私の中学校では中1から中2に進級するときにクラス替えと言うものがあった。
昔から友達作りが苦手だった私は、ようやくできた友達と離れるかもしれないと思うと不安でいっぱいだった。

その予想は的中してしまい、中1のとき同じクラスだった友達とはクラスが離れてしまった。
友達ってどうやって作ればいいんだろうかと悩みながら、緊張して新しいクラスの教室へ入った。

教室にはある女子生徒がいた。
小学校の時、私の悪口を言っていた女の子だった。

私は卒業した小学校には2年生の時から通っていた。いわゆる、転校生だ。
小学1年2年の時は、友達作りがむしろ得意だった私はすぐに友達を作れた。
だが、あの女の子とは仲良くはなれなかった。話したこともないのに、きもいや調子乗ってるなどの悪口を言われた。
私が何かしたのかもしれない、そう思ってはいたがまったくと言っていいほど心当たりがなかった。
そのままあっという間に小学校を卒業して今に至る。

女の子に対して、また悪口を言われるかもしれないと不安はあったがあまり関わらなければいいかなとも思い、友達作りに専念しようと思った。


友達がある程度でき始めて、夏休みにその友達と花火大会に行くことになった。
その日に、あの女の子の話題が出た。女の子といっていてはあまり話しにくいので、A子ちゃんと言う名前で進めていこうと思う。

私の友達が話したのはクラス替えをしてすぐ、私がA子ちゃんのことをいじめていたという話をA子ちゃんに言われたという話だった。
その話をされて頭の中はすごく混乱していた。私はA子ちゃんと関わったこともなかったのに、なぜ私がいじめをしていることにされているのだろう。

その話をしてくれた友達には、そんなことしてないと否定した。
友達は、「だよね、そんなことする子じゃないもん」と言ってくれてとても安心した。

そして、夏休みが終わり体育祭が始まった。
あの日から私の日常は狂い始めた。

体育祭が終わった次の日、私がクラスの男子の悪口を言っているという噂が流れていた。
クラスの男子が別のクラスの男子をリレーでぬかしたから、それで悪口を言っているという意味不明の噂だった。

もちろん、そんなことは言っていないし、別クラスの男子と面識もないし名前も顔すらも知らない人だった。
それからのこと、A子ちゃんとクラスの男子が毎日、授業の休み時間、給食などと隙あらば悪口を大声で言うようになった。

「ねぇ、まさかあいつ〇〇のこと狙ってるんじゃない?」

「えぇ!無理無理きもいんだけど」

あいつが私のことをさしていることなんて、わかっていた。体育祭のリレーで抜かして悪口を言われたとずっと言いふらしていたから。
毎日、毎日、毎日…。時間があれば悪口を言われる日々に私は耐えれなかった。
でも、親に相談する気にもなれなかった。こんなことで心配をかけたくなかったし、大ごとにしたくなかったからだ。
大ごとにしたところで、謝罪が終わればまた悪口を言われるかもしれないという恐怖が大きかった。

だから、どうにかしてこの噂を収めたくて友達経由で誤解だということを伝えてもらった。
これでもう悪口を言われることもない、そう思っていた。

だけど、そんなことはなかった。
授業中にはこっちをチラチラ見て指をさしながら、「あいつ、自分のこと一軍だと思ってるよね。調子乗ってる」と言われた。
数人の視線とその声で、あぁ、まだ言われるんだと絶望した。

それから事あるごとに、悪口を言われる日々を耐えていた。いつの間にか、冬になっていた。
今でもしっかりと覚えている。2月2日の出来事を。

国語の授業の条件作文を私は先生に褒められて、授業で発表することになった。
私には高校生の姉がいて、姉もこの先生に作文を褒められていたので姉と同じくらい作文を頑張らなきゃいけないというプレッシャーの中でがんばって書き上げた作文をほめられたことはとてもうれしかった。
だけど、授業が終わった後クラスの男子の一言を聞いてしまった。

「あんなのが褒められるとかありえねぇだろ、下手くそすぎ」

廊下からその言葉が聞こえた時、私はショックで動けなかった。
あの人たちは、人が頑張ったものに対してまで悪く言うのか。どれだけのプレッシャーがあったことも知らないくせに。
どれだけ努力したかも知らないくせに。

