乗り、オリンダというところに住むナタリーに会いに行った。小学校時代の友達で、ナタリーは博士号をもっており、バークレー大学の化学研究室で働いている。
ナタリーとはずうっと会っていなかったのに、再会したら、離れていた時間が、列車の接続みたいに、すぐにくっついた。
「せっかく来たというのに、こんな天気で残念ね」
ナタリーは紹介したい人が現れなかった時みたいに、心から残念な顔をした。
ナタリーの部屋の窓には、いくつもの水滴がかたつむりみたいにへばりついて、その数を増やしていた。
「天気がいいと、歩いているだけで幸せになれる美しい街なのに。1年中のほとんどは天気がいいというのに」
「わたしって、なんか、とても運が悪いような気がするけど、おととい雨が降ったけれど、とてもきれいだったわ」
郊外の叔父のところに着いた日の午後、雨が降ったのだった。傘をさしながら歩くと、叔父の家から坂道を下ったところで、雨はますます激しくなり、水が道路を滑るように流れていた。小さな子供なら足をすくわれるかもしれないし、ちょっとした日本の小川になら勝てそうな勢いだった。
雨はますます激しくなり、その流れの上に落ちた。着地する時、雨は透明の玉になり、はじけた。その玉はピンポン玉くらいの大きさで、まるで現代美術のようだった。
この光景はいつまでも忘れないだろう、とわたしは思った。
「イタリアでは雨は降らないの?」
「降るけど」
そう、古い石畳に跳ねる雨もなかなかのものだけれど、何か寂しさがある。ここの雨には、それがなかった。
「ユリはいい性格だね。ポジティブで。昔からそうだった」
「そうだった?まさか」
わたしの性格がいいなんて、これは「今日の出来事」だ。
「小学校の時、そうだった?わたし、性格がよくないと思っていたけれど」
父とも母ともうまくいかないのも、この性格のせいだと思っていた。
「ユリは友達のことをよく考える人だったよ。とても大事にしていたじゃない」
ああ、そういう意味ね。
「わたしには、友達しかいないから」
「パパもママもいるじゃない?パパのお誕生日のために、ここに来たのでしょ」
「それはそうなんだけど。ねえ、ビールかなんかある?」
「お互いに、もうジュースという年ではなかったね」
「今夜は飲もう。飲んだら、送れないけど」
「いいよ。どうせ、電車で帰るつもりだったから」
「いっそ、泊まっていけば」
「それがだめなのよ。明朝、父が日本から着くから」
会ってすぐに泊まっていけだなんて、今出会ったばかりの友達なら、言えないことだ。やはり過去の実績がものをいっている。付き合ったのが、小学校時代の数年間だとしても、その人を知っている、という事実は岩みたいに不動だ。
ユウトの心にも、わたしが岩みたいに残っているといいのだけれど。
「夢って、ある?」
ビールは3本目だ。
「あるよ」
ナンシーは床の大きなクッションに横になって、ビール瓶を乾杯みたいにあげた。
「なに」
「30になったら、子供をひとり作る」
「付き合っている人はいるの?」
「結婚するつもりで、というのならいない。もう、いいかげん、面倒くさい」
わたしはソファから起き上がった。
「じゃ、子供はどうやって作るの?人工授精?」
「うん」
ナンシーが真面目な顔で頷いた。
わたしは冗談のつもりだったので、顔がまだ笑ったままだった。
「理想に近い精子を選べるのよ」
「本気?」
「そんなに驚くことかしら」
「なんか、不思議な心境だわ。まだ相手を捜すには、たっぷり時間はあるはずなのに」
「相手が見つからないからって、人工授精をするっていうんじゃないわよ」
「あっ、ごめん。そういう意味じゃなかった」
「どういう意味よ」
とナンシーが笑って、肩を小突いた。
ナンシーは最近、離婚したばかりの大学教授とデートをしたという。
