第一章 予定外の共闘@チーム振り分け試験

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 三月十五日、竜神高校の芝生のグラウンドには、来年度に男子サッカー部に入部する新一年生およそ百人と、監督やコーチ、マネージャーからなる大きな円ができていた。隣り合う五階建ての校舎は、超ド級って単語を連想させる巨大さだ。
 今日が俺の高校サッカー・デビューの日、改め、未奈ちゃんとのバージン・ロードの第一歩ってわけだ。胸が高鳴りまくりである。
 まあバージン・ロードって、こういう使い方する言葉なのかは知らんけどね。ニュアンスは伝わるでしょ。大事なのはフィーリングだよ。
 広島県所在、竜神高等学校は共学の私立高校で、全生徒数は二千人を超えるマンモス校である。一流の進学校にして野球、男女サッカー、ラグビーなどの強豪で、全国大会の常連だ。
 部によっては、入部希望者は入学前の春休みからの練習参加を義務付けられていて、男子サッカー部についても事前に通達があった。
 竜神高校サッカー部にはセレクションがあり、合格者はスポーツ推薦で入学できる。でも俺は、中学サッカー部の顧問の推薦が貰えず、セレクションを受けられなかった。
 ここで、俺の経歴を語ろう。俺は幼稚園時代、友達と一緒にジュニア・サッカークラブに入った。どこにでもある弱小クラブだったが、学年のエースだった。
 だけど小六の時に授業でやったバレーが面白く、中学ではバレー部にも入り、サッカー部には週末にしか参加しなかった。
 推薦がもらえなかった理由は兼部したからだろう。ケチなことこの上ないよね。
 バレー部との兼部は後悔しちゃいないよ。バレーで得た物は間違いなくあったし、サーブ・レシーブの時のバレー女子の凛々しい顔付きなんかもうたまらんかったしね。いや、女の子の様子もそこそこ見てたけど、部活にはきちんと取り組んではいたよ。
 ただ、サッカー一本でいっていれば、もう少しやれる選手になれていたはずなのも事実である。
 開始時刻ちょうどになり、顧問の森先生が一歩前に出てきた。
 森先生は高校時代、県大会にしか出られない中堅校を全国ベスト16に導いた。
 大学卒業後に教員に就いて竜神高校の男子サッカー部の指導を始め、これまでに多くの選手をJリーグに送り出している。紛れもない名監督だ。
 ザ・できる男、って感じで、お顔もダンディーである。俺も年を取ったら、かくありたいものだ。
 未奈ちゃんとの結婚後の将来設計に思いを馳せていると、森先生は話し始めた。
 竜神は強豪校だがクラブ・ユースと比べると数段落ちること、だけど日本のトップには高校サッカー出身の人も多いから必死で練習に従いてこいということ。
 どれもこれもごもっともで、俺のテンションは上がりっぱだった。
 先生は一度、言葉を切った。空気がぴりっと張り詰める。
「振り分けは、二十五分の大ゲームを三本する中でのパフォーマンスを見て行う。チーム分けは後で発表する。コートは三面なので、六チームがしている間は、四チームは休憩。十時まで時間を取るので、各自、アップを済ませるように。では、始めろ」
 森先生の言葉を聞いて、新一年生たちは動き始めた。