友達に心配されたくなくて、必死に涙をこらえた。
次の授業内容なんて全然頭に入らなかった。
ただ、授業内容よりも今度は何を言われるんだろうという考えばかりが渦巻いていた。

給食の味もよくわからなかった。給食中にも悪口を言われて、食欲さえもなくなった。
その日の最後の授業のときには、指をさされて笑われた。
あぁ、この人たちは人の努力を踏みにじるまでには飽き足らず、授業態度まで馬鹿にするんだな。そう思った。
部活も全然集中できないまま、家に帰った。

親にバレたくなくて、夜一人で静かに泣いた。
どうして私がこんな目に合わなきゃいけないんだろう。なんで、なんで、なんで…。
頭の中はそれでいっぱいだった。

もう、私は限界をとっくに超えていた。
親に迷惑かもしれない、大ごとにしたくない、そう思っていても学校になんて行きたくなかった。

初めて親にすべてを話した。親の前であんなに泣いたのは初めてかもしれない。
それから、私は不登校になった。

先生からの電話は怖かった。
いつ学校に来る?聞いてくるのはそればかりだった。

不登校になって2週間ほどたったころ。
先生の圧に押されて、私は別室登校を始めた。
私は別室登校がとても嫌いだった。毎日先生が部屋に入って来て、「どう?あの人たちと話せる?次はいつ学校に来る?」そればかり聞かれた。

はやく、学校生活に戻ってほしいという気持ちが見え見えだった。私の気持ちを優先するならもっと時間が欲しかった。
それがストレスだった。

あのクラスメイト達と会わなければ楽になると思ったのに。全然そんなことはなかった。
毎日がつらかった。

親には、何でも言ってと言われていたが私には無理だった。

それから、あのクラスメイトと話す機会が設けられて今までのことを謝罪された。
どうしても、許す気になんてなれなかった。
この謝罪は本当なのか、本当に謝罪する気はあるのだろうか。そんな考えしか浮かばなかった。


いつの間にか2年生最後の一週間が始まろうとしていた。
最後くらい教室に入ろうと、先生に言われて教室に入ることになった。
もう大丈夫かもしれないと少しの期待はあったが、すぐに打ち砕かれた。

人に囲まれるのが怖くなっていた。人の声が怖くなっていた。
あの悪口を言われた日々がフラッシュバックして、気づいた時には過呼吸になっていた。
怖くて仕方がなかった。


それ以来、教室に入れないまま中3に進級した。

学校には行かず、家でゆっくり毎日を過ごしていた時ある動画が私の目に留まった。

「不登校は甘えです、甘えるな」

と伝える動画だった。
私は甘えるなと言う考えは納得がいかなかった。
甘えることは悪いことではないと思う。ただ、甘えることが必要な状態に陥ってしまっただけだ。
不登校は甘えと思う人も、もちろんいると思う。けれど、必要な甘えだったということは理解してほしい。

気持ちを整理して落ち着かせる大事な時間を取るための甘えと考えてほしい。
その時間があるのとないのとでは全然違う。これはいじめを経験した私だから言えることだ。
もし、あのままいじめを受けながら学校に行き続けていたら、それこそ本当に私は壊れていたと思う。

だから、今この文章を読んでいる人でいじめを受けている人がいたら、甘えることは悪いことじゃないという事をわかってほしい。
甘えはあの状況から逃げる方法なのだから。

逃げてもいいんだよ。辛いときは甘えていいんだよ。


私は今でも教室には戻れていない。あの時の傷が癒えるときがいつ来るかなんてわからない。
人間関係に悩むことが無くなるかもわからない。
それでも、少しずつ気持ちの整理がつき始めているのが自分自身わかる。少しでも前に進めている。

どれだけ日常が狂ってしまっても、それも私の人生の一部だ。
起きたことをなくすことはできない。それでも、その出来事のおかげで今の自分がいると思うことはできる。

いつかの将来、この経験があってよかったと思えた時が私の傷が完全に癒えたと思える時だと思う。

あのことが無ければもっといい人生を歩めたかもしれないと思う日もあるかもしれない。
それでも、いつかの将来のために私は進み続けようと思う。

つらい経験として思い出すのではなく、あの経験があったから今こうなれている!と堂々と言えるように、進んでいきたい。

いつかの私が笑顔で過ごせるように。