「これまでたくさんの女性とデートをしたけれど、Ifの世界に生きていない女性は、きみが初めてだ」
女性はみんな「If」、つまり「もしも」の世界に住んでいるのだと彼は言うのだ。
別れた妻は19歳で子供ができたので、大学を途中で止めて結婚した。52歳で別れるまで「もし大学を続けていたら」とずうっと言い続けていた。キャンパス近くに住んでいたのだから、いつだって大学に戻るチャンスはあったのに、一度も行くことがなかったが、いつもそう言っていた。
「もし〇〇だったら」
女性は誰もがそう言っていたが、ナンシーだけは「もしも」の世界に住んではいないと教授は言ったのだ。たぶん誉め言葉だろうが、その彼にナンシーは特に感心したわけではない。デートは1回切りにしたそうだ。
わたしは「If」の世界に住んでいる人間だと思った時、
「ところで、ユウトっていたでしょ。小学校のクラスに」
とナタリーが言った。
「うん」
わたしは心を読まれたのかと思って、どきんとした。Ifの話の時から、3分おきに、彼のことを考えていたのだから。
「わたしがもっとやさしい性格だったら、ユウトが好きになってくれたのかなって思うことがある。そしたら、どんな人生だったのかなって」
わたしは言われる前に、先制攻撃をかけた。
「ふたりは仲よかったもんね。ユウトは今、同じ大学にいるよ。知っている?」
心臓が勝手に音をたてた。わたしの心臓は単純すぎる。恥を知らないのか。
「彼、バークレーに来たんだ」
「教えているよ、物理」
「やっぱり頭いいね。今でも、かっこいい?」
「髪長くして、痩せてる」
ええーっ。
ユウトはどんな道を歩いてきたのだろう。
痩せてるって、それはだめ。何か作って食べさせたい。
「奥さん、何してるの?」
「ユリ、彼が痩せていようと太っていようと、奥さんとは関係ない」
「そうだね」
「ユウトのことになると、あんたは、いけ好かない女になる」
「そうかもしれない」
「会いたい?」
ナンシーが顔を上げた。
えっ、そうか。「会う」という選択肢があるんだ。
「会いたい。でも、明日、日本から父が来て、スキーに行く予定がはいっているの」
「じゃ、今、呼んでみようか」
「どこに」
「ここに」
ナンシーはそう言ってスマホを何度もタップしたが、返答がなかった。
「パーティか、実験室か、どっちかだわ」
とナンシーが首を傾げた。「地下に実験室があって、物音が聞こえないようになっている」
会えないとわかったら、ますます会いたくなった。
でも、これがわたしの運命なんだ。妙に納得する。
**
電車に乗り、父を迎えに空港に向かった。空港が近づいてくると、心臓が動くのがわかる。ひどい別れ方をしてしまったけれど、わたしはやっぱり父が好きなんだわ、と自覚できることがうれしい。
到着ロビーに、色の黒いアジア人が出てきたと思ったら、父だった。えっ、こんなに色が黒かったかしら。どうして髪の毛がこんなにだらしなく伸びているの。忙しかったの?
父は大きなふたつのスーツケースを引っ張っていた。お父さん、とわたしが駆け寄る。
「ちょっと太ったんじゃないのか」
それが、第一声。
「そぉ」
そう答えたけれど、今、心のドアを開いたら、嵐だよ。悲しすぎる。どうしてそんなこと言うの、と背の高い父を見上げる。
「鼻毛でてる」
わたし、いやなんだよね、そういう身だしなみのない人。基本的なことじゃない。娘に言わせないでよ。
父はそれを親指と人差し指でつかんで、引き抜いた。
やだ、やだ、やだ。こういうシーンに居合わせたくなかった。
「わたし、そんなに太った?」
「いや」
「少しは太った?」
「前と同じだ」
ねぇ、お父さん、前と同じなら太ったなんて言わないでほしい。さっきのその一言でどのくらい悲しくなったか、わかる?
