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「百十二」
 声の後に流れるドレミファソラシドに追い立てられ、俺は重い脚を動かす。
 はるか遠くに思える向こうの白線では、橙色の練習着を着た選手が歩いていた。腰に両手を遣っており、足取りは重たげだ。
 百十回を超えて、何人か脱落者が出始めていた。ただ、ほとんどは新一年生である。
 開始時からずっと、二つ隣の佐々が先頭を走っていた。真っ直ぐな姿勢での軽快な足捌きが印象的だった。
 白線が近づいてきた。既に折り返した佐々の、険しい顔が目に飛び込んでくる。
「百十三」
 声と同時に白線を踏むと、足の裏から痺れがきた。制限時間、ギリギリ。既に膝は笑い始めていた。
「百十四」「気合を見せろー! 走れん選手は使わんぞー!」
 カウントの音声が聞こえるや否や、よく響く声で柳沼コーチが発破を掛けてきた。
 俺の隣では、キーパー用の練習着を着た新一年生が、ほぼ横並びで走っていた。ぜーぜーという苦しげな吐息が耳障りである。
 さっき俺は、時間内に折り返せていなかった。気合を入れ直して、スピードを上げる。
 最後の力を振り絞ったのか、隣の新一年生キーパーがスピードを上げ、俺を引き離し始めた。俺も負けじと追随する。
 白線が近づく。間に合った。思った瞬間、膝が落ちて倒れ込んでしまう。二回遅れたから、シャトル・ラン終了。そのまま地面に手を遣って、ぜーぜーと呼吸をする。
 息も絶え絶えな俺だったが、なんとか立ち上がれた。クール・ダウンのために、しんどさを堪えて歩行を始める。
 俺の走る系二つの記録は、間違いなく下から数えたほうが早い。ただ、ずっと動き回るポジションじゃないから致命的じゃあない。ま、速いに越したことはないんだけどね。
 一往復した佐々とすれ違う。相も変わらず力強い走りだ。短・長距離ともに、Cチームでトップ。末恐ろしい奴である。
 短距離では速筋が、長距離では遅筋が用いられ、速筋と遅筋の割合は、生まれつき決まっている。
 また、一方の筋肉を鍛えるともう一方が細くなるため、理屈の上では、短距離と長距離の両方が速い選手はいない。
 しかし、佐々のような人は稀にいる。サッカー選手では、長友佑都、ロベルト・カルロスが有名だね。
 佐々よ、お前はとことん俊足路線を極めてくれたまえ。俺は俺の道を行く。ブラジル流の小細工皆無で敵を蹴散らすサッカー道を。
 結局、佐々は、百七十回まで記録を伸ばした。集合後すぐ、コーチは佐々を褒めちぎったが、佐々は表情一つ変えなかった。