人生にはいろんな大きな問題があり、太ったかどうかなんて、ささいなことかもしれない。でもね、大きな問題のほうか簡単に解決できて、小さな問題のほうがどうしても抜けない棘みたいに気になるってことがあるのよ。
わたしは黙って、電車の汚れた窓から外を見る。
なんてこった。
ガラスに映る父は、すっかり老人の顔をしている。
「疲れた?」
「いや」
翌朝は3時起き。
眠たくて、寒くて、外はまだ暗い。これが仕事に行くためなら仕方がないけれど、遊びに行くために、こんなに早く起きなければならないのだろうと思うと人生の悲哀を感じてしまう。
ゴルフや釣りが好きな人は早起きは苦痛ではないというが、わたしはスキーなんか好きではない。
マイク叔父はスキーが一番の趣味で、わたし達はこれから3日間、スキーをするためにタホに出かけるのだ。
叔父は1日も無駄にしないで滑りたいらしく、早朝の出発を言い渡された。
わたしにはご飯を炊き、朝食と昼食用のおにぎりを作るという使命が課されたのだった。
昨夜、出発が4時で、米はキッチンのここで、梅干はここと言われた。あっちにだって、レストランとか、ファーストフッドの店はたくさんあるのでしょうに。
でも、叔父がわざわざ招待してくれた父の還暦祝いのスキー旅行なのだから、わたしもがんばらなくてはね。
ここの兄弟はそれぞれが、どんなふうに育ったのかと思う。ふたりとも、何もしゃべらない。
タホのディナーの時でも、ふたりは何も話さない。
仕方がないから、わたしが口を開く。
「今日はどうだったですか」
叔父の答えは「ファイン」だけ。
努力をして近づこうという気が見えない。
ホテルでの夕食は苦痛。だって、誰もしゃべらないから。食べ物がなくなったので、フォークで遊びながら、ふたりを刺してしまおうか、なんて思う。それより、自分を刺したほうが早いかな。
「お父さん、お部屋では叔父さんとどんな話をしたの?」
と翌朝、訊いてみた。
「別に」
と父が退屈そうに答える。
「ユリはどうやって食べているんだ?」
「家庭教師」
「そんなことで、やっていけるのか」
「やっていってるよ」
「いくつだ」
「27」
「結婚しないのか」
「予定はないけど」
「親に心配ばかりかけるな」
ホテルでコートニーという女の子と知り合った。それが、タホで唯一楽しかったことだ。彼女はボーイフレンドとスキーに来たけれど、彼が初日に捻挫をしてしまったのだった。その子がわたしの話し相手になった。彼は捻挫をしたけれど、プロポーズしてくれて、ふたりは婚約した。いいよね、そういうの。
最後の夜、静かすぎるホテルの部屋で、わたしは考える。
わたしが両親のことを嫌いだといっても、それが甘えで言っているのは自分でも知っている。
ごめんなさい。わたしは顔を覆う。
金魚鉢からあふれ出した水みたいに、申し訳ない気持ちが流れ出して、止まらない。両親のことをもっと思い、喜んでもらい、自分も満足して生きる生き方って、あったのかしら。わたしには、もしかして、「戦い」の精神があふれているのかもしれない。
「喧嘩」したことのない親子とか、夫婦とか、そういうのは考えられない。喧嘩の定義って何なの。
胃のあたりが痙攣するみたいに揺れて、わたしは鼻を抑えた。泣き出している自分を見つめる。
明日、父と別れる。
次はいつ会えるのかわからない現実が、わたしを感傷的にさせているのだろう。わたしは「別れ」が好きではない。「別れ」には弱くて、精神が動揺する。でも、「別れ」を乗り切らなくてはならないのはわかっている。
人間は何千年にもわたり、耐えてきたことだから、わたしにも乗り切れるはずだけれど、わたしは誰よりも、母親を亡くした幼子よりも、弱い人間なのだ。
父といつまでも一緒に暮らしたいというわけではない。でも、「別れ」たくはない。少なくても、明日では早すぎる。
空港に向かう電車の中で、父の瞳に涙が見えた。
うそでしょう。
父が泣くなんて、見たことがないもの。
でも、ふたりの目が、ばったりと合ってしまった。見てはいけないものを見たようで、わたしは瞬間的に目をそらせたけれど、もう一度そこに戻った。父の目は濡れたまま、まだそこにあった。
わたしは鞄からバースデイカードを出して、父に渡した。
わたしは昨日の夜、泣いたからね、もう泣かないよ。
「また会えるから、さよならは言わないから」
と言って、わたしはイタリアに帰ってきた。
日本に着いた父からは電話があり、カードを読んで泣いたと言った。わたしは電車の中で父の涙をはじめて見たが、父が「自分で泣いた」と言ったのをはじめて聞いた。
父も年とともに、変わったのだろう。氷のナイフみたいな「別れ」の魔力がそうさせたのかもしれない。
**
ユウトから電話があった。
「ナンシーから聞いたよ。こっちに、来ていたんだってね。連絡くれればよかったのに」
「そこにいたの、知らなかったし、それに邪魔しちゃ悪いし」
「邪魔って、なんだよ」
「奥さんとか子供とか、いろいろあるじゃん。気を使ってるのよ、これでも」
「いないよ、そんなの」
「まつ毛の長いやさしい子と結婚したんじゃなかったの?」
「したけど、別れた」
「どうして」
「わからない。どうして結婚なんかしたんだろうって思ってる」
「うん。そういうことって、わからないよね」
遠く離れていることは以前と同じだけれど、ユリと再びつながったことはコンピューターが接続したよりもすごいことだとユウトが言った。
その意味を100パーセントはわかったとは言えないが、言いたいことはわかる。
「そう、すごいよね」
とわたしは言って、緑の窓枠をあけると、ミラノの冷たい風がはいってきて、心地よい。
「ずっと、イタリアにいるつもり?」
「わからない」
これからわたしはどうなるのか、まだわからない。今、絵画を修復する方法を勉強しているけど、ものになるのか、別の道を選ぶのか、今朝の空みたいに曖昧としている。
「うまくいく、大丈夫だって」
とユウトが言った。昔みたいに。
「それ口癖?」
「何が?」
「うまくいく、大丈夫って、いつもそう言うよね」
「そうかい」
「でも、うまくいったことないよ」
「人生まだ始まったばかりだから、そのうちにうまくいくよ」
「始まったばかり?」
「そうだよ」
「うん」
わたしは実は不安の塊だ。でも、ユウトがうまくいくと言ってくれたから、うまくいきそうな気がしてきた。
わたしは誰かに頼って生きるなんては、弱い人間だと思っていたところがある。恥じていた。
でも、今、わかった。
ユウトが言えば、普通の言葉が魔法の言葉になる、ということを。
わたしにとっては、ニュートン以上の大発見。
「じゃ、もう一度言って」
「何を」
「うまくいくって」
「うまくいく」
ありがとう。きっとうまくいく。
「ユウトは不安になることなんか、ある?」
「不安か」
「ないよね」
「毎日だよ」
「そうなの。明日は、うまくいくんじゃないの?大丈夫なんじゃないの?」
「おれ、そんなに能力がないんだけどさ。悩み続けたら、そのうちに、うまくいくとは思っているんだ、どっかで」
「悩み続けるの?」
「うん。そうは思わないかい」
「わかる。そう思う」
「おれ、根は楽天家なのかもしれない」
「いいね、そういう性格」
ふたりとも考えていたから、ちょっと会話に空間があった。
「ヨダレカケっていう魚がいるんだって」
とユウトが言った。
「話、変わった?」
「うん。急に、思い出したんだ」
「そういうの、聞きたい。その魚、首にヨダレカケみたいなものがあるの?」
「いや。唇がヨダレカケみたいなんだ。ヨダレカケは泳げないから水の中には住まないで、岩なんかに住んでいる。でも、肺がないから、時々は水にはいって呼吸をする」
「魚にも、泳げない魚がいるんだね」
「そうだよ。飛べない鳥もいるしね」
「そうかぁ。ヨダレカケは泳ぎたいのだろうか」
とわたしは言いながら、ユウトがどんな意味でこの魚の話をしたのかを考えている。
わたしはユウトと話していると、楽しい。
話を聞いてくれる人が必要とか、共感してくれる人が必要とか言うけれど、相手が誰でもよいというわけじゃないよね。ユウトだから、楽しいの。ユウトにだけ聞いてほしいの。
わたしはユウトのために、何かしたい。何もできないのがお笑いなのだけれど、でも、心から言ってあげたい。
「きっとうまくいよ。大丈夫」
了